2013年2月 4日 (月)

「希死念慮」

初めにお断りしておきます。

 

精神状態に関する「重い」話が苦手だったり不快に感じたりする方、あるいはこの手の話を読むことによって御自身の精神状態が悪い方向に引きずられる危険性のある方は、ここで回れ右して以下の文章をお読みにならないで下さい。

お読みになって気持ちが重くなったり御自身の精神状態が悪化したとしても僕には責任を取ることができませんので御了承願います。

 

また、この文章は僕の個人的な気持ちを吐き出すことを目的としていますので、「共感」や「励まし」の類をお寄せいただいても僕にとっては全く意味や価値が無く、ましてや「甘ったれるな!」といった御批判や「死ぬ気でやれば何でも出来る!」みたいな精神論を振りかざされるのは不愉快で鬱陶しいだけですので、誠に勝手ながらコメントを受け付けない設定にさせていただきます。

当然、他のエントリにこの文章に対するコメントをお寄せいただくのも御遠慮願います(申し訳ありませんが削除させていただきます)。

 

…ということをくどいくらい念押ししてから本題に入ります。

 

実家の古いアルバムの中にあるこの写真↓を見るたびに不思議と涙が出てきます。

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(少しぼかしを入れて不鮮明に加工してあります…無意味かもしれませんけれども)

 

なんて愛くるしい子だ…という自画自賛はとりあえず措くとして、この写真のこの表情を見るたびに「無邪気」という言葉が頭に浮かびます。

当時の僕を知る人からは異口同音に「天真爛漫で明るく朗らかな子だった」と言われます。

…それがどうしてこうなっちゃったかなぁ。

 

おそらくこの写真の頃は余計なことをあれこれ考えず「本気で泣いて」「本気で笑って」さえいればそれで十分だったのでしょう。

「本気で悩んで」とか「本気で生きて」みたいなことはこれっぽっちも考えずに済んでいたのだと思います。

幸せだったんだろうなぁ…と、両親や祖父母も文字通り「目に入れても痛くない」とばかりに可愛がって愛情を注いで育ててくれたんだろうなぁ…と、当時の状況を思い浮かべる(想像する)だけでなんだか無性に泣けてくるのです。

 

話せば長くなりますけれども、まぁいろいろあって物心が付く頃から徐々に性格や言動が変貌を遂げて現在に至るわけでして。

それでも根っこの部分は今でも「天真爛漫」「明るい」「朗らか」という言葉が当てはまる人間であるはずなんですけれども、経験やら知識やらその他諸々を吸収していくうちにさまざまな「捻じれ」が生じて、気が付いた時には手遅れになっていた…という残念な経緯を経て現在に至ります。

 

その最大の問題が「希死念慮」です。

もうずいぶん長いことこの縁起でもない言葉が僕にまとわりついています。

漠然とこういうことを考えるようになったのは中学に入って間もない頃でした。

具体的な根拠があったわけではありませんが、中・高・大と一貫して「オレは30歳までには死にたい」と思い続けてきました。

より正確に言うと「死にたい」というより「この世から消えたい(いなくなりたい)」という気持ちでした。

 

自分で言うのは気が引けますが(決して自慢ではなくあくまでも事実として書きます)、いわゆる東京六大学のひとつに含まれる大学を卒業して、おそらく(というか確実に)知らない人はいない大企業に就職しました。

家族を含め周囲から見たら順風満帆で前途洋々の幸せな人生を歩んでいるように思われていたはずです。

しかし、僕自身は常に「オレは30歳までには死にたい」と思い続けていました。

 

今にして思えばその原因はいくつかあって、それらが複雑に絡み合って積み重なって、年齢を重ねるに伴って徐々に修復不能な状態になってしまったわけです。

これだけのことを書いておいてその原因を伏せる(隠す)のも無意味な気がするので敢えて書くことにします。

  • 同性愛

小学生の頃は「性」や「恋愛」などの問題に無頓着でしたが、中学生になりいわゆる思春期(第二次性徴)を迎えた頃から「自分は周囲の男子と感覚や考え方が違うのではないか…」という意識が芽生えました。思春期の男子にありがちな「女性アイドルの誰がタイプ(好み)か」みたいな会話や、クラスの女子の「品評会」(“胸”がどうとか…というアレです)に全くついていけないことに違和感と不安を覚えたからです。

そして、決定的だったのが、クラスのある男子に「恋心」を抱き、体育の授業でその男子が着替えている姿を見てドキドキしたことでした。今でこそ同性愛や性同一性障害に関する正しい情報と認識がある程度普及していますが(それでもやはりこれらの問題で悩みを抱える青少年がいるわけですけれども)、当時はこの手の情報に接する機会が全くなく、したがって知識もなく、ただただ「自分は異常なんだ…」という気持ちばかりが増していきました。

誰にも相談することができずひとりで悩み続け、家族に打ち明けることなど思いも寄らず(その後、社会人になってから母と妹には伝えましたが、母からはあからさまな「拒絶反応」を示されたため、以後この話をすることは避けています)、「バレたら人生の終わりだ…」とまで思い詰めていました。余計な詮索をされるのが嫌で男子の会話に加わることを避けるようになり、そのため腹を割ってなんでも話せる親しい友達ができることもなく、とにかく卒業までうまく取り繕うことだけを考えて表面的な付き合いしかしませんでした。

これは高校と大学でも同様で、恥ずかしながら中・高・大を通じて「親友」と呼べる存在はひとりもできませんでした。卒業したらそれっきり、同窓会に参加したことは一度もありません。当然、中学時代からの友人、高校時代からの友人、大学時代からの友人、という存在もひとりもいません。

  • 不定愁訴

僕は中・高・大の頃によく原因不明の息苦しさを感じたり、首からこめかみにかけての筋肉が締め付けられるように強張ったりすることがありました。そのたびに掛かり付けの内科を受診しましたが、いつも「風邪だね」とか「扁桃腺がちょっと腫れてるね」という診断で済まされていました。

現在の主治医曰く今なら間違いなく精神科や心療内科の受診を勧められるべき症状(いわゆる心因性の「不定愁訴」)だそうです。つまり、僕は10代の頃から精神状態に何らかの問題を抱え、それが折々に「不定愁訴」となって現れていたわけです。現に今は抗鬱剤その他の薬を服用しているためこの種の「不定愁訴」はほとんど生じなくなりました。

当時はまだ心因性の症状に対する認識が医師の間でさえも確立されていなかったとのことで、掛かり付けの医師が「風邪」などと誤診したことを責めるつもりはありません。また、昨今の猫も杓子も何らかの精神疾患の病名を付けて患者を「増やす」ことに対して、主治医と僕の考えは懐疑的であるという点で一致しています。病名を増やすばかりでかえって本質を見失っているのではないか、患者側も何らかの病名を「与えられる」ことで安易に安心しているのではないか、などなど当事者のひとりとして思う所は山ほどあります。

  • 就職

就職後はこの問題がより深刻になりました。学生時代に身に付いた「とにかく人間関係(表面的な付き合い)をうまく取り繕う」という姿勢がさらに極端になり、自分で言うのもアレですが「上司や先輩から可愛がられる」、「同僚(特に女性社員)に好かれる」という思わぬ副産物を得ることになりました。

しかし、それもまたメリットだけでなくデメリットも多く、お節介な上司から「お見合い」を勧められてしどろもどろになったり、同年代の女性社員からデートに誘われて(当時「逆ナン」という言葉が流行り始めた頃でした)困惑したり…ということが何度かありました。

「お見合い」はなんだかんだと理由を作って丁重に断り続けていましたが、一度だけどうしても断り切れなくて半ば強引にセッティングされてしまったことがあって、それがまた困ったことにお相手が僕のことを気に入ってくれて、気の早い上司が「またとない結婚のチャンスだぞ」だの「仲人をやらせてくれ」だの言い出して本当に困ったことがありました。すっかり盛り上がっちゃっている上司の顔を立てつつこの話を「御縁が無かった」ことにするにはどうしたらいいか迷い抜いた挙句、お相手に僕が同性愛者であることを正直に話してお相手から上司に「この話は無かったことに…」と伝えてくれるように頼み込んだのでした。上司から「残念だけど先方が気が進まないそうで…」と告げられた時のホッとした気持ちは今でも忘れることができません。と同時に、僕のせいでこんなことに巻き込んでしまったお相手に対して本当に申し訳なく思いました。

学生時代から積もり積もった悩みに加えて、職場でこういった経験をしたことが追い打ちとなって僕の精神状態に徐々に異変が生じ始めていました。

  • 叔母の自殺

精神状態に異変が生じつつあったちょうどその時、大好きだった叔母(母の末妹)が自殺するという出来事が起きました。その数カ月前に祖父の法事で会った時は(表面上は)異変は見受けられなかっただけに文字通り「寝耳に水」の突然の出来事でした。僕だけでなく親族一同そして家族でさえ誰ひとりとして思い当たるフシが無く、また、遺書も無く、未だにどういう経緯で自殺に至ったのかが全く分かりません。

強いて推察すれば、叔母は祖父が亡くなるまで同居していて、節目の法事を終えてホッと肩の荷が下りて、と同時に疲労感や喪失感が生じて衝動的に自殺に至ったのではないか…ということくらいしか思い当たらないのです。

僕が叔母の自殺を知ったのは職場でした。当時まだ会社員だった父から初めて職場に電話があって、同僚から「お父さんから」と取り次いでもらった時に直感的に「不吉なことが起きた」と感じました。それからのことは何年経っても決して忘れることができません。すぐに上司に事情を説明して早退の許しをもらい、急いで実家の母の元に向かいました。その時は僕はもう一人暮らしを始めていましたが、とにかく母のことが心配で実家に駆け付けました。

自殺ということで葬儀はごく身内だけの密葬となり、叔母の亡骸を前に「まさか自分がこういう経験をすることになるとは…」と呆然としたことが忘れられません。それまでにも親しい人の葬儀に参列したことはありました。最初は母方の祖母で僕が小学校2年生の時でした。その後、父方の祖父、父方の伯父、母方の祖父、と死別しましたが、自殺となると受ける衝撃が桁違いです。そして、年間3万人と言われる自殺者のそれぞれの御家族や御親族が同様の経験をしているという現実が本当に辛く悲しいことだと思いました。

漠然と「オレは30歳までには死にたい」と思い続けていたけれど、実際に人ひとりが自殺するとこんなに大変なことになるのか…と身を以って実感するという、なんともいえない皮肉で不思議な巡り合わせのようなものを感じたのでした。漠然と「死にたい」と思う気持ちはその後も変わりませんでしたが、と同時に「オレが自殺したら叔母の時と同じ光景が繰り広げられるのか…」という一種の歯止めが出来てしまいました。自殺したら家族親族がこういう思いをする…ということを知ってしまったがゆえに、「死にたいけれど死ねない(同じ思いをさせたくない)」という厄介な状態になったわけです。

  • 退職

叔母の自殺を受けて、僕の精神状態はますます乱れ始めました。職場にいても自分が何のためにここにいるのか分からなくなる瞬間があったり、布団に横になったとたん叔母のことを思い出して涙を流す夜が増えたり、今にして思えばこの時点で完璧に鬱病その他の精神疾患(障害)を発症していたのだと思います。

これはいまさら後悔してもしかたのないことですが、その時点で上司に相談していれば会社の心理カウンセラーのところに連れて行ってもらえただろうな…とか、精神科の診察を受けていれば「休職」扱いとなって社会復帰の芽が摘まれることもなかったかもしれないな…とか、どうしてあの時それをしなかったのだろう…ということがたくさんあります。

しかし、残念なことに、そして、不覚にも、僕はそれをやる勇気も無ければ精神状態に起因する病気に対する知識もありませんでした。もっと言えば精神科に対する偏見と若干の恐怖心があったことも事実です。今でこそ何かあったら精神科を受診してみるという流れが当たり前のように世間でも受け止められるようになってきましたけれども、当時はまだまだ精神科の敷居が高く感じられて「普通」の人が行く所ではないという感覚が強かったのです。

そして、とうとう会社に行けなくなるという最悪の事態を迎えました。それまで張り詰めていた気持ちがプツッ!と音を立てて切れたような感覚がして体が動かなくなってしまったのです。その日は風邪でお休みということにしてごまかしましたが、その後、無理をして出勤しても全く仕事が手に付かず、何もかもがどうでもよくなってしまって仕事に対するやる気が完全に失せてしまいました。

それに加えてちょうどその頃に異動の内示を受けて頭の中が真っ白になりました。もともと環境の変化に適応するのが得意ではなく、特に異動(転勤)によって職場環境や人間関係がガラッと変わることが非常に苦手だったからです。本当は一年前から異動の話があったのですが、なんとかして異動を避けたい僕と、僕を欠いたら困るという上司の思惑が一致して、上司が掛け合って異動を延ばしてくれていたのでした。しかし、一年経ってさすがにもうこれ以上は先延ばしすることはできないということになり、異動の話が現実のものとなって突き付けられたわけです。

僕はこれが耐えられませんでした。こんな精神状態で異動してまた一から人間関係を作り仕事を覚えるなんてとても無理だと思いました。そして、結果的にこれが本当に痛恨の判断ミスであり大きな分かれ道となったわけですけれども、僕は上司に精神状態のことを相談することもせずに「異動日を以って退職したい」と申し出てしまったのでした。上司は何事かと心配して慰留してくれましたが、僕はとにかく「逃げ出したい」という一心で必死に「一身上の都合」で押し通してしまいました。

  • 精神科受診

退職後、少し休めば精神状態も元に戻るだろう…と甘く見て、転職先を探しつつ当面はアルバイトで過ごすことにしました。アルバイトであれば正社員と比べて精神的負担が格段に低いだろうと高を括っていたのです。そして、すぐにアルバイト先が決まりました。心機一転が功を奏してしばらくは精神状態がウソのように上向きになり、ほぼフルタイムそしてほぼ毎日残業という仕事を続けました。

企業での勤務経験があるだけにそこらへんはそつがないわけで、半年も経たないうちにヒラのアルバイトから契約社員に取り立ててくれることになりました。しかし、これがいけなかった。契約社員となって責任が増し、アルバイトのように勤務日(シフト)を自分で決められる自由も失われました。再び前職と同様の精神状態への揺り戻しが始まってしまいました。そして、あっという間に精神状態がにっちもさっちもいかなくなって、またしても逃げ出すように退職することになりました。

ここでさすがに「これはおかしい」と思い、勇気を出して精神科を受診することにしました。これが現在も通院している病院と主治医との出会いでした。初回は問診の後に心理検査(さまざまな質問にマークシート式で回答する)と血液検査を受け、その結果「鬱病の疑いが濃厚です」という診断を受けました。

それ以降、基本的に二週間に一度(月に2回)の診察を受け、症状の変化に伴って薬の量を増減したりいくつかの薬を組み合わせたり、その結果を見て再び組み合わせを変えたり…ということを繰り返して、効果を維持しつつ副作用が少なく僕の体質に合った薬の組み合わせを模索して現在に至ります。

  • 通院医療費公費負担制度

2003年(平成15年)、主治医の勧めで通院医療費公費負担制度(Wikipedia参照)の適用を受けるための申請をしました。精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(いわゆる「精神保健福祉法」)の第32条に定められた制度でした。

区役所(保健所)に申請書類一式に主治医の診断書を添えて提出しました。

  • 自立支援医療(精神通院医療)

上記の制度が2006年(平成18年)から障害者自立支援法に基づく自立支援医療(精神通院医療)(Wikipedia参照)に変更されて現在に至ります。申請手続きは「精神保健福祉法」第32条の時とほぼ同じで、区役所(保健所)に申請書類一式と主治医の診断書を添えて提出します。1年ごとの更新手続きが必要で、現在は2年ごと(1年おき)に主治医の診断書を提出する必要があります(制度が始まった当時は診断書を毎年提出する必要がありましたが、その後、2年ごとに改められました)。

僕は昨年は診断書が不要だったので今年は診断書が必要になります。

 

…ということを改めて振り返ってみて、初めて通院医療費公費負担制度の申請をしてから今年で10年目になることが判かって愕然としました。

もうそんなに経つのか…と、いつまでこの状態が続くんだろう…と、非常に複雑な気持ちです。

 

上述の通り僕は「オレは30歳までには死にたい」と思い続けてきました。

実際に30歳を迎えた時は「しまった!」と思いました(生き長らえてしまったではないか…という意味です)。

その後、これまた具体的な根拠があるわけではなく漠然と「35歳までには死にたい!」と思うようになりました。

30歳の「失敗」を繰り返さないように、かなり具体的に、そして綿密に「計画」を立てたこともありました。

「あれとこれは実家に預けて…」とか「これは事前に自分で解約して…」という具合に「身辺整理リスト」を作って、僕の「死後」にできるだけ家族に各種手続きなどの負担を掛けることのないよう考えました。

 

時にはそれをやりながら「死ぬのも簡単じゃないなぁ…」とウンザリしてバカバカしくなって気が紛れたり、時にはかなり真剣に具体的な方法を調べたり「死に場所」を考えたりしたこともありました。

 

人によっては「そんなことやってる時点で死ぬ気なんて無いんでしょう?」と受け止められることもあると思います。

本当に「死にたい」と思っている人はそんなことを考える余裕も無く後先考えずに自殺するものだ、と。

現に自殺する人の多くはそういう傾向にあるのだろうと思います。

せいぜい遺書を書くくらいで。

 

しかし、僕の厄介なところは、叔母の突然の自殺とその後の遺族の苦労(本人がいなくなった状態だと各種手続きが本当に大変です)を知ってしまっているがゆえに、仮に自殺するとしても家族に同じような手間を取らせることはしたくないという気持ちがあることです。

要するに自殺する側の気持ちと家族を自殺で失った人たちの気持ちの両方を知ってしまっているわけです。

自殺した叔母が気の毒でもあり「羨ましく」もあり、と同時に、遺された側の悲しみと苦労を僕の家族に味わわせるのは忍びないという気持ちもあり、文字通り「生きるも地獄、死ぬも地獄」状態に陥っているということです。

 

35歳の誕生日が迫るにつれ、30歳の時より深刻に具体的にあれこれ「身辺整理」のことを考えるようになりました。

ところが、ここで思いも寄らぬ「障害」が発生しました。

父の病気(再発)と入院、そして死でした。

まさに僕が35歳の誕生日を迎える頃に父が入院して、その後、何回かの手術と入退院を繰り返した末に亡くなりました。

さすがにここで僕が自殺なんてことになったら遺された母はどうなる…と思い留まってしまいました。

 

父の葬儀が済み、四十九日法要を終えた時、「とりあえず三回忌法要を済ませるまでは母を支えよう」と誓いました。

一周忌の時が36歳、三回忌の時が37歳、それ以降ならどうにかなるのではないか…と。

 

そして、いよいよ40歳という節目を迎える年になってしまいました。

正直、もういい加減に「潮時」なのではないか…と思い始めています。

これ以上のらりくらりと先延ばししたところで精神状態が改善する確証は無いし、ここまで来たらもう「母が…」とか「姪っ子が、甥っ子が…」という言い訳も余計なお世話なのではないか、と。

僕がいなくなったらいなくなったで母も妹もそれなりにやっていくだろう、と。

自殺した叔母の家族や親族(母や僕など)が未だに心の中に深い傷を負いながらも日常の生活を送っているのと同じように、そして、父を亡くした母の様子を見ても一周忌、三回忌と経て少しずつひとりでの暮らしに馴染んで友人・知人に囲まれて楽しく過ごしているように…。

であれば、「母が…」とか「姪っ子が、甥っ子が…」という言い訳は僕の取り越し苦労でしかないのではないか、という自分勝手な思いが頭に浮かんでくるのです。

 

「生きてるだけで丸儲け」などという能天気なことを言う人もいますが、僕みたいに「生きる」ことに魅力や希望を感じられない人間にとっては全く意味の無い言葉です。

「本気で泣いて」とか「本気で笑って」とかいう喜怒哀楽さえ面倒臭く感じてしまうこの感覚はいくら説明しても解かってもらえないでしょう。

「本気で悩んで」なんてもうウンザリするほど繰り返してきたので疲れました。

「本気で生きて」なんてこれっぽっちも魅力を感じません。

 

非常に不謹慎で申し訳ない言い草ですけれども、僕は病気で亡くなったり事件・事故・災害などに巻き込まれて亡くなった方のニュースを見るたびに、「気の毒に…」という思いと同時に「合法的に死ねて羨ましい…」という気持ちが湧いてきます。

日本でも「安楽死」が合法化されればいいのに…とも思っています。

こんな精神状態の人間に対して「生きてるだけで丸儲け」だなんて冗談でも言って欲しくありません。

 

とりとめもなく書いてしまいましたが、これが僕の現在の精神状態の実態です。

今すぐ「自殺」だなんだということはしないように気を張っていますが、これも正直いつまで持つか自分自身でもよく分かりません。

今週末に診察があるので主治医にこの気持ちを話します。

書いたり話したりするうちに気持ちが整理されることも多いのです(読まされたり聞かされたりする側はたまったものではないでしょうけれども…)。

2013年1月27日 (日)

カテゴリー新設

なんかねぇ、思う所あって「病記」というカテゴリーを新設しました。

これまで「日記」の中でたまに触れてきた病気(鬱病)の件をひとつのカテゴリーとして独立させたほうがいいかもしれないなぁ…と、さっきふと思い立ちまして。

病気に関する日記だから「病記」でいいんじゃない?と安直に決めちゃった(笑)。

 

できることならこのカテゴリーが“充実”することも記事の数が増えることも無い状態が続くことが理想的ですけれども、まぁそこまで“重い”話でなくてもちょっとした“あるある”ネタや“今こんな状態ですが何か?”的なことを気軽に書き連ねることができる場があってもいいのかなぁ…と。

 

こういう話が苦手(または嫌い)な方にとっても「日記」からこの手の話を分離・独立させるメリットはあるだろうし…という恩着せがましいことを考えたり(笑)。

こういう話を「避けたい」「関わりたくない」と思っている方に無理やり押し付けるような意地悪なことはしたくありません。

基本バカバカしいことばかり書いているくせして(←誰がだ!・笑)突如として思い出したようにどんよりとした心の内面を赤裸々(笑)に書き連ねることがあるから、不意討ちを食らって不快な気分になってしまう方がいらっしゃったら申し訳ないですからねぇ。

 

独り言だと思って聞いてくれ。((C)ヒゲ@「アメリカ横断」)を地で行くカテゴリーにできれば、と(笑)。

2013年1月26日 (土)

月齢14.3

午前中に二週間に一度の診察のため病院に行きました。

寒かったぁ~!

 

年末年始の頃から強くなってきた妙な(ちょっと度が過ぎた)「焦燥感」のようなものが相変わらず続いているので、その傾向と対策(?)についてあれこれ話しました。

この手の「焦燥感」が生じる原因はハッキリしているし、どうすればそれが消えるのか…ということも判かっています。

問題はそこに至るまでに僕自身の中の無理難題(?)の数々を乗り越えたり乗りこなしたりする必要があって、そのためには何を措いても鬱病をどうにかしない限り全く話が進まない、ということです。

 

これがもう何年も続いている厄介な問題でねぇ…。

もう、今となっては、「焦燥感」その他の積み重ねで鬱病を発症してしまったのか、鬱病の症状のひとつとして「焦燥感」が定期的に生じるのか、おそらくそのどちらも間違いなく当てはまっているんでしょうけれども、言ってみれば「タマゴが先かニワトリが先か」みたいなループ状態になってぐるぐる行ったり来たりを繰り返していて当の本人である僕でさえ何が何だかパルプンテです。

そんなあれこれを考えるたびに「焦燥感」その他の“波”が生じて翻弄されるわけですけれども、この年末年始から強くなってきた「焦燥感」は今まで経験したものとはちょっと桁違いに度が過ぎている感じがして困惑しています。

桁違いになっている原因もなんとなく判かる(身に覚えがある)けれど、だからといって今すぐそれをどうこうするのも無理な話だしねぇ…というにっちもさっちもいかない状態で、それがまた「焦燥感」のレベルを増幅させる…という、これまた見事(?)に無限ループにハマッているからイヤになっちゃうわけです。

 

まぁそんなことをここでグダグダ書き連ねても何も解決しないので詳細は省きますけれども、主治医に話しただけではどうにも落ち着かない状態が続いているので母にも現状報告として伝えることにしました。

正月に実家に帰った時に母も僕の異変(?)のようなものを感じ取っていたらしく、だったら「今はまだその状態が続いている」ということを伝えておくだけでもちょっとは違うかな、と。

 

病院から帰って来てから電話したら「今日と明日は空いているから何時でもオッケーよ」ということだったので(僕と違ってお友達付き合いだのなんだかんだとお忙しい人でしてね・笑)、じゃあ今日そのまま行っちゃおう!ということで珍しく昼前に実家に向かいました。

明日にしたりそれ以降にしたりすると問題を先送りする感じがしてイヤだったし、寒いだの雪が降っただので出掛けるのが億劫になったりしても困るので、行ける時に行っておけ!という直感に素直に従って行動しました。

いつもは夕食だけですが今日は昼食も一緒に食べました。

 

若干(?)込み入った話もして、双方がお互いの現状を“共有”できて良かったかな…。

長居するのも疲れるので話が済んだら夕方にでも帰って来るつもりで出掛けましたが、そこはやはり「せっかく来たんだから晩御飯も食べていったらいいじゃない」という話になってそのまま夕食まで実家で過ごしてきました。

いたらいたでお互いに話好きで話すことには事欠かないのでまぁ~しゃべったしゃべった。

母と息子というよりオバサン(!)同士の会話だよなこれって…なんてことも思いつつ(笑)。

 

結果的に今日行って話して本当に良かったと思います。

気持ちもだいぶ落ち着いたし「焦燥感」の元となっているあれこれについても「焦ったってしょうがないんだよなぁ…」という毎度おなじみの“結論”に達して納得(?)できたし。

母には毎度毎度(そして何年も何年も…)申し訳ないと思いますけれども、「そうやっていろいろ話すことだって“親孝行”のひとつなんだから」という主治医の言葉に甘えて(?)これはこれで良しとしたいと思います。

 

すみませんね、意味不明なことばかり書いて…。

 

お詫び(?)のしるしに毎度おなじみお月様の写真でお茶を濁します(笑)。

 

20時32分、実家から最寄駅に向かう途中で撮りました(当然おなじみのビルはありません)。

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21時36分、自宅に着いてすぐベランダに出て撮りました。

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月齢「14.3」の月です(月の出は16時21分、「南中は23時22分、月の入りは5時38分)。

 

明日は満月です。

2013年1月13日 (日)

16時49分[12.2度 南南東の風0.8m/s]

23時就寝、14時15分(!)起床。

6時過ぎに一度目が覚めてトイレに行き、「二度寝♪ 二度寝♪」と軽い(?)気持ちで再び布団に潜り込んだ結果こうなりました。

二度寝どころか夜より本格的な熟睡(というより爆睡!)っぷりではありませんか(笑)。

 

途中、小さな揺れを感じて「あ、地震だ…」と目が覚めて、しばらく身構えているうちにごく小さな揺れだけで収まって安心して、「まだ午前中だな…」と、「昼頃まで寝ちゃおう♪」と、寝惚けながら考えたことだけは覚えています。

後で調べたらこの時点でとっくに昼を過ぎていたわけですけれども(12時17分頃に岩手県沖でM4.8[震度4]の地震がありました)。

次に目が覚めた時、カーテン越しの日差しの感じと外から伝わってくる雰囲気から「ちょうど昼頃だな!」と判断して、「そろそろ起きるか…」と携帯の時計を見たら14時15分だった…というね。

 

この年末年始、特に年明け後に久しぶりに大きな“波”が来て、寝付きが悪かったりほとんど眠れなかったりした日が続いていたんですけれども(就寝前のお薬を飲んでもダメな時はダメなのよねぇ…)、昨日、今年最初の診察で主治医とあれこれ話してだいぶ気持ちが落ち着いてきました。

おかげで蓄積していた(主に精神的な)疲れがここに来てドッと出たんでしょうね。

普通、15時間(!)近くも寝続けたら頭痛やら軽い床ずれ(!)やら生じて逆に疲れを感じるものですけれども、今日は目覚めスッキリ!素晴らしく快適で御機嫌です(笑)。

本当に体は正直だなぁ…と、そして、心身の調子って見事に連動しているんだなぁ…と思いますねぇ。

 

16時00分、ベランダに出たら思わず空に向かって深呼吸してしまいました(我ながらベタ過ぎる行動に失笑・笑)。

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16時24分。

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16時34分。

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16時49分、日の入りの時刻を迎えました。

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天気はこれから下り坂で明日の予報は雨(気温によっては雪)です。

2013年1月12日 (土)

11時20分[4.4度 北西の風1.1m/s]

10時45分、見事に曇ってます(気温は2.9度…)。

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この曇り空の下、二週間に一度の診察を済ませてきました。

日差しがあって気温が上がる…とかいう予報はなんだったの?とブツブツ文句を言いながら。

西の空に雲の切れ目があるのでどうやらこれから予報通りの展開(?)になりそうです。

案の定、これを書いている11時10分頃から穏やかな日が差してきました。

出掛けた時間帯がちょっとズレてた(早かった)んだなー。

 

悔しい(?)ので日が差してきた空を撮りました(笑)。

11時20分。

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気温はまだまだ低いけれど(ベランダに出たとたん気が萎えます・笑)、風が穏やかなので日差しを浴びるとほんわか暖かく感じられます。

これから順調に(予報通り)気温が上がっていく気配ですねぇ。

 

で、話を戻して…。

今年最初の診察だったので主治医や窓口の人たちに「今年もよろしくお願いします」みたいな挨拶を交わしたり。

もう何度(何年)目だ?って話ですけれども…。

親戚なんかより年末年始の挨拶を会って交わす機会が多いというのも変な話でねぇ(笑)。

 

この年末年始、特に年明けのここ数日は久しぶりに大きな“波”が来て若干パニックに陥っていたんですけれども(大量の書籍とDVDを衝動的にブック●フに送ったのもその一環?でした・笑)、そこらへんの経緯を含めて主治医に話したらだいぶ気持ちが落ち着いてきました。

今日のために昨日書いたメモ(どんなことがあったか、何を話すか、うっかり忘れて漏れがあるとイヤなのでネタ?が多い時に書きます)を見せつつ話しました。

 

やっぱり書くなり話すなりして「アウトプット」することって大切なんだなぁ…とこういうことがあるたびに痛感します。

当ブログもある程度は「アウトプット」の場になっていることは確かですけれども、だからといってあまり詳しく書く(さらけ出す)のはさすがに無理があるわけで…。

個人情報だのプライバシーだのいう以前に「これを不特定多数の人に読ませてどうする…」という気持ちがあります。

なので、その手のネタ(?)は手書き(←これ重要!)でメモにまとめます。

メモにまとめる時点でいくらか頭の中が整理されて気持ちの“波”やそれに伴うパニックや焦燥感が鎮まってきます。

それを元に主治医に話すとより頭の中が整理されて落ち着きを取り戻す…というパターンです。

 

落ち着きを取り戻すと「なんであんなことで悩んだりパニックに陥ったりしてたんだろ…」と不思議に思うのも毎度のことです。

 

…という流れを痛いほど身を以って理解しているはずなのに、ちょっとしたきっかけで頭の中に「!」が浮かぶと未だにうまく対処できないことがあったりするから厄介です。

こういう時はお薬を飲んでもダメなんだよなぁ…。

自分の頭の中のことなのに自分でうまく調整(?)することができないというのがもどかしくてたまりません。

手術で物理的に思考回路の配線(?)を繋ぎ直すことができたらどんなに楽だろう…と思うこともあります。

開けたとたん「こりゃ手の施しようが無いな…」と言われたら潔く諦めますけれども…。

2013年1月 9日 (水)

何色の未来が待って…いると思ってた?

幸せだったんだろうなぁ…と思います。

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あれこれ余計な事柄に関わることもなく、余計な知識を持つことも余計な経験を積むこともなく、ただ目の前のことに一喜一憂しながら日々を過ごしていればよかったんだろうなぁ…と。

起きて、食べて、昼寝して、お風呂に入って、寝て。

時には叱られて泣いたり、褒められて御機嫌になったり、喜怒哀楽の理由も単純で、それに素直に反応していれば万事丸く収まっていたんだろうなぁ…。

 

時間を超えてこの場所で出会うことができるとしたら、この子の瞳に今の僕はどんなふうに映るんだろうか。

2012年12月31日 (月)

21時21分[6.9度 北西の風3.4m/s]

東の空に月齢「17.8」の月が輝いています。

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(月の出は19時26分、「南中」は1時25分、月の入りは8時16分)

 

さきほどシャワーを浴びて寝る準備が整いました。

就寝前のお薬も飲んだので22時前には布団に潜り込むことができそうです。

明日は雲に邪魔されず綺麗な初日の出が見られるといいなぁ~。

 

それでは皆様、御機嫌よう。

おやすみなさい。

2012年12月29日 (土)

21時42分[8.2度 東北東の風2.5m/s]

しつこく月を撮ります(笑)。

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(この角度で撮っている姿をお見せしたいくらいベランダで必死コイてデジカメを構えています・笑)

 

薄雲の中で輝く月は幻想的な雰囲気が漂っていて好いですねぇ。

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今夜は思ったほど寒くないので(もちろん、いつもと比べれば…というレベルですけれども)この時間にベランダに出ても意外と平気です。

どういうわけか、たまーにこうやって月を眺め続けたくなる時があるんです。

夜空を少しずつ昇っていく(そして、東の空から南そして西の空へ動いていく)月を眺めていると飽きません(オオカミ男か!と思うくらい月を眺めるのが好きです・笑)。

 

寒くなってからはさすがにずっとベランダに出ているわけにはいかなくなったので、今夜はちょうど良いタイミングで寒さが緩んでくれました(気温がそこそこ高くても肝腎の月が出ていないのでは意味が無いですしね…)。

シャワーを浴びた直後で体が温まっているからちょうど良かった…というのもあるでしょう。

調子に乗って見続けていると湯冷めしてあっさり風邪を引いてしまうので今夜はこれまでにします。

 

写真を撮る前に寝る前のお薬を飲んだのでもう少ししたら布団に潜り込みます。

22時台(前半)に寝付けると睡眠と寝起きのリズムがうまい具合に整うし、心身の調子も一定のレベルで維持できてちょうど良い…というのが試行錯誤の末に見つけた“法則”のようなものになっています。

若い頃は(…なんてことを言ってる時点でオッサンまっしぐら!で涙が出てきますけども・笑)日付が変わる頃まで平気で起きていたのに、今ではすっかり早寝マニア(?)と化しているから面白いものです(22時台、遅くても23時台には布団に入るようにしています)。

それでもちょっとしたきっかけで寝付けなくなる時があったりするから厄介なんですけどねぇ(だからこそ就寝前のお薬が欠かせないわけで…)。

 

…なんてことを書いてるうちに時間があっという間に過ぎてしまうのでここらへんでPCの電源を切ることにします。

おやすみなさい。

嵐の誰かさんと同じく自分で自分に「おやすみ~♪」と言うタイプです(笑)。

7時57分[5.0度 北北西の風3.2m/s]

昨日の夕方から降り始めた冷たい小雨は今朝は止んでいました。

予報では雪に変わって積もるかも…と言っていたので一安心です。

 

7時54分、雲が多く相変わらず寒いです。

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7時57分、ベランダから部屋に戻った直後に日が差してきました。

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日が差すとあれだけたくさん浮かんでいた上空の薄雲は見えなくなるんだね…と感動(?)しつつ、「でも寒い~」と写真を撮ってすぐに部屋に逃げ込みました。

 

今日は午前中に二週間に一度の診察のため病院に行きます。

年内最後の診察です。

主治医と「良いお年を」なんてことを話すのは何年目だ?

…かつては「あーあ、今年も年越しか…」とか「○回目の“良いお年を”だな…」みたいなことを思っていましたけれども、ここ2~3年はもう数えるのも考えるのも面倒臭くなっちゃって、ひとつの恒例行事というか年中行事のような感じになっていたりします(笑)。

2012年12月15日 (土)

漢方

午前中に2週間に一度の診察のため病院に行ってきました。

前回は諸般の事情によりサボッちゃったのでひと月ぶりの診察でした。

今日は無事に行けてよかった…。

 

毎回、診察後に病院の近くにある調剤薬局に立ち寄ってお薬を処方してもらいます。

一日に朝食後・夕食後・就寝前とそれぞれ異なるお薬を服用するので2週間分でこれだけあります。

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(左の2種類が朝、その右が夜、右の3種類が就寝前)

 

で、本題はここからです(笑)。

 

僕がお世話になっている調剤薬局は漢方の処方も受け付けています。

ずっと同じ調剤薬局にお世話になっているので、てっきりこれが「普通」なのかと(どこでも漢方を取り扱っているのかと)思っていたんですけれども、最近になって漢方を取り扱っていない調剤薬局もあるということを知りました。

 

僕は漢方が飲めません(というか、飲みたくありません)。

理由は簡単、あの独特のニオイが苦手だからです。

主治医から上の錠剤たちに加えていくつかの漢方の処方を提案されたこともありましたが、とにかく「ニオイがダメ!」「飲めない!」の一点張りで頑なに拒否し続けています(笑)。

唯一、「あ!風邪引いたかな?」と思った時に葛根湯ドリンクを飲むだけです。

葛根湯も正直あの甘ったるい味といかにも「漢方!」という後味がすごく苦手なんですけれども、風邪の引き始め(悪寒とかノドの痛みとかが出てきた時)に飲むととにかくどの風邪薬よりもよく効く(症状が悪化せずに済む)ので重宝しています。

 

今日は調剤薬局がいつになく混んでいました。

だいたい決まってるんですよね、風邪やインフルエンザの患者さんが増えて調剤薬局が混雑する時期って。

今頃がちょうどその時期のひとつに当たっているのでしょう。

 

こういう場所での待ち時間はあまり気にならない性格なので、ソファーに腰掛けてぼんやりしながら順番が来るのを待っていました。

…と、窓口のほうからひときわ声の大きなおばあさんの会話が聞こえてきました。

たまにいますよね、お耳が遠いのか単に距離感がボケちゃってるのか、目の前の人と話す時に無意味にやたらとデカい声で話すお年寄りが(笑)。

 

どうやらそのおばあさんは今回初めて処方された漢方の飲み方と効能について薬剤師さんに質問しているようでした。

別に聞き耳を立てているわけではありませんけれども(他人の会話を盗み聞きするほど悪趣味でも物好きでもありません・笑)、いかんせん声が無意味にデカいので遠慮会釈なく勝手に僕の耳に入って来ちゃうわけですよ。

やかましい(!)のでなんとか適当に聞き流そうとしていたわけですけれども、おばあさんのある一言がきっかけで思考回路があさっての方向に動き出してしまって、おかげで本当にしょーもないことが頭に浮かんで笑いがこみ上げてきてしまいました。

こういう時、想像力や連想力の無駄遣いに我ながら惚れ惚れするやら呆れ返るやら複雑な気持ちになります(笑)。

 

そのおばあさんは薬剤師さんに向かってこう言ったんです。

「あたし漢方は臭くて好きじゃないのよねぇ…」って。

 

たぶん、普段であれば「え?“苦い”じゃなくて“臭い”?」と、「まぁたしかに漢方って“苦い”と同時に“臭い”もんねぇ…」と、「でも普通はやっぱり“臭い”じゃなくて“苦い”を強調して言うものだよね…」と、それくらいのことを思うだけで済んだはずです。

しかし、今日の僕は違いました(笑)。

おばあさんの「漢方は臭くて」という言葉がきっかけで余計な連想力が働いてしまいました。

それは、「ひみつの嵐ちゃん!」の「嵐5人だけのシェアハウス1時間SP」(10月25日放送)での嵐さんの会話(こちら参照)です。

なんであれさ、そもそも「相葉茶」なの? 来たゲストにさぁ、強烈な印象与えるじゃん、「苦い」。

まぁあと若干相葉くんのこと嫌いになってる人もいるかもしれない。

そういうこと!

うん。

「相葉が苦い」ってなると思うのね。

 

元のフレーズは「相葉が苦い」です。

がしかし、おばあさんの「漢方は臭くて」が上の会話に反映(?)されて「苦い」が「臭い」に変換されて、それで「相葉が臭い」というミもフタもないフレーズが頭に浮かんでしまったのです。

 

「相葉が苦い」「相葉が臭い」

 

もうね、一瞬にしてこみ上げてくる壮大な笑いを堪えるのに必死でした(相葉くんごめん!・笑)。

これだけ人がいる調剤薬局の待合室で突然ひとりの男が爆笑したらえらいことになります(笑)。

でもね、ぼんやりしている時にいきなりこういう突拍子もない事柄が頭に浮かぶと可笑しさのレベルがハンパなく上昇するんですよ。

もう本当にあとちょっとのところで「ぷーーーっ!」と壮大に吹き出すところでした。

 

それで済むならまだしもですよ。

その後、僕の思考回路は「どうしてこんな突拍子もない事柄が頭に浮かんでしまったのか」ということを勝手に検証(?)し始めるというのだからバカバカしいにも程があります。

その結果、上の「ひみつの嵐ちゃん!」のやりとりとおばあさんの言葉との関連性(!)を導き出して御満悦になる、と同時に、こんなくだらないことを調剤薬局の待合室で考えている自分自身が可笑しいやら情けないやらでまたまた笑いがこみ上げてくる…という無限ループに陥るからさぁ大変!(笑)

…笑いが収まるまでずいぶん苦労(?)しました(必死すぎて汗かいちゃったもん・笑)。

 

当分の間は「漢方」とか「苦い」「臭い」という言葉に用心しないとキケンだわ…。

 

あんまりくだらない出来事だったので「独り占めするのはもったいない」と思い、こうして恥を忍んでひとりでも多くの方に お見舞いしたい お裾分けしたいと思って、よかれと思って書きました(笑)。

7時45分[6.5度 北北西の風1.4m/s]

7時43分、午前中は雨が降りやすいとの予報通り地面が濡れています(朝方に少し降ったのかな?)。

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7時45分、上の写真を撮って部屋に戻ったら日が差してきたのでもう一度ベランダに出ました。

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雲が多いので日が差したり隠れたりでめまぐるしいですね。

そのうち雨が降り出しそうな雰囲気です。

午前中に病院に行く予定(予約)があるのでその間はどうにか降らないで欲しいなぁ(前回サボッちゃったから今回は何が何でも行かなきゃマズい!・笑)。

 

でも、こういう雲の感じ、とても好きです。

2012年12月 1日 (土)

16時48分[5.9度 北東の風2.4m/s]

「メンヘリズム」効果恐るべし!

 

1個前のエントリをアップして10分くらい経った頃に急に眠気が起きました。

5時40分だから今から寝ても3時間弱は寝れるな…と。

これまでの経験から言うとこの「3時間弱」というのは非常にキケンで、アラームが鳴った時にスッキリ起きられるか、寝惚けて、と同時に寒さと布団の温もりの誘惑に負けて布団から出られなくなる(=病院に行く気力が失せる)か、一か八かの賭けに出るようなギリギリのラインです(笑)。

かといってこのまま眠気を我慢して起き続けていたら直前になって本当に眠くて動けなくなる(=病院に行けなくなる)危険性もあるわけで…。

 

…という若干の不安と迷いはありつつ、素直に寝ることにしました。

眠気に身を委ねて(寝て)病院に行けなくなるのと、眠気に抗って(起き続けて)病院に行けなくなるのと、どっちが心身に与えるダメージ(笑)が大きいかといえば間違いなく後者だからです。

頑張って起き続けたのに眠くて動けなくて病院に行けない…なんて徒労にも程があります(笑)。

病院に「行けない」前提で話しちゃってる時点でもうダメじゃん、と毎度思うわけですけれども…。

 

そして、作戦(?)は見事に裏目に出ました(笑)。

不安が的中して、アラームが鳴った時にはすっかり熟睡していて、とてもじゃないけれどこれから起きて行動する(=病院に行く)気にはなれませんでした。

それでもなんとか頑張って動こうと布団の中で「準備運動」よろしく体を動かしてみたりもしましたが、無情にも時は流れて病院に行く(準備をする)ギリギリの時刻を過ぎてしまいました。

 

あえなく病院に電話して診察の予約をキャンセルする旨を伝え、改めて二週間後の次回の予約を取りました。

 

お薬はそれまでの日数分の飲み忘れ飲み残し(これを「予備」とか「備蓄」と呼んでいます・笑)があるので大丈夫です。

きちんと欠かさず服用しているはずなのに、どういうわけかなんだかんだと少しずつ「備蓄」が増えてしまうんですよねぇ…。

一日に「朝食後」「夕食後」「就寝前」とあるのですが、食欲が無くて食べなかったりするとその分のお薬も服用しないことが多いので(そして、食事を抜くことが少なくないので)、ついつい余ってしまうわけです。

一食分を飲まない程度であれば問題は起きないので(逆に言えば何日か連続で飲まないとテキメンに心身の調子が崩れます)、食べない時は無理して薬を服用しなくてもいいや…と残しているものが積もり積もって定期的にある程度の量の「備蓄」になってしまうんですね。

このことは主治医にも話していて、手元に残っている「備蓄」の量が度を越している場合はその回の処方を無くしてもらって調整していますが、ある程度の量(だいたい二週間分)であればむしろ何かあった時の「予備」として持っておいて構わないから…と日数分の処方箋を書いてくれます。

その「何かあった時」というのがこういう時のことを指すのは言うまでもありません(笑)。

 

病院への連絡を済ませて、「結局ダメだったか…」という後悔と「これで心置きなく寝れる♪」という安堵が入り混じった複雑な気持ちで再び眠りに就きました。

 

そして、途中一度も目が覚めることなく、起きたらこんなこと↓になっていました。

 

16時39分(笑)。

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外を見た瞬間、寝惚けていたせいもあって「あれ?まだ夜明け前なの?」と勘違いしちゃって(笑)。

 

こうして改めて見ると夜明け前の空と夕暮れの空って(微妙な違いはあるけれど)雰囲気が似ているんだなあ…としみじみと実感させられます。

 

16時48分。

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今日の日の入りは16時28分でした。

夜明け前にようやく眠りに就けたと思ったら(朝に一度目が覚めているとはいっても)怒涛の勢いで夕暮れ後まで眠り続けるというね…。

少なく見ても7時間は寝ています。

これがメンヘリズムです!(ビシィ~ッ!)

 

あー バカバカしい(泣)。

 

睡眠のリズムが崩れることがないよう日々あれこれ気を付けているんですが、たまーに何かのちょっとしたきっかけでスイッチが入ってしまって台無しになるんですよねぇ…。

これが(ry

2時47分[9.0度 北西の風1.5m/s]

うっかり寝付けなくなってしまいました(就寝前の薬を飲んだのに…)。

24時過ぎに布団に入ったのに2時30分まで全く寝付ける気配がありませんでした。

ここまで粘って(?)寝付けないのは久しぶりです。

もうこうなったら何をどうしても自然な眠気が訪れるまで待つしかありません。

布団の中で待っていてもヒマなのでこうしてPCに向かっちゃったりするわけです。

 

外は真っ暗で物音ひとつしません。

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空高く月齢「16.2」の月が輝いています。

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参りましたねぇ…。

明日(というかすでに今日・笑)は午前中の早い時間に二週間に一度の診察があるんだけどなぁ…。

おそらくその頃が一番眠い時間なんだよなぁ。

これまで何度も同じような経験をしているのでだいたいのパターンが読めちゃうのが悲しい(笑)。

 

これで運良く3時・4時・5時台のうちにに眠くなれば一眠りしてもある程度の睡眠時間が得られるのでスッキリした状態で病院に向かうことができます。

が、6時・7時頃まで眠くならないとちょうど診察に向かうべき時間に猛烈な睡魔に襲われて動く気力が萎えるんだな…。

それで眠気に負けて中途半端な時間にうっかり布団に潜り込もうものなら、寝惚けた状態でおまけにこの寒さで布団の温かさが居心地が良くて、すっかり外に出る気が失せて診察をサボッてしまう危険性があります(過去に何度か経験アリ・笑)。

それだけはなんとしても避けたいところです。

 

こういう困ったことが忘れた頃に何の前触れも無くいきなり訪れる…

それがメンヘリズムです(←「メンタリズム」のマネ・笑)。

「メンヘル(=メンタルヘルス)」と「メンヘラ」を「メンタリズム」みたいな語感にするとこうなるのかな、みたいな…。

ビシッ!と決めポーズで「メンヘリズムです!」とか言っても引かれるだけだろうなぁ(笑)。

2012年10月19日 (金)

御挨拶

というわけで、一週間の空白を経て恥ずかしながら復活することになりました。

 

この一週間の出来事を(振り返りたくもありませんが御報告がてら)ざっと振り返ります。

 

13日(土)

 二週間に一度の診察

 待合室で居合わせたある患者さんの言動に気持ちが悪い方向に引っ張られる

14日(日)

 起床直後から精神状態が急激に悪化

 そのまま丸一日寝て過ごす(昼食・夕食抜き)

15日(月)

 精神状態回復せず(久しぶりに大きな波が来たことを確信・覚悟する)

 あらゆることが面倒臭く鬱陶しくなり衝動的にブログを削除

16日(火)

 ほぼ丸一日起き上がれず

17日(水)

 ほぼ丸一日起き上がれず

18日(木)

 このまま「消える」ことに対する漠然とした不安が頭をよぎりブログ再開を決める

 諸手続きを済ませる(19日から更新可能となる)

19日(金)

 再開するブログのタイトルやデザインを考えひとまず現状で更新(再開)する

 

おかげさまで精神状態はほぼ平常に戻りました。

頓服(久しぶりに強力な効き目の薬を立て続けに飲みました)と睡眠(思考回路の負のスパイラルを断ち切るためにとにかく寝て強制的に思考を停止させる)が功を奏したようです。

と同時に昨日感じた「このまま(ネットから)消える」ことに対する漠然とした不安が逆にショック療法になったのかもしれません。

 

…という経緯で急ごしらえで一から作り直すブログですので、内容その他、細かいことは決まっていません。

しばらくの間はリハビリを兼ねてあっちへフラフラこっちへフラフラ…するかもしれません。

これまでの経験上、そうこうしているうちにある程度の体裁なり方向性なりが定まってくると思います。

 

とはいえ、何も考えずに再開して成り行きに任せてばかりいると以前と同様の道を辿ることが目に見えているので、あらかじめいくつかの「歯止め」を掛けておくことにします。

一、時事ネタはできるだけ取り上げない。

一、文章は手短に済ませる。

 

以前やっていたような雑食系ブログに戻らないように気を付けたいと思います。

完全にネットとブログ巡回を遮断していた数日間、「時事系ブログをチェックしないとこんなに気が楽なのか…」と思いました。

知識や常識として最低限知っておくべき事柄や国民として最低限持っておくべき問題意識はあると思いますが、そして、今後もそれらから目を離すことはないと思いますが、それをブログに書くとなるとちょっと気後れする自分がいることに気が付きました。

元々のめり込みやすく「ほどほど」ができない性格なので、突き詰めれば突き詰めるほどより知りたくなり書きたくなって、チェック(巡回)する時事系ブログの数も増えて、頭でっかちになって「あれもこれも…」と欲張ってしまうクセがあります。

当初は「気になった事柄を取り上げる」という姿勢だったはずが、いつの間にか「自分からネタ(事柄)を探して余計な事柄まで手広く取り上げる」という姿勢になってしまうのです。

知らなくてもいいことや精神衛生上よろしくないことまで取り上げて結局ストレスが溜まり疲れてしまう、という悪循環が始まります。

 

日記も同様でした。

本来は「その日あったこと、気になったことを書く」ものなのに、気が付くと「ブログで書くために何かをする」という本末転倒なことが増えてしまうのです。

 

これまではそれら全てを「なるようになる」と受け流して気の向くまま書き続けていましたが、いかんせん「ほどほど」ができない性格が災いして微に入り細に入り…の歯止めが効かなくなっていました。

そこに「あれもこれも…」が加わり、できるだけ分かりやすく(誤解されないように)書くようにするから文章が長ったらしくなります。

今書いているこれがその典型です。

ストレスを発散するために書いているつもりだったのに、書くことによりストレスを溜め込む、そして書くことそのものがストレスになる、というこれまた本末転倒なことに陥りがちでした。

 

今後は上で挙げたふたつの歯止めを肝に銘じて「ほどほど」を心掛けていきたいと思います。

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