空山寂寂,禅意声声。以音寄心,自由于心。

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空山寂寂,禅意声声。以音寄心,自由于心。

  • 制作人:总统死了
  • 歌曲数:40 
  • 标签:尺八,邦乐,古乐,
  • 更新时间:2013-02-01
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许是尺八是从禅寺东渡扶桑之物

禅意会自然的附凿其间

这太多的空山雨后的王维

不啻如烟树荒村 雪梅瘦石

自觉一种苍凉与孤寂



尺八可能只能留给自己感受

除非受众也能直达奏者的心中

所以 尺八是不宜与其它的乐器进行合奏的

不然 我们怎么去感受那月光下低语时蜿蜒的憔悴

而这种低语 总如深涧流霞

即或在荒芜或断流处 仍依稀有微风吹过


入选曲目(40)

  • 門付(カドツケ)
    根笹派・錦風(ネザサハ・キンプウ)流の本曲。
    虚無僧の托鉢用の曲として、通里(トオリ)→門付→鉢返(ハチガエシ)の3曲を1曲として続けて吹くことが多い。別字に門附(カドツケ)、別名に心法ともいう。通里を吹行中に在家の人から仏の供養を頼まれた場合、門前の門口に立ってこの曲を吹く。その曲意は「延命観音の曲」。屋外で吹くことを前提としている為、高音が用いられている。

    門付かどづけ 俗称就是乞丐的意思 再具体点是站在别人家门口打把式卖艺的人
    那么这首尺八曲的来历指村落里的村民想在家供佛 找游历的虚无僧来作法式 虚无僧就会站在门口吹这首曲子 曲意是指可延长寿命的观世音之曲
  • 虚鈴(キョレイ)
    古典本曲の中でも特に重要な3曲「虚鈴・虚空(コクウ)・霧海篪 (ムカイヂ)」のうちの一曲、もっとも古い曲とも。琴古(キンコ)流の真虚鈴(シンキョレイ)の他、明暗対山(ミョウアンタイザン)流、明暗真法(ミョウアンシンポウ)流、西園(セイエン)流の本曲として同名異曲で数種類存在する。

    虚铃是尺八古本三部曲之一 历史悠久 不做解释

    其他流派多有同名曲目但内容则不尽相同

    这里的铃是指挂在寺院房檐下的佛铃
  • 虚空(コクウ)
    「虚鈴(キョレイ)・霧海篪 (ムカイヂ)」に並ぶ尺八古典本曲根源曲の1曲。
    虚空とは、空間やソラを意味するものとは異なり、その本意は禅思想である「有即無、無即有、一切皆空」の空であり、一切を吹禅三昧とした境地に達するという意になる。

    虚空是尺八三大古曲之一 其意取自禅意【有既是无 无既是有 则一切皆空净虚无】
  • 春の海(ハルノウミ)
    新日本音楽を代表する作品として、宮城道雄が昭和4年(1929年)に作曲。編成は、箏+1尺6寸の尺八、尺八の代わりにフルートやヴァイオリンに、お箏の代わりにピアノなど様々にアレンジされ親しまれている

    近代曲目春天的海 不做解释
    フルート长笛
    ヴァイオリン 小提琴
    ピアノ 钢琴
    アレンジ 安排
  • 霧海篪 (ムカイヂ)
    尺八古典本曲の虚鈴(キョレイ)・虚空(コクウ)と並ぶ根源曲の一曲。虚霊山明暗寺開基の虚竹禅師(寄竹)が夢の中で得た曲との伝説があるがそれには2説ある。

    雾海竹

    篪[chí]
    1.古书上说的一种竹。2.古代一种用竹管制成像笛子一样的乐器,有八孔

    尺八三大古曲之一 传说是在空灵山创立明暗寺院的空竹禅师(另称寄竹)在梦中所得灵感而创作的曲子
  • 鹿の遠音(シカノトオネ)
    尺八古典本曲。琴古流の曲は正確には呼返鹿遠音(ヨビカエシシカノトオネ)と呼ばれ、初代黒沢琴古(クロサワキンコ)が一計子という虚無僧から伝えられたとされている。
    秋の深山幽谷に響く鹿の鳴き声の掛け合いの描写を曲想としており、非常に美しい。一管だけで吹く場合もあるが、通例は二管での掛け合いで演奏される。青木鈴慕(アオキレイボ)と山口五郎(ヤマグチゴロウ)両師が演奏している鹿の遠音は、非常に聞きごたえのある名演奏である。美しく個性的な旋律は、多くの人に親しまれ、琴古流の代表曲としてだけでなく、尺八曲全体の代表曲としても広く知られている。

    尺八古曲 灵感取自秋天的深山幽谷中 鹿与鹿之间相互鸣音的情景
  • 巣鶴鈴慕(そかくれいぼ)
    一般に「鶴の巣籠り」と呼ばれる曲。琴古流では「巣鶴鈴慕」(そかくれいぼ)という。宗教曲ではなく、むしろ尺八を用いた器楽曲としての芸術性が高い曲。鶴の親が子に対する愛情を表現した曲と伝えられる。「鹿の遠音」と並んで尺八音楽の標準的な様式で演奏され、親鳥が雛を育てる『巣籠り』、雛が巣立つときの親子の別れが表されている。

    仙鹤归巢 不是宗教曲本 却用尺八来演奏 别具艺术性

    本意是指仙鹤父母对即将出巢的雏鹤爱恋不舍

    铃慕也叫恋慕 典故出自我大唐高僧普化禅师作法式时一边摇动手中的铎{大铃铛}一边敬仰着这即将升天的法器
  • 千鳥の曲(チドリノキョク)/千鳥(チドリ)
    地歌・三曲合奏で六段や春の海と並んで代表的な名曲。2世吉沢検校(ヨシザワケンギョウ)が幕末期に作曲した。歌詞は、前歌を古今和歌集の読み人知らずの作より、後歌を金葉和歌集より源兼昌作より借用している。

    [前弾き]
    塩の山 差出(さしで)の磯に 住む千鳥 
    君が御代(みよ)をば 八千代とぞ鳴く
    君が御代(みよ)をば 八千代とぞ鳴く
    [手事]
    淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 
    幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
    幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
    [後弾き]

    千鸟之曲 幕府末期作品 三重奏地方歌谣 与春の海{春天之海}齐名

    歌词乃日本古语 就不译了
  • 一二三調(ヒフミノシラベ)
    琴古(キンコ)流、明暗対山(ミョウアンタイザン)流の本曲。
    前吹き用の曲。乙音(低音)ばかりで構成されいる曲で、最初に調子を合わせる・練習するという意味もある。独立した曲とする場合と、一二三調→鉢返し(ハチガエシ)→寿調(コトブキチョウ)と続けて演奏される事も多く、その場合は一二三鉢返寿調(ヒフミハチガエシコトブキチョウ)と呼ばれる。

    一二三调 最初只是低音合声或练习合声的曲子 后被单独摘出来演奏 其实仍不离间奏合声本意
  • 鶴の巣籠(ツルノスゴモリ)
    鶴巣篭は尺八・地歌・筝曲・胡弓など新旧あわせて30曲以上あるといわれるが、そのどれもが明暗寺別伝の鶴巣籠をもとにされているといわれ、さらに巣鶴が原曲であるといわれる。そして、この曲は「巣籠因縁経」の趣旨によって作曲されたものであると云われている。ここでは尺八曲の鶴の巣籠をあつかう。
    雛鶴の誕生から巣立ち、親鶴の死を描いた標題音楽。段構成をとるものが多く、玉音などの擬音的効果音や特殊奏法が多用される。この尺八曲から胡弓へ移曲されたとされ、その胡弓から都山流の鶴の巣籠はさらに移曲された。関西系と奥州系に大別される。

    仙鹤的巢穴 其意与巣鶴鈴慕近似
  • 岩清水(イワシミズ)
    都山流本曲。初代中尾都山が明治37年10月に作曲したとされる。
    曲名の由来は、京都市八幡市にある岩清水八幡宮にある清水「岩清水」である。神苑にうっそうと生い茂る樹々と静かに清らかに滾々(こんこん)と流れ落ちる水の流れを現している。
    岩清水八幡宮は、初代中尾都山の生家にも近く、都山流の門徒にとって非常に重要な場所でもある。

    从岩石中流出的泉水 都山流派第一代中尾都山家的附近有名叫八幡宫的地方郁郁葱葱地生长茂盛神苑的树木 静静地流淌着清溪的泉水 此曲名由此而来
  • 木枯(コガラシ)
    都山流本曲。初代中尾都山が大正12年11月に作曲。
    関東大震災後の灰燼と化した東京の物悲しさ、厳しさを木枯しに例えたとされる。木枯しとは秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい季節風の一種で、木の葉を散らし、枯らすことから木枯しの名を持つ北風のことである。この木枯しは吹いた風が戻ってこずに北へ旅立っていくことから、大切な人や思い出が帰ってこないということにもしばしば例えられる。別字に凩。

    树枯 都山流派本曲 中尾都山所作 关东大地震1923年(大正12年)发生后 灰烬之中的东京物是人非 凄厉的寒风在焦枯的树木中刮过 此曲名由此而来
  • 三本の尺八のための「生地」近代曲
    作曲者:山本邦山 Hozan Yamamoto

    近代曲本 不做解释

    生地 出生地
  • 青柳/新青柳(アオヤギ/シンアオヤギ)
    地歌筝曲、京流手事物。「源氏物語の若菜」上の巻の話を語った部分をとって歌詞にしている。

    [本調子]
    されば都の花盛り
    大宮人(おおみやびと)の
    御遊(ぎよゆう)にも
    蹴鞠(しうきく、意=しゅうぎく、けまり)の庭の面(おも)
    四本(よもと)の木蔭 枝垂れて
    暮に数ある 沓(くつ)の音
    柳桜を こき混ぜて
    錦を飾る 諸人(もろびと)の
    華やかなるや 小簾(こす)の隙(ひま)
    洩れくる風の 匂ひきて
    [手事(中チラシ・後チラシ)]
    [二上り]
    手飼の虎の 引綱も
    長き思ひに 楢(なら)の葉の
    その柏木に 及びなき
    恋路はよしなしや
    是(これ)は老ひたる 柳の色の
    狩衣(かりぎぬ)も 風折(かざをり)も
    [手事(中チラシ・後チラシ)]
    [三下り]
    風に漂ふ 足元の
    たよたよとして なよやかに
    立ち舞ふ振(ふり)の 面白や
    げに夢人(ゆめびと)を 現(うつつ)にぞ見む
    実に夢人を現にぞ見る

    青柳 类似百合科属的一种青绿植物 地方歌谣古筝曲

    歌词取自源氏物语之若叶上卷中的词句
  • 阿字観(アジカン)
    明暗系の古典本曲。薩慈(サシ)の一種で、宮川如山(ミヤガワニョザン)による編曲とされている。他に明暗対山流の「阿字曲(アジノキョク)」があるが曲想はことなる。
    阿字観とは、弘法大師空海が伝えた真言密教の精神集中法の一種で、梵字に向かってひたすら集中・瞑想するものである。その瞑想法として阿息観(アソクカン)・月輪観(ガチリンカン)・阿字観がある。座禅に共通するところがある。
    宮川如山の音は、豪放磊落・一気呵成が持ち味で、この阿字観も歯切れのよい奥州系のユリ奏法が特徴的であったが、弟子の谷狂竹(タニキョウチク)がのちに長管でゆったりとした奏法に変更した。これが原因で如山は狂竹を破門している。もっとも、狂竹は平気な顔で破門後も出入りしていたらしいが・・・。現在は、もっぱら狂竹のゆったりとした阿字観が主流のようだ。

    这个本人也不是很能理解 大体是说弘法大师坐禅时对天地间传达密教箴言的一种集中冥想法 此法有阿息観・月輪観・阿字観
  • 吾妻獅子(アズマジシ)
    尺八古典本曲、獅子物の一種。別名に吾妻之曲(アズマノキョク)とも。いい伝えによれば、福島県の吾妻地方の獅子舞の笛の囃子を尺八に移した曲と云われているが、この曲も伝承中に西へ移動し、現在は東北地方には残っていない。琴古・明暗ともに九州から移入。前吹きと後吹きは樋口対山(ヒグチタイザン)の手付け。

    吾妻是福岛县的一个地方名 狮子在这里泛指石狮子

    吾妻狮子是尺八名曲了 狮子物当中的演绎曲目

    狮子物是指以狮子作为题材众人竞相崇拜而创作的歌舞曲
  • 宇治巡り(ウジメグリ)
    江戸時代後期に創作された地歌筝曲で、地歌を松浦検校(マツウラケンギョウ)が箏を浦崎検校(ウラサキケンギョウ)が手付けしている。歌詞は、京都の田中幸次と伝えられている。

    万代(よろすよ)を 摘むや茶園(さえん)の春風に
    寿添えて佐保(さお)姫の
    賑わう袖の若緑 人目を何と初昔
    霞を分けて青山の 小松の城や綾の森
    千歳障りもなしむしに 齢(よわい)老いせぬ姥(ばば)昔
    誰にも年を譲り葉の 千代の緑の松の尾の
    神代の末の後(のち)昔
    光を添えて園の梅 なお白梅の色香にも
    深くぞうつる川柳 湖水越すだに宇治の波
    [手事]
    初花見する山吹の 花橘の匂うちょう
    夢も結ぶの折鷹(おりたか)や
    小鷹の爪に枝しめて 木蔭も多き一森(いちもり)の
    喜撰の庵の夏の峰 滝の音も
    [手事]
    菊水の 朝日山の端 薄紅葉
    高雄の峰に雁がねの
    漁(あさ)る声ごえ笠取(かさどり)の
    数万所(かずまんどころ)面白や
    心を澄ます老楽(おいらく)は
    祝いの代(しろ)と歌う舞鶴

    宇治是现今京都府南部的一个城市 在日本古时是连接奈良和京都的交通要冲 十分繁华

    宇治巡り是到宇治或在宇治巡游的意思
  • 越後獅子(エチゴジシ)
    地歌筝曲、獅子物。峰崎勾当作曲、箏の手付けは市浦検校と八重崎検校が加えたものがある。作詞者は不明。

    越路潟(こじぢがた) お国名物さまざまなれど 田舎訛りの片言交じり
    白兎(しらうさぎ)なる言の葉に 面白がらしそうなことを
    直江浦の海士(あま)の子が 七つか八つ目うなぎまで
    績(う)むやあみ(網、編み)その綱手とは 恋も心も米山の
    当帰(とほき)浮気の黄蓮(おうれん)も
    なに糸魚(いとい)川糸魚(いとうお)の
    もつれもつるる草浦の 油漆と交わりて
    末松山の白布の 縮みは肌のどこやらが 見え透く国の風流を
    うつし太鼓や笛の音も 弾いて唄ふや獅子の曲
    向かい小山の紫竹竹(しちくだけ) 枝節揃えて切りを細かに十七が
    室の小口に昼寝して 花の盛りを夢に見てそろ
    夢の占方(うらかた)越後の獅子は 牡丹は待たねど富貴は
    おのが姿に咲かせ舞ひ納む 姿に咲かせて舞ひ納む

    与吾妻狮子相同

    越後 旧时国名 近在日本新泻县中
  • 越天楽・越殿楽(エテンラク・エデンラク)
    雅楽の唐楽(左方、中国伝来の曲)で管弦曲(舞のない楽器だけの曲)。

     楽曲の詳しい伝承は不詳で、項羽と劉邦で有名な漢王朝の5代文帝の作や劉邦の軍師張良の作、あるいは雅楽伝来後に日本で作られたとも云われている。楽器編成は、管楽器・弦楽器・打楽器からなっている。管楽器に使われるのは、篳篥(ひちりき、地上の人の声を現す)、竜笛(りゅうてき、天と地の間を駆け巡る竜)、笙(しょう、天上の光・鳳凰)の3種。弦楽器は、楽琵琶(がくびわ)と楽箏(がくそう)の2種。打楽器は、楽太鼓(がくだいこ)、羯鼓(かっこ、指揮者の役割)、鉦鼓(しょうこ)の3種。

    雅乐是我大唐音乐中的一个小曲 越天乐或叫越殿乐是其中的一种

    传说此曲是汉文帝另说是刘邦军师张良所作

    ps:越天好像是富贵的意思
     
  • 近江八景(オウミハッケイ)
    山田流の地歌筝曲。作曲は山登万和(ヤマトマンワ)、作詞は福城可童。近江(現滋賀県)の琵琶湖畔の景勝地を紹介しながら、御代の平和を寿ぐ曲。近江八景を詠んだ和歌八首や歌川広重の書いた浮世絵を題材に朝~夜へと旅をするかのごとく八景が唄いこまれているさまは見事。

    春秋の 眺め尽きせぬ にほの海
    霞のひまに 見わたせば
    波の粟津(あわづ)の 雲晴れて
    千船百船(ちふねももふね) 打ち出での
    浜をあとなる 追風に
    真帆(まほ)あげ帰る 矢走潟(やばせがた)
    はや夕日さす 浦々の
    景色を見つつ わたるには
    瀬田の長橋 ながからず
    眺むるうちに 三井寺(みいでら)の
    入相(いりあい)告ぐる 鐘の声
    比良の高嶺は 白雪の
    やや肌寒き 浦風に
    おつる堅田(かたた)の 雁がね(かりがね)も
    数さへ見えて 照る月の
    光(※影も)さやけき 石山や
    昔の跡の 偲(しの)ばれて
    夜半(よは)の時雨も 唐崎の
    松には千代の 声すなり
    君がみいづの あきらけく
    治まる御代に 逢ふみ路(近江路)や
    名に聞こえたる 八つの名所(などころ)

    近江是日本旧时诸国分裂时期的国名 国中有一淡水湖名曰琵琶

    此曲亦取其中八景生情所作
  • 雲井獅子(クモイジシ)
     尺八古典本曲、獅子物の一種。雲井之曲(クモイノキョク)とも云われる。九州地方、とくに博多の一朝軒で盛んに吹かれていた。

    与吾妻,越后狮子近似

    云井 地方名 现在福冈县博多市中
  • 湖上の月(コジョウノツキ)
    都山(トザン)流の本曲。1922年の晩秋に初代中尾都山が作曲したとされている。
    晩秋の湖上に映える月光と漣(さざなみ)そよぐ湖面の金波銀波を2管の尺八で奏している。冒頭部の独奏が徐々に変化していきながら各段の終止音型に応用している。二段は3/8拍子で本曲に3拍子が使われた最初の作品でもある。1段と2段でいかに切り替えるかが演奏のポイント。

    近代曲目 都山流派中尾都山所作

    晚秋时分涟漪中的湖面上映照着微微摇动的月面 此曲由此景所作
  • わたづみの調(ワタヅミノシラベ)
    海童道(わだつみどう)道曲。解説書によれば、海童道の曲調を学ぶには、まず調を練磨する事が第一歩であり、このわたづみの調は最も境涯を示しているものとされている。それは、悠遠とした気分のうちに深甚微妙な技巧を表現しており、もとは東北の伝承に起こって、海童道独特の味わいと化したものである。

    海童道祖 大师级人物 不作解释 此曲曲意不详 后人多指学习海童道祖曲本的入门曲调
  • 鈴慕(レイボ)
    奥州系の尺八古典本曲。琴古(キンコ)流、明暗真法(ミョウアンシンポウ)流、明暗対山(ミョウアンタイザン)流、錦風(キンプウ)流、西園(セイエン)流の本曲。普化宗では各寺軒に固有の鈴慕を所伝し、地名や寺名を冠して伝え、これを一寺一律といった。九州鈴慕・京鈴慕など多数の種類がある。また、巣鶴鈴慕(ソウカクレイボ)のように単に曲名に用い、一寺一律の鈴慕とは関係のないものもある。ほかに別字として霊慕(レイボ・リョウボ)・鈴法(レイホウ)・恋慕(レンボ)なども

    铃慕也叫恋慕 典故出自我大唐高僧普化禅师作法式时一边摇动手中的铎{大铃铛}一边敬仰着这即将升天的法器
  • 呼び竹・受け竹(ヨビタケ・ウケタケ)
    尺八古典本曲。虚無僧同士が托鉢中に出会った際に、尺八を吹き合い挨拶する作法。虚無僧作法之事(コムソウサホウノコト)と、名詞のようにいわれることもある。その短い旋律から、どこの地方の虚無僧か、また偽虚無僧でないかが判断され、偽物であった場合は無礼打ちにするなどの取り締まりも行なっていた。別に合図高音(アイズタカネ)、吹合合図(フキアイアイズ)、呼笛応笛(コテキオウテキ)、根笹遇対(ネザサグウタイ)など、曲調は異なるが同様の意味合いのものが存在する。

    这个典故挺有意思 大意指虚无僧们相互托钵时 要用尺八互吹一首短曲 表示慰问寒暄之意 如果有一方吹的不对或者吹不出来的话 那这个冒牌货将会遭到群起而攻之 哈哈 有趣有趣

    托钵 俗点说就是你化缘比我多 我们相互分点儿吃的意思
  • 八重衣(ヤエゴロモ)
    地歌、石川勾当(イシカワコウトウ)が江戸時代後期に作曲。歌詞は小倉百人一首の和歌の中から「衣」を題材にしているものを借用している。箏のパートは八重崎検校(ヤエザキケンギョウ)。

    君がため 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ
    春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ(ちょう)天の香具山
    みよし野の山の秋風小夜更けて 古郷(ふるさと)寒く衣擣(う)つなり
    [手事]
    秋の田のかりほの庵の苫(とま)を粗み 我が衣手は露に濡れつつ
    きりぎりす鳴くや霜夜の挟筵(さむしろ)に
    [手事]
    衣片敷き独りかも寝ん

    八重衣 指厚重的衣服

    此曲曲词出自日本古典和歌赏析{小仓百人一首}
  • 大和調子(ヤマトヂョウシ)
    尺八古典本曲といわれているが真相は不明。

    曲意不详 不作解释
  • 山越(ヤマゴエ)
    海童道道曲。九州系の薩慈(サシ)の一種と思われるが詳細は不明。薩慈には「山越の手」とよばれる音型があるが、この山越にも含まれている。

    山越 有翻山越岭或山对面之意 此曲曲意不详
  • 紅葉(モミジ)
    都山流の本曲として1929年(昭和4年)の秋に初世中尾都山が作曲した。紅葉の名所で京都洛西の高雄で錦織りに彩られ山々の景色を周遊して作曲した標題音楽である。
    尺八二管での合奏曲で、それぞれに独奏部あり、カノン形式あり、5拍子ありと変化に富む。「酔歩漫歩の表現」と作曲者自身が指示している。本曲に5拍子が取り入れられた最初の曲でもある。

    大家都知道台湾有个高雄 岂不知在日本京都府洛西的右京区也有个高雄 这个高雄在日本古时是个赏红叶的胜地

    都山流派的创始人中尾都山道经此地 看到群山红叶似用色彩染过的织锦一样美丽 所作此曲
  • 松の緑(マツノミドリ)
    長唄物。作曲は、4代目杵屋六三郎(キネヤロクサブロウ)。「勧進帳」や「吾妻八景」などの名曲を残した4代目杵屋六三郎が自分の娘の襲名披露のために作曲した祝儀曲。娘の祝いを廓(色町)に例えるのは、今日の感覚では解り難いが、当時の音曲の中心地であり、題材として喜ばれた事からといわれている。

    今年より 千度(ちたび)迎うる春ごとに
    なほも深めに 松の緑か 
    禿(かむろ)の名ある 二葉の色に
    太夫(たいふ)の風の 吹き通ふ
    松の位(※1)の 外八文字(そとはちもんじ、※2)
    派手を見せたる 蹴出し褄(けだしづま、※3)
    よう似た松の 根上がりも 
    一つ囲いの 籬(まがき、※4)にもるる
    廓(さと)は根引きの 別世界
    夜々(世々、よよ)の誠と 裏表
    比べごしなる 筒井筒(つついづつ、※5)
    振分け髪も いつしかに
    老いとなるまで 末広う
    開き初めたる 名こそ祝(しゅく)せめ

    松之绿 三弦曲 杵屋六三郎为祝贺自己的女儿继承艺名所作
  • 春の夜(ハルノヨ)
    宮城道雄作曲の筝曲。歌詞は、土井晩翠の詩より。

    あるじはたそやしら梅の 香りにむせぶ春の夜は
    朧の月をたよりにて しのび聞きけんつま琴が
    そのわくらばの手すさびに そぞろに酔へる人心
    かすかにもれし ともし火に 花の姿は照りしとか
    たをりははてじ花の枝 馴れしやどりの鳥なかん
    朧の月のうらみより その夜くだちぬ春の雨
    ことは空しく音を絶えて いま将しのぶ彼ひとり
    ああ その夜半の梅が香を
    ああ その夜半の月影を

    春天的夜 近现代古筝曲

    宫城道雄 具有世界声誉的日本民族音乐家、邦乐作曲家、筝演奏家和散文家。七岁失明。毕生致力于发展邦乐及改革民族乐器。曾发明十七弦短筝、八十弦筝及大胡弓琴,并对筝的传统演奏手法进行革新。
  • 下り葉(サガリハ)
    琴古(キンコ)流、錦風(キンプウ)流、明暗真法(ミョウアンシンポウ)流の本曲。
    別字に下り波、降り葉、下李葉、さがり葉、くだり葉とも。祇園祭礼の囃しに吹かれた曲とも云われている。錦風流には、以前五調子(本調子・雲井・曙・太極・夕暮の5種類)があったそうだが、現在は本調子・雲井調子・曙調子の3種類が伝わっている。

    祇園祭祀时所吹奏的曲目

    祇園——祇樹給孤独園的简称 详意请百度
  • 萩の露(ハギノツユ)
    地歌・箏ともに生田流の幾山検校が幕末~明治頃に作曲。歌詞は霞紅園。

    何時(いつ)しかも 招く尾花に袖触れ初めて 我れから濡れし露の萩
    今さら人は恨みねど 葛の葉風のそよとだに
    音ずれ絶えて松虫の ひとり音(ね)に鳴く侘びしさを 
    夜半(よわ)に砧を打ち添えて
    いとど思いを重ねよと 月にや声は冴えぬらん
    いざさらば 空行く雁に言問わん
    恋しき方に玉草(たまぐさ)を 送るよすがの有りや無しやと

    萩是种蒿类植物 萩上的露水

    有一种说法是被男人抛弃了的寂寞无趣的女人 时时摆弄萩上的露水........ 囧
  • 手向(タムケ)
    尺八古典本曲。西国三十三ヶ所支配京都明暗寺属の伊勢国白子(現 三重県鈴鹿市)にあった鈴法山普済寺所伝の曲。神仏や故人の霊に奉げる為の曲。
    海童道(わだつみどう)、道曲。大和路を歩むが如くゆったりと趣のある曲で、人気の曲である。

    手向是指给神佛和死者灵魂供奉物品的这么一个形式意思

    此曲是从三重県鈴鹿市鈴法山的普済寺所流出
  • 菅垣 (すががき)
    もとは、雅楽に使われている琴の奏法名であったが、江戸時代頃から一つの楽曲ジャンルの名称として使用されるようになった。統括して「すががき物」と呼ばれる。表記には、管垣、管覽、清覽など多数ある。

    すががき在我大唐雅乐中是一种古筝的演奏方式 具体意思不详

    而传到日本之后被当做乐曲种类的名称所使用
  • 末の契(スエノチギリ)
    地歌筝曲、京流手事物。作曲は松浦検校(マツウラケンギョウ)、箏の手付けは浦崎検校(ウラサキケンギョウ)、作詞は三井次郎右衛門高英(俳号・後楽園四明居)。寄る辺ない遊女の心を浮きつ沈みつ波間に翻弄される小舟に例えた叙情の曲。

    白波の かかる憂き身と 知らでやは
    わかに海松布(みるめ、見る目)を 恋すてふ
    渚に迷ふ 海女小舟(あまこぶね)
    浮きつ沈みつ 寄る辺さへ
    荒磯伝ふ 葦田鶴(あしたづ)の
    鳴きてぞ 共に手束弓(たづかゆみ)
    春を心の 花と見て
    忘れ給ふな かくしつつ
    八千代経(ふ)るとも 君まして
    心の末の 契りたがうな

    末の契 有将来的,永久的,最后的约定的意思

    此曲曲意指无所依靠的艺妓坐在被波浪翻弄着的小船上 心也随着波浪起伏一样
  • 新娘道成寺(シンムスメドウジョウジ)
    地歌筝曲、京風手事物。作曲は、菊岡検校あるいは石川勾当と諸説あり定かではない。作詞は、藤本斗文(とぶん)。箏手付けは、宮原検校(中空調子)、本田勾当、葛原勾当、米川琴翁など多数。

    鐘に恨みは数々ござる
    初夜の鐘を撞く時は 諸行無常と響くなり
    後夜の鐘を撞く時は 是生滅法と響くなり
    晨朝(しんぜう)の響きには 生滅滅己(しょうめつめつい)
    入相(いりあい)は 寂滅為楽(じゃくめついらく)と響けども
    聞いて驚く人もなし
    我は五障(ごしょう)の雲晴れて 真如(しんにょ)の月を眺め明かさん
    (三下り)
    言わず語らず我が心
    乱れし髪の乱るるも つれなきはただ移り気な
    ああどうでも男は悪性な 桜さくらと謳われて
    いかに袂に分け二つ 勤めさへただうかうかと
    どうでもおなごは悪性な 東育ちは蓮葉なものぢゃえ
    (手事本調子)
    恋のわけ里数え数へりゃ 武士も道具を伏せ編み笠で
    張りと意気地の吉原 花の都は歌でやわらぐ敷島原に
    勤めする身は 誰と伏見の墨染
    煩悩菩提の撞木町より 浪花四筋に通い木辻の
    禿(かむろ)立ちから室(むろ)の早咲き それがほんの色ぢゃ
    一二三四(ひいふうみいよ)
    夜露雪の日 下関路を 共にこの身を馴染み重ねて
    仲は丸山 ただ丸かれど 思い染めたが縁ぢゃへ

    京鹿子娘道成寺的简称 歌舞伎舞蹈 三弦曲

    娘 是女儿 女孩儿的意思哈
  • 三谷(サンヤ)
    明暗系の古典本曲。明暗真法流(ミョウアンシンポウ)、明暗対山流(ミョウアンタイザン)、根笹派錦風流(ネササハキンプウ)、琴古流、西園流(セイエン)などに伝わっている。同名異曲のレパートリーが非常に多い。曲の発祥は不明。

    三谷 姓氏或者地名 在今东京都台东区

    明暗是尺八的一个流派 源自普化寺院
  • 松竹梅(ショウチクバイ)
    地歌筝曲。三橋勾当(ミツハシコウトウ、三津橋とも)が作曲。大阪系の地歌で、大阪十二曲の一つともされ、「根曳の松(ネビキノマツ)」「名所土産」とともに、三役物という三味線手事の最高の曲といわれている。歌詞には、縁起物の梅に鶯、松に鶴、竹に月とをあしらった慶賀吉祥の曲。

    松竹梅是松鹤,竹子,梅黄莺的简称 这三样在日本都是寓意吉祥之物
  • 薩慈(サシ・サジ)
    九州系の古典本曲。虚無僧の流しの曲である為に、数多くの同一原型から派生した旋律があり、別字にも薩字、些志、差之、左司、献などがある。現行曲は、筑後薩慈(チクゴサシ)、ねりざし、新七ザシ(シンシチザシ)など。新七薩慈は、山形の牧新七から伝承されたと云われている。一名には淘薩字(ユリサシ)とも。奥州薩慈は正式には三谷 三谷清覽であるため別物である。

    萨慈 梵文佛语 不知其意

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18条简评

  • tuscan soul

    tuscan soul2013-01-18 22:53
    很美,意境。
  • 总统死了

    总统死了(可惜那晚欢愉的不是我)2013-01-16 08:14
    翻译完成 自身也学到不少尺八知识
  • 漫漫夜,只一诺

    漫漫夜,只一诺2013-01-15 04:28
    总。。您就不能翻译下么。。。。=.=
  • 这个夏天你失去了我

    这个夏天你失去了我2013-01-14 21:38
    喜欢的感觉
  • 核小桃

    核小桃2013-01-09 20:26
    非常喜欢!
  • 浮生

    浮生(抓)2013-01-06 21:36
    稀饭尺八
  • 飘雪 ↖(^?^)↗

    飘雪 ↖(^?^)↗(要么精彩的活,要么去死!)2013-01-04 15:52
    喜欢这个集子,原以为尺八是日本的,原来是自唐代传至日本的,为什么中国的东西却在日本传承下去了呢?

    漫漫夜,只一诺

    漫漫夜,只一诺2013-01-15 05:15
    话说古代中国那么多文化,总有些被淹没的~ 呼呼。就算在日本,如今的尺八也不是当初流入时的摸样,已经被改变啦~
  • 黑暗的小天使

    黑暗的小天使2013-01-03 13:41
  • 悟空未空

    悟空未空(音乐是灵魂的声音。)2013-01-01 00:31
    真是一件别致的乐器,浮躁时不宜听取。又是古老中国的东西,却被扶桑之国发扬光大了。到底谁才是中华的真正传人呢?
  • 千三●ω●

    千三●ω●(幸せね~)2012-12-31 14:24
    nice~ 非常喜欢这个题材
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