2012年03月20日(火) 03時58分02秒
「記者クラブを破壊する」3.11で考えが変わった-上杉隆氏インタビュー
テーマ:ピグじゃないことごと
BLOGOS編集部 2012年03月14日 10:24
大手メディアを中心とした「記者クラブ」だけが、税金で記者室を無償で供与され、官公庁などの会見や取材活動を独占し続ける「記者クラブ問題」。フリーランス・ネットメディアはもちもん、雑誌なども排除されている。この問題を指摘し続け、記者クラブ解体を目指し、戦い続ける元ジャーナリスト、上杉隆氏が40万件に及ぶ「懇談メモ」を所持していることを明かし、その一部を公開した書籍、『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 を出版した。こうしたメモにより各メディアは「オフレコ情報」まで共有し、鉢呂経産相が辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。自由報道協代表・上杉隆氏に話を聞いた(取材・執筆:永田 正行・田野幸伸【BLOGOS編集部】)
■ディベートができないから「デマ野郎」で片付ける
――まず、以前から気になっていたことを伺います。上杉さんが日ごろおっしゃっているのは、記者クラブで情報操作が日常的に行なわれており、そういうものは無い方がいいし、変えていくために今後戦っていくという事。それに対して、上杉さんには「デマを流すな」「嘘つき」と言う批判が飛んでくる。上杉さんの「記者クラブは不要だ、諸悪の根源だ」という主張に対して「上杉さんは嘘つきだ!」というのは、議論としてかみ合っていません。「記者クラブは有用だ、○○だから無くなったら困る」という反論なら良いと思います。ですが、実際のところは個人攻撃になっています。この、主張と批判が噛み合ってない現状をどうお考えでしょうか?
上杉: 日本のディベート文化の幼稚さに気づいて、随分経っています。議論の仕方が下手というか、知らないのでしょう。ディベートや議論、討論を習ってこなかったので知らないんです。
例えばある発言に対しても、全否定をする。「デマ」と言っている人たちのみならず、日本社会全体に言えることです。ある時僕が「ジャーナリズム崩壊」と指摘しました。筑紫哲也さんの番組の作りや中身について異論があると、「あいつは敵」だとなってしまう。あの筑紫さんですらそうです。
猪瀬直樹さんでも最初そうだった。道路公団についてもう10年以上前でしたかね、「違いますよね、私はこう思います」と言うだけで、正しいとは一言も言っていないんです。僕はいつも、「正しい」と言ったことはないです。これはみんな誤解しています。「私にも間違いはあります」と言っています。「こう思う」という価値観の違いをどんどん提供しています。
「正しい/間違えている」という議論をしたことは無いのに、彼らがそういう議論しかしていないため、その二次元でしかモノを判断できないんです。三次元でモノを言っている人に対して、意味がわからないから、デマだとか嘘つきと言うんですね。デマ・嘘つきというのもどこがどうと具体的に言ってくる人はいません。
「じゃあ、何の事(がデマ)ですか?」というと、最初のデマはまさにメルトダウンですよ。それから、「放射能は飛んでいない、危険でない」。あとなんだろう。ここ1年では、米軍情報。あれは合っていたでしょ? その辺りのことについて「デマ・嘘つき」と言われていました。
でも、そういうレッテルを貼ることって、自分に対する恐怖なんです。脅威とか怖いものに対して対応できないので、レッテル貼りで逃げようとする。それが既存のメディア、日本社会に住んでいる人たちなんです。その象徴が、そういうことを言う人たちです。
具体的にデマ・嘘を指摘してくださいというと、それを指摘することなく、「とにかく嘘つきなんだ!」と繰り返すんですね。だから相手にならないし、話にならない。僕も具体的に指摘されたら反論できるのに、町山智浩さんもそうでしたが、全然関係無いことを持ってくるんですよ。
町山さんと揉めている議論についても全部説明しているんですよ、「官報を読んでみてくれ」と。それをなぜかこっちが逃げているって言うんですね。今回のやりとりを見ていた人はわかると思いますが、全然逃げていないし、普通に交渉しているのに、とにかくレッテル貼りから始まる。
それはやはり既存メディアという、記者クラブシステムの中にいる人のみならず、日本全体の洗脳、ブレインウォッシュを受けている感じです。それに対して「違うんだよ」と言う人は異端で、とりあえずNOと言っておかないと、自分自身に対する否定になっちゃうんです。
年配層で説明すればわかりやすいと思いますが、朝日新聞の天声人語は「試験に出る、大学受験に出る」と言われ、70年、80年代とそうでした。そして一流企業に入った、NHKに入った、という人たちからすると、NHK が基本的に正しいと思っている。そういう人たちが信じていたものが、今や崩壊してきているわけです。3.11以降。ライブドアもそうかな。BLOGOSも。それに対して「そうだ」と認めてしまうと、自分の人生を否定することになるんです。
特に年配層ほどそうです。今の権力構造でパワーエリートの頂点に近い、上層部にいる人ほど反発が激しい。そういう意味で言論の自由を担保に、多様性をきちんと作ろうとしなくてはいけない。そういう人たちほど、ディベートができない、ものすごい社会になっています。それは私が変わるのではなくて、そっちの人たちが変わらないと無理なんですよ。
正直言って相手にしていません。Twitterではいつも言っていますが、Twitterでは議論したことが無いです。Twitterは議論に向かないメディアです。議論のきっかけ、ヒントを与えることはいい。だけれども、そこから本当にディベートするなら別のメディアでやりましょう。僕も含めて、ずっとそう呼びかけています。
端的にいうとみんな脅威・恐怖なんです。知らないものに対する恐れです。水中に泳ぐ生物が何千億年前かわからないけれども、陸上に上がる時には危険な酸素、紫外線があり、放射能もあったでしょう。上がってくる時には、知らないものだから怖いわけです。それに対しては攻撃するしかない。鎖国時代の日本がそうでしたよね、「外は危険だ危ない」と。今の北朝鮮もそうでしょう。実は、日本もそうだったというだけの話です。
■自由報道協会は「反原発」?
――著書にも書かれていますが、原発容認の人があまり会見に出てきてくれない。自由報道協会の会見が、反原発の方が多いように見えてしまっている。上杉さんもそうなんじゃないかと皆さんそう思っている。だけど、上杉さんは原発の容認派だという。これを知らない方は結構多い。
上杉:それは、みんな知りたくないからでしょう。それを知ってしまうと、自分たちの反論が成立しなくなる。非常に幼稚なんです。世の中は多様性があって、価値観がそれぞれのテーマ・イシューによって違うということが、先進国の中で日本だけできていない。
ヨーロッパなら、2月に行ったルクセンブルクの欧州会議。欧州委員会とフランス原子力規制局ですね。あの会議は、6割くらい原発賛成なんです。いろんな意見があります。賛成の中も多様で、単純に2つに分かれているわけではない。いろんな中間派もあって、その中で意見を挙げて共通点を探します。共通の意見は、「除染は人類には不可能だ」と。それから「子供は比較的弱いから避難させよう」、そういう共通認識を図ります。
みんなそれぞれスタートは、「世の中は違う人間でできている。それぞれが違うんだけれど、その中の同じものを探していきましょう」というものです。もちろん合意できない人もいますから、そこから漏れる人もいます。むしろ合意して全会一致は異常だ、全世界このサイクルです。日本だけ「すべてはひとつが正しい」と。神みたいなことです。神の国ですよね(苦笑)。
――二元論にすぐ持ち込んでしまう。
上杉:今回はまだ二元論だったからいいです。記者クラブ以外は正しくない、という絶対主義ですからね。だから、(自由報道協会会見の)実績を見てもらっても原発賛成は少ない。そういうふうに言っていますが、僕は少ないどころか、逆に多いと思っています。
(会見実績リストを見ながら)・・賛成、反対、この人も賛成でしょ・・・ほら。数えれば賛成の方が多いですよね。反対派が多い、というのはイメージなんです。ざっと見てもこんな感じです。ものすごいバイアスのかけ方をするんです。それは議論をしないから。ネットでもそうだけれども、イメージ作りをしてそこにみんなを乗っけてしまう。メディアの人たちがそうやるからです。
――「自由報道協会は反原発派の集まり」、みたいなイメージがあります。
上杉:単純に数えればいい。この作業すらやっていない。すごく幼稚な言論空間にいる、というのが前提なんです。あまりにも幼稚すぎて相手にするレベルにもなっていません。だけれども、日本人だしこの社会にいるわけですから、それをなんとかしなくちゃいけない。何が手っ取り早いかといえば、記者クラブというもの、システムが幼稚な言論空間を作り出している装置なんです。なのでその装置を破壊する。
ということで、3.11以降ここに注力しているのです。3.11前は記者クラブ賛成というか破壊とは言っていません。10年間ずっと、オープンにしてくださいと言っていただけ。あってもいいです。でも、記者クラブの人たちは知っているんです。知っているんだけれどもそうなると都合が悪いんです。
――上杉さんが敵じゃないと困る。
上杉:国民の知る権利、情報公開の見地から言えば相手側に利があるわけだから、システムの破壊者に仕立て上げる。3.11以降はそれを止めました。それは事実です。このシステムはダメだと。
僕にとっては記者クラブがあろうがなかろうが関係ない。ただ、日本の言論空間の健全化、民主化を担保するべき多様性からすると、「不健全なシステムだから、このシステムはなくした方がいい」というロジックの立て方です。そこに3.11が加わって、ほんとうに不要だと感じたのです。
――これはほんとひどい。
上杉:簡単に数えて7割くらいが賛成です。この検証をしないで言う。代表(上杉隆氏本人)は賛成ですからね。メンバーは、反対の人が多いんじゃないですかね。あ、今イメージで言ったからもしかしたら数えてみると違うかもしれない。
こうやってレッテルを貼り、ディベートをする能力も資格もないのが記者クラブなんです。砂の中に頭を突っ込んで、それを避ける。自分の都合の良いことだけ叫んで、ヤバイと思ったらまた突っ込む。この繰り返しをしているのが記者クラブというシステム、私が関わった12年間ですね。ほとほと呆れたというか、もう怒りなんかは無いです。10年以上前に消えています。
あとはこれをなんとかしなくちゃいけないなと思います。そこにいる記者個人個人は優秀だから、早くこのシステムを破壊することによって、解放すれば良い。emancipation(解放)と言っているのはオープン化の解放、記者クラブを解放すれば記者個人の自由な仕事ができる。
それが普通の世界基準だから、解き放つ方の解放ですね。それをするべきだ、私の狙いはそこです。「ジャーナリズム崩壊 」(幻冬舎新書)に4年前に書きました。それは今も変わっていません。
■40万におよぶ「癒着メモ」
――今回の本で驚いたのは、いわゆる懇談メモです。「あ、これを出しちゃうんだ」と。これも全部出して「こういう体制なんだ」ということを、見せて戦っていく。今回、これを公開に踏み切った理由という
のはあったのでしょうか?
上杉:ジャーナリストって、外国向けにはやっているんです。英語の名刺には書いている。しかし、日本語の方はもう止めました。つまり、日本でのジャーナリスト活動は止めた。
なぜかというと、恥ずかしいというのと同時に、将来いろんなジャーナリストが出てきてこの時代を振り返った時に、「なんだこの新大本営は」となってしまう。これは先ほど名付けたんですが。
新大本営の発表に「何もできなかった」じゃないか、と言われることは歴史に裁かれる可能性が非常に高い。その時にジャーナリストと名乗るのは恥です。恥の文化である日本において、自分の良心が許さないわけです。加担することにつながるから。だから、やめようというのが去年の3月のことでした。
そして「やめるのなら、新しい言論空間を作ろう」と思ったのです。彼らを12年間待ったわけです。こちらからは、紳士的に開いてくださいと。いろんなアプローチをやったんだけれども、結局できなかった。
何万人もいるのに。誰一人やらなかったんです。「俺はやった」「俺は考えた」とみんないろいろ言い訳しますが、結局誰もやらなかった。自分たちは行動を起こさなかった。だったらあんたたちのやっていることはどういうことか、わからせてあげないといけないと思いました。
自由報道協会を作ったのはそういうことです。例えば、記者会見がおかしい。日本の記者はみんな幼稚だから、ほんとうの記者会見を知らない。外国でやっているように、アクセス権を公平にすると。自由報道協会で、「こういうやり方が本物ですよ。あなたたちがなんと言おうとこれが世界の標準です」というのをずっと提示してきたわけです。ところが、それでも気づかない。気づいているけれども、気づきたくないんでしょう。
だったらあなたたちがやっていることを、出してあげましょう。と言って、その時思ったのが、懇談メモなんです。全部出しちゃおうと。
ただ、ジャーナリストの間はこれを出すのはフェアじゃないと思って、出さなかった。「ジャーナリストをたたんでから、出しましょう。これを正しいというつもりはありません。皆さんでどうぞ判断してください。反論があるなら反論してください。訴えたいなら訴えてください。まあ訴えられないでしょう」と。武士の情けで記者の名前だけは伏せてあります。それはどうしてかというと、この他にまだ40万メモくらいありますよ。12年分。出したくないものがいっぱいあるんだと。
――早く気づいてほしい。
上杉:だから自分たちでやれと。12月に出してから、これはうがった見方かもしれませんが、自分たちで検証をやりだしたのかな。たとえば事務局長もそうだし。いろんな形で少し報道が自ら変わっているかもしれません。まだまだ甘い、100点満点からすると3点くらいですけれど(苦笑)。ただ、やっていなかった時よりも少し加速したのかな。要するにアイツに出される前に出した方がいいと。そういう意味で出した。「自分たちでやれ」と。出されるよりいいでしょと。これは相当インパクトがある。
おとといもそうですけれど、記者クラブでランチしているんです。フジと朝日と共同と読売の記者と毎月一回ずつランチをしています。もちろん上の方です。いろんな会が出てくるんです。危機感を持っていますね。TBSの局長の一個下のクラスもいます。
要するに、こんな感じでやっていると、絶対会っていないように思えるでしょ? ですが、ずっと普通に会っています。彼らこそ危機感を持っているから。なんとかしないとって。電通の人とかもずっと会っています。
先週、枝野幸男経済産業相と飯食って。ああいうふうにやっていても、元からの付き合いがあるからそういうもんなんです。競争でギャアギャア言っている人もいるけれど、もう本当にわかっていないなあと思う。わかっているあなたたちがやらないとダメですよ。ランチしながら、「いい加減にそろそろやらないとほんとうに潰れますよ」そういうことを言っています。向こうも危機感を持っているから、「どうすればいい?」って。
毎回同じことを言っている(苦笑)。12年間同じことを言っている。ほんとに12年前と同じ。朝日だったら秋山さん、局長の頃に、集まって電通の人を呼んでどうすればいいんだって。僕が「朝日ニュースター時代にレクチャーしたじゃないですか。なんでやっていないんだ」というと、「いやいや、これから、今やろうとしている。日経が先にやっている」と。12年前からおんなじことをっているんです。
彼らが自分で動かさないと。外から言われても、変わらないんです。当たり前ですよね。プロ野球チームに対して評論家が外から言っても、結局は中の監督がやらないと変わらない。それと一緒で、記者クラブ問題というのは、記者たちの問題なんです。外の人間がいくら言っても変わらない。自分たちでやらなくちゃいけない。
そういう意味で、あなたたちのようにひどいことをやっている人間は、少しは考えた方がいいよ、と爆弾を落としたわけです。これは目的じゃなくて、あくまで手段として。核爆弾と一緒で、全部使うと終わってしまう。「これはまだジャブ程度」と言ったのは、そういう意味です。もっとひどいのがいっぱいある。
もしやるんだったら、それを爆発させないです。もっとすごいことを知っていますから。これが出たということは全員気づいているんです。「ボタンを押させるなよ。こっちも自爆するけどお前たちも一緒だぞ」と言っているんです。それにも関わらず、私たちの事情を知らない人たちが湧いてくる。
■メモの入手はどこから?
――メモの入手先というのは、貴重なソースという言い方をされています。おそらく議員秘書をやっていたこともあり、そういった頃の人脈かなと想像します。当然、話せない部分はあると思います。貴重なソースという部分をもう少し広げて、具体的にお話することはできるでしょうか?
上杉:狭めるんじゃなくて、広げるんですか(笑)?
――まったく想像がつかないんですね。想像はするのですが、記者クラブのメモがなぜ上杉さんのところに集まるのか。
上杉:これそのまま。(本の挿絵を見ながら)。これなんです。僕は官邸から取っているわけです。誰とは言わないけれど、どうしてここかと言うと、官邸にすべてのメモが上がってくるんですよ。
仲がいいから、NHKからとったり、朝日からとったとなると、最初の一個しか取れないわけです。メモが。ですが、これで全部取れますよね。全部持っているんですよ。全部持っているというのは、もちろん一個一個くださいなんてできませんよね。
なので、それを集約しているところからもらうしかない。それは官邸しかない、だからここです、と言っているんです。ただ、12年間もここからですというとわかってしまう。政権交代もあったし、「なんで政権交代があったのに?」となってしまう。
――残っている人が誰かわかってしまいますよね。
上杉: 12年前はパソコンなんてありませんでしたから。元々、こんなメモはネット上では取れなかった。じゃあなんで紙の時から持っているんだ。というのは、要するにこの辺りの人たちなんです。確かに秘書をやっていたことも大きいんですが、それだけではないです。どうしてかというのはソースに触れてしまうので。
いずれにせよ、結果としては官邸からです。政治部は政治部、経済部は経済部でまたあったりします。社会部も、実は警察を中心にこういうのがあったりします。全部ありますね。これはみんな知っているわけです。言わなくても。
でも一般の人はこれを見て驚愕しているんです。「そんな映画みたいなことがあるのか」って。中にいた人は、日常化して当たり前なんです。僕も実は当たり前だと思っていたから、12年間持っていたけれども、武器として使う感覚はなかったんです。
ところが、烏賀陽弘道さんと畠山理仁さんと小川裕夫さん、岩上安身さんと「自由すぎる報道協会」というユニットをやりました。そこで、烏賀陽さんが「それすごいね!」って。僕からすると、「え? なんで?」みたいな。その時、それがすごいんだと自分でも初めて認識したんです。
「じゃあちゃんと中身を見てみよう」と言って自分で見たら、一日150枚か200枚くらい。A4で。今までどうでもいいと思っていたから、ちゃんと見ていなかったんですね。確かにすごいことも書いてあるんです。
確かにクズなことも書いています。知らない人からすれば、中身よりこのシステム自体が驚愕なんだと。それはそうだな。これは官僚にずっと渡っているから。「官僚はやりたい放題じゃないか、これが官僚主義の最強の武器なんだ」って気づいたんです。
だから記者クラブシステムが無ければ、こんな情報は上がらない。このシステムを作ったのが、記者クラブの問題なんです。
■AKB48高橋みなみの母、逮捕報道の自粛
――クラブがあってこのシステムもあって、マスコミ報道は横並びです。最近似たような事象で、AKB48高橋みなみさんのお母さんが逮捕された事件がありましたね。テレビで報じたのは上杉さんがレギュラーの北海道のU型テレビだけ。クラブが無くても、横並びでやってしまう。スポンサーがあろうとなかろうと、自主規制してしまうものなのでしょうか。
上杉:自主規制という内部圧力、コンプライアンスという内部圧力。それも圧力と言っていいと思います。だって空気ですから。勝手に作り出しているんですよ。勝手に作ってくれと(苦笑)。
それを打ち破るのは自分でしかできないんです。お手伝いする作業はいろんなところでやってきています。手を変え品を変え。そういう意味では、今回具体的に圧力がかかったのは、震災前だけですよね。
震災の3.11以降は無い、すべて自主規制です。TBSもそうだし。津田大介も昨日メールをくれて、俺は自由に喋っているよって。「いやいや、お前何言っているんだ、それは3.11以降だろ」って。3.11以降、最初厳しかったけれど、途中から(東電の批判も)喋っている。横並びに。もちろん逆の横並びですよ。
――「あそこが攻撃しはじめたから、ウチも」という。
上杉:工程表の時はそうでもなかったですかね。田中真紀子の時もずっとそう思っていました。もう10何年前ですけれど。みんな番組が同じように自主規制で。で、僕のコメントを無くして脅してやって。5月に秘書官と事故だのなんだのあってからは、手のひらを返して。
そういうのがアンフェアだ、とずっと言っているんです。そういう反吐が出る行為というのが繰り返されています。ウチとしてはまたかという感覚なんですね。田中真紀子のみならず、石原慎太郎もそうだったし。あとはNHKの海老沢さんもそうだった。
ところが最初にやった人に関しては、自分たちがやったって、相手に手柄を与えるようなことはしないから、デマ・嘘つきのままにしておくんです。あるいは適当だとかインチキだとか。
ジャニーズだって、ニューヨーク・タイムズと東スポと週刊文春しかやっていなかった。そのうちの一つなんですが、ニューヨーク・タイムズに出会って、あの時はニューヨーク・タイムズがこうだって言っていた。ジャニーズを三回も記事にしているのに、他はゼロ。
本当にひどい国だなというか、ひどいメディアを持った国。最低レベルでしょう。その最低レベルを潰しても仕方ないんです。最低のものを潰しても、最低のままだから。だから少しでも世界標準に近づこうと思って、自由報道協会を作ったんです。
世界ではこれは認められるけれども、社団法人なり公益法人申請をして。ヨーロッパでも。日本ではカス扱いですからね。この辺が限界でしょう。
(続く)
大手メディアを中心とした「記者クラブ」だけが、税金で記者室を無償で供与され、官公庁などの会見や取材活動を独占し続ける「記者クラブ問題」。フリーランス・ネットメディアはもちもん、雑誌なども排除されている。この問題を指摘し続け、記者クラブ解体を目指し、戦い続ける元ジャーナリスト、上杉隆氏が40万件に及ぶ「懇談メモ」を所持していることを明かし、その一部を公開した書籍、『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 を出版した。こうしたメモにより各メディアは「オフレコ情報」まで共有し、鉢呂経産相が辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。自由報道協代表・上杉隆氏に話を聞いた(取材・執筆:永田 正行・田野幸伸【BLOGOS編集部】)
■ディベートができないから「デマ野郎」で片付ける
――まず、以前から気になっていたことを伺います。上杉さんが日ごろおっしゃっているのは、記者クラブで情報操作が日常的に行なわれており、そういうものは無い方がいいし、変えていくために今後戦っていくという事。それに対して、上杉さんには「デマを流すな」「嘘つき」と言う批判が飛んでくる。上杉さんの「記者クラブは不要だ、諸悪の根源だ」という主張に対して「上杉さんは嘘つきだ!」というのは、議論としてかみ合っていません。「記者クラブは有用だ、○○だから無くなったら困る」という反論なら良いと思います。ですが、実際のところは個人攻撃になっています。この、主張と批判が噛み合ってない現状をどうお考えでしょうか?
上杉: 日本のディベート文化の幼稚さに気づいて、随分経っています。議論の仕方が下手というか、知らないのでしょう。ディベートや議論、討論を習ってこなかったので知らないんです。
例えばある発言に対しても、全否定をする。「デマ」と言っている人たちのみならず、日本社会全体に言えることです。ある時僕が「ジャーナリズム崩壊」と指摘しました。筑紫哲也さんの番組の作りや中身について異論があると、「あいつは敵」だとなってしまう。あの筑紫さんですらそうです。
猪瀬直樹さんでも最初そうだった。道路公団についてもう10年以上前でしたかね、「違いますよね、私はこう思います」と言うだけで、正しいとは一言も言っていないんです。僕はいつも、「正しい」と言ったことはないです。これはみんな誤解しています。「私にも間違いはあります」と言っています。「こう思う」という価値観の違いをどんどん提供しています。
「正しい/間違えている」という議論をしたことは無いのに、彼らがそういう議論しかしていないため、その二次元でしかモノを判断できないんです。三次元でモノを言っている人に対して、意味がわからないから、デマだとか嘘つきと言うんですね。デマ・嘘つきというのもどこがどうと具体的に言ってくる人はいません。
「じゃあ、何の事(がデマ)ですか?」というと、最初のデマはまさにメルトダウンですよ。それから、「放射能は飛んでいない、危険でない」。あとなんだろう。ここ1年では、米軍情報。あれは合っていたでしょ? その辺りのことについて「デマ・嘘つき」と言われていました。
でも、そういうレッテルを貼ることって、自分に対する恐怖なんです。脅威とか怖いものに対して対応できないので、レッテル貼りで逃げようとする。それが既存のメディア、日本社会に住んでいる人たちなんです。その象徴が、そういうことを言う人たちです。
具体的にデマ・嘘を指摘してくださいというと、それを指摘することなく、「とにかく嘘つきなんだ!」と繰り返すんですね。だから相手にならないし、話にならない。僕も具体的に指摘されたら反論できるのに、町山智浩さんもそうでしたが、全然関係無いことを持ってくるんですよ。
町山さんと揉めている議論についても全部説明しているんですよ、「官報を読んでみてくれ」と。それをなぜかこっちが逃げているって言うんですね。今回のやりとりを見ていた人はわかると思いますが、全然逃げていないし、普通に交渉しているのに、とにかくレッテル貼りから始まる。
それはやはり既存メディアという、記者クラブシステムの中にいる人のみならず、日本全体の洗脳、ブレインウォッシュを受けている感じです。それに対して「違うんだよ」と言う人は異端で、とりあえずNOと言っておかないと、自分自身に対する否定になっちゃうんです。
年配層で説明すればわかりやすいと思いますが、朝日新聞の天声人語は「試験に出る、大学受験に出る」と言われ、70年、80年代とそうでした。そして一流企業に入った、NHKに入った、という人たちからすると、NHK が基本的に正しいと思っている。そういう人たちが信じていたものが、今や崩壊してきているわけです。3.11以降。ライブドアもそうかな。BLOGOSも。それに対して「そうだ」と認めてしまうと、自分の人生を否定することになるんです。
特に年配層ほどそうです。今の権力構造でパワーエリートの頂点に近い、上層部にいる人ほど反発が激しい。そういう意味で言論の自由を担保に、多様性をきちんと作ろうとしなくてはいけない。そういう人たちほど、ディベートができない、ものすごい社会になっています。それは私が変わるのではなくて、そっちの人たちが変わらないと無理なんですよ。
正直言って相手にしていません。Twitterではいつも言っていますが、Twitterでは議論したことが無いです。Twitterは議論に向かないメディアです。議論のきっかけ、ヒントを与えることはいい。だけれども、そこから本当にディベートするなら別のメディアでやりましょう。僕も含めて、ずっとそう呼びかけています。
端的にいうとみんな脅威・恐怖なんです。知らないものに対する恐れです。水中に泳ぐ生物が何千億年前かわからないけれども、陸上に上がる時には危険な酸素、紫外線があり、放射能もあったでしょう。上がってくる時には、知らないものだから怖いわけです。それに対しては攻撃するしかない。鎖国時代の日本がそうでしたよね、「外は危険だ危ない」と。今の北朝鮮もそうでしょう。実は、日本もそうだったというだけの話です。
■自由報道協会は「反原発」?
――著書にも書かれていますが、原発容認の人があまり会見に出てきてくれない。自由報道協会の会見が、反原発の方が多いように見えてしまっている。上杉さんもそうなんじゃないかと皆さんそう思っている。だけど、上杉さんは原発の容認派だという。これを知らない方は結構多い。
上杉:それは、みんな知りたくないからでしょう。それを知ってしまうと、自分たちの反論が成立しなくなる。非常に幼稚なんです。世の中は多様性があって、価値観がそれぞれのテーマ・イシューによって違うということが、先進国の中で日本だけできていない。
ヨーロッパなら、2月に行ったルクセンブルクの欧州会議。欧州委員会とフランス原子力規制局ですね。あの会議は、6割くらい原発賛成なんです。いろんな意見があります。賛成の中も多様で、単純に2つに分かれているわけではない。いろんな中間派もあって、その中で意見を挙げて共通点を探します。共通の意見は、「除染は人類には不可能だ」と。それから「子供は比較的弱いから避難させよう」、そういう共通認識を図ります。
みんなそれぞれスタートは、「世の中は違う人間でできている。それぞれが違うんだけれど、その中の同じものを探していきましょう」というものです。もちろん合意できない人もいますから、そこから漏れる人もいます。むしろ合意して全会一致は異常だ、全世界このサイクルです。日本だけ「すべてはひとつが正しい」と。神みたいなことです。神の国ですよね(苦笑)。
――二元論にすぐ持ち込んでしまう。
上杉:今回はまだ二元論だったからいいです。記者クラブ以外は正しくない、という絶対主義ですからね。だから、(自由報道協会会見の)実績を見てもらっても原発賛成は少ない。そういうふうに言っていますが、僕は少ないどころか、逆に多いと思っています。
(会見実績リストを見ながら)・・賛成、反対、この人も賛成でしょ・・・ほら。数えれば賛成の方が多いですよね。反対派が多い、というのはイメージなんです。ざっと見てもこんな感じです。ものすごいバイアスのかけ方をするんです。それは議論をしないから。ネットでもそうだけれども、イメージ作りをしてそこにみんなを乗っけてしまう。メディアの人たちがそうやるからです。
――「自由報道協会は反原発派の集まり」、みたいなイメージがあります。
上杉:単純に数えればいい。この作業すらやっていない。すごく幼稚な言論空間にいる、というのが前提なんです。あまりにも幼稚すぎて相手にするレベルにもなっていません。だけれども、日本人だしこの社会にいるわけですから、それをなんとかしなくちゃいけない。何が手っ取り早いかといえば、記者クラブというもの、システムが幼稚な言論空間を作り出している装置なんです。なのでその装置を破壊する。
ということで、3.11以降ここに注力しているのです。3.11前は記者クラブ賛成というか破壊とは言っていません。10年間ずっと、オープンにしてくださいと言っていただけ。あってもいいです。でも、記者クラブの人たちは知っているんです。知っているんだけれどもそうなると都合が悪いんです。
――上杉さんが敵じゃないと困る。
上杉:国民の知る権利、情報公開の見地から言えば相手側に利があるわけだから、システムの破壊者に仕立て上げる。3.11以降はそれを止めました。それは事実です。このシステムはダメだと。
僕にとっては記者クラブがあろうがなかろうが関係ない。ただ、日本の言論空間の健全化、民主化を担保するべき多様性からすると、「不健全なシステムだから、このシステムはなくした方がいい」というロジックの立て方です。そこに3.11が加わって、ほんとうに不要だと感じたのです。
――これはほんとひどい。
上杉:簡単に数えて7割くらいが賛成です。この検証をしないで言う。代表(上杉隆氏本人)は賛成ですからね。メンバーは、反対の人が多いんじゃないですかね。あ、今イメージで言ったからもしかしたら数えてみると違うかもしれない。
こうやってレッテルを貼り、ディベートをする能力も資格もないのが記者クラブなんです。砂の中に頭を突っ込んで、それを避ける。自分の都合の良いことだけ叫んで、ヤバイと思ったらまた突っ込む。この繰り返しをしているのが記者クラブというシステム、私が関わった12年間ですね。ほとほと呆れたというか、もう怒りなんかは無いです。10年以上前に消えています。
あとはこれをなんとかしなくちゃいけないなと思います。そこにいる記者個人個人は優秀だから、早くこのシステムを破壊することによって、解放すれば良い。emancipation(解放)と言っているのはオープン化の解放、記者クラブを解放すれば記者個人の自由な仕事ができる。
それが普通の世界基準だから、解き放つ方の解放ですね。それをするべきだ、私の狙いはそこです。「ジャーナリズム崩壊 」(幻冬舎新書)に4年前に書きました。それは今も変わっていません。
■40万におよぶ「癒着メモ」
――今回の本で驚いたのは、いわゆる懇談メモです。「あ、これを出しちゃうんだ」と。これも全部出して「こういう体制なんだ」ということを、見せて戦っていく。今回、これを公開に踏み切った理由という
のはあったのでしょうか?
上杉:ジャーナリストって、外国向けにはやっているんです。英語の名刺には書いている。しかし、日本語の方はもう止めました。つまり、日本でのジャーナリスト活動は止めた。
なぜかというと、恥ずかしいというのと同時に、将来いろんなジャーナリストが出てきてこの時代を振り返った時に、「なんだこの新大本営は」となってしまう。これは先ほど名付けたんですが。
新大本営の発表に「何もできなかった」じゃないか、と言われることは歴史に裁かれる可能性が非常に高い。その時にジャーナリストと名乗るのは恥です。恥の文化である日本において、自分の良心が許さないわけです。加担することにつながるから。だから、やめようというのが去年の3月のことでした。
そして「やめるのなら、新しい言論空間を作ろう」と思ったのです。彼らを12年間待ったわけです。こちらからは、紳士的に開いてくださいと。いろんなアプローチをやったんだけれども、結局できなかった。
何万人もいるのに。誰一人やらなかったんです。「俺はやった」「俺は考えた」とみんないろいろ言い訳しますが、結局誰もやらなかった。自分たちは行動を起こさなかった。だったらあんたたちのやっていることはどういうことか、わからせてあげないといけないと思いました。
自由報道協会を作ったのはそういうことです。例えば、記者会見がおかしい。日本の記者はみんな幼稚だから、ほんとうの記者会見を知らない。外国でやっているように、アクセス権を公平にすると。自由報道協会で、「こういうやり方が本物ですよ。あなたたちがなんと言おうとこれが世界の標準です」というのをずっと提示してきたわけです。ところが、それでも気づかない。気づいているけれども、気づきたくないんでしょう。
だったらあなたたちがやっていることを、出してあげましょう。と言って、その時思ったのが、懇談メモなんです。全部出しちゃおうと。
ただ、ジャーナリストの間はこれを出すのはフェアじゃないと思って、出さなかった。「ジャーナリストをたたんでから、出しましょう。これを正しいというつもりはありません。皆さんでどうぞ判断してください。反論があるなら反論してください。訴えたいなら訴えてください。まあ訴えられないでしょう」と。武士の情けで記者の名前だけは伏せてあります。それはどうしてかというと、この他にまだ40万メモくらいありますよ。12年分。出したくないものがいっぱいあるんだと。
――早く気づいてほしい。
上杉:だから自分たちでやれと。12月に出してから、これはうがった見方かもしれませんが、自分たちで検証をやりだしたのかな。たとえば事務局長もそうだし。いろんな形で少し報道が自ら変わっているかもしれません。まだまだ甘い、100点満点からすると3点くらいですけれど(苦笑)。ただ、やっていなかった時よりも少し加速したのかな。要するにアイツに出される前に出した方がいいと。そういう意味で出した。「自分たちでやれ」と。出されるよりいいでしょと。これは相当インパクトがある。
おとといもそうですけれど、記者クラブでランチしているんです。フジと朝日と共同と読売の記者と毎月一回ずつランチをしています。もちろん上の方です。いろんな会が出てくるんです。危機感を持っていますね。TBSの局長の一個下のクラスもいます。
要するに、こんな感じでやっていると、絶対会っていないように思えるでしょ? ですが、ずっと普通に会っています。彼らこそ危機感を持っているから。なんとかしないとって。電通の人とかもずっと会っています。
先週、枝野幸男経済産業相と飯食って。ああいうふうにやっていても、元からの付き合いがあるからそういうもんなんです。競争でギャアギャア言っている人もいるけれど、もう本当にわかっていないなあと思う。わかっているあなたたちがやらないとダメですよ。ランチしながら、「いい加減にそろそろやらないとほんとうに潰れますよ」そういうことを言っています。向こうも危機感を持っているから、「どうすればいい?」って。
毎回同じことを言っている(苦笑)。12年間同じことを言っている。ほんとに12年前と同じ。朝日だったら秋山さん、局長の頃に、集まって電通の人を呼んでどうすればいいんだって。僕が「朝日ニュースター時代にレクチャーしたじゃないですか。なんでやっていないんだ」というと、「いやいや、これから、今やろうとしている。日経が先にやっている」と。12年前からおんなじことをっているんです。
彼らが自分で動かさないと。外から言われても、変わらないんです。当たり前ですよね。プロ野球チームに対して評論家が外から言っても、結局は中の監督がやらないと変わらない。それと一緒で、記者クラブ問題というのは、記者たちの問題なんです。外の人間がいくら言っても変わらない。自分たちでやらなくちゃいけない。
そういう意味で、あなたたちのようにひどいことをやっている人間は、少しは考えた方がいいよ、と爆弾を落としたわけです。これは目的じゃなくて、あくまで手段として。核爆弾と一緒で、全部使うと終わってしまう。「これはまだジャブ程度」と言ったのは、そういう意味です。もっとひどいのがいっぱいある。
もしやるんだったら、それを爆発させないです。もっとすごいことを知っていますから。これが出たということは全員気づいているんです。「ボタンを押させるなよ。こっちも自爆するけどお前たちも一緒だぞ」と言っているんです。それにも関わらず、私たちの事情を知らない人たちが湧いてくる。
■メモの入手はどこから?
――メモの入手先というのは、貴重なソースという言い方をされています。おそらく議員秘書をやっていたこともあり、そういった頃の人脈かなと想像します。当然、話せない部分はあると思います。貴重なソースという部分をもう少し広げて、具体的にお話することはできるでしょうか?
上杉:狭めるんじゃなくて、広げるんですか(笑)?
――まったく想像がつかないんですね。想像はするのですが、記者クラブのメモがなぜ上杉さんのところに集まるのか。
上杉:これそのまま。(本の挿絵を見ながら)。これなんです。僕は官邸から取っているわけです。誰とは言わないけれど、どうしてここかと言うと、官邸にすべてのメモが上がってくるんですよ。
仲がいいから、NHKからとったり、朝日からとったとなると、最初の一個しか取れないわけです。メモが。ですが、これで全部取れますよね。全部持っているんですよ。全部持っているというのは、もちろん一個一個くださいなんてできませんよね。
なので、それを集約しているところからもらうしかない。それは官邸しかない、だからここです、と言っているんです。ただ、12年間もここからですというとわかってしまう。政権交代もあったし、「なんで政権交代があったのに?」となってしまう。
――残っている人が誰かわかってしまいますよね。
上杉: 12年前はパソコンなんてありませんでしたから。元々、こんなメモはネット上では取れなかった。じゃあなんで紙の時から持っているんだ。というのは、要するにこの辺りの人たちなんです。確かに秘書をやっていたことも大きいんですが、それだけではないです。どうしてかというのはソースに触れてしまうので。
いずれにせよ、結果としては官邸からです。政治部は政治部、経済部は経済部でまたあったりします。社会部も、実は警察を中心にこういうのがあったりします。全部ありますね。これはみんな知っているわけです。言わなくても。
でも一般の人はこれを見て驚愕しているんです。「そんな映画みたいなことがあるのか」って。中にいた人は、日常化して当たり前なんです。僕も実は当たり前だと思っていたから、12年間持っていたけれども、武器として使う感覚はなかったんです。
ところが、烏賀陽弘道さんと畠山理仁さんと小川裕夫さん、岩上安身さんと「自由すぎる報道協会」というユニットをやりました。そこで、烏賀陽さんが「それすごいね!」って。僕からすると、「え? なんで?」みたいな。その時、それがすごいんだと自分でも初めて認識したんです。
「じゃあちゃんと中身を見てみよう」と言って自分で見たら、一日150枚か200枚くらい。A4で。今までどうでもいいと思っていたから、ちゃんと見ていなかったんですね。確かにすごいことも書いてあるんです。
確かにクズなことも書いています。知らない人からすれば、中身よりこのシステム自体が驚愕なんだと。それはそうだな。これは官僚にずっと渡っているから。「官僚はやりたい放題じゃないか、これが官僚主義の最強の武器なんだ」って気づいたんです。
だから記者クラブシステムが無ければ、こんな情報は上がらない。このシステムを作ったのが、記者クラブの問題なんです。
■AKB48高橋みなみの母、逮捕報道の自粛
――クラブがあってこのシステムもあって、マスコミ報道は横並びです。最近似たような事象で、AKB48高橋みなみさんのお母さんが逮捕された事件がありましたね。テレビで報じたのは上杉さんがレギュラーの北海道のU型テレビだけ。クラブが無くても、横並びでやってしまう。スポンサーがあろうとなかろうと、自主規制してしまうものなのでしょうか。
上杉:自主規制という内部圧力、コンプライアンスという内部圧力。それも圧力と言っていいと思います。だって空気ですから。勝手に作り出しているんですよ。勝手に作ってくれと(苦笑)。
それを打ち破るのは自分でしかできないんです。お手伝いする作業はいろんなところでやってきています。手を変え品を変え。そういう意味では、今回具体的に圧力がかかったのは、震災前だけですよね。
震災の3.11以降は無い、すべて自主規制です。TBSもそうだし。津田大介も昨日メールをくれて、俺は自由に喋っているよって。「いやいや、お前何言っているんだ、それは3.11以降だろ」って。3.11以降、最初厳しかったけれど、途中から(東電の批判も)喋っている。横並びに。もちろん逆の横並びですよ。
――「あそこが攻撃しはじめたから、ウチも」という。
上杉:工程表の時はそうでもなかったですかね。田中真紀子の時もずっとそう思っていました。もう10何年前ですけれど。みんな番組が同じように自主規制で。で、僕のコメントを無くして脅してやって。5月に秘書官と事故だのなんだのあってからは、手のひらを返して。
そういうのがアンフェアだ、とずっと言っているんです。そういう反吐が出る行為というのが繰り返されています。ウチとしてはまたかという感覚なんですね。田中真紀子のみならず、石原慎太郎もそうだったし。あとはNHKの海老沢さんもそうだった。
ところが最初にやった人に関しては、自分たちがやったって、相手に手柄を与えるようなことはしないから、デマ・嘘つきのままにしておくんです。あるいは適当だとかインチキだとか。
ジャニーズだって、ニューヨーク・タイムズと東スポと週刊文春しかやっていなかった。そのうちの一つなんですが、ニューヨーク・タイムズに出会って、あの時はニューヨーク・タイムズがこうだって言っていた。ジャニーズを三回も記事にしているのに、他はゼロ。
本当にひどい国だなというか、ひどいメディアを持った国。最低レベルでしょう。その最低レベルを潰しても仕方ないんです。最低のものを潰しても、最低のままだから。だから少しでも世界標準に近づこうと思って、自由報道協会を作ったんです。
世界ではこれは認められるけれども、社団法人なり公益法人申請をして。ヨーロッパでも。日本ではカス扱いですからね。この辺が限界でしょう。
(続く)