特集ワイド:社会文化会館「三宅坂」解体へ 夢、館とともに去りぬ

毎日新聞 2013年01月29日 東京夕刊

社民党本部の思い出を語る福島瑞穂党首。2〜4階にはバルコニーがあり、政権獲得時には国民に手を振る場と伝えられる=東京都千代田区で久保玲撮影
社民党本部の思い出を語る福島瑞穂党首。2〜4階にはバルコニーがあり、政権獲得時には国民に手を振る場と伝えられる=東京都千代田区で久保玲撮影
歴代の委員長らの写真が掲げられた社民党党首室から執務机を運び出す業者=2013年1月26日、武市公孝撮影
歴代の委員長らの写真が掲げられた社民党党首室から執務机を運び出す業者=2013年1月26日、武市公孝撮影

 表舞台から消えていく会館の歴史をひもといてみよう。建設の中心になったのは、党書記長や委員長代行を務めた故江田三郎氏(1907〜77年)。長男で民主党最高顧問の江田五月元参院議長は話す。「建設の経緯はよく知らないが、父が学生時代の人脈などを生かして経営者らに掛け合って寄付を集めた。そのことが『江田は階級闘争を忘れて、労働者階級の敵になった』と党内で批判された」

 高度成長に沸く中、三郎氏は「革命ではなく、時代に合った経済・労働政策で自民党に勝って政権交代しようとしたが、党内左派の猛反発に遭った」と御厨氏は話す。三郎氏は77年、追われるように社会党を去り、社会市民連合を結成した直後に亡くなった。

 五月氏が打ち明ける。「父が当時、党幹部へのお別れのあいさつを思い出深い社会文化会館でさせてほしいと言ったら『裏切り者は党本部に入るべからず』と拒否された。離党届はホテルで渡した。父は過去を振り返らない性格なので、その時の心境は話さなかったが、想像してみると『我が愛する社会党は別れも言えない党になったのか』と思ったのではないか」

 文化会館が消えることに感慨はないか、と聞いてみた。「文化会館は社会党が歩むべき道を象徴していたが、現実に歩んだ道は違ってしまった。戦後日本の政治の一翼を担ってきた社会党は、階級闘争の議論から抜け出せなかった。だから父が離党した時に社会党の役目は終わったと思っています」

 一方、御厨氏は、村山富市氏(元社会党委員長、元社民党党首)が首相だった94年、自衛隊合憲と日米安保堅持を打ち出した瞬間、党の歴史的な役割は終わったとの認識を示す。「非武装中立という党是のために戦う議員がいなかった。後は変節に次ぐ変節。支持を失って党勢が衰えるにつれ、落選議員が会館に居着くようになって、党外部との交流が薄まり、国民に開かれた館というイメージも消えた。一つの権力の館がついえることになる」

 最盛期の1950年代末には両院で約250人いた国会議員は、衆院は昨年の総選挙で公示前の5人から2人になり、参院は4人。永田町での存在は「ミニ政党」扱いだ。

 それでも福島氏は意気消沈しない。本部移転は「社民党のリ・ボーン(生まれ変わり)、リ・スタート、リ・オープンにしたい」と語る。「国会議員数を1回の選挙で3桁に増やすことはできないが、脱原発や平和を望む国民の思いは本物です。全国を回って脱原発の思いや憲法改悪の危機を訴えていきたい」。村山氏は「党再生は困難な道だが、今は憲法が危機的な状況だ。憲法9条を守ることを改めて訴え、党の存在意義を示していくしかない」と語る。

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