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体罰考(11) 先生も苦しみ、子どもも辛い




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(今回は学校の平均的授業や活動の場面を取り上げています。スポーツ部は次の機会に考えます。)

広島・尾道の先生が自殺し、「どんなときでも先生が悪い」ということで先生を自殺に追い込んだ生徒はなんのおとがめもありませんでした。そこで先生の奥さんがたまりかねて裁判に訴え、生徒が自殺の原因になったということで「業務上の死」になりました。

それほど、子どもの状態は悪いのです。家庭で礼儀を一つも教えられず、それを先生がすべてを受け止めるのは無理です。尾道の場合、悪いのは家庭なのです。

大阪の体罰による子どもの自殺が起こると、先生の自殺とは全く違う反応を社会はします。「悪いのは先生、子どもはよい子」という建前だけで事実を見ないようにしています。

滋賀県大津の子どもによる子どものイジメと自殺も「学校が悪い」という事ですが、子どもがいじめたのですから、子どもが悪いに決まっていますし、次に悪いのは家庭です。

23才の先生が実験に失敗した子どもに塩酸を飲ませました。明らかに行き過ぎですが、この先生は23才ですから、子どもとあまり変わりません。

私は「子どもが悪い」とも言いたくないのですが、事実は事実として受け止めないと解決にならないと思います。

私も教室に行くことだけがイヤだった時もありました。また、あのうるさい、講義を聴かない学生に真剣に教育をしなければならないのは辛いのです。人が一所懸命話していても、メール、ゲーム、私語、ジュースですから、先生が冷静でいろというのは無理なのです。

多くの人は家庭の教育が不十分で、学校で暴れるたり、いじめたり、勉強しない子ども(おそらく1割ぐらい)がいることを知っているでしょう。そしてその原因が「優しく育てる」家庭にあることも知っているはずです。でも自らの非を認めたくないので、学校にその責任をかぶせるのはフェアーではありません。

子どもの人権教育をもっとも強調したルソーは「子どもを甘やかすことが、子どもの人権をもっとも傷つける」と言っています。

この問題が解決しないのは、コメンテーターから責任者に至るまで、「自分がよい子」になるために、「知っている事を知らないことにし、先生に責任を負わせる」と言うことが続いているからです。

学校で授業を聞かず、友達をイジメ、先生が少しでも力で制止しようとすると「訴えてやる」という子どもの存在は誰もがわかっているのです。まずは「当たり前のこと・・・礼儀も誠意もない子どもは学校に出してはいけない」ということを決める必要があります。

それからが改革です。スポーツ部の事件はこのような「まともではない学校」という土壌の上にできたものです。

(平成2521日)


武田邦彦



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