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盗まれた銅造如来立像、統一新羅全盛期の最上級作品

 韓国の窃盗グループが昨年10月に長崎県対馬市の海神神社から盗み出した日本の重要文化財「銅造如来立像」は、統一新羅時代の全盛期に作られた最上級の仏像だ。仏像の写真を解析した仏教美術史学者のカン・ウバン一郷韓国美術史研究院長は「日本の博物館で仏像特別展が開かれるたびに出品される、非常に有名な作品。かつて日本でこの仏像を調べたことがあるが、熟練の職人が精巧に作り上げた秀作だ」と説明した。

 高さ38.2センチで、韓国の小金銅仏としては大きい方だ。重要文化財に指定された1974年には、1億円の鑑定額が付いた。仏像の光背や台座などはなくなっている。文化財庁事犯取締班のホ・ジョンヘン班長は「1976年に慶尚北道亀尾市で出土した国宝第182号の金銅如来立像と顔つきや大きさなど多くの面で似ているが、製作時期は国宝よりもやや古いようだ」と説明した。

 窃盗犯らが同時に盗んだ対馬市・観音寺の長崎県指定有形文化財「観世音菩薩(ぼさつ)座像」も優れた作品だ。カン・ウバン院長は「仏像の穏やかな顔つき、胸の部分の華やかな飾りなど、典型的な高麗王朝時代末期の仏像だ。美学的にも優れており、さらに価値が高い」と話している。観世音菩薩座像の高さは50センチ。ホ・ジョンヘン班長によると、日本に残っている仏像の発願文(神仏に祈願の意を伝えるための文)には、製作年代が1330年ごろと記されているという。

 これらの仏像はどのようにして日本に渡ったのだろうか。文化財庁は、韓半島(朝鮮半島)と日本の文化交流の産物とみている。ホ班長は「倭寇(わこう)による略奪の可能性も捨てきれないが、目立った強奪の跡などがないことから、布教活動などを通じて日本に渡ったものと考えられる」と説明する。カン院長は「朝鮮半島は昔から対馬との交流が盛んだった。仏像が略奪されたものか、あるいは外交的なルートで伝えられたものかは、今となっては解明が難しい」と話している。

クァク・アラム記者
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