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叫ぶ/駅前からアクション、脱原発伝わるまで/高橋幸子さん=いわき市
 | 街頭演説で原発ゼロを訴える高橋さん。「福島の子を健康に育てることが原発事故を起こした大人の責任だ」=1月25日午後6時20分ごろ、JRいわき駅前 |
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首相官邸前に倣って決行日は毎週金曜と決めている。 1月25日(金)午後6時。JRいわき駅前。 ダウンジャケットにニット帽を合わせ、マイクを握る。 「原発なくそう」「子どもに避難の権利を」「若い子はマスク着用を」 多くの人は無視を決め込んで通り過ぎる。 あの人はちらっと目を向けてくれた。 いつか立ち止まってくれると信じ、ゆっくりと言葉を伝える。 脱原発を訴えるチラシを渡す。受け取ってくれたら話し掛ける。反対でも賛成でも対話が生まれたら意味があると思う。 2012年7月、一人で始めた。 やんちゃな格好の若者がたむろしている。体にまとわり付くような好奇の目を向ける。 ヤンキーにびびって脱原発ができるか。 弱気の虫を封じ、気合を入れ直した。 自作のボードを掲げた。「NO NUKES」(原発反対)と色ペンで目立たせた。 毎週金曜に行われる官邸前の脱原発デモみたいにしたい。 いわき駅前アクション。 名前は盛大にした。 青森市に生まれた。小さい時から弁護士を目指す。父の転勤で福島市に来て女子高を出た。東京の私大に進み、11年3月に法科大学院を修了した。その年の司法試験に初めて挑み、撃沈した。 福島第1原発事故は大学院の修了間際に起きた。 原発で発電された電気は首都圏に供給される。立地県の福島の人は享受できない。その人々が原発事故で家を追われ、避難生活を余儀なくされている。福島は都市の人間の人身御供にされた。 「自分も同罪だ。東京に出て、明かりに包まれた都会生活を謳歌(おうか)している」 負い目を感じた。 11年8月に都内であった脱原発デモに参加した。熱気を感じる。「原発反対」と声を合わせた。 4カ月後に生活拠点をいわき市に移した。避難区域に近く、県内市町村で最も多い約2万5000人の避難者を受け入れている。 駅前アクションは25回を数える。インターネットのツイッターで呼び掛け、ユーストリームで中継する。参加者は30人を超えた。 「原発事故で生活がめちゃくちゃにされた。応援するから頑張って」 励ましを受ける。 「不安をあおるな。反原発は福島差別だ。けんかを売っているのか」 反発にも遭う。 街頭演説ではひまわりを描いた手製のバッジを胸に付ける。ネットで使うハンドルネームも「ひまわり」だ。 「原発は簡単に止まらない。脱原発は一生のライフワークとしてしぶとくやっていきたい」 いわき市には両親が住んでいて、居候している。金曜日の夕方以外は図書館で机にかじり付き、司法試験の勉強をする。 ひまわりを記章のモチーフにする弁護士になる日を見据えて。
2013年02月05日火曜日
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