心理学全体を観て
宗教研究家でユング心理学徒でもある、かんご氏から寄稿文を頂きました。
「保護説得」という美名の元に、実態的には信者の自由意思と行動を強制的に束縛し、更にそれらの実態を徹底して隠ぺいする「拉致監禁」を、法治国家日本国内において行う反対牧師・職業的脱会屋たち。かんご氏の寄稿文は、彼らが用いる理論的支柱であるマインド・コントロールを検証する上で、大変有効なレポートですので、本人の了解の元、随時掲載させて頂きます。以下、レポートです。
1、心理学の歴史と統一教会
心理学は科学の一部ですが、その過程においては誤謬の多い論説に支配されていた時代もありました。その代表的なものが、啓蒙思想の影響によって生まれたフロイドの精神分析学とワトソンの行動主義心理学です。19世紀の3大思想に上げられる事もあるフロイドの理論はその「性理論」を骨子としており、フロイドが1人の患者も完治に導けなかったという事実によってすでに多くの心理学者にとっては否定すべき古典にすぎないが、今日の社会に与えた影響は大きい。そのフロイド派の最後に放った矢が「性革命運動」でした。
「保護説得」という美名の元に、実態的には信者の自由意思と行動を強制的に束縛し、更にそれらの実態を徹底して隠ぺいする「拉致監禁」を、法治国家日本国内において行う反対牧師・職業的脱会屋たち。かんご氏の寄稿文は、彼らが用いる理論的支柱であるマインド・コントロールを検証する上で、大変有効なレポートですので、本人の了解の元、随時掲載させて頂きます。以下、レポートです。
1、心理学の歴史と統一教会
心理学は科学の一部ですが、その過程においては誤謬の多い論説に支配されていた時代もありました。その代表的なものが、啓蒙思想の影響によって生まれたフロイドの精神分析学とワトソンの行動主義心理学です。19世紀の3大思想に上げられる事もあるフロイドの理論はその「性理論」を骨子としており、フロイドが1人の患者も完治に導けなかったという事実によってすでに多くの心理学者にとっては否定すべき古典にすぎないが、今日の社会に与えた影響は大きい。そのフロイド派の最後に放った矢が「性革命運動」でした。
西欧社会において18世紀の啓蒙思想と19世紀の唯物思想は自然科学の発達とあいまって若者の『聖書』離れを助長してきた。その流れは20世紀において頂点に達している。
そのような流れのなか1950年代のヒッピ-文化を背景にネオ・フロイド派による「性革命」運動がはじまった。ネオ・フロイド派はフロイドの性理論を片手に「古い倫理観」の破壊と「フリ-ラブ」「フリ-セックス」を唱えた。この性の自由と言うお題目は雑誌や映画を媒体にしてノンポリ、左翼学生の間で瞬く間に広まり、約10年遅れで日本にも直撃した。
そのころまでの日本社会には江戸時代に形成された儒教の倫理観が残っていた。婚前交渉は当然少なく、離婚件数もごく少なかった。しかし1960年代左翼学生のなかで、同棲するものが現れはじめ、それは70年代の映画『同棲時代』のヒットとともに増加し、80年代、90年代を経て今日の性倫理なき時代が到来したのである。いまや巷には性欲を刺激する雑誌、ポルノがあふれ、若者の間では結婚までの間に複数の異性と性交渉するのが当たり前のようになってしまっている。若い女性の処女喪失年齢の平均は15才まで下降しているという。
このような時代に生まれた我々は子供のころからフリ-セックス思想に洗脳されているともいえる。フリ-ラブ、フリ-セックスは本当に正しい事なのだろうか?200年後の子孫達にとっては、この時代こそ奇異に見えるのではないだろうか?
一方、ワトソンの行動主義はどうだろうか?共産主義をベースにおいたこの理論も今日では信奉者は少なくなったが、以前は最も盛んな心理学であった。1915年にワトソンは全米心理学会の会長となり、以後約50年間が最盛期であった。今では研究者も少ないが、彼らの放った最後の矢がすなはち「洗脳理論」である。この理論が統一教会員に対する監禁・強制改宗の正当化に用いられるs・ハッサンの『マインド・コントロール理論』の源である。
2、これは人生観の戦いである、という事
ゆえに統一教会員は各所で唯物論思想との対決をせまられているのが現状である。「純潔運動」によってネオ・フロイド派と対決し、統一教会訴訟において「マインド・コントロール理論」を唱える行動主義心理学と対決しているのである。
ところで心理学の中には、唯物論的ではないがゆえに、有神論にやさしい心理学もまた存在している。ジェームズの宗教心理学やユングの分析心理学、さらにトランス・パーソナル心理学などである。
心理学会の内部においても、唯物論的心理学と有神論を否定しない心理学の主導権争いが有り、かつては隆盛を誇ったフロイドやワトソンの行動主義心理学は今では没落し続けており、研究者も少なくなりつつある。
3、洗脳理論(マインド・コントロール理論)と共産主義の接点
行動主義心理学は19世紀の唯物思想の影響下に生まれた。唯物思想の機械論的宇宙観をそのまま人間の心にも適用しようとして≪刺激≫≪反応≫で人の心を説明しようとした。ワトソンが行動主義を唱える前にはロシアでパブロフが条件反射を発見した。そのあたりが理論ベースになっている。
「洗脳理論」を唱えた マーガレット・シンガー博士はこの行動主義心理学者である。それゆえに彼女が作った洗脳理論は共産主義の人間観ととても良く似ている。洗脳理論は「人間の心は環境によって支配されている」と言う信念を前提としている。 この人間観はどこかで聞いた事があるはずである。言うまでもなくそれは共産主義の人間観である。
共産主義には「環境は心を支配する」と言うテーゼがある。そう考えた彼らはまず革命を起こして権力を握り、行動と情報をコントロールすれば、大衆は共産化されて行くのだと言う。もちろんこれは間違った人間観であり、東欧革命の時にチャウシスク一族を処刑したルーマニアの人々やレーニンの像を倒したモスクワの市民がそれを証明している。強制収容所と秘密警察の恐怖を持ってしても、人間の心は完全に支配できなかったのである。
この事を法廷助言書は次のように述べている。
元統一教会信者であったダビッド・モリコとトレーシー・リールが 世界基督教統一神霊協会他を被告として訴えたカリフォルニア州最高裁判所宛 法廷助言書
原告及び控訴人 ダビット・モルコ
原告及び控訴人 トレーシー・リール
被告 世界基督教統一神霊協会他
シンカー博士が『洗脳理論』を思いついたのは、朝鮮戦争で悪名高かったマインド・コントロールと称する技術であった。北朝鮮と中国において捕虜となったアメリカ兵が、敵の信念体系を受け入れたようにみえる理由を説明するために、大衆誌は、マインド・コントロール或いは「洗脳」の洗練された技術によって、捕虜達の自由意志と判断力がつぶされたという議論を展開した。自由意志という主張を取り入れずに、科学者のあるものは、極度の肉体的困憊を伴う監禁、長期の隔離、必需品の剥奪、肉体的拷問、殺しの脅迫などの条件の下で、捕虜のあるものは、以前に保持していたものとは全く異なる信念体系を一時的に受け入れるようし向けられた可能性があると論じた。このような状況では、敵のイデオロギーを受け入れることが生き残るために必要だったし、そのように捕虜が考えたのかもしれない。
中国側の捕虜となった3500人の兵士のうち、50名のみが共産主義支持を表明し、25人は本国送還を拒否した。A・シャイン の研究が強制的説得論の理論的基盤を提供しているのであるが、彼は、罰を逃れ厚遇を得るためのどうでもいい協力行為を行うことと、純粋なイデオロギー的回心を区別している。この種の協力行為が広範に見られるにもかかわらず、純粋な回心はわずかであったとシャインは述べた。彼の結論は、「中国共産党が費やした労力を考えれば、彼等のプログラムは殆ど失敗だった。」
シンガー博士はシャインの研究を彼女の強制的説得論を正当化するために使おうとしていた。しかし、シャインの知見であった身体的強制を伴う戦争捕虜という状況でも失敗した回心のための技術が、統一教会のように拘束を伴わない状況で、不法行為責任を追及するほどに有効であったのか、シンガー博士は説明しないのである。
さらに両博士はマインド・コントロール技術の効能を尊重するために、元々の戦争捕虜研究の知見を過大視している。そのような技術は神秘的でも、新しくもなく、大衆紙がかきたてるほど絶大の効果があるわけでもない
ジェームズ『洗脳の神話と現実』
「新宗教の伝道を、中国や北朝鮮の捕虜の死の恐怖と比較するのはばかげている」
サリバ『心理療法と新カルト』
「中国のモデルは教会員が監禁されている訳ではないので不適当である」
パーカー『ムーニーの成り立ち』
「この比較はバカげている」
と述べその効果を否定している。
実際のところ、死と拷問の恐怖を伴う捕虜生活の中でさえ、転向者が3500名の兵士の内、わずか50名にも満たなかったとすれば、多大な努力に比べて驚くほど小さな成果であるといわざるを得ないであろう。
今日「信者は洗脳(マインド・コントロール)されている」と述べる日本の心理学者は「なぜ、死や拷問の恐怖を伴わない統一教会の教育がそれほど脅威であると考えうるのか?」証明しなければならない。それは社会正義?と目される「霊感商法」は関係なく科学の真理性の問題である。
そのような流れのなか1950年代のヒッピ-文化を背景にネオ・フロイド派による「性革命」運動がはじまった。ネオ・フロイド派はフロイドの性理論を片手に「古い倫理観」の破壊と「フリ-ラブ」「フリ-セックス」を唱えた。この性の自由と言うお題目は雑誌や映画を媒体にしてノンポリ、左翼学生の間で瞬く間に広まり、約10年遅れで日本にも直撃した。
そのころまでの日本社会には江戸時代に形成された儒教の倫理観が残っていた。婚前交渉は当然少なく、離婚件数もごく少なかった。しかし1960年代左翼学生のなかで、同棲するものが現れはじめ、それは70年代の映画『同棲時代』のヒットとともに増加し、80年代、90年代を経て今日の性倫理なき時代が到来したのである。いまや巷には性欲を刺激する雑誌、ポルノがあふれ、若者の間では結婚までの間に複数の異性と性交渉するのが当たり前のようになってしまっている。若い女性の処女喪失年齢の平均は15才まで下降しているという。
このような時代に生まれた我々は子供のころからフリ-セックス思想に洗脳されているともいえる。フリ-ラブ、フリ-セックスは本当に正しい事なのだろうか?200年後の子孫達にとっては、この時代こそ奇異に見えるのではないだろうか?
一方、ワトソンの行動主義はどうだろうか?共産主義をベースにおいたこの理論も今日では信奉者は少なくなったが、以前は最も盛んな心理学であった。1915年にワトソンは全米心理学会の会長となり、以後約50年間が最盛期であった。今では研究者も少ないが、彼らの放った最後の矢がすなはち「洗脳理論」である。この理論が統一教会員に対する監禁・強制改宗の正当化に用いられるs・ハッサンの『マインド・コントロール理論』の源である。
2、これは人生観の戦いである、という事
ゆえに統一教会員は各所で唯物論思想との対決をせまられているのが現状である。「純潔運動」によってネオ・フロイド派と対決し、統一教会訴訟において「マインド・コントロール理論」を唱える行動主義心理学と対決しているのである。
ところで心理学の中には、唯物論的ではないがゆえに、有神論にやさしい心理学もまた存在している。ジェームズの宗教心理学やユングの分析心理学、さらにトランス・パーソナル心理学などである。
心理学会の内部においても、唯物論的心理学と有神論を否定しない心理学の主導権争いが有り、かつては隆盛を誇ったフロイドやワトソンの行動主義心理学は今では没落し続けており、研究者も少なくなりつつある。
3、洗脳理論(マインド・コントロール理論)と共産主義の接点
行動主義心理学は19世紀の唯物思想の影響下に生まれた。唯物思想の機械論的宇宙観をそのまま人間の心にも適用しようとして≪刺激≫≪反応≫で人の心を説明しようとした。ワトソンが行動主義を唱える前にはロシアでパブロフが条件反射を発見した。そのあたりが理論ベースになっている。
「洗脳理論」を唱えた マーガレット・シンガー博士はこの行動主義心理学者である。それゆえに彼女が作った洗脳理論は共産主義の人間観ととても良く似ている。洗脳理論は「人間の心は環境によって支配されている」と言う信念を前提としている。 この人間観はどこかで聞いた事があるはずである。言うまでもなくそれは共産主義の人間観である。
共産主義には「環境は心を支配する」と言うテーゼがある。そう考えた彼らはまず革命を起こして権力を握り、行動と情報をコントロールすれば、大衆は共産化されて行くのだと言う。もちろんこれは間違った人間観であり、東欧革命の時にチャウシスク一族を処刑したルーマニアの人々やレーニンの像を倒したモスクワの市民がそれを証明している。強制収容所と秘密警察の恐怖を持ってしても、人間の心は完全に支配できなかったのである。
この事を法廷助言書は次のように述べている。
元統一教会信者であったダビッド・モリコとトレーシー・リールが 世界基督教統一神霊協会他を被告として訴えたカリフォルニア州最高裁判所宛 法廷助言書
原告及び控訴人 ダビット・モルコ
原告及び控訴人 トレーシー・リール
被告 世界基督教統一神霊協会他
シンカー博士が『洗脳理論』を思いついたのは、朝鮮戦争で悪名高かったマインド・コントロールと称する技術であった。北朝鮮と中国において捕虜となったアメリカ兵が、敵の信念体系を受け入れたようにみえる理由を説明するために、大衆誌は、マインド・コントロール或いは「洗脳」の洗練された技術によって、捕虜達の自由意志と判断力がつぶされたという議論を展開した。自由意志という主張を取り入れずに、科学者のあるものは、極度の肉体的困憊を伴う監禁、長期の隔離、必需品の剥奪、肉体的拷問、殺しの脅迫などの条件の下で、捕虜のあるものは、以前に保持していたものとは全く異なる信念体系を一時的に受け入れるようし向けられた可能性があると論じた。このような状況では、敵のイデオロギーを受け入れることが生き残るために必要だったし、そのように捕虜が考えたのかもしれない。
中国側の捕虜となった3500人の兵士のうち、50名のみが共産主義支持を表明し、25人は本国送還を拒否した。A・シャイン の研究が強制的説得論の理論的基盤を提供しているのであるが、彼は、罰を逃れ厚遇を得るためのどうでもいい協力行為を行うことと、純粋なイデオロギー的回心を区別している。この種の協力行為が広範に見られるにもかかわらず、純粋な回心はわずかであったとシャインは述べた。彼の結論は、「中国共産党が費やした労力を考えれば、彼等のプログラムは殆ど失敗だった。」
シンガー博士はシャインの研究を彼女の強制的説得論を正当化するために使おうとしていた。しかし、シャインの知見であった身体的強制を伴う戦争捕虜という状況でも失敗した回心のための技術が、統一教会のように拘束を伴わない状況で、不法行為責任を追及するほどに有効であったのか、シンガー博士は説明しないのである。
さらに両博士はマインド・コントロール技術の効能を尊重するために、元々の戦争捕虜研究の知見を過大視している。そのような技術は神秘的でも、新しくもなく、大衆紙がかきたてるほど絶大の効果があるわけでもない
ジェームズ『洗脳の神話と現実』
「新宗教の伝道を、中国や北朝鮮の捕虜の死の恐怖と比較するのはばかげている」
サリバ『心理療法と新カルト』
「中国のモデルは教会員が監禁されている訳ではないので不適当である」
パーカー『ムーニーの成り立ち』
「この比較はバカげている」
と述べその効果を否定している。
実際のところ、死と拷問の恐怖を伴う捕虜生活の中でさえ、転向者が3500名の兵士の内、わずか50名にも満たなかったとすれば、多大な努力に比べて驚くほど小さな成果であるといわざるを得ないであろう。
今日「信者は洗脳(マインド・コントロール)されている」と述べる日本の心理学者は「なぜ、死や拷問の恐怖を伴わない統一教会の教育がそれほど脅威であると考えうるのか?」証明しなければならない。それは社会正義?と目される「霊感商法」は関係なく科学の真理性の問題である。