【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(33)】
1980年代、私の憧れの先輩は太地喜和子さん(故人、享年48)でした。舞台をはじめ、映画、テレビドラマとあらゆる分野で活躍。どんな役柄でも女の情念を感じさせるその演技力は、私の大きな目標だったのです。
ずっと「一度お会いして、演技の秘訣を聞いてみたい」と思ってはいましたが、なかなか共演のチャンスがありません。そこで、私は一計を案じました。当時の所属事務所の社長に頼んで、太地さんの事務所に「お話しさせていただけないか」と申し入れてもらったのです。太地さんは芸能界の格付けにとらわれず、分け隔てなく接してくれる人柄だったそうです。私の唐突な申し入れも快諾してくれて、すぐに「ちょうどオフの日があるから、自宅に来てほしい」と具体的な日時を指定してくれました。
実際にお会いしてみると、太地さんは私の想像以上に女優魂のある方でした。物腰や口調はもちろん、全人生を女優に懸けていることが後輩の私にもひしひしと伝わってきます。
「私はね、女優としてサービス精神がある限り、見てくれている人に『ああ、太地喜和子も家に帰ったら家庭があるんだろうな』と想像させてはいけないと思っているの。だから、一生結婚はしないつもりよ」(※太地さんは74年俳優の秋野太作と結婚するも短期間で離婚)——。
太地さんの言葉は今でも忘れられません。初対面の私にも本音で語ってくれたのです。その名言に聞き入るあまり、私は思わず“本題”を忘れるところでした。実は太地さんにお会いしたもう一つの理由として、太地さんの代表作「近松心中物語」のポイントを伺っておきたかったからです。当時の私は「いつか『近松——』の梅川役を演じてみたい」と思っていたのです。
ぶしつけな質問にもかかわらず、太地さんは気さくに「これから心中しようという男と女が、仲良くお手々つないで…というのも不自然でしょ。でも、これがこの世の最後なんだから、しっかりと手を握り合わなきゃおかしい。だから私は楽屋でずっと氷を握りしめて手を冷やしておいたの」と教えてくれました。
冷え切った手を握ったら、相手役の俳優もゾッとするでしょう。太地さんは隠れた努力で舞台のハイライトシーンにリアリティーをもたらしたのです。覚悟のない女優に決してできることではありません。私は感動しました。
それから数年後の92年10月13日。テレビドラマの撮影のため、羽田空港へとタクシーで移動していたときのことです。ラジオから信じられないニュースが流れました。「本日の未明、静岡県熱海市の桟橋から女優・太地喜和子さんの運転する自動車が転落。太地さんは死亡しました」と報じているではありませんか。詳しく聞くと、「唐人お吉」の熱海公演の最中の事故だった、といいます。太地さんはその生涯を最後まで女優として貫いたのでした。
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