人間的未熟さの押しつけと、「修行搾取」

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2013/02/03


弁当男子のダメだしに続き、またプレジデントに突っ込みたくなる記事が…笑

ハッスルする人は、出世できないのか 職場の摩訶不思議10篇:PRESIDENT Online – プレジデント


人間が働くのは、人間性を高めるため?

おいおい、と突っ込みたくなる発言はここ。

「人間が働くのは、お金を儲けるためではなく人間性を高めるためである」

これが僕の信念です。コツコツ仕事を続けていると、必ず人間性は高まります。だからワタミグループは、よけいな分野への投資をせず、コツコツ型の事業しか手掛けていないのです。

たしかにこれも真実ですし、そういう側面を強調する価値があるのも納得できます。ぼくも高校の部活などにおいては、コツコツ練習を積み重ねることで、たくさんのものを学びました。

が、この論理には決定的に危険な部分があります。それは「(労働者は人間的に未熟だから)人間性を高めるために働く」という前提が確立され、それによって「修行搾取」とも呼べる現象が発生してしまうことです。


トップがこういう価値観を持っているということは、下で働く人たちは「自分たちはまだまだ人間的に未熟なんだ」という理解を求められるということでもあります。「俺はもう人間的に成熟しているからコツコツ働く必要がないし、そもそもそんなものは無意味だ」と思っている人は、渡邉美樹氏のもとからサッサと逃げ出すでしょう。

部活での指導ならいざ知らず、「俺はまだまだ未熟なんだ」という論理をビジネスパーソンに強引に内面化させるというのは、ビジネスを行う経営者としては「ずるい」やり方だと思います。

端的にいえば、労働者がおのれの未熟を認めることで、「自分は修行するためにここで働いているんだ、だから長時間労働をしなきゃいけないし、理不尽に思えることにも耐えなければいけないんだ」という論理が成立するということです。「やりがい搾取」ならぬ「修行搾取」です。


働くことがある程度「修行」になることもまた事実なので、労働者が自律的に「わたしは未熟だから、人間的な修行をするために、このワタミで働きたいんだ。さまざまな選択肢を検討けれど、ワタミが一番だ」と考えて働くのなら、ぼくはそれもいいと思います。

ただ、採用した労働者をそういうロジックに「無意識的に」追い込むような戦術は、ずるいですし、糾弾されてしかるべきだと思います。「ワタミに入って、自分が未熟な人間であることに気付いた」みたいなパターン。

このパターンだと、仕事が原因でうつ病になったとしても、「本人が修行のために頑張っていただけなんだ」という「自己責任」を振りかざすことが可能になってしまいます。本人も「わたしが未熟だったから体を壊したんだ…」と自分に責任を帰すことになります。頭の良い渡邉社長が、この仕組みに気付いていないわけがありません。


自分が未熟であることを認めるのは、通念とは逆に、「楽な方向」へ流されるということです。「未熟だから」ということを、あらゆる言い訳に使えてしまうわけです。何かができないときに、「新入社員だから」「新入生だから」と言い訳をするようなイメージですね。

人間はほっておくと「未熟であること」に甘えてしまいます。弱く、素直な人ほど、自分に「未熟」の烙印を強く押しつけることになるのでしょう。


「未熟さを認めること」で成長することができるもの事実ですが、そうして成長するためには、成功体験を積み重ね、自己肯定感を強化する必要があります。

「未熟だけど達成できた!できることが増えた!評価された!」という喜びもセットでないと頑張りつづけられない、それなくしては「わたしはダメなんだ……わたしはダメな人間なんだ……」と自分をどん底まで陥れることになる、ということです。


そんなわけで、ワタミの労働環境には、こうした成功体験に関するケアもプログラムされているのかが個人的に気になります。

「そんなとこまで面倒見る義理はない!」と切り捨てているのだとしたら、結果的に「人材の使い捨て」が発生してもおかしくはありません。体を壊すまで頑張って働きつづけたけど、結局「自分は人間的に未熟であり、無能であること」を再認識するだけで終わった…という末路です。


長くなったのでまとめます。

・「人間が働くのは、お金を儲けるためではなく人間性を高めるため」という価値観を、経営者が労働者に押しつけるのは「ずるい」。

・なぜなら、その価値観を押しつけることによって、労働者は「労働」を「修行」と取り違え、仮に心身を壊しても、「自分が未熟で弱かったから」という自己責任に追い込まれるから。

・修行としての労働を実現したいのなら、成功体験までセットでプログラミングすべき。それなくしては、未熟であること、無能であることをただひたすら痛感して会社を去っていく人材が生まれてしまう。これでは「修行搾取」だ。

もっともっとシンプルにいえば、明らかな被害者に対しても、「おまえは人間的に未熟なんだ!」というマッチョな根性論を振りかざせば自己責任に追い込むことができてしまう、ということです。これはとても危険な論理でしょう。


まだまだ色々書きたいですが、とりあえずここら辺で。みなさんもぜひ記事を読んで考えを深めてみてください。

ハッスルする人は、出世できないのか 職場の摩訶不思議10篇:PRESIDENT Online – プレジデント


関連本。マッチョな精神論ではなく、力の抜けた「ニート論」みたいな方向性も、今の時代には強く求められていると感じます。


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