「こぎれいに生きていてはダメ」 今朝のメッセージでした。 最初は【燃えたぎるいのち】から全てが始まるわけで、そこがベースとなって初めて「全体にイヤサカ貢献」できるのです。
多くの方々の中に【燃えたぎる欲望の炎】を感じにくいなあと不思議に思っていましたが、今朝妙に腑に落ちました。 最初からカッコ良く・美しく・こぎれいに生きようとする「小賢しい頭の操作」があるのではないでしょうか?
それは無理。 燃えたぎるいのち、生きることへ爆発的な欲、そういうエネルギーに裏打ちされていないなら、中途半端なものや事柄しか創造できません。 欲が小さいのも、欲が見つからないのも、【燃えたぎるいのち】を発動していないからです。 出し惜しみです。いのちをケチっていることになります! そしてその原因は「こぎれいに生きよう」としているから。
全てを「いのちの光」であまねく照らすことがアマテラスです。 光や素粒子というものを、多くの人が誤解しています。 ビッグバンを起こして生まれた光、それは「キラキラしていて綺麗〜」なんていう程度の光のことではありません!
燃えたぎるいのち、ほとばしる心の躍動、そういうものが光です。 過剰なくらいの嫉妬と欲望が湧かないのなら、それは生きていません。 嫉妬は【燃えたぎるいのち】そのものです。 嫉妬は、欲を押し殺している人にとっては「醜い嫉妬」となりますが、ちゃんとピュアに認めたときは、「他者への称賛&自己への鼓舞」となります。
過剰なくらいの嫉妬も欲も湧かないから、人生をイヤサカにしていこうという行動につながりません。 すばらしきものをさらに創造しようと生きる人にとって、嫉妬は当たり前なのです。 それによって、もっと自分を鼓舞することができ、結果として自他ともにお互いに勝ち合っていけるのです。
Star★Heart
/ 2012.7.31-11:49
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