2013年02月03日

石橋女流のマイナビ女子オープン対局ボイコットに関して

水曜日の日の出テレビ「政治の時間」に森内名人が出演した。もちろん観たのだけれど、冒頭で「どうぶつしょうぎ」が扱われたので、以後、僕は一切のコメントを控えていた。途中、LPSAのマイナビ女子オープンボイコットの件がタイムラインに記載されたときは「あぁ、これはまずいなぁ」と思ったけれど、仕方がない。キャスター、サブキャスターは将棋を「指す」ことも、「対局」であることも知らない、将棋のドシロウトである。余計な知恵を横から授けても意味がないし、生放送だから、放送事故級のできごとが進行していても、どうしようもないのである。

結局、当事者であるキャスター、サブキャスターの二人は、いったい何が起きたのかもわからないうちに放送は終了した。

運が悪かったのは、この放送の前日に将棋界ではめったにないような大きなトラブルが発生していたことで、この点は日の出テレビにとって気の毒だったとしか言いようがない。せめて、事前に僕に相談があれば「こういうことは気をつけたほうが良い」とレクチャーすることもできたのだが、日の出テレビのキャスト、スタッフたちは僕が将棋について非常に詳しい人間のひとりであることすら知らなかったのだと思う。どうぶつしょうぎの話があっても、僕に言及することがなかったことからも、それは推測できる。

さて、日の出テレビを巻き込んだ将棋界の一大事、石橋女流のマイナビ女子オープンボイコット事件について、僕なりの見解を書いておきたい。


実は、僕は将棋ネタ、特に女流ネタは意識してこのブログに書かないことにしていた。というのは、北尾女流が以前、「分裂した女流の再合流が果たせなくなるようなことはしないで欲しい」と言っていたからだ。しかし、北尾女流の旦那さんの片上六段がブログで言及していたので、それなら良いかな、と思って書くことにした。


まず、最初に大前提として、今回の件を抜きにして書いておきたいことは、「連盟も、LPSAも、組織の質としては大差がない」ということである。僕は棋士にも、またLPSAの女流棋士にも知り合いがいるけれど、彼ら一人ひとりはとても良い人達だが、組織としてはいただけない。正確には将棋連盟については一緒に仕事をしたことがないのだが、内部の人間の発言を仄聞する限りにおいては「なんだかなー」という感じである。では、そこからスピンアウトしたLPSAはどうなのか、ということになるのだが、こちらもイマイチの組織で、僕としては、二度と一緒に仕事をしたくないと思っている。所詮は世間知らずのお嬢さんたちの“ゴッコ”というのが、僕の率直な感想である。たとえば組織の長が契約相手に対して、契約書の印鑑について「誰が押したのかわからない。私は知らない」などと述べるにいたっては、「あぁ、これはダメだ」という感じである。当初、将棋連盟というイケてない組織から飛び出したのだから、きっとイケている人たちなんだろうな、と思っていたのだけれど、それは誤解で、どっちもどっちだったわけだ。僕の会社もLPSAが独立した当初は熱心にサポートしたものだけれど、その関係は長く続くことはなかった。

LPSAと仕事をしてみて強く感じたのは、何かを作っていくという姿勢ではなく、「自分たちは一定のステータスを持っているので、それを利用させてあげる」といった、権威主義的、高圧的、もっとわかりやすく言うなら、上から目線体質である。ビジネスパートナーとしては「?」という発言が多く、しかも契約済みの案件について一方的に見直しを要求したり、社会的な常識を全く理解していない人たちだった。その件をLPSAに非常に近いところにいる弁護士に述べたところ、「私たちに見せている顔とは全く別だ」という感想を述べていた。つまり、相手を見て態度を変える人たちなのである。


さて、そういった団体であるLPSAと、詳細はわからないけれど、あんまりイケてないんだろうな、という団体である将棋連盟がまた衝突した。全体の流れはこの記事がわかりやすい。

女流将棋界で対局ボイコット騒動 プロ資格巡り対立
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51159360Q3A130C1000000/

簡単にいえば、LPSAが自前のプロ棋士を作ったら、「そうですか、でも、連盟のプロとは違いますよ」と言われて大もめになって、最終的にLPSAの女流棋士による対局のボイコットという最悪の結末に至った、ということである。


将棋連盟には将棋連盟の「女流プロ」の規定がある。一方で、LPSAは独自に「女流プロ」の規定を設置した。いわば、「将棋連盟女流プロ」と、「LPSA女流プロ」が存在する状況である。話がさらにややこしくなるのは、これに加えて「将棋プロ」が存在することである。これは男女の区別なく日本将棋連盟が規定しているものだが、その基準をクリアした女性はこれまで一人もいない。女流プロとは、一般の「プロ」の基準を満たすことが出来ない女性のために特例的に作られた制度なのだ。結果的に女性の「将棋プロ」はいないのだが、これは制度上何か差別があるわけではなく、単に女流が弱いからで、将棋プロからすれば、「女流は実力がなくてもプロになれる特権階級者」という考え方がある。

そもそも、将棋連盟という組織は実質的には将棋指しの事業協同組合的な色彩が濃い団体で、新聞社を中心としたスポンサーから得られたお金を再分配するのが主要な役割だ。当然、再分配先となる事業者、すなわちプロの将棋指しは少ない方が良い。一度プロとなってしまえば一定の既得権を持つことになるので、全く給料を支払わないわけにもいかない。既得権は、一度与えたら引き剥がすのに物凄く大きな労力を要するから、ハードルは高くなる。また、メインのスポンサーである新聞社は将来性がなく、徐々に衰退していく産業である。さらに、コンピューターソフトの棋力が格段にアップし、すでにトップアマチュアでは歯がたたないくらいになっている。表では「まだプロの方が強い」ということになっているが、非公式にはプロでも将棋ソフトにボロボロ負けているし、将棋の中継を担当するプロ棋士が横にPCを置いて、ソフトに候補手を表示させてコメントしている現場も見てきている。つい先日、渡辺明竜王と羽生善治三冠という、将棋界を代表する棋士同士の対局で7七銀という手が指されたのだが、この手の善悪を一番最初に判定したのはPCソフトだったようだ。

お金も減り、強さにも絶対的なものがなくなり、将棋指しを取り巻く状況は、明るいものが少ない。


そんな中で、将棋連盟、LPSA、マイナビの三者で主催する将棋大会「マイナビ女子オープン」において、将棋連盟とLPSAが衝突した。LPSAの立場もわからなくはない。自分たちの「LPSAプロ」が将棋連盟から「何の意味もありません。将棋連盟のプロを名乗りたければ、将棋連盟の規定をクリアして下さい」とされた場合、LPSAは将棋連盟の規定をクリアするための私塾のようなものになってしまう。しかし、一方で、将棋連盟の「LPSAのプロは、私たちに取れば何の価値もない」という立場も当たり前だ。将棋連盟には独自の規定があるのに、LPSAが勝手に自己基準で将棋連盟女流プロを量産してしまえば、将棋連盟の女子プロの立場がなくなるし、上述のように少ないパイをわけるための事業協同組合だから、組合員たちはへそを曲げる。

話の筋としては、「将棋連盟女流プロ」と「LPSA女流プロ」という名称をそれぞれが勝手に使えば良いだけのことなのだが、世間的には将棋連盟女流プロはイコール女流プロなので、LPSA的には自分たちだけがマイナーな資格を設定しているように見えてしまうのが困るのかも知れない。

しかし、残念ながら、LPSAは、やはり将棋連盟とは対等にはなり得ない。規模も、組織力も、歴史も違うのだ。その場合、採るべきスタンスは2つで、子会社のような立場で将棋連盟の土俵を借りていくか、あるいは独自の組織として全く別の道を歩むか、である。ところが、今のLPSAは、将棋連盟の土俵を借りつつ、将棋連盟に喧嘩を売っている。これが成立しないのは、一般社会では当たり前である。ところが、一部の将棋指しにとってはどうやら当たり前ではないらしい。実力があれば相手に規模や組織力や歴史があっても、ひっくり返すことができると思っているのかも知れない。しかし、残念ながら、一般社会と、勝負の世界は違うのである。勝てば官軍ではない。一方的な勝利もありえず、様々な交渉の後にお互いに譲歩し合い、結果として双方が利益を得る、そういう世界だ。多分、そういうことがLPSAにはわからないのだろう(実際は、LPSAだけではなく、将棋連盟もわかっていないんだと思うのだが、将棋連盟のほうが立場が強いので、顕在化していない)。


どっちもどっちの部分もあるとは思うのだが、そこは弱小団体、LPSAが我慢しなくてはならないところもあれば、譲らなくてはならないところも多々あるはずで、LPSAとしては、そうした中で少しずつ小さな闘いでの勝利を積み重ね、徐々に組織を強くしていかなくてはならないはずだった。しかし、交渉での一方的な勝利を目指し、負ければ「私たちはこんなに不利な戦いを強いられています」と訴え、「法人としては、将棋連盟とLPSAは同格」と主張してきたのがLPSAだと思う。個人的には「それはちょっと違うよな」と思い続けてきたのだが、その上での今回のボイコットである。これはこれまでのLPSAの作戦の中で最も稚拙なものだったと思う。


将棋の棋士というのは、ほとんど全ての学者と一緒で、基本的に自分の好きなことをやっている人たちである。彼らは、基本的に何も生産しないし産業に寄与することもない。それでも暮らしていけるのは、学者なら税金から給与が支払われるし、将棋の棋士ならスポンサーがお金を出してくれるからである。スポンサーがなぜお金を出すかといえば、スポンサーの背後に将棋ファンを含めた一般消費者がいるからであって、学者も将棋指しも、間接的とはいえ、一般の生活者の理解やサポートがなければ食べていけない立場なのだ。将棋指しの場合、食べていくためには将棋ファンからお金をいただくか、スポンサーからお金をいただくぐらいしか手段がないのだから、将棋ファンやスポンサーは、一番頭が上がらない人たちなのである。ところが、今回の対局ボイコットは、将棋ファンとスポンサーに後ろ足で砂をかけるような行為だった。

交渉が思うに任せず、来年からの三者開催が難しくなったとしても、今回の大会はそれとは無関係だ。しかし、そこを同一視し、セッティングされた対局を放棄し、スポンサーに迷惑をかけ、何より、対局を楽しみにしていた将棋ファンを失望させた。本来なら、まずは里見女流四冠、鈴木環那女流二段を連破し、上田初美女王に挑戦することを目指すべきだったはずだ。来季の話は、そのあとのことである。しかし、LPSAは、交渉のためのツールとして対局を利用してしまった。これはファンの無視に他ならない。結局、根源的な意識として「私たちは選ばれた存在」というものがあるのではないかと感じてしまう。推測はさておき、LPSAは対局をボイコットしてしまった。


日経新聞の記事に戻ってみる。記事の最後では、「特例的なプロとして認定すべし」などという、日本人的な解決方法が提示されているが、これは得策ではないと思う。こういう「特例」は安易に持ち出すべきではない。では、どうしたら良いのか?例えば、すでに女流棋士よりも強いソフトがあるので、「公開された場で連盟が指定したソフトと対戦し、一定の成績以上(例えば、ソフトでプロ初段のレベルと5回対局して勝ち越し)した場合にプロとして認定する」といった仕組みを作ってしまうということが考えられる。上に述べたように、将棋連盟は事業協同組合色が濃い団体だから、この条件での合意は難しいと予想されるけれど、「LPSAが独自に決めたプロを将棋連盟でも認めろ」というやり方よりはずっと通りが良いし、合理性もある。何しろ、今のLPSAの主張は無理筋過ぎる。これは話が女子プロだからわかりにくいが、わかりやすく書くなら「LPSAが将棋のプロ(女子ではない)の基準を決めて、独自に認定するので、それを将棋連盟も認めて欲しい」と主張しているのと同じなのである。


これまで、LPSAの問題はLPSA対米長会長という対立構図で語られることが多かった。そして、その片方の主役だった米長会長ががんで亡くなった。さて、LPSAと将棋連盟はこれからどうなっていくのだろう、と注目していた矢先の今回のボイコット事件である。いくらLPSAが世間ずれしている組織とはいえ、対局をボイコットすることの重さは重々に承知しているはずで、逆に言えば、それだけ追い込まれているということだろう。抜いてはならない刀を抜いてしまった、抜かざるを得なくなった、と考えるのが妥当だと思う。この判断に至った理由を普通の起業家という立場から推測するなら、「極端な資金の困窮」「人心掌握が困難になり組織が分裂の危機にある」ぐらいしか考えられない。

とまれ、今回のボイコットで、どういう形であれ、多くの棋士が考えていた連盟女流とLPSA女流の再合流という幕切れは一層難しくなったと言えるだろう。LPSAの問題は、そろそろクライマックスが近いのかも知れない。

それにしても、一緒に話をしたことのある中倉姉妹や島井女流、松尾女流といったLPSA所属の女流棋士達が「対局ボイコットもやむなし」という意識であるとは、個人的には思えない。LPSAは、本当に組織として機能しているのだろうかと疑問に思う。将棋連盟から独立した彼女たちは、本当にこういう立ち位置を望んでいたのだろうか?

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/buu2/51381619