私は今までロリコンであるという謗りを受けながら生活してきました。
Pixivで好きな絵師は小路あゆむ、好きなエロ漫画雑誌はLO、そういうわけでああお前はロリコンじゃねえか間違いないと言われてしまうのは仕方のないことです。
でも今までこれだけは、金科玉条、守り通してきたつもりです、そういうルールがあります。
そうはいっても犯罪を犯したわけではありません。ほんの些細なことでした。
ある日私はバスに乗っていました。バスの中では左側の最前列の席に座っていました。
この席、御存知と思いますがタイヤの上にあって結構高い島のようになっています。
この席は前を遮るものがなく見晴らしがよい席ですが、あいにくこの日はとても忙しく、
私はペンと紙を持ってがたがたと揺れるバスの中で書き物をしていました。
そうして20分ほど乗っていた頃でしょうか、私はうっかり筆箱を落としてしまいました。
早速ひろおうと思ったのですが、座っている席が仇となり床に手が届くはずもありません。
バスは相変わらず大揺れを続けていて、とても走っている途中に席を降りようとは思えません。
そうは言っても信号待ちはあるだろう、その時さっと拾えばいいや、そう思っていた時です。
後ろのほうで群れていた小学生の女の子が私の筆箱を拾ったのです。
女の子は、これどうぞ、と小声で早口に言い切り、その小さな手をつきだしてきました。
私はただ、ありがとうと口に出して私の筆箱を受け取りました。
ただこれだけのことでした。
これを普通の人にしてもらったなら、
私はただ「親切な人もいるものだ」と思ったことでしょう。
しかし、この時私の頭を様々な思いがよぎりました。
私はやはり懺悔をしなければならないのです。
自然に手と手とが触れ合えるだろうかと一念に考えました。
私の手のひらと女の子の手の甲をぴったりと重ねようかとも思いました。
無論私にそんな大胆な行動力などあるはずもなく、
指の先と先とが一瞬触れるだけでした。
もう一つ、本当はその筆箱をもっと早くに拾ってしまおうと思っていました。
しかし、ちょうどその時後ろから「あれ、拾ってあげないと」という声が聞こえました。
その声を聞いた時に私は椅子から体を下ろそうとする全努力を中断し、
その子が私に拾ってくれるのを心待ちにしていました。
つまり、筆箱の受け渡しはそっくりそのまま私の仕組んだことであり、
手を如何に触ろうと思ったことも偶然と見せかけてその時点では既に必然であったというわけです。
そして一番恐ろしいのは、バスを降り冷たい冬の風に触れたその時まで
「架空の幼女を描いた創作物で性的欲求を満たす」ものであり続けました。
この堅固な定めから一つとして欠け落ちることはなかったのです。
ところがこの日バスの少女と面した時「架空」というのがすっかりどこかへ行ってしまいました。
そして不思議なことに「性的欲求」すらすっかり脳裏から消えていたのです。
ありていに言いますと、私は少女の手を触った時微塵も勃起しませんでした。
バスを降りて歩いている時も、全く性的興奮を感じられませんでした。
にもかかわらず、私は事実として手を触りたいと思い、言葉をかわしたいと思うのです。
この気持ちが性的欲求でないなら、私の心を駆動するのは恋でありましょう。
そして、この生涯一度しか会わない、言葉をその日初めて交わし、
そしてそのまま今生の分かれとなるであろう少女に突然恋焦がれるはずもありません。
私は恋する気持ちを全て小学三年生にすっかり置いて来てしまったのです。
私も小学生の途中までは可愛い同級生の女の子に恋して淡い気持ちを揺らしていたのに、
大人の女性を見る時には如何なる微小な量であっても性的な感情を想起せざるを得ず、
そして最後に恋はもっと強くうるさく乱雑な性的欲求の四文字に塗りつぶされてしまうのです。
あの日あったことはこれが全てです。
どうでもいい質問だが 私は今までロリコンであるという謗りを受けながら生活してきました。 誰から謗りを受けてたのか、というか誰が謗ってたのか
要約すると「私がロリコンであるのは、小学生のころの淡くて純粋な恋心を今でも持ち続けていたいからなのです」ということなのかな。でもロリコンエロ雑誌は読むんだよね。そこに...
おまわりさん、この人です。