今朝の毎日新聞一面「余録」の欄を眺めていたら、「江森一郎著・体罰の社会史」という文字列が目に飛び込んできた。大阪市立桜宮高生徒の体罰による自殺事件に関連して「かつての日本社会では子どもに対する体罰が稀であることにおいて、欧米とは際立っていた」「近代化の中で体罰が濫用されるようになったのは軍隊教育の影響」という余録子の立論の根拠として、同書が引用されている。江森君は学生時代の親しい友人で、教育史学を専攻してその道の専門家となり、金沢大学教授となった。
余録の冒頭は以下のとおり。
「凡そ学校に於いては、生徒に体罰(殴るあるいは縛するの類)を加うべからず」。1879(明治12)年に制定された教育令第46条だ。学校体罰の法禁の最先進国といわれるフランスより8年も早く、日本は体罰を法令で禁止していた▲家庭でも学校でも鞭で子どもを罰するのが当然だった昔の欧米人である。その彼らが日本に来て驚いたのは子どもへの体罰がまれなことだった。教育令の体罰禁止も子どもへの罰を残酷と見る当時の日本人の心情の表れといえそうだ(江森一郎(えもり・いちろう)著「体罰の社会史」)▲そんな日本の学校で体罰が乱用されるようになったのは、その後の力ずくの近代化、とくに軍隊教育の影響が大きかったようだ。表向きは教育現場での体罰が厳禁された戦後も、体育系のクラブ活動などの「殴る教育」は時に美化されながら脈々と受け継がれてきた‥」
江森君は、引用された著書のはしがきで、次のように言っている。
「体罰史」という観点から、日本の歴史を大観してみたら面白い結果が出て来るのではなかろうか、と思いついたのは、悪名高い「戸塚ヨットスクール」の体罰死事件が、連日新聞上を賑わせていた1983年の春のことだった。戸塚氏は、その年の秋に獄中から出版した著書の中で、「日本の歴史が2千年あるとしても、、体罰を否定しているのは、最近の30年間だけであとの1970年は肯定されているのである」と言っていたが、私の結論は正反対に近い。
この戸塚宏の盟友で、体罰の積極的容認論者として知られているのが石原慎太郎である。
「授業をざわざわさせてディスターブ(妨害)する子供を、懲罰したらいい。懲罰。家庭にフィードバックして家の責任にさせたらいいんですよ。それから、どんどん落第させたらいいと僕は思う、できない子供は。恥かかせたらいいんですよ。そういうシステム、習慣というものを作り直していかないとね。とにかく子供も親も先生もみんな甘ったれになっていてね。だから、まさに僕は戸塚(ヨットスクール)みたいに教育、特に初歩的な教育の段階って、みんなもう体罰だと思うんだ。立たせることも体罰なんでしょう。どうして体罰なんですか、それが。立たせたらいいんですよ。壁に向かって。軍隊ではそれをやられるんだから、軍隊でいきなり。さらに営倉に入れられたりするわけでね」(「教育再生・東京円卓会議」の議事録から)
ところで、同じ毎日新聞の社会面には、橋下徹の体罰容認論が報じられている。
「僕が(子どもに)手をあげることもある。親がそうだから、学校現場でも(体罰は)ある。(問題は体罰自体にではなく)、フォローをどうしなければならないかだ」というのである。
石原も橋下も、ともに体罰肯定論者として知られる。共通する権力的体質の帰結というべきであろう。子どもや生徒を人格主体と見ることができず、鞭打って、恥をかかせて、営倉に入れることによって、膝下に統制する対象としかとらえられないのだ。
江森君の著書の中で、体罰肯定論者と分類されている教育者として宝暦年間の三浦梅園が紹介されている。その言は次のとおり。
「私は不肖の身でありながら、人の「掌上の珠」を預かることは、恐れてもなおあまりあることである。畜生は言葉で使うことはできず、ムチを恐れ、苦痛を恐れるために人間に使われる。私の口から出る言葉は、諸君の心にはいるものである。どうして牛馬のようにムチで御すべきであろうか。私が昔からムチを持たないのは、諸君が牛馬ではないことを知っているからである」「しかし、一つの(小さな)杖を設けておく。それは非法を禁ずるためである。千に一つでも非法があれば、机上に杖を置いて「不言の責め」をなすべきである。なお、已まない場合は、私に手段がある。わが杖は羞悪の心を失った人に用いるのだから、私に身を終わるまでこの杖をとらせないことにしてほしい」
これが、近世における「体罰肯定論」の水準である。石原・橋下とは格段にレベルが違う。
とはいえ、敢えて梅園に反論しておきたい。羞悪の心を失うに至った人に用いる杖は、既に教育者の杖ではなく、司直の杖ではないのか。この杖を使わざるを得ない事態は、実は教育の敗北の結果ではないか。教育とは、飽くまで杖ではなく言葉で、恐れではなく信頼によって、教師と生徒との人格の接触として成り立つ営為ではないのか。
教育には、一切の鞭も杖も無縁というべきであろう。