色即是空とは、般若心経というお経に出てくる文言です。般若心経はもっとも有名な経文の一つです。
孫悟空に出てくる三蔵法師のモデルである玄奘三蔵がインドから持ち帰った教典を漢訳したものが原典です。
前後の文脈がわからないでいきなり色即是空といわれても困りますよね。
そこで般若心経の一節を書きますと
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄。舎利子色不異空空不異色。
色即是空空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。
不増不減。是故空中無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無限界。・・・
最初の部分を簡単に書くと
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。
舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のないものであり、実体がないのが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体のないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも同じである。舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもない。汚いとかきれいということもない。増えたり減ったりすることもない。物体もなく、精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。・・
http://www.e-sogi.com/arekore/kyo1.html
参照
現代の理論物理学にも通じる英知を語っている気がしませんか。実際に物質はエネルギーであって、エネルギー以外に物質は存在しない。
エネルギーは、実体がなくそういうものでこの世は構成されている。意識もまた実体がなくひとつのエネルギーであって・・というと
何か唯識論(つまり万有は識(純粋な精神作用)にほかならぬとする説。)のようですが、実際玄奘三蔵がインドから持ち帰って翻訳した大般若教のほかに成唯識論という書物もあり、彼はインドの唯識論そのものを持ち帰ってきたわけです。
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F309C100.HTM
仏教の経文は、遣隋使で中国に渡った最澄、空海(弘法大師)がそれを持ち帰り、基本的に日本の仏教は唯識論が色濃く残ったわけです。
実は、これは神道や修験道にも一脈通じていて「心頭滅却すれば火もまた涼し」という修験道の精神論につながります。
日本人は根っから精神論が好きなのです。神風や大和魂で現状が変わるとか、信じれば実現する。みたいな楽観主義も元を正せば、色即是空に端を発しているような気がしませんか。
色即是空は、いわば観音さまの悟りの言葉。転じてどうせ実体は空なのだから、考え方次第で楽しくすごせるのだ。という「悟り」の偽装を揶揄する言葉にもなっていたりします。般若心経が禅宗でもっとも尊ばれているのは、座禅を組んで悟ることと無縁ではないです。
煩悩にわずらわされない悟りの心。色即是空はそれを象徴する言葉ですが、どこか高踏的で冷たい響きがあります。身もふたもないというニュアンスのある言葉です。そういう意味では、庶民には南無阿弥陀仏と唱えて救われるとか、マリア様やイエス様が助けてくれるといういうほうがわかりやすいですよね。
投稿日時 - 2006-02-01 17:28:11