タンクの残圧が50を切っていた。
ここで浮上に移れば、安全停止を含めてギリギリの残圧といったところだろう。
上を見ると、太陽の明かりが白く拡散して見える。
透視度はゆうに50メートルを越えているだろう。
不純物やプランクトンの少ないこの海域は、海の色がどこまでも蒼い。
それに深度40メートルを越えている割には、普通の海中に比べて、人工島の海中は明るい。人口珊瑚礁が光量を減少させることなく透過させるためなのか、人工島の海中建造物の明かりがそうみせかけているだけなのか。
深い蒼の海の中に、青い光が深層に向かって伸びている。
まるで星だ。
ダイバーたちが中世浮力を取った状態は、まるで無重力状態のようだと評するものもいる。
星に無重力。まるで宇宙空間だ。
ただ宇宙空間に、この圧力は存在しない。
10メートル、深度を下げることに一気圧の水圧が俺たちの周りを包み込む。
今、俺のいる40メートル辺りで4気圧。
別に動けないわけじゃない。
だが空のペットボトルなら簡単に潰れるだけの力が加わっているのは事実だ。
多少、呼吸も重いが、これは馴れでなんとかできるものだった。
『タツミ。そろそろ上がるぞ』
有線で繋がったバディから電通が飛び込む。
海の中は通信分子の補助があるにせよ、メタルへの接続は著しく低下する。それを補うスーツ同士の有線接続なのだが、俺はこれが嫌いだった。
自由がなくなる。
誰もいない、俺だけの空間が、この3ミリ程度のケーブルのせいで、ただの街中にいるのと同じになる。それにケーブル自体にかかるカレントが、俺の自由を確実に奪う。
『タツミ』
返事の変わりに俺は、親指を上に向けたハンドシグナルでバディに合図する。
せめてもの抵抗だった。
15分後、俺たちは太陽の光の下にいた。
海の中ではやさしい光だった太陽光も、海の上では、コンロの電熱線のように俺たちの体を焼いていく。
「なあタツミ、この仕事、まだ続けるつもりなのか」
勝嶋が言った。
バディの勝嶋とはこの潜水作業のバディを組んで3年になる。
「他に仕事ないしな」
「俺とメタルのダイバーやらないか」
「……興味ないな」
メタリアル・ネットワーク――、通称目メタルはこの世界の情報通信システムの主流だった。
通常、このシステムを利用する場合、情報を得るための擬似空間が構成され、そこで俺たちは必要な情報、サービスを提供される。
だがメタルの情報にダイレクトに『潜る』ダイバーたちは、そうしたフィルターや調整がされていない、素の情報に繋がっていくのだ。
自らを情報に変えて、情報の海に溶け込んでいくのだ。
この感覚が海に潜る感覚に等しいものだといわれていた。
システムの開発者が、複雑で多くの情報を並列処理しなければならない海洋シミュレータを元にこの情報通信システムを開発したためであり、情報の流れや、深層部に向かうほどに高まる圧力など、ダイビングに似た感覚が必要とされるといわれていた。
実際、ダイバーたちがメタルダイバーに転職したり、兼職している例は少なくない。
ただでさえメタルダイバーは人手不足で、ある程度の潜水技術を持ったダイバーたちは高級優遇されると聞いている。
昨今の製品開発にメタルが使われることは必須であり、そこにダイバーによるデバッグというものが不可欠であるため、人工島の中心企業である電理研以外にも、海外メーカーなどが有能なダイバーをスカウトしたという話が跡を絶たない。
実際、人工島の中でも電理研と評議会、そして諮問委員会がそれぞれの思惑で動いているせいか、それぞれがお抱えのダイバーを青田買いしているらしい。
勝嶋もそうした話を耳にしたのだろう。
俺たちがやっている潜水作業は、人工島のラダーに付く、フジツボや貝、海草といった類のものを取り除く、昔からある潜水士の仕事だ。
船や生簀、生簀の網など、こうしたものにつく付着物を取り除くのだ。
取り除かなければ、水の抵抗が増し、船ならば船足が鈍り、網ならば水流と付着物の重みの関係で、網が破れることもあるのだ。
人工島のラダーの場合、海流や潮流から人工島全体の姿勢を制御する目的と、現在地に留まり続けるための調整を行うという目的があった。ラダーひとつの大きさが、百メートル単位で構成されているため、抵抗がそれに比例して増えた場合の負荷は、船の比ではなかった。
実際、この海域の潮流はそうとうヤバイものだ。下手につかまって漂流されれば、あっという間に太平洋から日本まで運ばれてしまうだろう。仮に無事に流され、漂い続けられればの話ではあるが。
そうしたリスクを負いながら、俺立ちの仕事の賃金は安い。
食うに困らぬだけのものではあったが、実際にラダーに付着するものなど皆無に等しいのだ。
新素材がそうさせていた。
先行きの見えない潜水作業に見切りをつけて、勝嶋は新しい海で宝を堀続けようとしているのだろう。
だが俺には興味がなかった。
メタルの海は感覚こそは海そのものだ。
実際に俺も潜ったからわかる。
だがそこには、太陽がなかった。
俺には、それが不満だった。