王羲之:書聖の筆「絶筆」再現 摸本で伝承
毎日新聞 2013年01月31日 10時50分(最終更新 01月31日 12時58分)
中国・東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし)(303〜361、異説あり)は「書聖」と呼ばれているが、その肉筆(真筆)は戦乱などを通じて失われ、現在は世界中で一つも残っていない。羲之の字姿は、どうやって伝えられてきたのだろうか。【桐山正寿、土屋渓】
羲之の字姿を伝える資料としては拓本(たくほん)と摸本(もほん)がある。
拓本は、真筆の文字の輪郭をかたどって、石や木に写して刻し、その上に紙を置き墨を使って複写する手法。一旦木や石に刻す過程などを経るため、本来の字姿から少し遠ざかってしまう。
摸本には臨(りん)、摸(も)、硬黄(こうこう)、響搨(きょうとう)の4種類があったとされる。中国・宋代の文献「游宦紀聞(ゆうかんきぶん)」によると、「臨」は原本を見ながら、字形をまねて書く。制作者の個性がどうしても出てしまう。
同じ摸本でも最も精巧とされるのが「響搨」で、その技法が双鉤填墨(そうこうてんぼく)と呼ばれる。正確には分かっていないが、原本の上に紙を置き、光を当てて字姿を浮かび上がらせ、輪郭の当たりをつけ、その後に筆を入れたと考えられている。
東京国立博物館列品管理課長の富田淳さんは「部位によっては、髪の毛ほどの極細の線を重ねて原本の筆の動きを精巧に再現している。単純に墨で輪郭の中を埋めていくのではなく、超絶的な技巧を駆使しているのです」と解説する。
唐の太宗(在位626〜649年)は羲之の書を熱愛し、搨書手(とうしょしゅ)と呼ばれる専門職人に命じ摸本を作らせた。
富田さんは「宮中には、紙や墨や筆を作る専門職人がいて、搨書手は双鉤填墨に必要な特注品を自由に使えたと考えられます」と話す。精巧な摸本作りは皇帝の威信を示す事業でもあった。「摸本は装丁を変えるたびに、墨の気(表情)が薄れるのが普通ですが、歴代皇帝がめでた作品の一つ『行穣帖(こうじょうじょう)』には、全くその様子がない。いかに良い紙や墨を使っていたか分かります」
NHKは2月2日午後3時5分から総合テレビで、「書聖・王羲之の革命」を放送し、羲之の書の実像に迫る。着目するのはこの「双鉤填墨」の技法だ。
番組では、南宋時代の文献に記されたわずかな手がかりを基に、東京芸術大の研究員らが再現に挑む。墨の濃淡など細かい部分と、筆遣いに表れる躍動感を同時に写し取るにはどうしたらいいのか、試行錯誤する。