人間は、お乳をいただいて生きる赤ちゃん時代には、みな普通にオッパイを飲んでしまえる。
それが、お乳が必須ではない世代になると、つまり大人になると、牛乳や乳製品を飲食するたんびに、おなかがゴロゴロゆるくなったり、ガス(おなら)も多めになったりする「場合」がある。
みんながみんなじゃない、そこがツボ。
ミルクでおなかゴロゴロになる体質、これは乳糖不耐と呼ばれる。
牛乳や乳製品で、おなかがゴロゴロする人と、全然そんなこたない気にならない人。
これは「体質」の差であって、どっちかがビョーキというわけではない。
単に、ひとえまぶたか、ふたえまぶたか、くらいのカラダの差であって。
おなかがゴロゴロになるかならないか、この違いは、その人の体に、
大人になってもラクターゼをこしらえつづける遺伝子があるかないか
で決まってくる。
※ ラクターゼ=乳糖分解酵素 ラクトーゼと表記することもある
※ ラクターゼ遺伝子(LCT)はヒトゲノムの第二番染色体にある
「乳糖」は、お乳に含まれる重要な栄養成分です。
乳糖はラクターゼ(乳糖分解酵素)がないとうまく消化できません。
ラクターゼ(乳糖分解酵素)が元気に働いていて、ちゃんとお乳の乳糖を分解できる体質の人は、おなかゴロゴロにならないのです。
さて、この遺伝子を持つ人の割合は、人種や地方によってかなりの差がございます。
※ ネイティブアメリカン、アジア人、黒人の9割は乳糖酵素不全(乳糖不耐症)。
p.366~ジョン・エンタイン著
「黒人アスリートはなぜ強いのか その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る」
創元社 2003/03 (原書2000/TABOO)
※ 乳糖不耐は、アメリカ白人で8%、日本人は85%。
p.243訳注より 弓場隆訳 「医者が患者をだますとき」
ロバート・メンデルソン著 草思社 1999/02
(原書1979/Confession of a Medical Heretic)
白人では、おなかゴロゴロにみまわれる人の割合はごく少ないと。
乳糖不耐(ラクターゼ生産遺伝子の有無)の割合が、人種や地方によってかなりの差があるのはなぜか。
これを説明するのによく使われるのが、「乳食淘汰」説。
サラ・ブラファー・ハーディー著『マザー・ネイチャー 「母親」はいかにヒトを進化させたか 上』 早川書房 2005/05(原書1999)
p.156
幼児期を過ぎてもラクターゼの合成を促進する遺伝子は、離乳後も長く乳を食料とする集団で広まって、そうでない集団では消えていった。この間、わずか一万年である。中央アフリカのバントゥー族のような農耕集団では、成人の2%以下しかラクトースの消化能力の検査で陽性反応を示さないし、クン・サン族にいたってはゼロである。対照的に、ルワンダやコンゴのツチ族(全員が乳を主要な食料とする牧畜民の子孫である)のあいだでは、90%から100%が乳糖の消化能力を生涯保持している。
おおっ、スゴい差だ。
この差異の大きさから、
・牧畜をしない文化の民族より、牧畜の民のほうが乳糖耐性が高い
・ミルクを摂取する文化圏では、おなかゴロゴロの体質は栄養的に不利で、淘汰されることになる
という説が提唱された。
しかし。
この手の
・牧畜をしない文化圏より牧畜民のほうが乳糖耐性が高い
・ミルクを摂取する文化圏ではおなかゴロゴロの人は不利
という話は、
もしかしたらガセ。
...以下つづき...
マーヴィン・ハリス著 「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」 鈴木洋一訳 早川書房 1990(原書1977)
p.230-231 大意:
ミルク食が基本ではない中国の7割以上の大人は、乳糖不耐でミルクを飲むとお腹ゴロゴロになる体質。
しかし、インドの各民族も、3割から100%の人びとがやはり乳糖不耐だし、そも、欧米人以外の、ほとんどの人間集団は乳糖不耐なのだ。
さらに、乳糖不耐の不快な症状は、牛乳を飲む量を少なくするとか、牛乳をヨーグルトやチーズ(ラクトースが分解された状態)にすれば、無問題。言い換えれば、乳糖不耐は、アメリカ人並みに大量の牛乳を飲む場合だけに問題になるのであって、「乳糖不耐が多いからミルクを摂取しない」説だけでは、中国文化にバター、サワークリーム、チーズ、ヨーグルトなどが欠如している理由は説明できないじゃないか。
さらに言えば、モンゴルなどの東ユーラシア地域は、牧畜文化圏なのに、乳糖不耐のおなかゴロゴロ割合が高い(9割がゴロゴロ派)のです。(ちなみに、日本人も9割ゴロゴロです)
発酵させたバター茶やチーズをたくさんお採りになるこの人たちの、9割が乳糖不耐! 発酵乳製品なら、おなかゴロゴロせずにふつうに食えますからね。
さあ。中国料理にミルク食がまったく欠如している理由は、乳糖不耐症だけでは説明できないわけで、これはまた別途に探るべき謎なのかも。
面白いことに、太平洋南部のアボリジニさんたちは、牧畜には全く無縁な暮らしなのに、モンゴルより高い乳糖耐性をお持ちだったりします。(p.197~『DNAから見た日本人』)
オーストラリアは、ウシやヤギなどの有蹄類牧畜どころじゃない、有袋類ワンダーランドなんですもんねぇ。
p.198 斎藤成也著『DNAから見た日本人』 筑摩書房 2005/03
このような世界的なパターンからすると、乳糖耐性の突然変異は自然淘汰と関係なく増減する、中立進化を受けている側面も多いように見える。
※ 各民族における乳糖不耐の割合
…拝見するに、乳糖不耐の計測や論議が流行ったのは、ひと昔前の70~80年代だったのかな。
さて、最近の展開を今一度見てみよう。
・牧畜をしない文化圏より牧畜の民のほうが乳糖耐性が高い
・ミルクを採れる文化圏ではおなかゴロゴロの人は不利
を支持するご意見はこちら。
乳糖不耐はご先祖さまが暮らした環境から
2005/06 EurekAlert Lactose intolerance linked to ancestral environment
乳糖を消化できる人々は、家畜が安全かつ効率的に生産できる地域で繁栄した。
乳糖を消化できない人々の祖先がいた場所は、家畜に致命的な悪病がある地域だったり、寒冷すぎて畜産に適さない地域だったりしているようだ。
アフリカなら眠り病などの感染症で畜産が困難な地域、アジアなら熱帯や寒帯。
文化と体質の共進化を示す素晴らしい好例ではないか。
進化医学バンザイ。
ヒトにおける乳糖耐性マイクロサテライトバリエーションの進化
2005/05 Human Genetics Microsatellite variation and evolution of human lactase persistence
DOI: 10.1007/s00439-005-1322-z
ユーラシア~北アフリカの酪農業起源共有を支持するDNA鑑定による証拠
乳糖耐性は牧畜とミルク消費で広がった
2005/04 Human Genetics Genetic evidence in support of a shared Eurasian-North African dairying origin
DOI: 10.1007/s00439-005-1266-3
ここからすると、
・乳糖不耐体質とミルク消費文化が連動していないのは、あくまで最近の文化変容のせいであって、昔々はちゃんと相関があったはず
という、(一部でよく顰蹙を買う)「昔はこうだったから」話に結局落ち着いていくわけかなー。
要因の多様性と、単純化。
多様性を切り捨てて「昔はこうだったから」話に単純化してしまうか。
中立進化も見込んで、食の要因、環境要因、世界観(文化)要因、それらの輻輳した変遷も見込んで、多様性と共進化の経緯までつまびらかにするまで保留にしておくか。
いかがいたしますか?
…え~と。
おおかたの流れは、
・もともと「大人になると乳糖不耐になるのが普通」
・一部で「大人になっても乳糖不耐にならない突然変異が現れて増えた」
という見方になっている。
しかし。
なぜ、赤子のときにあった消化能力が、大人になると消えるのか。
「不要な機能は淘汰される」と考える以前に、生きる上でプラマイべつにどうでもいい機能は、上掲『DNAから見た日本人』の意見のように「中立進化」で消えずに残るような気もする。
…無粋な話ですが、「大人になってもお乳を欲しがるのは生存に不利」というのはどう?
無粋すぎて誰もあらためて書きゃしないんだろうけど。
メスが育児に支障をきたすほど、大人の個体にオッパイねらわれまくったら、そりゃ生存に不利ですがな。
■余談その1
なお、べつだん病気でもないのに「乳糖不耐症」とビョーキのような呼称がつけられているけれど、これは乳糖不耐が少数派である白人文化圏から出てきた物言いだから、らしいです。
乳糖不耐が多数派である文化圏から出てきたら、逆におなかがゴロゴロしない人のほうを「乳糖耐性症」と異常呼ばわりしてたんじゃないかと思われ。
■余談その2
…うわ。
検索したら「乳製品を食べる前に2~3錠」つって乳糖分解酵素の錠剤市販してるサイトがあった。
錠剤を購入摂取しなきゃなんないほどの重症な状態ってあるの???
■余談その3
ん?
動物(イヌネコ)でも、成長するとミルクがうまく消化できなくなるらしいのだが、これは「遺伝子だけではない」という話があがっている。
成長すると、乳糖を分解してくれる腸内細菌が減ってしまうという話
人間においても、乳糖不耐であっても、腸内細菌の具合によってはゴロゴロせずにすむわけかな。
おお。
一定の食生活が続けば、それに即した腸内細菌バランスになっていくと。
話として理解はできるけれど、うちは飲み続けてもいまのところゴロゴロはなおんないし、上のサイトは「ミルクを売る商売」側の販促めいたお話だし、まあ、実際問題、まにうけるかどうかは、ヒトのあずかり知らない腸内細菌のごきげんまかせということで。
2009/08 Dienekes' Anthropology Blog Lactase persistence spread with Neolithic Linearbandkeramik
early Neolithic Linear Ceramic cultures ("Linearbandkeramik")
乳糖耐性は、初期新石器時代の線形陶器文化とともに伝播した
The Origins of Lactase Persistence in Europe
2009/11 EurekAlert Lactose intolerance rates may be significantly lower than previously believed
乳糖不耐症の割合は、実際はかなり低いかもしれません。
自己申告だと、乳糖不耐症率は12%
乳糖不耐を自認するアフリカ系アメリカ人は20%
ヨーロッパ系アメリカ人では8%
スペイン系アメリカ人で10%
乳糖不耐症でゴロゴロするからと言って、乳製品を避けてしまうのは損ですよ
2010/02 EurekAlert Avoiding dairy due to lactose intolerance is unnecessary in most cases
栄養豊富なんだから
石器時代のスカンジナビア人は乳糖不耐症
2010/04 EurekAlert Stone Age Scandinavians unable to digest milk
4,000年前にスカンジナビアの南海岸に居住した狩猟採集民の調査から
ヒトの体質と進化について、興味をお持ちの向きにはコチラの本がオススメ。
『ヒトは今も進化している 最新生物学でたどる「人間の一生」』
ローワン・フーパー 著
新潮社 (2006/8/17)
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