<事実−角松の責任で適宜要約抜粋>
・被告人は、1991.7.15 アブラソコムツ加工品を販売
・アブラソコムツはくろたちかます科に属する魚。肉中に概ね20%程度の脂肪を含み、その脂肪のうちの概ね90%程度がワックス
・ワックスは消化吸収されにくく、摂取量が多いと、異常集を伴う油状下痢便となって排泄され、排便を止めようと思っても止められず、下着を汚してしまう結果になる
・ワックスにより、他の栄養分も吸収されないまま一緒に排泄されてしまうなど、人の分泌吸収の機序が阻害されることがあるが、腸管の痙攣などを引き起こして腹痛等の原因になるというようなことはほとんどない
・切り身の状態では、魚について素人である一般消費者には、一見してそれがアブラソコムツであると判別することが困難である
・1976年7月から1990年2月までに食中毒事例として報告されたものが8件(但し、厳密な意味で食中毒に当たるかどうかは疑問)、油状下痢便が215名
・1981年1月10日厚生省環境衛生局乳肉衛生課長回答(岡山件衛生部長宛)「アブラソコムツについては、食品衛生法第4条第2号に該当する食品として取扱うべきものと解する」
・1983年頃、被告人は上のことを知り、厚生省に根拠、資料提出要求。それに答えてくれなかったことから、アブラソコムツには「有害な物質」が含まれていないと確信。
<判旨>
原判決(東京地裁1993.10.25、懲役6月、執行猶予2年)を破棄、罰金30万円およびアブラソコムツ没収
理由(適宜抜粋)
「食品衛生法、食品衛生法施行規則.......その他関係法令をみても、食品衛生法4条二号に定める『有毒な物質』及び『有害な物質』に当たるものを具体的に列挙したり明示したりした規定がないことは、所論指摘の通りである。しかし、一般的な解釈としては、「有毒な物質」(註:判例時報には「有害」とあるが、文脈上「有毒」ではないかと判断した。訂正がされているかどうかは確認していない)というのが、物質それ自体、通常毒物として知られており、かつ、致死量も極めて少量であるなど、人体に及ぼす危害の程度が甚大であるものをいうのに対し、『有害な物質』というのは、『有毒』の場合に比べて、人体への危害の程度が低いか、やや量を多く摂取したり、継続的にとり入れるとき、その危険が増大したり、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすものをいうと解されている。したがって、右のような意味での『有害な物質』を含む食品が、食品衛生法4条二号にいう『有害な物質』が含まれる食品に当たることになると解される。」
「右3の(一)認定のとおり、人がアブラソコムツの肉を摂取した場合、肉の脂肪中に多量に含まれるワックスが、体内でほとんど消化吸収されず、そのまま異常臭を伴って油状下痢便となって排泄され、意識してもこれを止めることができないという症状を呈し、また、それに伴って、人体の分泌吸収の機序が阻害されることもあるというのである。この症状は、自然毒や細菌による食中毒とはかなり異なった状態であり、これを食中毒の範疇に含めて考えるのはいささか疑問がなくはないとはいえ、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすもの(なお、人間の場合、異常臭を伴って油状下痢便を排泄するということ自体、身体の生理的機能になんら障害が生じたものでなくとも、感性的に不快感を伴うものであり、その意味でも健康状態に異常を生じたということができる.)として、食品衛生法上の『有害な物質』が含まれると認めることができるのである。」
(一切れ程度なら上記の症状を起こさないという被告人の主張に対して)
「食品衛生法上、一定の食品が「有害な物質」が含まれるものとして、同法4条二号による規制の対象となるものかどうかを判断するに当たっては、我が国における国民一般の食習慣等から想定される通常の形態の摂取量、摂取方法などを前提に検討すべきであるが、当然に、当該食品を食べる人の個人差、すなわち、幼少のものや健常者でないものが食べるといった状況をも考慮に入れるべきである(しかも、前記3の(二)(1)認定のとおり、一般消費者は、切り身の状態では、アブラソコムツかどうかの判別は困難であるというのである。)。そして、そのような前提の下に考えると、前記3の(二)(3)認定のとおり、アブラソコムツの切り身一切れの約半分の量を食べた場合においても、右の症状が出た場合があることに照らしても、アブラソコムツ3切れ以上を食べなければ、右の症状を呈することはあり得ないということはできないのであり....」
(からすみも多量のワックスを含有しているのに、有害食品として取り扱われていないという被告人の主張に対して)
「からすみが、非常に高価な嗜好品であって、通常は非常に少ない量しか食べないものであることも、関係各証拠上明らかであり、したがって、このような我が国の食習慣を前提として、からすみを食べた場合の人体への影響の程度について検討すると、通常の食習慣通りからすみが摂取された場合において、油状下痢便が出るというような事態は考え難いものといえる。」
(食品衛生法4条二号が不明確で、罪刑法定主義違反との主張に対して)
「そもそも食品や添加物というのは多種多様であるばかりか、時代の進展に伴い、世界各国から新しい食資源が求められて国民の飲食に供されたり、新規の添加物が開発されることも少なくないなど、これらの物が新たに生起することもあることに照らして考えても、それらの食品等に含まれている物質のうち、有毒又は有害なものを、法令上個別具体的に全て網羅して列挙しなければならないとすることは、およそ不可能を強いるものというほかない。また、法令の規定をそのような個別列挙によろうとした場合、新しく発見されるなどした有毒又は有害な食品や添加物を、迅速かつ適切に法的な規制の対象とすることが困難となり、ひいては、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止」(同法1条)するという食品衛生法の目的をまっとうすることができなくなるおそれもある。とはいえ、食品衛生法4条二号の規定に違反したものに対しては、同法30条により、3年以下の懲役若しくは20万円以下の罰金を科し、又は懲役と罰金を併科することができるのであるから、犯罪構成要件を定めた規定としてみるときは、同法4条二号は、その文言が抽象的であり、有毒な、若しくは有害な物質が含まれたりしたもののほか、その「疑いがあるもの」にまで適用される旨定めていることから、適用範囲もかなり漠然としたものになっている。」
(岡山県衛生部長の照会書を見ると)「その以前においては、アブラソコムツの加工や販売などが処罰されていなかったことが窺え、右昭和56年1月10日付け厚生省環境衛生局乳肉衛生課長の回答があった後は実際に処罰される事例が出たため、現象的には、白地刑罰法規であった同法4条二号の規定を行政官庁の一担当者の回答によって補充されたとみられるような事態が生じていたのである。こうした観点から、同条の規定については、犯罪構成要件を定める規定としては明確さを欠いているといわれてもやむを得ないように思われる。」
「しかしながら、刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反すると認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきものと解される。そして、アブラソコムツについてみると(....上記のような症状が)あるということが明らかになっていたのであるから、「有害な物質」につき、物質それ自体には毒作用がなくても人の健康状態に物理的に危害又は不良な変更を引き起こすものがこれに当たるという一般人の通常理解可能な基準について判断しても、アブラソコムツにつき、有害な物質が含まれた食品であるとして、食品衛生法4条を適用することが可能である。すなわち、同条においても、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的にアブラソコムツにつきその適用があるかどうかという判断を可能ならしめるような基準が読みとれるということができるのである。のみならず、アブラソコムツやその加工品が異常臭を伴う油状下痢便を排泄するに至るおそれのある食品であることは明白であり、本件各犯行時にはすでに社会一般にもよく認識されていることであったのであるから、同条を、アブラソコムツ及びその加工品を販売し、あるいは販売の用に供するために貯蔵したという被告人の所為に適用する限りにおいては、何ら明確性に欠けるところはないのである。したがって、同条は、文言としては抽象的であるものの、「有害な物質」についての基準を読みとることも可能であり、アブラソコムツの販売等に適用するに当たっては明確であるということができるから、内容不明確な規定として憲法31条に違反するものではない」
最後の部分について、前田後掲・66-67
「東京高裁は、『有害物質の販売』という構成要件そのものが曖昧ではないとしたのではなく、本件アブラソコムツ販売行為が有害物質販売行為に該当すると判断することは、十分に可能だったとして、当該規定の明確性を認めたのである。たしかに、罪刑法定主義の自由主義的側面や行為規範性の視点からは、『有害物質』という文言が一般的に曖昧か否かは問題ではなく、行為者が行う当該具体的行為が構成要件に該当するか否かが明確であることが重要である。その意味で、いかに不明確な文言であろうと、処罰が当然であるような事案のみが起訴される限り、明確性の理論は問題とならない。その意味で、その射程は狭いのである。もちろん、不明確な刑罰規定は、それが存在するだけで、いかなる行為が処罰されるかわからないという不安感を国民に与え、萎縮効果を生じる。それ故、具体的に問題になった行為の構成要件該当性判断は不可能ではなくとも、違憲にすべき刑罰法規が、観念的には想定できる。アメリカの明確性の理論には、そのような側面が色濃い。しかし、そのような意味での『不明確性』は、規定が存在するだけで国民に重大な萎縮効果が予想される場合に限られ、しかもそのような規定を設ける必要性が相対的に低い場合でなければならない。重大な法益侵害を禁圧するために必要最小限度の規定であれば、文言に曖昧な部分が含まれざるを得なかった場合、許容されざるを得ないのである。(13)」(註(13)では、上記「そもそも食品や添加物というのは.....まっとうすることができなくなるおそれもある」を引用)
<その後の経過>
被告人上告→最高裁上告棄却(刑集52巻5号297頁、判例時報1651号152頁)
<評釈等>
高裁評釈
渥美東洋・判例評論461号69頁(判例時報1600号230頁)
萩原滋・判例タイムズ925号90頁
最判評釈
山本雅子・判例評論485号55頁(判例時報1673号217頁)
牧野二郎・最高裁判例解説(http://www3.justnet.ne.jp/~ilc/saikousai/kaisetsu/75.htm)
その他
前田雅英「罪刑法定主義の変化と実質的構成要件解釈」中山研一先生古稀祝賀論文集第3巻57−73頁