コボちゃん・ロダン(マンガ)作文は、子どもたちにとって、とても魅力があり、正しい運用さえすれば、あくまでも一定の「限定付き」ですが、実に作文力の向上に役立つ道具です。ここまでは、いいのです。
ところが、最近、当教室のコピー塾が都内だけではなく、全国各地にできているらしく、そこでは、正しい運用がなされないままに使用されているケースがみられます。とりわけ商魂たくましい関西方面で見られることを憂いています。つまり、それこそコピー塾の限界なのですが、マンガ作文が正しく運用されていず、しかも、「限定付き」というところがほとんど理解されていません。
1、 このマンガ作文の段階では、完璧な作文をめざすのは間違いなのです。日本語には、たとえば、句読点の打ち方など、非常に難しい面があり、大人ですらとまどうところがあります。ですから、この作文初期の段階では、おおまかなスケッチさえできればよいとしなければなりません。ところが、あるコビー塾では、完璧をめざして検定などを作り、マンガ作文を長く引きずってしまう。中には、一年間もマンガ作文をやらされて嫌いになってしまっている場合があるようで、これは私の本来の意図とは違いすぎていて、心を痛めています。
2、 マンガ作文は、あくまでも「塗り絵」のようなものです。つまり、書くことがマンガによって定められているという「限定付き」なのです。本当の作文は、書く内容も自分で決めていかなければなりません。書く内容も自分で考えるためには、全く別種の訓練と練習が必要になってきます。しかも、それを効果的な順番で並べて書くという編集的な能力も必要です。
3、 私が今からもう25年も前に、マンガ作文を考えだしたのは、「内発的な動機付け」を促すためです。簡単に言うと、自ら喜んで、楽しみながらするうちに、生徒に書くエンジンのようなものを装備するという目的のためです。「作文って楽しい」そう思ってもらうのが目的であったのです。ですから、それは、まだまだ完成とか、それで検定するなど、そういったレベルのものではありません。まして、それで嫌いになってしまっているのは、まったくの本末転倒です。
4、 端的に言うなら、マンガ作文とは、ほんの入り口・導入でしかありません。その後、本格的な文章を制作していくには、たとえば、作文王「トップレベル」に紹介したような、「段落という考え方」の訓練、そして決定的には書く内容を持つための、問題意識の養成と読書力が必要になってくるのです。
5、 学校などでのマンガ作文の普及それ自体は喜ばしいことに思います。しかし、以上に書いたような間違った運用によって犠牲になった生徒が、コピー塾のたくみな商魂の犠牲となってしまっていることを関西の知人や、それらの塾の経験者からもれ聞くことが多く、たいへん、心を痛めております。こういえば、身もふたもないですが、所詮は、全くの素人さんが商売と「ものまね」「コピー」でやってみても、生徒が犠牲になってしまうだけです。自粛して欲しいと思います。
6、 以上のようなことを防ぐために、提携校と直営校のご父兄には、「進度表」をお配りして、一年間もマンガ作文をし続けるなどという愚行を防いでおります。
7、 それらのコピー塾では、まるで申し合わせでもあるかのごとく「受験にも対応します」と表明しています。ここが、本体の国語専科教室とは全く異なるところです。
8、 そもそも国語専科教室は、お受験などには、「対応」などまったくしておりません。それよりも、「受験学力」などという「画一化した学力・ただの暗記だけの学力・まるで物体のように偏差値で測れてしまう学力・社会に適応できない学力」を1ミリでもいいから乗り越え、「読書の力と考える力」を鍛えることで、より柔軟性と実りのある「生涯教育に直結する学力」を鍛えていくことに腐心しております。