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富士山本門寺について教えて下さい
1 名前: チョンガー 投稿日: 2001/01/21(日) 20:22
富士山本門寺は、王仏冥合を条件とする本門戒壇であり、その起源は古く千二百五十三年
の日蓮大聖人の立宗に始まり、その御遺命に従った直弟子、日目上人は後醍醐天皇へ度々
進言し、その宗旨を理解した、後醍醐天皇の勅願に依って開山された、仏教の結論である本
門戒壇の本門正宗である。

今日、西山・北山・池上・讃岐等の各山が本門寺号を名乗るのは後醍醐天皇の勅願
に依って当富士山本門寺が成立した事に依ってである。諸山は当本門寺の各坊して
の位置に在ったのであるが、この宮方の象徴的富士山本門寺は、程なく、駿河の守
護大名、今川義元による富士山本門寺本堂焼き討ち事件により、本堂を失い各山が
本門寺号を名乗る様になった。

以上、http://www.alphatec.or.jp/~tochihal/index.html#INDEXより抜粋。

実は本門寺、1631年に今川義元によって焼失させられた経緯があるんです。
それまで人々は現在の富士市の地名を取り「大石寺」と呼んでいました。
そう、大石寺と名乗るお寺さんがどうにも静岡の「富士宮市」にあるようですが、
本当は「富士市」になくてはいけないんですね。
まあ焼失の際、血脈が途切れたりしたら終わりだったんですが、小野寺左京さんが
大泉寺で本尊を守ってくれたからこそ、現在の本門寺があるわけです。
さて、ここから歴史のカラクリがあって面白いんですが、この焼失した大石寺に
目を付けた人がおりました。名前は「敬台院日詔」、徳川家康のひ孫娘です。
彼女は自分の夫を弔うお寺を欲しがっていました。
しかし当時、幕府は財政難だった事からお寺を新造する事を禁止していました。
しかししかし断る事も出来なかったんです。
この敬台院さんのお祖父さん、非常に徳川家に貢献した人でこの人無しでは
徳川家の繁栄はありませんでした。しかし結局は織田信長にいちゃもんつけられて
切腹させられてしまった過去があったんです。
頼みを断れない幕府は考えました。「そうだ!ウソウソ引越し作戦だ!」
そう「富士市」大石寺焼失の翌年、お引越しという名目で「富士宮市」に
大石寺という同じ名前の全く違うお寺が建てられたのです。 ありゃりゃん。

以上、http://www1.linkclub.or.jp/~taji/kiji3/hon.htmlより抜粋。

簡単に言うと、富士山本門寺とは、日目上人の折に後醍醐天皇の勅願に依って立てられた、本門の戒壇である、という事ですね。
西山・北山・池上・讃岐等の各山が本門寺号を名乗っているのは、富士山本門寺があってのゆえである。という事です。
戒壇の御本尊は、日蓮大聖人が弘安二年十月十二日如実に像にされた「本因妙大本尊」だそうです。

もし、富士山本門寺の主張が正しければ、
すでに、本門の戒壇は建立されているという事。
また、本門の本尊が、富士山本門寺にあり、
富士宮の大石寺にあるのは、本門の本尊とは違う、という事になります。

この、富士山本門寺について、ご存知の方がいらっしゃれば、
情報を教えて下さい。

2 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/01/21(日) 21:35
富士年表(平成二年 富士学林刊)によれば、理由は触れられていませんが、1631年
大石寺諸堂焼失(10.12)となっています。また、1632年敬台院日詔 大石寺御影堂
を寄進(11.15)とあります。また、この1632年の一月に、十六世の日就上人が、
江戸の法詔寺において法を日精に付す、となっており、焼失は十六世日就上人の時、
そして、敬台院の御影堂寄進は十七世日精上人の時代です。また、焼失の八日あと
の十月二十日、幕府が新寺の建立禁止令を発しています。

3 名前: 定吉 投稿日: 2001/01/22(月) 21:18
私は横浜にあるその富士山本門寺にいったことあります、日了上人とも
お話をさせていただきました、でも疑問だらけです。
曰く、釈尊は実在の人物かどうかわからないと、おっしゃいますし
仏法はインドから伝わったのではないともおっしゃいますしね?
話を聞く程謎だらけです。

4 名前: az 投稿日: 2001/01/23(火) 02:42
のっけから乱暴な言葉使いをしますがお許し下さい。「本門正宗」なるものは
心ある冨士門流信徒なら血が逆流する程の一闡提の一党です。以前、顕正会会
長の浅井先生が完膚なきまでに破折し、全く影を潜めていたのかと思いました
がまだいたのですか。個人的には全く論ずる価値の無い、というより論ずるだ
けで罪障を積みそうな気すらしますが。

一言で彼らの主張を言えば、今の冨士大石寺は偽物、本当の冨士山本門寺はす
でに後醍醐天皇の勅命により建立されていて、その正当を継ぐのが小野寺日了
だ、戒壇の大御本尊様も今だ究極ではなく、彼らの祭る本因妙大本尊こそ究極
の御本尊だ、ということです。これに関して言えば、後醍醐天皇の勅により本
門戒壇が建立されていると言うことはすなわち三大秘法成就を意味しますが、
それならなぜ「吹く風邪枝をならさず、雨壌をくだかず」の寂光土の相が日本
に現出しないのか。むしろ、誰の目にも明らかなように日本並びに世界は混迷
の深みに向かいつつあります。また、三大秘法成就のカギたる本門戒壇建立の
条件には「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持
ちて云々」とありますが、いまだ王臣一同に御本尊を信じてお題目を唱えてい
るわけではありません。これらを見ても真っ赤な偽物たること明白です。

論ずるだけ時間の無駄だと思いますが。というより、「冨士門流の建設的発展
を願う」という本サイトの趣旨を大きく外れる気がします。

5 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/01/23(火) 08:17
az様 すこしわかってきました。本門正宗のHPを見ても、何がなんだか、意味不明
だったのですが、少し要領を得ました。az様、お手数ですが、顕正会の破折文書が
現在も手に入るのかどうか、お教えください。このスレッドについては、ご参加の
皆様が「必要ない」と判断されるようでしたら、閉鎖いたしますが、どうしま
しょうか。

6 名前: az 投稿日: 2001/01/24(水) 01:49
今でも手に入るかどうかはちょっと自信ありません。顕正会本部に尋ねて見て
は?

7 名前: チョンガー 投稿日: 2001/01/24(水) 02:13
富士山本門寺について、無知な人に、その存在を知らしめるだけで、価値があると思います。
また、富士山本門寺の方が、この掲示板をご覧になっているかも知れませんので、
富士門本門寺に対しての、富士門派の立場を明言しておく事は、大切だと思うのです。
悪いと思うなら、何が悪いのか、それだけ主張していただければよいと思います。
富士山本門寺自体は、富士門流ではありません。
しかし、似通っているがゆえに、論及する事は必要だと思います。

8 名前: az 投稿日: 2001/01/24(水) 02:28
なるほど、毒は毒って前もって周知しておかなくちゃいけませんね。その意味
で賛成。

9 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/01/24(水) 15:17
それでは、直接の体験者である定吉様、不可解なところは不可解なままで結構
ですから、ご記憶をたどって、箇条書きでも結構ですから、お教えください。

10 名前: 定吉 投稿日: 2001/01/24(水) 21:27
曖昧な記憶ですが少しカキコしてみますね。

彼等の主張

富士山本門寺は日目上人の奏上により後醍醐天皇の勅許が降りてすでに
建立されている、勅許の書状も後醍醐天皇から頂いた袈裟も
本門寺の額も富士山本門寺にある。

大石寺の大御本尊は弘安二年の大本尊ではない、彼等の奉じる本因妙大本尊が
それである。

題目には正しい唱え方がある本門正宗にのみそれが正確に伝わっている
発音の仕方は御本尊に書いてある左右の髭文字のようなものがそれである。

大聖人の仏法を受け継いだのは日興上人ではなく日目上人である証拠は
耳引法門である、だいいち六老僧は不次第であり上下の差別がないではないか
日興上人が跡継ぎであるのならなぜ大聖人ははっきりそう言い残さなかった
のか、はなはだ疑問である、今の日了上人は正しく日目上人の血筋の人であり
大聖人の仏法を受け継げるのは日目上人の血筋の者だけである。

法華経は大聖人の仏法の予言書である、大聖人の滅後を末法という
方便とは長方形の板ということであり、本因妙大本尊のことである
滅後700年以降に正しい大聖人の仏法が広まる、今がその時であり
その正しい仏法は本門正宗である。

学会の十如是の立て方は間違っている、学会の読み方では九如是しかない
如是相、性、体、力、作、因、縁、果、報であり九つしかない如是本末究竟等
は十如是には数えない、法如是、相如是、、、報如是で十如是である。

仏法はインドから伝わったのではない、大体、釈尊自体が実在の人物か
どうか、はっきりしないではないか、最新の研究でも生存の期間に500年も
ずれがあるのが、その証拠である。だいたいなぜ初期の教典がないのか?
釈尊在世と言われている時代にはすでに文字はあるのになぜなのか?
仏法は中央アジアで起こった文明から伝わったのである(メソポタミア文明?)

長くなりましたが今思い出せたのはこのくらいです。

11 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/01/25(木) 12:19
定吉 様
ありがとうございました。それでは、これらの主張が、本門正宗のHPでは、
どう表現されているか、当たってみることにします。この作業は少し時間を要し
ますので、御参加の皆様のご議論はどんどん続けていただければよろしいかと
存じます。

12 名前: 独歩 投稿日: 2001/01/28(日) 21:57
お邪魔します。
本門本宗の主張について、ちょっと、記します。
私はもうかれこれ20年ほど前、教祖が小野寺直と名乗っていた頃に初めて会いました。
そのためにその後、日了と名乗りだし、本門本宗を起こす歴史を時間軸で見てきました。
その経験から記します。

小野寺さんは、もう20年ほど前、たしかに、いま言っているようなことはすでに
言っていました。初めて紹介されたときは「実業家」というふれこみでした。
後醍醐天皇から拝受したという紫衣を見せて貰い手に取ったこともあります。

あの人は創価学会のある人間とデパート・松屋の外商・お菓子の榮太郎と組んで、
当時、まだ大石寺にあった御影堂売店にお土産の羊羹を売り出そうとしたことが
あったんです。この羊羹のパッケージの外装デザインに使われたのがなんと紫衣!!
商品名は「瑞鳳」。こんなことを知っているのは何人もいません。
正直、私は広宣流布にかかるはずの日目上人の、それも天皇から貰ったという紫衣を
パッケージデザインに使うっていうのはなんたることか!と疑問にもったものです。
そのようなことから多少、あそこの初期の内部事情を知っています。

彼が実業家で、売り込みを行う人であること、これは重要な点です。
まず、あそこの本尊は保田妙本寺の万年救護のレプリカです。これが本因妙大本尊の
正体です。
また、紫衣の信憑性は手に取った限り、ほとんどありませんでした。

あと、重要な点を記します。
あそこの主張では「小野寺さんは日目上人の末裔で、大聖人の仏法を受け継げるのは
日目上人の血筋の者」ということになっているんです。まあ日目上人は日蓮大聖人・
日興上人の流れから見るのではなく、大聖人から即行日目上人としたかったのは自分が
日目上人の末裔であるという伏線によるわけです。
ところがです。日蓮正宗では明治に至るまで僧侶は妻帯をしていませんでした。上代は
もちろんのこと、三祖が妻帯をしたことはないですし、子供がいたなんて話もない。
それなのになんで日目上人の末裔がいるわけがあるんでしょうか。
僧侶は子供によって継ぐのではなく、法統によって継ぐのが慣例です。つまり、日道上人
に継いだわけです。(これに異論を唱えたのが保田の基・日郷上人でした)
ああ、それなのに彼は自分こそ日目上人の末裔だというんですね。彼は当時、大聖人以来
の僧侶が妻帯をしなかったという基本的な事実を現代の僧侶状況と同じと見て、日目上人
末裔説を作ったわけでした。(そのあと、その事実に気付き、あれこれと論を取り繕い、現在に至っているわけですね)

もちろん、そんな事情を見抜かれて大石寺からは、御影堂売店で羊羹「瑞鳳」販売する
商売の話は一蹴されました。
組んでいた創価学会の人間は面目丸つぶれ。以来、日蓮正宗と創価学会への怨念は増した
のでした。
実業家が宗教の開祖になったわけです。そこで語られる本尊・教義・宝物、信憑性があるわけないと私は思うのです。

以上、これは批判などではなく、事実です。小野寺さん自身、この私の書き込みを読めば、
私が誰であるか、だいたいの予想はつくはずです。まあ、認めないでしょうけど。

15 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/01/28(日) 23:39
独歩 様
貴重なお話、誠にありがとうございます。羊羹のデザインに後醍醐天皇の紫の衣では、
仰天ものですね。私も、本門正宗のホームページを見ていたら、『日了大聖人』と
書かれてありましたので、びっくり仰天していましたが、お話を伺って、本門正宗
についてはほとんど調査の必要もないことが、はっきりしました。本門正宗へは、
リンク集と掲示板の案内を致しましたので、しばらくこのスレッドはこのままに
しておきたいと存じます。ご覧になれば何か書き込みをしていただけるでしょうから。

16 名前: 定吉 投稿日: 2001/01/31(水) 23:02
独歩 様
よくわかりました、なるほどねそういう人だったのですね小野寺さんは
私は横浜にある本門正宗の寺にいって少々小野寺さんとお話をさせて
いただいたことあるのですが、その時に私は学会のこともよく知っていると
言われていましたが、そういうことなのですね、ふむあの御本尊はレプリカ
なんですか、どうりでその場の雰囲気の影響もあるのかもしれませんが
大石寺の大御本尊を拝した時の得も言われぬ高揚感が感じられなかったのが
不思議だったのですが、そのせいなのかもしれませんねえ。

17 名前:投稿日: 2001/02/01(木) 21:57
……この人、ウンタラカンタラのマガタマを持ってるから、自分こそ正統な天皇である、と主張しているのか?
??????????
右翼のヤツらけしかけたろか?

18 名前: チョンガー 投稿日: 2001/02/17(土) 01:39
北山本門寺とか、西山本門寺とかあるけど、
本門寺って、本門の戒壇の建立時に付けられる名称じゃないでしたっけ?
何で、北山「本門寺」、西山「本門寺」なんでしょうかね?
何の意図があって、付けたのでしょう?

19 名前:投稿日: 2001/02/17(土) 03:14
あちき、教学のこと全く解らないから、それ、解りやすく説明して欲しいでげす。
あちきは「意図」っていうの、悪意があってのことじゃないと思ってましたでげす。
同じ日興門下でも、本門の戒壇の解釈が大石寺とは違うから、と単純に考えてましたでげすけど。
いつから日興門下の内部で教義の違いが出てきたのでげしょうか。
布教活動をするなら、仏教を全く知らない人にも解るように説明する必要があると思うし、また、その義務もあると思うでげす。
難しい言葉を使わないで教えてほしいでげす。

20 名前:投稿日: 2001/02/17(土) 03:19
追加。「本門寺」って日興上人自らがお付けになった名前ですか?

21 名前: 独歩 投稿日: 2001/02/17(土) 04:11
本門寺、富士門では『身延相承書』の「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に“本門寺”の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」をもって日蓮大聖人の命名とするわけでしょう。ただし、他日蓮門は、これを認めませんが。
北山本門寺とは、日興上人が開かれ、お住まいになられた重須談所を、のちに弟子の日順上人が1日も早く広宣流布が来ることを願って本門寺と呼称した。しかし、もちろん、それは宗開両祖の意に反したものであった。日順上人は結局、目が見えなくなってしまうのだけれども、それはこの命名の悪縁によるものだと自ら嘆かれたということではなかったでしょうか。
西山本門寺その他については失念しました。
この「本門寺」の語源を手繰っていくと、実は二箇相承真偽説にまで遡れる多くの問題が隠されていそうです。

22 名前:投稿日: 2001/02/18(日) 05:32
あちきのような下司は「失明までしたのに、なぜ名前を変えなかったのだろうか」と、つい考えてしまいます。
ふざけてるように見えるかもしれませんが、素朴な疑問だと思うのですが。
(本門寺って多いですよね。バチ当たらなかったのだろうか)
(あっちもこっちも本門寺。日興門下って、そんなに、だらしがなかったのだろうか)

23 名前:投稿日: 2001/02/20(火) 02:23
香川県に「宗門」に連なるお寺で、本門寺があるようです。
日仙上人という方と関係ありますか。また日仙上人はどんなお方ですか。

24 名前:投稿日: 2001/02/20(火) 02:54
ごめんなさい。もう、やめるでげす。
邪義、邪宗、謗法だらけの汚いゾウキンみたいに言われるのがくやしくて、つい、揚げ足取りをしただけでげす。
やめるでげす。ごめんなさい。

25 名前: 独歩 投稿日: 2001/02/20(火) 08:05

あ さま:

本門寺という呼称は興門流に限りませんよ。たとえば東京大田区、すなわち、日蓮大聖人御入滅の地、檀那池上兄弟の邸宅跡に建つ日蓮宗朗門流の寺院も本門寺です。

香川県の本門寺。まさにここは興門流の古刹ですね。私も参詣したことがあります。ご記述のとおり、日仙上人によって開かれた本山ですね。開基檀那の秋山泰忠という人は非常に強信だったと言いますね。ともかく、ここは村落全体がすべて本門寺信徒であるということ、つまり、ここの寺域は完全に広宣流布しているんですよ。
余談ですが、この寺院の住職は代々大石寺の猊下が兼任するというのが慣例でした。

「邪義、邪宗、謗法だらけの汚いゾウキン…」て、誰が誰に言っているんでしょうか。私は思いますけど、理由はともかく、こんなふうにしか他を言えない人間、あるいは団体のほうがおかしいんですよ。少なくてもこんな言説行動は既に仏教に逸脱し、世間からも外れ(非常識)、かつ人間性も喪失されていると思います。

なお、本門寺という命名があちらこちらに散見できる理由というのは本当にどのような理由にあるんでしょうか。ただ、私は悪意ではなかったと思います、勇み足ということはあったかもしれませんが。
いくつか仮説は立てられると思います。たとえば讃岐本門寺は元法華堂、讃岐大坊とか言われていたわけですが、のちに本門寺と言うようになるわけです。上述したとおり、この地域は広宣流布している。「広宣流布なんかしていないじゃないか」という見方はあるでしょうが、当時、「国」という呼び方には二つの意味があったわけです。一つは日本という国、もう一つは各地域ごともまた「国」といったわけです。古い言い方ですけれども、東京に出てきた地方の人に「お国はどちらですか?」なんて聞き方を追最近までしていたものでした。ですから、その意味からすれば、讃岐本門寺のある高瀬の地(国)はたしかに地域限定ですが広宣流布していることになるわけです。だから、本門寺という呼び名も地域限定では正しいと言えないこともないと思います。
ただ、大石寺の場合は「(日本国の)国主此の法を立てられれば」という一段、高い意味になるので別格の扱いとなるわけでしょう。

さて、日仙上人は、同じ日興上人本六の一人・西山日代上人と方便品読不の問答があったことを歴史的に伝えられています。方便品、つまり、迹門ですが、その表は本門ですから、この本門から字をとって本門寺の命名という類推は成り立ちます。
富士門では二箇相承真筆説を採りますが、他日蓮宗ではそろって偽書説。つまり、本門寺という名は開目抄五重相対義の本迹相対の本門義からの命名と考えるんだと思います。名前の根拠を二箇相承ではなく、という意味です。こちらのほうが日蓮宗全般ではスタンダードな考えということになります。

もう一つ、日順上人の命名のことですが、私が[21]に上述した内容はたしか本門心底抄か何かのものであったと思います。当時、後醍醐天皇への天奏が達せられ、熱気のあった時代であったわけです。「朕、法華を保てば必ず富士に求める」と発言したことが伝えられたあとですから、当時の人はもう此で広宣流布ができると浮き足立っていたんだろうと想像できるわけです。で、広宣流布だで、本門寺という命名。そんな感じじゃなかったのかと想像できるわけです。しかし、その後、いくら時間が経っても後醍醐天皇はそれっきりだし、だんだん、状況も変化してくる、早計だった、でも、命名は残った。こんな経過があったんじゃないでしょうか。少なくても悪意ではなかったと思います。
それと当時のことですが、日興上人は北山に、日目上人は大石寺にと別々にお住まいになっておられた。寺の順位から言えば、それは大石寺のほうが上であることは当然、けれど、北山には日興上人となれば、こちらに力点が係るのは人情であったと思えるわけです。こんな人情は700年を経た現在でも営々として、北山ではいまでも「本門寺根源」論は盛んです。

本門寺の命名、二箇相承からか、開目抄から、私にはどちらからかわかりませんが、考証の余地はあろうかと思います。

26 名前: 独歩 投稿日: 2001/02/20(火) 08:20

もう一つ、日仙上人のことですが、この方は[25]にも書いたとおり、日興上人の本六弟子のお一人ですね。ただし、日蓮大聖人にもお仕えになっておられた。非常に太った方で大聖人が百貫房とあだ名を付けたのがそのままになったと言われています。ちなみに「貫」は当時の重さの単位です。一貫は3.75キロですから百貫だと375キログラム、そんな人間はいるわけないですね。実際に鎌倉時代でも一貫が3.75キロ相当であったかどうかは確認していませんが、いずれにしても大聖人はユーモアの精神もお持ちであったとほほえましい気持ちになります。
恵まれた体躯であったのは事実なんでしょう。史実的には不確かですが、日興上人が身延を離山されるとき、階段の大御本尊を背負って随行されたのが日仙上人であったとも言います。日仙上人は大石寺が創建されたあと塔中に上蓮坊を建てられていますね。

27 名前: 独歩 投稿日: 2001/02/20(火) 08:23

おっと、また、打ち間違い。「階段の大御本尊」はもちろん、「戒壇の大御本尊です」

28 名前: 和助 投稿日: 2001/02/20(火) 10:19
独歩さま、はじめまして和助と申します。そして、皆様方にも宜しくお願いします、興味のある書き込みでしたので横レスさせてください。
讃岐本門寺は一時、大石寺から離れていた時期がありませんでしたでしょうか?秋山公の遺言は法統相続しなければ家督を継がせずのよう
な厳しい言葉があったように記憶しておりますが。また、一門が仲違いしていても自分の命日には参詣するようにとかの遺言があった筈です
うろ覚えなので、確かなことはいえませんがどうでしょうか?

29 名前:投稿日: 2001/02/21(水) 05:38
あのー、全然関係無い話なんですけど、このスレッドの1番から16番の発言は大変に重要だと思いますので、独立させてスッゴク「目立つ」ようにした方がいいんじゃないでしょうか。
何か方法考えてください。

30 名前: 問答迷人 投稿日: 2001/02/21(水) 18:07
あ 様
他スレッドにて、失礼いたしております。
この件、何かいい方法はないかと考えていたところです。
こんな手はどうでしょう。
『日蓮正宗関連HPリンク集』に、新たにページを作り、すでに議論が熟したテーマを
『掲示板レス集』としてUPし、集積する、という方法です。
異論が無ければ、そのようにしたいのですが。ご意見お聞かせください。

31 名前:投稿日: 2001/02/21(水) 20:25
あちきは、どのような方法がいいのか、わかりません。
このスレッドの1番から16番の発言に限り、「目立つ」方法なら、どんな方法でも皆様でよろしいようになさってください。今すぐでも。
その他は、うーん、どーしよー(……うぐぐっ、うかつに「どうぞ」と言えないぞ。あちきのバカも目立ってしまうから。自業自得だが)。
17番のあちきの発言は削っちゃってくださいね。バカ丸出しですから。

32 名前: 独歩 投稿日: 2001/02/21(水) 22:03

和助さま

はじめまして。仰るとおりであろうかと思います。私もお書きになられている内容についてはうる覚えに過ぎませんが、大きくは外れていないと思います。

33 名前: 2ch 投稿日: 2001/03/25(日) 10:30
本門正宗 富士山本門寺
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=978796149&ls

8 名前:本物・波木井坊竜尊@日蓮宗投稿日:2001/01/07(日) 17:45
いや、楽しいよね。ここの信徒の代表みたいな人とぼくはメールのやり取りをしたことがあるんだよ。

ま、小野寺さんは、よく知っている。特に伝承とかなんやかやを。
まあそういうのをつなげてひとつの物語にしてバーチャル的な宗教を作った、という点はおもしろいと思う。

三超派(三鳥派)の一種パロにも見える。いやパロなんだろうね。ここは。
小野寺さんは小野寺さんなりに、法華神道とは何かを探究してこういうものをこさえたんだから。まあおもしろいとは思うよ。

まあ学会員さんや顕正会員さん妙観の連中には小野寺さんが何言っているのか実は全くわからないんじゃないかなあ。おかしなもので、正宗系より日蓮宗の人のほうがわかりやすい、理解しやすい、というのは皮肉だよなあ〜。(笑)

ただ小野寺さんは、古史古伝にたよりすぎているきらいはあるよね。
富士西麓古代王朝とかさ。(爆)

9 名前:本物・波木井坊竜尊@日蓮宗投稿日:2001/01/07(日) 17:51
しかし小野寺さんのところにあるあのご本尊なんだけど。
あれと同じモノが芝川町にあるんだよ。西山本門寺のすぐ近くなんだ。
ただし朱塗りなんだなこれが。(笑)

朱塗りの板本尊ははじめて見た。(笑)

13 名前:本物・波木井坊竜尊@日蓮宗投稿日:2001/01/07(日) 18:28
ああ・・・。本門寺(北山)は焼失しているよ。500年ぐらい前に一回ね。その時あった法華本門寺と今ある北山本門寺の場所は違うんだ。
火事になって重須に入ったいうのが、北山の大旦那の傍系子孫で日蓮宗僧侶の石川師の調査で最近になってわかった。近年まれに見る研究発表だったんだ。

しかし30年前は、本門寺の火事の焼失とか現在の富士宮大中里にある日興上人開基の寺院で日蓮宗大泉寺が、山宮の法華本門寺のどのあたりの近隣にあったか特定できなかったんだよ。

まあそういう話が小野寺さんの手にかかるとそうなっちゃうんだよ。(笑)

14 名前:本物・波木井坊竜尊@日蓮宗投稿日:2001/01/07(日) 18:38
三超派(三鳥派)というのは正宗系の法華神道なんだよ。

日蓮宗の場合、吉田神道の習合というのが言われているが、富士派の場合、地域性なんだろうなあ。富士山信仰の神道、まあ修験的というかちょいと日蓮宗とはカラーが違う神道色をもっている。

この三超派(三鳥派)は江戸時代になってバテレンや不受不施派と同じく弾圧を受けて遺跡すら残っていない。大石寺の日精師との係わり合いも云々されてるが、まあ一種の正宗系の分派だったとボクは思う。堀師なんかも影響うけているようだ。表にはでていないが。

明治になって蓮門教という宗教がね。この三鳥派の流れを汲むものとして有名だが。大本教と同じく官兵の厳しい弾圧でなくなっちゃった。

だから詳しいことがわかっていないんだなこれが。まくわしいことがわからない、ってことはいろんな推測がなりたつわけで。(笑)
小野寺さんの出番というワケ。(苦笑)

ここから、2002年2月26日以降の、復旧された掲示板のログです。
 
 
4 名前: いちりん 投稿日: 2002/02/26(火) 13:58
ううむ。おもしろい話ですね。
いろんな方が、おいでですねぇ。。
「富士門流おもしろ人間図鑑」というスレッドがあると楽しい。
けど、荒れるなあ。中杉氏とが出てきちゃうし。。

5 名前: tokumei 投稿日: 2002/02/26(火) 22:56
小野寺氏の信者は海外でも増えつつあります。
十界互具ではなく四界本尊という触れ込みだそうです。どういう意味でしょう?

7 名前: 問答迷人 投稿日: 2002/02/26(火) 23:23

バックアップ2において、

>まず、あそこの本尊は保田妙本寺の万年救護のレプリカです。これが本因妙大本尊の
正体です。

と、独歩さんが述べられていますが、その本因妙大本尊の裏銘文を、リンク集に載せておきました。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/new_page_26.htm

これを見る限りでは、日付と聖人の花押は、直筆の模刻、あとは、文字の傾きも違い、書体も違い、合成の様に思えますが、皆さんの御意見は如何でしょうか。なお、このの銘文は、本門正宗の信徒さんから頂戴した画像です。

8 名前: いちりん 投稿日: 2002/03/01(金) 00:18

北山本門寺の正式名称は「富士山本門寺」なのでしょうか。

大石寺は、たしか「多宝富士大日蓮華山大石寺」でしたか。

9 名前: 問答迷人 投稿日: 2002/03/04(月) 11:09

いちりんさん

「富士山本門寺根源」が正式名称の様です。

http://www.ba.wakwak.com/~honmonji/ryakuzu.htm

13 名前: 波木井坊竜尊@日蓮宗葵講(元富士山東光寺預かり信徒) 投稿日: 2002/10/11(金) 14:49
富士山本門寺については画期的な研究が現宗研の石川師から発表されましたよ。

小野寺氏は北山にも出入りしていろいろ困ったことがあったんだよね。

14 名前: 菊水護国 投稿日: 2002/10/30(水) 10:23
小野寺日了に告ぐ。
平成11年8月10日の、我らとの約束に従い、早く「法皇僭称行為」を中止せよ。
さもなくば、再び出向くぞ。今度は徹底して、街宣活動を展開するぞ。
HP上での事でも許さん。

15 名前: 菊水護国 投稿日: 2002/10/31(木) 09:29
拝啓、小野寺さん。
以下の文面を、今年暮れに送る予定です。
小野寺さん、見てたら自ら、中止してください。
それまでに自主的に中止したら、書面は送りません。

「小野寺日了よ。
 汝速やかに法皇僭称行為を止め、今上の帝に陳謝せよ。
 貴殿の行いに3つの大罪あるなり。
 本来、法皇号は一度皇位についたお方の称号である。
 しかるに、貴殿は皇位についた事も無く、法皇号を僭称するは天皇を僭称するも同様なり。
 また、皇位に着くには日嗣の皇子即ち皇太子の地位におつきにならねばならぬため、皇太子の僭称にもつながるなり。
 貴殿経歴には南朝正当血統とあるが、日本国南北朝合一の砌、後小松天皇に天壌無窮の霊位が継承されたのである。
 それ以来、天孫の霊位は今上の血統にあるのである。
 皇位は血類で継承するのではなく、霊位を継承するのである。
 だからこそ、桓武天皇五世の子孫でも、将門の行為は反逆なのである。
 さらに霊位継承には、即位、大嘗の二礼を行わねばならぬが貴殿は何時、その二礼を行ったのか。
 また皇太子には、桐壺御剣と皇位宣揚守曼荼羅の継承が不可欠であるが、貴殿にはそれがあったか否か。
 さらに貴殿が出家を名乗るからには、得度の師匠が必要であるが、貴殿の戒師はだれか、度帳はあるのか。

 すなわち貴殿は「法皇号」を僭称する故に「法皇、天皇、皇太子」の三称号の僭称を犯していることになる。
 この行為は、天壌無窮皇国の歴史の中で、最大の大罪なり。
 ここに、赤子菊水護国、国父今上の帝になりかわり、貴殿に宣告するものなり。

 日了、速やかに法皇僭称行為を止めよ。
 書面到着後一ヶ月以内に、法皇僭称皇位中止の期限を返答せよ。
 返答無き場合は、中止の意思無きものとみなし、我が組織及び同盟友好組織一丸となり、
 抗議活動を開始する。
 この活動には一死かける故に、貴殿も一死をかけて返答されよ。
 
 平成  年  月  日
        政治結社○○  主催 菊水護国。

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