歌舞伎の市川團十郎さん死去2月4日 2時0分
歌舞伎界を代表する人気俳優で、白血病の闘病を乗り越えて活躍を続けていた十二代目市川團十郎さんが、3日夜、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。
66歳でした。
市川團十郎さんは、昭和21年、十一代目の長男として東京で生まれ、7歳のときに市川夏雄を名乗って初舞台を踏みました。
11歳で新之助、昭和44年には十代目市川海老蔵を襲名しました。
そして、昭和60年には300年以上の歴史がある歌舞伎界の大名跡、市川團十郎の十二代目を襲名しました。
團十郎さんは、19歳のときに父親の十一代目が急死し、家の芸を父親から教えてもらうことはほとんどできませんでしたが、「荒事」と呼ばれる勇壮な家の芸を忠実に演じ、「勧進帳」や「暫(しばらく)」など、市川家のお家芸である「歌舞伎十八番」の演目を受け継ぎました。
また、豪快で骨太、明るいキャラクターも魅力で、「助六」や「義経千本桜」などでの演技も人気を集めました。
團十郎さんは、平成16年に「急性前骨髄球性白血病」と診断され、厳しい治療を乗り越えて2年後に復活を果たし、平成19年3月には世界最高峰の舞台の1つ、パリ・オペラ座で初めての歌舞伎公演を長男の海老蔵さんと共に実現しました。
こうした功績が評価され、平成19年には紫綬褒章を受章しています。
しかし、同じ年の年末から白血病による貧血に悩まされ、平成20年夏には舞台を休んで妹からの骨髄移植に踏み切り、半年後の平成21年1月には、国立劇場で復帰を果たして舞台で活躍を続けてきました。
團十郎さんは、同じ白血病などの難病に苦しむ患者を励ましたいと劇場に白血病患者を無料で招待する取り組みに協力したほか、平成23年には全国骨髄バンク推進連絡協議会の会長も務めました。
團十郎さんは去年12月、京都の南座での公演の途中に体調を崩し、肺炎の兆候がみられるという医師の診断を受け、先月、出演する予定だった東京・新橋演舞場での舞台など、ことし予定されていた公演を休んで療養を続けていました。
團十郎さんは、ことし4月2日に東京・銀座で開場する予定の新しい歌舞伎座のこけら落とし公演での舞台復帰を目指していましたが、3日夜、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
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