Interview

 
 
Place: New York

フィルムメーカーズ・ポートレイト:杉野希妃

Kiki Sugino
アートカテゴリ:  Film

ボーダーレス 。その言葉が映画『歓待』で知られる女優、そして映画プロデューサー杉野希妃にぴったりだ。彼女は仕事上の垣根だけでなく、国や国籍、性別まで越えようする。例えば、ニューヨーク韓人映画祭(KAFFNY)で上映される詩的な彼女の初プロデュース映画『マジック&ロス』では、マレーシア人映画監督リム・カーワイ、韓国人俳優キム・コッピとヤン・イクチュン、そして香港の映画スタッフらと、まさに境界を越えた作品を作り上げた。現在アジア映画のミューズと呼ばれている彼女、境界線を越えたい想いは映画への情熱からだ、と言う。彼女の過去、今彼女の中にある想い、そしてまだ見ぬ未来全てが1つに繋がり杉野希妃はここに存在している。

 

“特に行って数ヶ月くらいは自分の存在が浮いたように感じるじゃないですか。そこから徐々にアイデンティティが溶け始めるという感じはありましたね”

 

杉野さんは広島ご出身ですよね。はい、そうです。

子供時代はどういった環境にいて、どのように過ごされていたんですか?私が育った場所は広島市内に限りなく近いんですが、山が多いところでした。田舎とも言えるんですが、15分とか20分車を走らせれば市内にも行けるという、区別しにくいところでした。祖父の家が実家近くの山の中にあったので、そこで祖父と探検をしたり、秘密基地作ったりしてましたね。そんな感じの普通の子供でした。

結構1人で過ごされた時間が多かったとか?私の母は韓国から日本にお嫁に来たんです。父親は在日韓国人なので、私は100%韓国の血を引いています。母にはプレッシャーみたいなのがものすごくあったらしいんです。1人で広島に来て、友達もいない、日本語も話せない、そんな状況でどうにか私を教育させないと、と思ったようなんです。本当に小さいときは遊んでた記憶があるんですが、それでも塾に行かされてましたね。特に小学校4年生からの3年間は全く遊んだ覚えがありません。家と塾監禁状態で、私はそれにかなり恨みを持ってるというか、本当にあの状況をどうやって抜け出すか、どうやったら母から自由になれるのかということをあの3年間ずっと考えて暮らしてました。地獄のような日々でしたね。

 

その後大学時代に韓国に行かれるわけなんですが、韓国に行かれてすぐはアイデンティティについて考えることがあったかと思います。韓国に行くまで自分の中に溜っていた感情がありました。私は小さい頃から、日本人でもあり韓国人でもあるということをポジティブに捉えるように、という教育を受けて生きてきて、韓国には1年に1回くらい行くことはあるけれども、まず韓国語が話せないという現実がありました。でもやっぱりわたしは韓国映画が好きで、いつか韓国映画に出たいと思っていました。でも同じ血が流れているにも関わらず、彼らが話している言葉を理解出来ないというフラストレーションを抱えていました。大抵の人は大学3年生が終わる頃には就職活動するじゃないですか、でもわたしは全くその気がありませんでした。自分がある企業で働き、そこへ定刻に行き、定刻に帰るということが全く想像出来なかったんです。そこでそんな悶々とした気持ちを止めるために韓国留学に1歩踏み出したんですが、いざ韓国に行くと、今までポジティブに考えてきたものが崩されてしまいました。というのもやはりある程度韓国語を話せたとしても、韓国で生まれ育った人たちのようには話せない、韓国の文化や歴史を自分の中に完全に染み込ませることも不可能なんです。そこで初めて私って何なんだろうって考えましたね。日本にいるときはそういったことをほとんど考えたりしませんでしたが、そこでやっと突きつけられました。あのときに自分のアイデンティティが揺れ動いたので、今考えるとやっぱり韓国に行って良かったと思います。

 

外国に行くと、行って間もないときは自分のアイデンティティというものが強い妨げにもなると思うんですが、しばらくするとそれが空気の中に染み込んでいくというか、自分が何人であるということをあまり考えなくなりますよね。そうなんです。特に行って数ヶ月くらいは自分の存在が浮いたように感じるじゃないですか。そこから徐々にアイデンティティが溶け始めるという感じはありましたね。

演技もしくは映画というものに興味を持たれた一番初めの思い出は?演技はですね、中学校2年生のときに演劇部に入ったんですよ。そのときは演技が好きで入ったわけではなく、変わった子たちと友達になりたいと思ったんです。そのときにいろんな演劇や宝塚歌劇団のビデオなんかを観て、こんなすごい世界があるんだと思って、自分も演技をし始めるようになってはまっていきました。なので中学生と高校生の頃は宝塚に入りたかったんです。でも親には猛反対されて、とにかく大学に行きなさいと言われましたね。やっぱりまだ子供だし、いろんな世界を見る前に宝塚のような厳しく閉ざされた世界に入ると、広い視野を持てるか分からないということで、宝塚の受験も出来なかったんです。学校の先生にも、もしわたしが宝塚に受験して学校に戻って来れるのかと相談したんですが、戻って来れないと言われました…。でも今考えると宝塚に入らなくて良かったと思いますね。やっぱり宝塚って型にはまった芝居をさせられるじゃないですか。女性の視点から見た男性や女性を演じないといけない。自分の個性とはかけ離れた役を人の目を気にしながら演じなくてはいけないので、大学に行っていろんな経験が出来て良かったと思ってます。

 

“こんなに演じたい気持ちがあって、こんなにも映画が好きなのに、どうして待たないといけないんだろうって。私は役者も表現者だと思っています。彼らも自分からいろいろと発進して良いはずなんです”

 

女優になられたきっかけは?韓国留学2ヶ月目くらいで、オーディションの話を友人に聞き、それを受けたらたまたま受かったんです。映画は女の子2人のロードムービーみたいなもので、アイデンティティを探すというような内容でした。オーディションでは自己紹介、台詞を実際に読んだり、監督と会話したりといった一般的なオーディションの形式で、2人ずつ一緒に受けるものだったんですが、たまたまそのとき一緒に受けた子と相性がものすごく良くて、オーディション後に「一緒に受かると良いね」なんて言ってたら、本当に一緒に受かったんですよ。

今回ニューヨークで上映される『マジック&ロス』では主演とプロデュースをなさっていらっしゃいますが、どうしてプロデュースまでやられるようになったんでしょうか?1年の韓国留学を終え日本に2006年に戻って来て、すぐに韓国人の映画監督の紹介で日本の芸能事務所に入り、役者として活動していたんですが、そのときにすごく感じたのが、日本にしても韓国にしても役者って受身な仕事なんだなということでした。もしかしたらアメリカでは違うかもしれません。自分の意志でたくさんオーディション受けて、監督に会って、自分で役をもぎ取っていくというイメージがあります。日本ではオーディション情報が来たら、それを受けに行って、役へのオファーが来たらそれを受けるか受けないか考えるという、基本的に待ちの状態が性に合わないと思ったんです。こんなに演じたい気持ちがあって、こんなにも映画が好きなのに、どうして待たないといけないんだろうって。私は役者も表現者だと思っています。彼らも自分からいろいろと発進して良いはずなんです。私が本当に運が良かったのは、映画プロデューサーの小野光輔さんを通じてマレーシア人映画監督のヤスミン・アフマドに出会えたことでした。小野さんにヤスミンが日本とマレーシアの合作映画を企画していると聞きました。私はその1年前の東京国際映画祭で彼女の作品を観ていたので、もし彼女が本当に日本で作品を作るのであれば、私も是非参加させて下さいとお願いしたところ、小野さんが「だったら一緒にやってみる?」と言ってくれたのがきっかけでプロデュースに1歩踏み出すことが出来たんです。ところが、ヤスミンは撮影が始まる3ヶ月前に脳卒中で亡くなってしまいました。キャスティングや出資もほぼ決まり、全ての準備が整いつつあったときにそういうことがあったので、ショックというか言葉では言い表せないくらいの気持ちでした。私にとってヤスミンの存在は、今後彼女だったらどうするだろうと考えながら映画制作していくんじゃないかと思えるくらい大きいです。

 

では『マジック&ロス』のプロデュースはどういった経緯で?『マジック&ロス』の監督のリム・カーワイとは、一緒に仕事する話もずっとしてたんですが、ジャック・ロジエの『オルエットの方へ』を一緒に観に行った後で、エリック・ロメールの作品のように、フランスにはたくさんあるヴァカンス映画がアジアにはあまりない、という話で盛り上がったんです。そして「じゃあ私たちがアジアのヴァカンス映画作れば良いんじゃない?私以外に韓国の女優やマレーシアの女優なんか組み合わせて作ったら面白いかもね」と言って始まったのがきっかけですね。なので、元々はフランス映画的なものから影響は受けているんですが、とても奇妙な映画になりました。

『マジック&ロス』のベースになった物語などはあるんですか?監督と実際に映画を作ろうという話をしたときに、場所はどこにしようという話になったんです。その際に監督が香港国際映画祭で彼の作品の上映があり、その帰りに寄ったランタオ島にあるムイウォというリゾート地がものすごく面白いという情報を教えてくれて、写真も送ってくれたんですけど、ただならぬ雰囲気を感じました。あの場所には外国のアーティトが多く住んでいるらしく、一方で自殺をしに来る人も結構いるらしいんです。ムイウォに住んでるアーティストの中に監督が知っているフランス人女性作家がいて、彼女が書いた、ムイウォで不思議な体験をする女性2人の奇妙な関係を描いた物語をベースに映画を作ったら面白いんじゃないかと思いました。

 

映画で使われている音がムイウォ独特の不思議な雰囲気にとても合ってましたよね。そうですね、準備段階で音が重要な役割を担う作品になると思っていたので、まず撮影期間中ムイウォでは野外録音をたくさん行いました。撮影後の編集制作の際には、そこでとった海や山などの自然の音を使って豊かに表現する事が出来ました。そういった音響効果、幅広い音楽のジャンル、サウンドデザインをミックスする事によって、全体的な音の構図が音楽的になったと思います。また、様々な音が入り組むことで、この映画が持っている無国籍な雰囲気に新たな次元を加えてくれました。サウンドデザイナーそして作曲家であるジョー・ケイタはニューヨークでフリーランスで仕事をしていて、『マジック&ロス』で初めてコラボレーションしました。彼は音楽やサウンドデザインを音一つとして考えていて、わたし自身彼のその境界を作らないという考えに共感しているので、企画中の新しい作品も彼とコラボレーションする予定です。

 

“人間ってやっぱり完璧に理解し合うことって出来ないじゃないですか、親でも兄弟でも。ましてや話す言語の違う人たちと分かり合うことは相当難しいと実感しましたが、それを超えて共有できるものがあったと思うんです”

 

プロデュースと主演を同時にやられてみてどうでしたか?いや~、大変でしたよ。今まで関わった作品は全部大変でしたけど、『マジック&ロス』は特に大変でしたね。監督がマレーシア人、役者が韓国人、作家がフランス人で、スタッフが香港人という国際的な環境でやっていたので、共通言語がないんですよ。通訳もいなかったので、例えば監督が言ったことを、私が韓国語で役者に伝えて、監督がカメラマンに広東語で伝えてといった状況だったので、誤解もありました。あるとき、カメラマンと監督が口論していたんです。私はプロデューサーとして現場をまとめる必要があるので、口論の理由を知らなくてはいけないと思ったんですが、彼らは全然教えてくれなかったので、私は1人であたふたしていた、ということがありました。

では実際のところ、プロデューサー、主演、通訳だったんですね。そうですね。『マジック&ロス』は本当に勉強になった現場で、人間ってやっぱり完璧に理解し合うことって出来ないじゃないですか、親でも兄弟でも。ましてや話す言語の違う人たちと分かり合うことは相当難しいと実感しましたが、それを超えて共有できるものがあったと思うんです。

 

“国とかいろんなものをどんどん越えて行きたいんですよ。これは無謀な願いかもしれないんですが、世界各国と合作映画を作っていきたいですね”

 

プロデュース第2作目の『歓待』が『マジック&ロス』よりも先に海外で話題を呼び、その後『大阪のうさぎたち』『避けられる事』とプロデュースなされたんですが、今改めて過去を振り返ってみて、杉野さんが今興味のある共通のこととは?一貫してボーダーを越えるというのは私のテーマだと思います。例えばそれは国籍でもあり、性別でもあります。それらは自分自身が抱えている問題とも繋がっていて、私は映画を通して自分とは違う国籍や文化を持つ人と繋がりたいという思いが非常に強い気がします。『マジック&ロス』では、性別というものを超えたいという気持ちが私たちにあったんだと思いますし、『大阪のうさぎたち』は韓国人の男性と日本人の女性が世界最後の日をどうやって過ごすかという物語でした。国とかいろんなものをどんどん越えて行きたいんですよ。これは無謀な願いかもしれないんですが、世界各国と合作映画を作っていきたいですね。

 

プロデュースもやり役者もやり、役者だけでやっていればやらなくていいこともいろいろあるかと思うんですが、あまりにもたくさんのことを抱え過ぎて、時々自分を放っておきたくなりませんか?鋭いところ付きますね。あるかもしれないですね、でもあるかもしれないけど、プロデュースをすることによって、今いろんな個性的な人たちと出会うことが出来ていますし、役者をやっているだけでは見えない世界も見えてる気がするんですよ。もちろんプロデュースをすることって大変で、あれもこれもやらなきゃいけない、宣伝まで考えなきゃいけない。ですけど、私は全てが演技に繋がってるとも思ってるんです。それに役者をやっているからこそ、他のプロデューサーが目が向かないところにも目を向かせることも可能ではないかと思います。全部中途半端にならないと良いんですけど。でも何よりもまず映画が好きなので、その気持ちが私のエネルギーになっています。

おそらく今までは1つのことに集中して、そこで結果を出すというのが美徳だったと思うんですが、世界の変化に伴いそういった概念も変わってきてますよね。そう言っていただけると救われた気持ちになります。インタビューでよく「二足のわらじ」って言われるんです。でも私その言葉が大嫌いなんです。映画が好きで全部繋がってるからこそやってるんです。

 

“何と言うか、今だけではなく常に恐怖感があって生きている気がします。きっと恐怖感がないと映画って作れないんじゃないでしょうか”

 

杉野さんは今流れに乗ってらっしゃると思うんですが、流れに乗ることってとてもエキサイティングだけれど、怖くもあると思うんです。今怖いこととは?常に怖い気持ちはありますね。映画を作るということは自分を犠牲にしなくてはいけないわけじゃないですか。『歓待』は結構人気がありましたし、たくさん海外の映画祭にも招待されました、それでもいつ自分へ利益が入るか分からない。出資者にまずお金を返す必要があります、その責任感がないと映画って作れないと思うんです。自分の経済面や精神面や肉体面を犠牲にしながら仕事をしているので、この状況がいつまで続くんだろうという恐怖感はありますね。俳優としても自分は本当にこの仕事に向いているのかとか、それはちょっと言い過ぎかもしれないですけど、素晴らしい演技を映画で観たときに、自分はいつこの人の域に達することが出来るんだろうという恐怖感もありますね。何と言うか、今だけではなく常に恐怖感があって生きている気がします。きっと恐怖感がないと映画って作れないんじゃないでしょうか。

映画以外ではどんなものに影響を受けてらっしゃいますか?映画以外ですか?私映画狂いなんで、何だろう…。音楽も好きですし、絵画も好きですし…。美術館に行くのは好きですね。美術館と図書館は大好きな場所です。

じゃあかなり文系なんですね。違うんです!私理系なんです。国語が本当に苦手で、テストでも国語が一番成績が悪かったんです。この登場人物の心情は、と聞かれても、そんなの人それぞれ捉え方違う、と思っちゃうんです。逆に数学が一番得意だったんです。理系全然興味が無いのに、考え方が理系だから、進路どうしよう、理系で入れるところどこだろうって考えて経済学部に入ったんです。自分が文系だったら、哲学とか勉強したかったんですけど、悲しいことにそうじゃなかったんです。

それは意外です!日本って学校で哲学を学ぶ機会ってほとんどないじゃないですか。やっと今になって哲学の本なんかを読み始めました。なので、今興味があるのは哲学です。

誰の哲学が杉野さんに一番合ってますか?西田幾多郎とか。フロイトとかも面白いですね。でももっといろんなもの読まないと、どの哲学が自分に合っているのか今のところはまだ分からないですね。

今気になる映画制作者は?どうしよう、すごくたくさんいるんですけど。ファティ・アキンは大好きですね。彼トルコ系ドイツ人ですよね。彼の作品ってすごく共感出来るんです。彼が自分のことをトルコ人と思っているのかドイツ人と思っているのか分からないですけど、彼の作品は常に気になりますね。今回カンヌに行ったときに、彼を拝見出来て嬉しかったです。

彼の作品のテーマもアイデンティティだったりしますよね。そうですね。やっぱりトルコが恋しいんでしょうか。郷愁みたいなものを感じますね。 一番好きな女優はイザベル・ユペールなので、彼女といつか共演するのが夢です。

 

text by 岡本太陽

2012年ニューヨーク韓人映画祭は6月5日より開催

“マジック&ロス”

監督:リム・カーワイ

製作:杉野希妃

キャスト:杉野希妃、キム・コッピ、ヤン・イクチュン