2003.11.01
no.20 <デザインリサイクル>ナガオカケンメイ/Kenmei Nagaoka
2003年10月8日 D&DEPARTMENTにて
インタビュアー:泥谷英明(blue studio)
撮影:武井良介
Link:http://www.d-a-m.co.jp/depart/
http://www.drawingandmanual.com/top.html
Contact:depart@drawingandmanual.com
ナガオカケンメイ(以下KN):いえ。その前に高校出てから東京でデザイナーの見習いのようなことをやっていたんですよ。4年間ほどいろんなプロダクションを回ってね。でも挫折したんですね、それで名古屋に戻ったんですよ。実は。
BS:挫折したんですか、、、それってどう言う、、、?
KN:コミュニケーションがヘタだったんですよ。プレゼンテーションも。本当はデザイナーってやっぱりコミュニケーションがうまくないといけないと思うけど、正直僕は人と喋ることが出来なかったんです。そ れで、接客業でもやってみて、嫌でも人と喋らなきゃいけないような状況に自分を置いてみようってしたんですよ。でも、ホールはやらせてもらえなくて、 ずーっと厨房(笑)。働いていたのは120席もあるようなかなり大きな喫茶店で、厨房はひとりで切り盛りしてたから、「全体を見る」「仕事の段取り・シス テムを把握する」って言う立場にありましたね。カウンターが30席もあって、30人の団体が一斉にオムライス頼むんですよ。「オムライス30コ!」って。 こっちも意地になってどうやったら全部一緒に出せるか、、、なんてことやる訳ですよ(笑)。
KN:そうです。はじめはその大きい喫茶店で働いてたんだけど、そこにいつも来る常連のお客さんが持ってた別の場所でお店を始めたんですよ。はじめ働いて たその喫茶店ではスタッフのキャラクターと組織のシステム、この両輪でお店が成り立ってたんだけれど、新しく自分で始める店ではいきなりキャラクターだけ でやっていかなくてはダメっていう状況になったじゃないですか。それで、その店は潰しちゃったんです。ただ、いろんな人が集まってきましたよ。タクシーの 運転手がシゴト終わってから寄っていったり、近所のお姉ちゃんが来たり。。。
BS:それからまた東京に出てこられる訳ですが。。。
KN:そうです。そうこうして飲食業をやめた後、「デザイン事務所でも探すか」っていうことで、名古屋の事務所を幾つか回っていたんですよ。そんな時に、以前出したコンペでいい結果が出たって知らせが来たんですよ。朝日広告賞から「受賞したから授賞式に出てこい」って。で、「どうせ行くんだったらいろんな人に会おう。」ということである友人のつながりで、日本デザインセンターに行かせてもらったんですよ。そこでいきなり原さんが「お前、時間あるか?」って言うんで、「あります」て感じで。。。
BS:その後、「モーショングラフィックス展」の企画から菱川さんとの出合いにつながるわけですけれど、、、
「彼を口説いたんですよ。」
写真右: Motion graphics'97KN:実は、原さんのところにいた時から個人的にフライングロゴを集めてまして・・・と いうのも、知り合いのデザイナーがあるメーカーのロゴのグラフィックをつくっていて、僕がある日CMでそのロゴが動いているのを見て、そのデザイナーに 「CMで動いてるの見たよ。」なんて言ったら、彼はぜんぜん知らないんですよ、そんなことは。これはつまりデザインがつくられてからテレビCMでそれが動 くまでにいろんな人が関わってるのに、そのシゴトの流れ全体のシステムを当の本人たちは知らないんじゃないか?ってことです。このシステムの全体像をはっ きりさせるってのは面白いぞと。つまり、これは誰がデザインして誰が動かして、誰がどの部分を担当したかの仕事の流れをはっきりしたかったんだと思うんで すよ。それで、「モーショングラフィックス展」なるものの企画が出来ていったんですよ。独立してから企画を温めていって、そしていろんな人に会ってそれを実現しました。僕 自身はグラフィック出身の人間じゃないですか、映像の展覧会しようとしてるのに、映像のことがちっとも分からない訳ですよ。。。(笑)そして菱川に出会っ たんですが、彼はバリバリの映像畑出身じゃないですか。それで、「ちょうどいい!」なんて言って、展覧会始まる直前に彼を口説いたんですよ。「ドローイン グアンドマニュアルで一緒にやろう」って。その時、彼は若くして会社の取締役やってたんだけど、展覧会終わる頃にはもう会社に辞表を出していました。
写真右: ナガオカ氏が始めた「D&DEPARTMENT」。デザインリサイクルという新しい領域を提案。BS:出会ってから、その辞表提出までどのくらいの時間ですか?
KN:ええと、2ヶ月くらい。
BS:え~っっっ!?原さんの時も、菱川さんの時も同じかも知れないけれど。出合いってそんなに早いものなんでしょうか?
KN:そう、早いんでしょうね。
BS:「モーショングラフィックス展」から「D&DEPARTMENT PROJECT」に移行するのは、それから4年後の2000年ですよね。この2つは内容的にはまったく違うように思うのですが、どのようにこれらは連続し ていったんでしょうか?
写真右: 大阪店外観KN:そう。「モーショングラフィックス展」では、グラフィックデザイナーがクライアントから依頼を受けてデザインしたロゴがあって、一方でそれを動かす 側のデザイナーがいて、最終的なアウトプットは、動くロゴ。つまりモーショングラフィックなんですが、その工程を分解して、デザイナーの名前を表示して展 示をしたんですよ。それから、まだ動いたことのないロゴも20社ほどあって、それを映像のクリエーター達が動かすっていうマッチング企画もやりましたね。ある意味では、できるかどうかわからないものを企画して始めちゃった訳ですけれど、やっていく中でいろんな人とあって話をしたんですよ。で、 いろんなことを考えるようになったんだけど、例えば、「○○賞」みたいなのって必ずあるじゃないですか、、、これは建築も含めてどの業界でも同じかも知れ ないけれど。それはそれでいいんだけれど、本当にそれが世の中で認知され売れていくっていうのはまた別の問題じゃないですか?友人のデザイナーが「○○ 賞」を受賞しました。パーティーがあります。行きました。パーティーの席で「いやあ、いいデザインだよ」っていうのは簡単だけど、「いいデザイン」なのは 業界の中だけの話かも知れない。。。一回つくる作業止めてでも、過去から学んで「いいものはなにか」。これをはっきりしたかったんですよ。それで、「D&DEPARTMENT PROJECT」をつくった。
BS:いま言われた「いいもの」っていうのを誰が判断するんですか?
「正々堂々とGマークに対してもの申そう」
写真右:USED G MARK展案内状KN:売り場ですよ。
BS:なるほど。お客さんが判断するってことですか?それは名古屋喫茶店時代の経験が生きているのかもしれませんね。
KN:そうかも知れない。だけど、お客さんが判断するというよりも、売り場そのもの、売り方が大切。仕組みというか、システムですね。いいデザインに対し て「○○賞」を与えればそれでいいということではなくて、「それをどう売るか」「いいものをどう広めていくか」に頭使うべきですよ。一番いい例が「グッド デザイン賞」かも知れないけれど。。。
KN:そう。よく言われるんだけど、「なんだかんだ言っても、結局Gマークとったらいろいろなところで取扱われるし、やっぱりよく売れるんじゃないの?」って。残念だけどこれは違いますよ。G マーク取った企業は「Gマーク受賞商品!」なんて広告を打って。そうやって広めていくんですよ。つまり、Gマークそのものにはいいデザインを広める役割が 無いってことでしょう、結局広告に依存している訳だから。。。そういうこととか、、、、いろいろ腹が立って発言してたんだけど、受賞もしてないのに偉そう なこと言ってるので、エントリーしたんですよ。受賞してから、その立場から正々堂々とGマークに対してもの申そうと。一次審査、ヒアリング、二次審査と順 番にあるんですね。われわれも一次審査通った後で、審査委員長に呼び出されたんで、かなり言いたいこと言ったんですよ。「あなた達がGマーク出せば出す 程、今のシステムではゴミが増えるだけじゃないか。」「グッドデザイン賞なんかそろそろ止めた方がいいんじゃないか?こちらはDマークを計画している。」くらいまで言いましたね。・・・それで蓋を開けてみると「審査委員長特別賞」で受賞しました。
KN:そう。今ちょうどGマークに対してプレゼンテーションする機会をつくっているところで、展覧会を11月14日からやります。Gマークの過去40年間の受賞商品を洗い出して、カタログを再編成する作業です。
BS:気が遠くなりそうだ~。でも、展覧会は楽しみですね。是非思いっきりプレゼンテーションして欲しいです。
BS:ところで、ナガオカさんは日記でも自らを「デザイナー」と称されています。外から見ると、やっていることはもはや「デザイナー」ではなく、「プロデューサー」なのだと思うのですが、いかがですか。
BS:ほら、やっぱりその視点は「プロデューサー」のような気がするな~。
BS:古いもの、リサイクル。そういったものに興味を持つようになったのはいつからですか?
KN:いや、新しいものが好きなんですよ。これは本当に。
KN: 結局、PCの普及によってある程度までのデザインは誰にでもできるようになったのかも知れない。それもあって、デザイナーと言う職能がちょっと危うくなっ てるんですね。「デザイナー」っていう肩書を自分で背負いながら、押し広げていきたいんですよ。「デザイナー」っていう職能を。
「『先生、ありがとう』と言ってくれたんです。」
KN:大学で教えていたことがあるんですよ。「HTMLってなんですか?」って言ってるような僕に依頼されたのが、なんとWebの授業だったんですよ(笑)。その依頼を受けた理由は、「HTMLを教える以前に、どういうところにその仕事があるのか、その仕組みなら教えられる」と
思ったからだったんです。学生の方は、いろいろモーショングラフィックスのテクニックを教えてもらえるとかそういったことを期待していたんだと思うんです
よ、はじめは。いつまでたってもマウス触らせないんで、だんだん不安になっていくのが分かるんだけど、その不安のピークを超えた時に「先生、ありがとう」
と言ってくれたんです。嬉しかったですよ。いろんなテクニックだったら本屋にいってそういう本買えば家ででも勉強できるし、それより僕が大学で教えなきゃ
いけないことはもっと別のことだと思ったんですよ。テクニックを身に付けていざ卒業した時に「あれ?仕事がないの?」じゃダメでしょ。仕事が空から降って
くるなんてことはないんですよ。。。結局最後の授業の数時間だけしか、マウスは触らなかったな。
BS:建築学科での授業は、まだそこまでいってないかもしれない。東京の街を歩いていて自分達が感じることと大学で教えられている専門教育のギャップを、
学生の方が逆に感じているかもしれません。「教えられていることを吸収しても、仕事ないでしょ」って少し醒めて。。。これは痛切な問題かもしれませんけれ
ど。
KN:仕事が空から降ってくる時代があったからね。・・・それから、今でも日本が世界2位の国だなんて思っている人があまりに多い。
BS:まさにそうだと思います。Aの馬場さんが言ってました。「リノベーションは、仕事の源流にさかのぼっていく作業だ」って。仕事が降ってこないんだったら、その源流を建築家自身が取り戻すっていう。。。
KN:デザイナーも仕事が空から降ってくるのを待つだけでなく、その点を真剣に考えるべきですよ。デザイナーとして、そこを訴えていきたい。
かなりのファンを掴んでいる「D&DEPARTMENT
PROJECT」だが、「お客さんのリアクションは正直まだまだこれから」とナガオカ氏。半歩先を行くデザイナーは、「続ける」ことにもこだわっている。
これからどのようにこのプロジェクトが続き、そして変化していくのか。
<ナガオカケンメイ>
1965年北海道室蘭市生まれ。愛知県立半田工業高等学校建築科卒業後、上京原宿サンアドなどのデザインワークを経て喫茶店「マイルストン」を名古屋に開
業し以後4年間経営。同時に三越、東急ハンズのグラフィックデザイン等のクリエイティブ・ワークに積極的に参加。89年の朝日広告賞受賞とともに再度上
京、日本デザインセンター入社。翌年、原研哉氏と日本デザインセンター原デザイン研究室設立。グラフィックデザイナーから、グラフィックプランナーへとマ
ルチな活動へ移行すると同時にデザイン雑誌などへの連載を開始。95年日本デザインセンター退社、フリーランスとして数々のマルチな活動を経て97年、ド
ローイングアンドマニュアルを設立。同年より毎年、動くグラフィックデザインの展覧会「モーショングラフィックス展」を企画プロデュース。2000年11
月、これまでのデザインワークの集大成としてデザインリサイクルストア「D&DEPARTMENT
PROJECT」を開始。2003年5月、世界的に活躍する作り手達の声を収めたCDレーベル「VISION'D VOICE」を立ち上げ、現在に至る。