◇職場での振る舞い、行動について連載します。

これより、「職場における悩み」とその解決について連載で述べたい。
以下に述べることは、あくまで個人的意見であることをご理解頂いた上で、「そういう見方、考え方があるのか」という程度で参考にしていただければと思う。
私たちは学会員である。
信心をしている。
そして、「祈りとして叶わざるなし」の御本尊がある。
よく、「本当に叶うのか」とか、「私は唱題していても願いが叶わない」という人がいる。それは職場に限ったことではない。
家族問題、友人問題、恋愛、病気など、その解決を望み祈るのであるが、その問題は簡単に解決できないのである。
最高の信仰がありながら、何故、解決できないのであろうか?
先日、「面従腹背」という記事を書いたとき、いつもありがとうございますさんが次のようなコメントをくださった。(一部抜粋、一部文章変更した)
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何の為に働くのか?
生きていくため、平たく言えば食うため、大切な人を養うためですね。
その気持ちが強い人ほど、命懸けで働いています。いい格好なんて言ってられません。営利を目的とした企業に勤めれば、面従腹背は当たり前です。
出るくいは打たれる。上司の出世の邪魔になる部下など要りません。当然ですね。組織とはそういう光と影の部分はあります。
その上で仏法者として、会社の繁栄、経営者、直属の上司の幸福、健康、長寿を日夜真剣に祈っている人と、自己の窮状のみを祈っている人では、依報は全く変わりますね。
人間界を生きる以上、煩悩渦巻く依報に生きるしかありません。
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「面従腹背」の記事は、→
ここをクリック!この文章にはいくつか、仕事をしていく上で重要な項目が書かれている。
1つに、「面従腹背は当たり前」ということ。
2つに、「出る杭は打たれる」ということ。
3つに、その現実の中で、「仏法者」(学会員)として「職場の繁栄、職場の人たちの幸福」を祈っていくということ。
特に、1と2が前提であるということはとても大事なポイントと感じる。
実は、この前提を受け入れない限り、職場で成功することはできない。
もし、「面従腹背がオカシイ」、あるいは「出る杭を打つのはオカシイ」ということに固執するなら、いつまでたっても職場は快適なものにはならないだろう。
面従腹背という言葉からすると抵抗がある人が多いだろう。言葉を変えれば、「顔で笑って、心で泣いて」と言えば納得できるのではないか。
昔、「おしん」というTVドラマがあった。様々なイジメや困難に、じっと耐えながら生き抜く女性の物語であるが、職場はそういうところである。
そして、「上司の出世の邪魔になる部下」が「出る杭」になった場合は、必ず打たれる。
それを相手のせいにして、「職場の連中は面従腹背で、上司にペコペコしやがって」とか、「なぜ出る杭を打つのか。許せん!」と思っているようではまだ、鍛えが足りないのである。
実は、この鍛えの足りない人物とは、過去の私である。^^
「なぜ、こんなに頑張っているのに認めてくれないのだろう。何故、いい仕事をしたのに嫌味を言われるのだろう」と悩んでいた時期があった。
あるいは、それを矛盾に感じ、腹を立て、上司や周囲に反抗し、不遜な態度をとったり、悪態をつくこともあった。
いずれにせよ、このような心根では、職場でも家庭でも恋愛でも上手く行くわけはない。
次回以降、これらの問題の解決のために、どのように祈り、行動すればよいのかを、私の体験も交えながら語りたいと思う。
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