2008-09-25 (木) ちくちくと
■ [ngo.kipe][CHATR] 2008年9月10日「Wikipedia:文献資料」保護、その前史
やっと念(なんちゃって)が通じたようですねへっへっへ。実はのんびりウォッチしていました日本の私。せっかくなので、主に記録を元に流れをまとめてみます。所々不正確かもしれません、スミマセン。
- 2003年2月から3月。ISBNから自動的に作られるリンクから文献情報を引く機能が、和書には通用しない、という不便に気付く人がちらほら現れる。当時その手の問題もよく引き受けていたらしいTomosさんが英語版に問い合わせたりなどした結果、ISBNからの検索に使えるURLを用意すればよいということになり、ぼちぼち検討が始まる。無断リンクが嫌がられた当時の風潮も影響してやや停滞か。
- 2003年5月。ISBNリンクの行き先である「特別:Booksources」のテンプレートとして「Wikipedia:文献資料」が使われる、というような(今に続く)機能が(MediaWikiに)実現する。
- 2003年11月。ISBNリンクから和書が(依然)引けない、という問題が改めてバグとして報告されるが、それまで。
- 2004年1月。ISBNリンクの機能を解説する「Wikipedia:ISBN」(当時)が英語版から翻訳される。ただし2003年5月の新機能はうまく理解されず、情報募集の形で記される。
- 2004年2月。新機能について「井戸端BBS」あたりで話に上がったらしく、Tomosさんがwikitech-lメーリングリストやリンク先サイトに問い合わせたりした後、実際に「Wikipedia:文献資料」が作成される。
- 2004年12月。気付くと、「特別:Booksources」にならぶ検索用リンクがトップページ行きになってしまっていた。原因はあるIP利用者が「Wikipedia:文献資料」を間違って触ってしまったことだと後でわかる。私(Mulukhiyya)がIRCチャンネルで、変ですね、直らないんでしょうか、と軽く聞いてみたところ、Tomosさんにも見当がつかない様子だった。そしてSさん(仮名)の「君が直せば直る」(大意)といった言葉に私は何か(なんちゃって)を感じ、イヤイヤ半分・面白半分に各方面を漁ってみた結果、「Wikipedia:文献資料」というものがあること、その機能をきちんと説明するページが(MLでの発表以外に)なかったらしいこと、中心的に関わっていたはずのTomosさんに忘れられていたらしいこと(なんちゃって)などを把握し、機能を復旧させ、「Wikipedia:ISBN」(当時)に適当に覚え書きを加え、それからIRCチャンネルに顔を出すことはなかった(偶然)。
「Wikipedia:文献資料」、ひいては「特別:Booksources」のあまりの手薄さ、その不思議な世界。密かに懸案でした。ちくちくと。
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その後気付いたこと:
- 「井戸端BBS」の関連スレッド2本の内容は、まだInternet Archiveに残っている。やはり2004年2月の時点でリンク集が自由編集であることが知られ、いわゆるアフィリエイトへの懸念も一応出ている。
- Template‐ノート:ISBNヘルプ#このテンプレートの必要性
%% 2009年4月19日
訂正を。2005年1月6日付のIRCログを発見してしまいましたので、2004年12月以降顔を出さなかったというのは記憶違いだったようです、スミマセン。。
(04:16:03) ***Mulukhiyya はみかんをとりにいくあいだに読みこみがおわっていないのに驚いた
利用者:arpeggio=石井紳一郎
ばれちゃってくやしいかい?
なんていってるから、
こいつはマニラ組のサマナだね。
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図星付かれた分だけ、この記号を増やすのがホリキリユウコ。
しかし、ログはヨウコが携帯で送信。
http://www.freezepage.com/1360133497ZHMEYFZQMB
利用者:toki-ho=石井久子(の代筆職人)
利用者:arpeggio=鎌田千代
やっぱり女だよね。
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つまりは、図星を突かれると、ホリキリユウコが~をつかうことになってるんだね。
ヨウコのほうが入力作業に徹している可能性が高い。
ユウコが暗号屋のまま。