大連まちかどフォト |
大連は中国で「住んでみたい」ランキング1位の街 |
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大連は「東洋の真珠」と称される美しい街です。渤海に突き出た細長い半島の先端に位置する大連は、日露戦争の203高地で有名な乃木将軍が、ロシア軍を打ち破って撤退させた歴史もあって、中国でも珍しく日本人に対しては暖かくて友好的です。 大連行政区の人口は540万人、大連市街地は240万人を数え、日本でいえば大阪府と大阪市の規模に相当する規模です。三方を海に囲まれた大連は、5月はアカシアが街を白く彩り、10月には世界中からデザイナーやモデルが集まって賑やかに「ファッションフェスティバル」が開催されます。風光明媚なうえに異国情緒も漂い、海鮮料理も美味しい街です。 |
中国東北部の貿易の拠点として活気みなぎる大連市 |
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大連港遠景 |
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大連の歴史はドラマチック |
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1898年、清国政府はロシアとの間に旅順と大連を租借する条約を締結し、翌年にはロシアの主導で「達里尼」と命名。そして1904年、大連一帯を戦場とする日露戦争が勃発。ロシアが敗戦したことによって達里尼は日本軍に占領されて「大連」と正式に改称しました。そして日本敗戦までの約40年間、日本による植民地支配が続きました。
第二次大戦以降、日本追撃の目的で侵攻してきたソ連軍がそのまま大連に駐留しましたが、1948年11月、大連市政府が正式に成立。続いて1949年、中華人民共和国が建国したのです。翌年にはソ連軍の撤退が行われ、大連は52年ぶりに中国人による主権を取り戻しました。
中国東北の物資を輸出する貿易の玄関口・大連の経済は、中国の中でも特に活発です。ここ数年、経済成長率は12%と驚異的な伸びを記録し、街には高層ビルが建ち並んで東京なみの近代的な都年へと変貌しています。 |
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大連中心地 |
大連火車駅 | 大連市中山区に位置する鉄道駅。このデザインは日本が大連を支配していた20世紀前半に作られたものを忠実に継承したものです。建物は改修されて新しくなりましたが、雰囲気はその当時のままで、日本人の想い出がこもっています。 | 大連駅から地下の大商店街・勝利商場を歩いて地上に出れば、目の前に大規模な商店街が広がります。大連企業のスーパーマーケットや香港企業の百貨店が立ち並びます。日本からもマイカルが出店してましたが、残念ながら徹底しました。 |
大連星海公園 |
大連市の中心・中山広場から中山路を西南に5km行けば、海浜の広い公園に着きます。巨大なイベントホールや公共の建物を見ながら海に向かって進めば、波荒き外海に出ます。左手にはヨーロッバのお城のような豪華なマンションが建ち並び、まるでお伽の国に行ったような感じがします。 | 海沿いにモニュメントが建ち並びますが、なかでも目を引くのが左写真です。これは母が子に「外国に飛躍しなさい」といっているそうですが、大連市民の目的を象徴している作品です。きれいな海の光景があまり見れない中国ではこの景観は圧巻で、多くの観光客が集まります。 |
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