発信箱:何が彼をそうさせたか=落合博(論説室)
毎日新聞 2013年01月31日 01時08分
1922(大正11)年に発表された藤森成吉の小説「ある体操教師の死」は旧制中学の体育教師が主人公だ。器械体操などの実技指導はもちろん、生徒指導においても厳格かつ熱心でありながら、上にへつらい、下に威張り散らす「下士官的存在」であったがために学校内の地位は低く、同僚教師や生徒たちからも軽く見られていた。戦前における教科としての体育、体育教師の置かれた立場や状況を浮き彫りにする小説として位置付けられている。
大阪の市立高校のバスケットボール部に続いて、愛知県立高校の陸上部でも男性顧問教師による暴力指導が明らかになった。地域や競技を超えて蔓延(まんえん)していると言うしかなく、教育委員会や競技団体が「禁止」を通達したところで大した効果は望めない。
日本体育大学名誉教授の森川貞夫さんは89年の日本体育学会で「『なぜ体育教師は暴力/体罰教師になるのか』という声に対して」と題した研究成果を発表した。85、86年度当時、「体罰教師」のトップ(約3割)は体育担当教師であることを挙げ、戦前の軍国主義教育の中で命令や号令をかけ、生徒取り締まりの中心を担った「体操教師」の「負の遺産」を体育界が引きずっている状況を示した。
本来の体育授業では評価されず、いきおい部活指導に生きがいを見いだすしかなく、結果を出せば校長からほめられるのだから力が入る。地域にアピールできるスポーツは今や公立校でも経営(生徒獲得)の重要な柱になっている。「『体罰教師』は加害者であると同時に被害者的側面があることを議論する必要があろう」というのが森川さんの見解だ。
ちなみに大阪も愛知も顧問教師は同じ体育大学を卒業している。偶然だろうか。