スペースブラザーズのマスターの言葉ですが
この社会の悪しき影響を受けすぎたために心を濁した人間の心には
その深い慈しみの想いと真理の響きは届かないでしょうか。
物事を理解するのではなくて心を持って好き嫌いで置き換える人間には
自分の心にとって都合の良い事ばかりを受け入れて
そうでないものを排除する傾向が強いのですし
心が濁り過ぎた存在には、その価値観と正反対にも見える
創造主の法は理解し難いものとなるのでしょう。
私達が堕落するのは容易です。
全てを自らの心に従えば良いからです。
それを続ける事で私達は容易に
自ら悪魔と呼んでいる存在へと変貌することが出来ます。
意図的に悪を実行するのでなくて
自分の心の欲や本能や価値観に従って
それが心地良いと思うことを実行し続ければ良いのです。
今の社会のサタンといわれる意識が巧みだと思うのは、
本来創造主の法に立ち返るための手段さえもその価値観を歪める事で
結果的には人々がエゴの暴走を
誘導するきっかけとなるように作り上げて
社会に提供していることです。
特定の戒律を守れば後は何をしても義と看做される。
それがサタンの与えた創造主の法のまがい物です。
その意識はイエスキリストが対峙していた
2000年前のユダヤ教徒のパリサイ派や律法学者の意識と
何の変りもありません。
そこでは神と人間の関係をも組織で仲介管理してしまうのです。
誰もが持っている創造主の意志、
それを隠蔽する事で創造主の意志は特定の人間しか
受け止めることが出来ないかのように誘導しては
それを可能だとされる人間に権力を与え、
誰もがそれに従うようなそんな決め事を人為的に作り上げる。
結果私達は自分が創造主と一対一の関係である事さえ
理解できなくなりますし
創造主の存在を自らの内にではなくて、
指導者を通じて外に求めさせられることにもなります。
これだって体の良い偶像崇拝です。
自らが創造主の想いを感じることの出来無い私達は
今度はそこで与えられた人為的戒律を持って行動することで
自分達の行動が創造主の意志に沿ったものであると
勘違いをもすることになります。
そしてその行動をしている自分を創造主の意志の実践者であり
自分は創造主や教えによって天国に導かれる存在であると
思い込む事にもなります。
創造主の想いには存在しない
分割や争いそして他人を裁く行為を行い、
さらには奢り高ぶった意識を持っては自分を美化し正当化し、
他人と自分との関係に優位を求め時は他人を独自の戒律で裁いては、
自らの心を心地良くすることを何よりも重視して
自らの想いを正すことなく自らの行動を反省することなく生きていく。
おそらくはこれが天使達の社会から見た時の
私達の社会の人間の実態だと思います。
根底的な思考が異なっているから。。
価値観が違うから。。
で済まされる問題ではないと思います。
私達は創造主にとっての一番の創造物とされながら
動物でさえ行わない共食い行為を繰り返している存在だからです。
私達は動物には存在しない理性を与えられた高等生物だと自称します。
しかしその実態は彼らよりも遥かに野蛮な存在と化しているのです。
動物は食糧確保のためと縄張り確保のため
そして繁殖相手の競争のために本能をもって戦う事があります。
それは戦う事が目的なのではなくて
生きるために与えられた本能に基づく行為です。
そしてそんな本能的な行為を人間は批判するはずです。
しかし自らはそんな本能的な行為を実践していないかと言えば
理性を持っていながら、もっと遥かに残酷な事を理性を持って
実行し続けている存在なのです。
生きるために共存を実践できる理性を持ったその存在が
生きるために同胞を叩き潰しているその実態を
私達は認識できるはずです。
私達人間の存在は動物以下なのです。
動物には殆ど与えられていない心と言う機能を
沢山持っているはずの人間がその機能を持ちながら暴走している
誤った価値観をその中に大量に作り上げ、
しかも今度は本能をも持ってその価値観を実践する事によってです。
私達が獣と呼んでいる存在のほうが
遥かに創造主の法に従って生きている。
彼らは創造主の方に導かれて生きている存在です。
私達は理性を与えられながら
自らが侮蔑している動物以下の存在に変貌したのです。
お金と本能と捻じ曲がった価値観と欲望が
私達を悪魔へと変えている。
地球社会の人間に関して
アダムスキーが冗談で評していた内容を思い出します。
天使達の社会の人間が私達を見ればすぐに
私達には翼も生えて居ないこと、そして頭に輪をかけていない事を見抜き
一方では私達の頭の上の角まで見つけてしまうと言う趣旨でした。
私達の祖先は堕落天使。
そしてその悪しき想いをそのまま受け継いで
改善できないでいる私達は
悪魔と言う存在に他ならないのです。
今日も金星のマスターの言葉を引用します。
スペースブラザーズに拠れば
このマスターは太陽系で最も進化した
人間の一人だと言う話でした。
そしてアダムスキーの話に拠れば見た目の年齢は60歳程度。
その実年齢は1000歳近いと言う存在です。
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人間がこの事実を認めるとき、仮相の背後にある自己の実体を見い出して、
これがなされるならば長く住んでいた狭い牢獄は瓦解し、宇宙の住人になるのです。
そのままで人間は、いかなる物にせよ
自分の住む惑星をも含めて万物の中に働く法則を発見し、
そのときこそ人間は自分自身を”知る”のです!
そうすることによって人間は万物を知ります。
また、それまではけっして知らなかった”大宇宙の英知”である
創造主をも知ることになります。
無機物の人間が創造主と一致した状態にまで高まり、
創造主とその子が一体化するのは、この認識または理解によるのです。
ひとたび地球人がこれを学び、悟って、心で知るばかりでなく、
私たちがやっているようにそれを生かすならば、
彼らは他の惑星で私たちがもっているのと同じような生活の喜びをもつようになるでしょう。
あなたがたの聖書で言っているように、
このようにして放蕩息子は自分の無機物の肉体のプライドを捨てて、
自分がプライドに奉仕するのではなく、
それを”父”ヘの奉仕のために自分に奉仕させることによって家に帰ったのです。
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ここでも放蕩息子の例が金星のマスターの口から語られていますが
他のブラザーズの言葉からも聖書の言葉の引用は
頻繁に取り上げられていました。
創造主の法をあらゆる形で教えてくれて私達を導いているのも、
そしてイエスキリストを送り込んだのも彼らですし
彼らの想いとイエスの想いが異なったものではないのですから
それは当たり前なのでしょうが
何も知らない人にしてみれば
私達が宇宙人と呼んでいる存在が聖書の引用をしている事に
違和感を感じる事にもなるかもしれません。
ここでマスターは宇宙の法則の存在を理解し
私達がその事を真理であると認めるならば
この社会の全てが変わっていくのだと言う話をしています。
【仮相の背後にある自己の実体】
”仮相の背後”と言うのは私達が持っているこの肉体のこと、
すなわち私達が自分自身であると誤った認識をしているこの肉体と、
それの司る”心”と言う私達が自分自身の意識だと
思い込んでいるその存在のこと。
”自己の実態”と言うのはいうまでもなく
私達の本質であり実態である魂の事です。
肉体など燃えて無くなれば
その時に私達が心と呼んでいる脳機能と共に
私達の心の意識は消えてなくなった状態になります。
それは私達の心が私達の実態でない事の証拠でもあります。
しかし私達が魂を意識している分には肉体の滅亡が起きようが
魂と言う意識は依然存在し続けることになります。
私達はまずその実態としての自分を認識する必要が
あると言うことです。
私達はその肉体と心を持って自分自身の全てであると信じ込み
その価値観でもって自分の肉体を
この地球社会という牢獄の中に閉じ込め続けている存在なのです
自分達の実質を理解すれば、
それは地球の重力の中に留まり続け
封印され続ける存在でない事も明らかです。
私達の意識には距離は関係ありません。
そしてその意識は万物と繋がってもいる物だからです。
私達の実態である魂は創造主の意識と共にあります。
そしてその意識は宇宙空間の全てを覆っている存在です。
私達が一旦そのことに気が付いて創造主の元に戻ることになれば
私達はその宇宙の一部として全体をも同時に意識する存在になる。
自分の肉体と言う個への意識から開放され
自分を宇宙と言う創造物の一部であると認識するのです。
その時には私達は自分の肉体と言う牢獄、
更には地球社会という限定的な空間から開放され
真の人間として生き始める事ができるのだと
マスターは語っているのだと思います。
私達は何事も心を用いてその認識に基づき物事を判断し
それを実行してきました。
しかし私達の心の認識できるものには
その司る四つの感覚器における限界がありました。
それは目に見えて耳で聞こえて
鼻で嗅げて、口で味わえる物と言う限界です。
しかし真の英知としての創造主の意識
そして私達の実態の存在はそれでは認識することは出来ません。
私達はそれをも自分自身の実態を用いることで
理解しなければならないのです。
そして私達はそれが可能な存在でもあります。
私達は誰もが創造主の分身でありその想いを
魂として与えられて生きている存在だからです。
その魂は私達に真理を延々と語り続けている
存在です。
私達はそれに気がつきさえすれば良いのです。
そしてその事を自覚してその魂をも用いて
更なる認識をしようと勤めれば、
私達は目に見えないものと目に見えるものを
同時に認識する事にもなります。
私達の意識は一気に拡大するのです。
その意識を持ってすれば目に見えない法則をも
理解し把握することが出来るようになります。
そして同時にその法則の存在に
無限なる英知の存在を感じる事にもなります。
自分自身の実態を知ることで
創造主とその法則を知る事にもなるのです。
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この社会では多くの創造主の法が語られています。
真理に誤りを含む含まないは別として
多くの人間が創造主を知っています。
しかし天使達やマスターにしてみれば
私達は神や法則を語っているに過ぎず
実践が伴っていないと言うことでした。
真の創造主の想いは
私達がそれを身をもって実践することになるものです。
それは知識や心のエゴから出るものではなくて
魂から与えられるエネルギーであり私達の行動をも導くものだからです。
しかしそれ以前に創造主の存在とその持っている想いすら
履き違えているのが私達の社会の人間であり、
その履き違えた創造主の想いを
いくら表現してもこの社会が改善されないと言う実態に
疑問も持たないのが私達の社会だともいえます。
特定の人間を救うと言う神。
敵対者に罰を与えると言う神。
心を持って願ったエゴをも叶えてくれる神。
私達の社会の多くの人間が拝んでいる神は創造主とは言えない存在なのです。
そして誤った神を信仰し崇拝する意識が
時には自分達を特権階級や特別な存在だとしては
自分達を他人と比べて特別待遇する原因にもなっています。
そこからはイエスキリストやマスターが語っていたような
「謙虚になって父の元に帰る」という
聖書の中の放蕩息子の様な姿勢など微塵も感じることは出来ません。
私達の社会では自らの奢り高ぶりを正当化するために
自分達のエゴの想いを美化するためにこそ
創造主が語られているようなものです。
つまり創造主の存在が私達を変えるのではなくて、
私達が勝手に生きてその行動を正当化する存在としての創造主が
人の手によって作り上げられている様なものだと思います。
そして自分達の為した行動の原因をも創造主に押し付けて
自分達は神の意志を実現したのだと開き直り、
一方では何をしても自らは責任をとろうともしない
そんな意識の人間で満ち溢れているのです。
そんな地球社会の人間の実態を
天使達が表現している箇所の引用です。
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一方、地球に存在するゆがんだ状態を注意してごらんなさい。
それはただ地球人が自分自身も聖なる父も理解していないからです。
この無知のために自分のやっていることを理解しないで、
人々はいわゆる”戦争”を引き超こし、他の国の人々、別な人種、
別な宗教をもつ人々を残酷に殺したりするのです。
自分達による自分達の相互破壊は問題に対する解決にならないばかりでなく、
地球上に更に苦悩を増やす原因になるという事を
地球人がなぜ判ろうとしないのか、他の世界の私達にはよく理解できません。
今までずっとそうでしたし、今後もずっと続くでしょう。
地球人の科学知識は一般社会や人間性の発達程度をはるかにしのいでいますから、
そのギャップを急速に解消させる”必要”があります。
互いのの攻撃用にたくわえて
ある爆弾の中に隠された恐ろしい力を地球人は”知って”います。
しかもこの人達は想像もつかない世界的な殺人という土壇場に向かって
メクラめっぼうに進んでいます。
これは私達にとって奇妙に不合理なことなのです」
「そうです」と男たちの一人が同意した。
「地球人の行動はときどき私達にも不合理に見えますよ。
一例をあげましょう。あなたは地球で肉親の父親をおもちでしょう?」
「ええ」と私は答えた。
「仮にあなたが、ご自身の血肉から生まれた二人の息子を持つとして、
何かの理由で一人の息子が同じあなたの息子である兄弟を殺そうと決意して、
あなたの前でひざまずいて祝福を乞うとします。
その息子が自分こそ正しくて兄弟は悪いと言ったからといって、その願いを聞き入れますか?」
私の答は当然のことながら「もちろん聞き入れません!」である。
「しかし」と相手は指摘して
「これこそまさしく地球人が数千年間やってきたことなのです。
地球人はみな理解力の程度に応じて神を認めていますし、
人類の兄弟愛を説いていますが、
それにもかかわらず自分達がやりたくないことを万物の
”永遠の父”にやってくれと頼みます。
というのは、地球人が互いに戦争をしようとする時に、
ひざまずいて邪な祈りをするからです。
地球人は自分の生命の兄弟に対する勝利を得るために、
しかも相手を殺す程度までも、
”聖なる父”に自分の努力を祝福してくれと頼みます。
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これこそが天使達の社会から見たこの地球社会の実態です。
戦争や争いごと、更には創造主の意志である魂からの想いではなくて
私達の心のエゴに端を発するあらゆる意志や動機をも
創造主に対して叶えてくれと願い
それを叶えてくれるのが神だと思い込んでいるのです。
エゴの願いを叶えてくれる存在がいたとすれば
それは聖書の悪魔に他なりません。
私達は自分達では神を拝んでいると思い込みながら
自分達のエゴを満たしてくれて自らを堕落へと導く
悪魔と言える存在を拝んでいるのです。
そしてその事に何の疑問を持つことはありません。
自分の実態を知らないから。
そして真の創造主の法と至高なる英知の存在を
理解していないからです。
私や兄弟姉妹は神に容易にお願い事など出来ません。
願い事の多くは私達が自らの心を持って
作り上げる想いである事を知っているから。
そして私達の努力無しには
創造主の法は協力をしてくれない事を知っているからです。
私達はパン種ほどの信仰心すら持てない存在なのです。
さらに言えば私達は創造主にお願いする存在ではなくて
創造主の意志を実践する事を求められている存在です。
私達は、自らが自由意志を持って暴走する事を正当化し、
心の満足を満たしてくれるのが創造主の法ではなくて
私達こそが創造主の法に導かれて生きねばならないことを
知っています。
一番根底に存在するこの意識を理解できない限り
この社会の苦悩は決して消える事もないのです。
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天使達は聖書と言う歴史を通じて
私達を延々と見守ってくれてきた存在です。
そして彼らは常にこの社会の守護者でもありました。
ある時は救世主や賢者としてこの社会に君臨し
ある時は神を演じその声を聞かせ奇跡を引き起こし
私達を誘導してくれました。
しかしこの社会の人間達は
この天使と言う守護者を自ら排除し拒絶しました。
この社会を実質守ってくれている天使の力は
今はもうこの社会に直接的な力は持ってはいません。
この社会を自らの管理で支配しようという意識が
彼らの守護を拒絶しそれをこの社会から排除したからです。
それでも彼らはこの社会の事を守り続けてくれています。
自分達を拒絶し身勝手な選択をした馬鹿な人間のために荒され
生物ごと廃れて行っているこの社会を
彼らは今でも間接的に守り続けているのです。
そんな彼らの教えを理解する機会を永遠に失いかけた私達の社会では
自分達の価値観にとって、自分の心にとって心地良い教えを
創造主の法だとしては受け入れて
それを実践する事で自分を義であると看做す習慣が続いています。
その上で天使達を追い出した張本人達は
天使の功績を全て自分達の功績に置き換えた上で、
聖書時代に天使達が私達を創造主の法へと導いたその手法を、
そっくりそのままこの地球社会の人間管理のために
真似しては利用し続けているのです。
(ハイテク使用の全ての管理が聖書の天使達の真似だと
気がつきませんか?)
もちろんそこにある目的は天使達の高尚な創造主への想いとは異なる
人間の身勝手なエゴに過ぎません。
天使達が私達を導こうとした先に存在していたのは
創造主の法であり永遠の命です。
しかしこの社会がその手法を真似て導こうとしているのは
創造主とはかけ離れた意識の持ち主であるサタンであり
地球の法則であり魂の消滅なのです。
この地球社会の実質的な神が
サタンと化していることに何故に気がつくことが出来ないのでしょうか?
自らの想いを改善することを要しない
自分達の心のエゴを満たすために都合の良い神様。
一方それに従う事ためには
自分の心の価値観を根底から変えねばならない神様。
心を持って暴走しているこの社会の多くの人間が
前者に群がることは一目瞭然です。
そしてそれを誤りであると知らせる声や想いは
誤った神を狂信する人間や悪意を持って人間管理をしている人間によって
かき消されることになる。
それに対して天使達が個々の人間に対しても
父の想いを伝えようとすれば
この管理支配者達は天使達の意志が
私達に伝わらないような環境を作り上げ
私達の脳のテレパシー機能さえも退化させる。
つまりこの社会は天使達を隠蔽することで
誤った神を拝ませ続ける事を選択した人間達が
神と天使と決別した状態で
地球社会を一人歩きさせようとしていることに
気がつくべきなのです。
創造主の法に守られている存在なのに
それを無視して生きる事を選択した。
都合の良い時だけはその法を利用しつつ
一方ではそれを与えてくれた存在の意志を無視して生きている。
ますます魂の意志からかけ離れたこの社会の人間だからこそ
混乱や争いをますます激化させていく事にもなります。
そして私や兄弟姉妹にとって
この社会の人間の中には尊敬できるような存在など一人もいません。
そんな現状を齎したのが今の地球の法ならば
それが良い木ではないということに
誰もが気がつくことも出来るはずです。
しかし似たような価値観で心を塗り固めた人間には
イエスキリストやマスターのような人間よりも
自分に近いサタンの方が余程立派に映るのだと思います。
サタンと言われる存在は表と裏の顔を使い分け
見せ掛けを飾っては心無い意識を持った存在です。
つまりはイエスキリストの言っていた偽善者の
象徴でもあります。
私達は心を持ってしか人間を把握できませんし
結果見せ掛けの姿が全てでもあります。
更に元々の濁った心が
それに似たものこそを好むのです。
そして私達は人間としての悪魔を
神として崇拝していることに気がつくことも無いのです。
しかし持つべき意識と理解すべき法を無視し続けて生きても
創造主と創造主の法の存在は決して変わることもありません。
それは私達の周囲に依然存在し続けることになります。
創造主の意志は私達の永遠の命と調和と永遠の進化です。
私達は自らの義務を果たす変りに
永遠の進化を与えられた存在です。
一方そんな意志で作り上げられた世界の中では
逆に言えばその意志を示さない存在は
永遠を生きていく事は出来ません。
そして地球社会の支配者は、
その選択を地球人の代表として決定しては
私達全員に押し付けているような存在でもあります。
宇宙空間の他の万物が進化していく中で
その法則に乗る事の出来ない私達は
永遠の可能性を示さないまま、その恩恵を受けることが出来ずに
その殆どの人間が地球の法則どおり
限られた時間の中で消えていくことになる。
元々選択肢の存在を知らず
与えられた環境に適応して暮らしている人間にとっては
それは悲劇でもないのかもしれませんが、
創造主の法の存在を知りながら
その法を不快と感じもしくは創造主を受け入れることを拒絶して
それを捻じ曲げようとしている人間達と違って
他の人間には未だ選択の余地が残っているはずです。
創造主の法の存在を知り、
それを理解し実践して永遠の流れに乗っていくか、
創造主の法の下では永遠を生きられない存在として
限られた時間をすごして果てていくか。
それを自ら選択する権利を誰もに与えてほしい。
サタンと化した地球の神の象徴を選ぶのか
真の創造主を選ぶのか、
そんな選択の権利とその機会を
何故にこの社会の支配者は奪い続けるのか?
私達はその実態を持ってこの社会の本質を知ることが出来ます。
しかし変わろうとしない人間達が
支配しているこの社会には創造主の法は届きません。
パウロが”罪と死の戒律”と表現していたその法が
”御霊といのちの戒律”を凌駕してしまっているこの社会を
一体誰が創造主の元へと導くことが出来るのでしょうか。
私の日々の祈りは
「私や兄弟姉妹の想い、そして天使達の想いが
一人でも多くの人間を創造主の法へと導いてくれますように
そしてこの社会に真の意味での平和が訪れますように」
半ば諦めながらも、そう想うことが
大切だというブラザーズの意識に共鳴しています。
全ての人間を変えることが出来ないのは彼らも理解していながらも
変わる意志を持っている人間に対して彼らは想いを送り続けています。
私達は彼らの想いに感謝しつつ
自分の想いを実践していきましょう。
そして最後に働きかけるのは創造主の意志です。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
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