「正しい議論」のための4つの原則(「詭弁論理学」より)

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2013/01/30


今から37年前に書かれた「詭弁」と「議論」をテーマにした一冊。内容は古びていませんね。書中の「正しい議論のための原則」が面白かったのでピックアップしてご共有。


原則1. 無理やり説得しようとするな。

無理を通そうとしたり、思いつきを口にしたりすると、かえって失言をいて、議論がもつれることがある。また、いかに「当たり前」と思えることでも、好き嫌いや人生観が関係するようなことについては、相手の趣味や判断を尊重しなければならない。もちろん、自分の考えにも(健全な常識に反するところがないかぎり)自信をもって、たやすく譲る必要はない。

明らかな「事実」と、「価値観」を分けて議論することは大切ですよね。精神論、根性論を振りかざす人はこの区別ができていない人が多いです。


原則2. 時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな。

議論は一歩一歩、お互いに一致できる点を確かめながら進めるとよい。そのように手堅く進めれば、論理のごまかしには、たいていダマされないですむと思う。また意見の確認をするときには、言葉の解釈に食い違いができないように、なるべく具体的な例にあてはめて、お互いの見解を確かめあうとよい。
そうかといって、ムダに時間を費やすことはない。相手が強弁・詭弁を弄してきたら、もはや正しい議論は望めないので、惜しまず議論を打ち切ればよい。

昨年見られたノマド論争ではこの「言葉の解釈の違い」を強く実感しました。(ぼくを含めて)ノマドという曖昧な言葉の定義がなされぬまま、それぞれの論者が自分の体験から、自分の解釈を語り合っただけで終わった気がします。

何か具体的なアウトプット、たとえば政策提言みたいなものが生まれれば素敵だったのですが、単なる「論争」の域を出ませんでしたね…。


原則3. 結論の吟味を忘れるな。

結論の現実性、弱点などをはっきり認識しておくことは、いつの場合にも重要である。また健全な常識に反する結論は、どんなに輝かしく見えようと、勇気をもって捨てなければならない。天才はしばしば常識をくつがえす、というけれども、それは科学の世界のことであって、現実の社会でそうやたらと起こることではない。

ここらへんは難しいですが、議論の結論があきらかに非現実なことも、往々にしてありますよね。1時間ほど話しあった結果出てきたマーケティング施策の案が、予算的にも人材的にもどう考えても実現不可能だったり。実際のところの制約条件を、議論する際の前提にしておけば、この手のムダな時間は防げるのかも。


原則4.「わからない」ことを恥じるな

「わからない」ことを恥ずかしがる人は、論理の飛躍や二分法の押しつけに、簡単にダマされてしまう。いつでも「わかった」ところまでも戻り、議論をやりなおしてもらう逞しさを身につけておけば、詭弁などにめったにやられるものではない

これはぼくも常に気をつけています。「わかったつもり」になるのは無論避けるべきですが、「わかった」と思ったことも、あくまで「自分の解釈」であって、発言者の理解に沿っていないことも往々にしてあります。相手をやり込めてやろうと考えているときほど、相手の考えを浅いものと見なし「おまえのいいたいことは”わかった”」と言ってしまいがちですよね。


古い本ですが一読の価値がある一冊です。「二分法」「相殺法」「論点のすり替え」「消去法」「ドミノ理論」などなど、詭弁・強弁の手法がまとまっており、議論をする際の参考になるはずです。


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