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【芸能・社会】ありがとう団十郎さん 雨の中400人が最後のお別れ2013年2月7日 紙面から
3日に肺炎のため66歳で亡くなった歌舞伎俳優、市川団十郎さんの葬儀・告別式が6日、東京都目黒区青葉台の自宅で営まれ、尾上菊五郎(70)、坂東三津五郎(57)、松たか子(35)、小泉純一郎元首相(71)ら約400人が参列した。出棺の際には「成田屋!」の声が響きわたるなど、雪や雨交じりの悪天候の中、参列者は故人との最後の別れを惜しんだ。 団十郎さんのひつぎには、市川家に代々伝わる歌舞伎十八番の演目で団十郎さんが得意とした「助六」の衣装、江戸紫の鉢巻き、「勧進帳」の巻物、数珠、好きだった天体観測の本、手ぬぐい、改装前の歌舞伎座の座席の布やじゅうたんの一部などが納められた。 喪主を務めた長男の市川海老蔵(35)はあいさつで、団十郎さんが亡くなった当日の切迫した様子を明かした。海老蔵は3日午前11時ごろ、容体が急変したとの連絡を受けたという。普段看病していた妹で舞踏家の市川ぼたんが仕事で地方に出掛けていたため、何とか最後にぼたんに会わせようと「私、母、麻央などと共に必死に声をかけ、1時間心臓が動いておりました」と話した。ぼたんが駆けつけ「ありがとう。愛している」と語りかけ家族全員に見守られながら亡くなったという。海老蔵は闘病生活が過酷だったとしながらも「太陽のように優しい父でした」と、ひと言ひと言かみしめるように語った。聞き入っていた参列者からはすすり泣く声が漏れた。 出棺の際には希実子夫人が位牌(いはい)にあたる霊爾(れいじ)を、遺影をぼたんが涙をこらえるような表情で持っていた。参列者の中からは「成田屋!」「十二代目!」などのかけ声のほか、「大成田!」の声も。団十郎さんを乗せた車は、降りしきる雨の中、静かに自宅を後にした。 ◆海老蔵あいさつ 太陽のように優しい父でした本日は皆さまご多忙の中、またお足元の悪い中、十二世市川団十郎こと堀越夏雄の密葬にご参列たまわりまして誠にありがとうございます。 父はもう何と申しますか優しく、おおらかで思いやり深く、自分をさておいて愛情あふれる人でした。二度の大病もあり心配することもありましたが、逆に私たちを勇気づけ、笑顔で前向きに励ましてくれる父でした。 父は十一世団十郎の子として生まれ、19歳で父を失い、苦労の絶えない人生だったそうです。私が生まれたとき、知る限りでは日々戦い、苦労をしておりました。それでも笑顔で優しい父でした。せがれながら、どこからその優しさが出てくるのか不思議に思っておりました。 三度目の入院。東京を離れることを心配しておりましたが、父は歌舞伎第一に考える人で、私が襲名披露をしたときに白血病を患い休演しましたが、勘三郎さんが「孝俊がんばっているよ」と父に声をかけてくれたこともあり、勘九郎さんの襲名披露に華を添えるため、心配ではありましたが京都に旅立ちました。 肺炎で休演しておりましたが、2月3日午前11時、体調を崩したと連絡を受け、急ぎ駆けつけました。ふだんは(妹の)ぼたんが看病してくれていたのですが、この日は舞踊の仕事で地方に出掛けており、東京を不在にしておりました。ふだんからぼたんは自宅と病院を往復して、父の看病をしてくれていたので、何とかぼたんを父に会わせたいと思い、父はそのとき耳だけは聞こえていましたので、私、母、麻央などと共に必死に声をかけ、1時間心臓が動いておりました。 そしてぼたんが駆けつけ「ありがとう。愛してる」と声をかけ、家族全員と一緒に見守られながら旅立ちました。歌舞伎では父の死に目に会えないということもありますが、このように家族全員で立ち会うことができ、父も何か感じてくれたのではないでしょうか。 きつい闘病生活ではございましたが、父らしく笑顔で亡くなっていて、太陽のように優しい父でした。今はむなしく寂しいですが、懸命に精進し、まい進いたします。皆さま本日はありがとうございました。 PR情報
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