データの塊が泡となって消えていく。
メタルの海ではそう認識されるのだろう。
情報だけを拾うのであれば、安全なシェルに包まれ、メタルの海の波間に浮かび、底から浮かびあがってくるバブルを脳で感じ取るだけでいい。利用者の思うままの世界がそこにはある。
しかしメタルの深層にあるのは、そんな理想的なイメージではない。
深層に潜るダイバーたちは、情報の圧力に曝されながら自意識の供給を受けて潜っていく。
自分が自分であり続けるために。
だが俺はダイバーじゃない。
ただの事故調査員だ。電力会社の。
2061年4月に起きた変電所事故の調査のためにシンガポールにある本社から派遣されて人工島にやってきたのが4日前。 空港から人工島評議会に出向き、事故報告書の請求をし、翌朝には報告書が手元に届いていた。
これで仕事は終わりになるはずだった。楽園の名で知られる人工島で滞在期間一杯、短い休暇を満喫するつもりだった。
けれど俺は今、メタルの海に潜っている。
滞在期間はとうに過ぎていた。それなのに不慣れなメタルダイブ用の安全装具をつけて情報の海で溺れかけている。
無様だ。
変電所崩壊の報告書に疑わしいところがあると、報告書を転送して20分後に上司から再調査の命令がくだった。そのためのメタルダイブだった。
一応、ダイバー講習はうけていた。
ただ、本物のメタルの海に一人で潜るのは初めてのことだった。
A.I.R.の残圧はゼロに等しい。
このまま一気に浮上すれば、減圧症のリスクがあった。
その結果の多重意識障害。
染み込んだ他者の意識が飽和状態となり、
思考に影響を及ぼすそうだ。
「大丈夫か」
そんな声が脳に直接飛び込んできた。
そして声の主が目の前に現れる。
文字通り、現れたのだ。
「このシステム領域は電理研の許可なくダイブすることは許されない」
許可証ならある。
だが俺の意識が発した声は、
「助けてください」
の一言だった。
「カワタリ・カズマ。南海新電のスタッフがなぜダイブを?」
南国の空は青く、降り注ぐ日差しが容赦なく肌を貫いていく。
生きている実感をもう少し味わいたいと思った矢先に、この男は俺にそう問いただしたのだ。
「あんた誰?」
「電理研の蒼井ソウタです」
提示されたプレートに右手を置いてみる。
確かに、この蒼井ソウタという青年は正真正銘の電理研の人間だった。
統括部長付秘書扱い。
奇妙な肩書きである。だがこいつの上司が、電理研統括部長の久島永一朗であることだけははっきりしていた。
嘘をついても無駄、脳の中を探られれば終わりだ。
「変電所の事故を調べてるんです。電理研さんもこんなところでなにを?」
正直に言った。そして向けられた刀を返す。
「調査です。ここがこうなった原因の」
「警察でなく、電理研が?」
「この島で起きた停電現象と変電所の因果関係を調査しろと、上司からの命令です」
おかしなことを言う。
たしかにアイランド全域を襲う停電現象が確認されてはいる。だがそれは変電所の事故が原因での停電ではなかったのか。
「けれどカワタリさん、メタルへの単独ダイブは危険です。ここでダイブ中のあなたを発見していなければ、あなたは今頃、あなたでなくなっていたでしょう」
「……その件については、お礼をいいます。ただこちらも仕事ですので」
「では十分な対策と覚悟をした上で調査に臨んでください」
「覚悟?」
「ええ、覚悟です」
蒼井はそう言いながら、皮製のグローブを手にしはじめる。
覚悟とはそういう意味なのか。
「俺は正規な許可を経てここにいるんだ。お前がなんで俺の邪魔を」
「僕じゃない」
蒼井の腕が俺の襟を掴み、そのまま引き倒す。
息が詰まる。
背中をコンクリートの地面にしたたか撃つつけていた。
「なにをするんだ」
だがその言葉が出る前に、蒼井の腕に引かれた体が地面を、そして段差を転がり落ちていく。
先ほどまで自分がいたコンクリートの地面が弾けとんだような気がした。
銃弾?
「ここを動くな!」
なにがあった、と問いかける前に、蒼井が転がったままの俺をおいて走り出す。
銃声はない。が、コンクリートの一部が削られていく音だけが響く。
頭を抱えて縮こまる以外にできることがなかった。
俺はまだ生身だ。
損失箇所を義体にすれば普通の生活に支障はないが、やはり自分の体に手を入れることに抵抗はある。
それにいまどきパスポートに『サイボーグ箇所含む』などと書かれたくはない。
これが富裕層であれば、培養による生態部位の移植も可能ではあるが、俺のようなしがないサラリーマンには部品取り用の複製体を維持するだけの財力などあるわけもない。
「もういいぞ」
蒼井の声だ。
顔を出すと、蒼井の足元に男が一人、虫の息になって転がっていた。