GJ2立ち上げの経緯
1990年シャーベル・ジャクソンを離れたGrover Jackson氏は、より良い製品作りを求めて、全米の名立たるギター・メーカーで、製造・設計・プログラミングを行う。
あまり知られていないが、Grover Jackson氏は、シャーベル・ジャクソン時代に、製造に集中するため表に立つことを極力断っていた。
しかしシャーベル・ジャクソンが有名になるにつれ、製造から遠ざかる得なくなり、これを理由にシャーベル・ジャクソンを離れた。
約20年間、数々のメーカーで製造に携わるが、やはり自分のブランド、ギターを製造しなければ、自分のアイデアやギターに対する想いは達成できないと思い、今回GJ2ブランドの誕生に至る。
シャーベル・ジャクソン時代の経験から、営業を担当出来る旧知のJon Gold氏と意気投合したことがGJ2の実現にも貢献した。
製品コンセプト
・先ず自社で生産する。
・現在アシスタントは2名。
・一貫して自社内で製造する。
自社製ピックアップだけでなく、アルミ削り出しのマウント・リングやノブ・裏パネルも自社製。
外注から購入しなければならない糸巻きやブリッジは、品質を重視する。
Areteは、今迄のGrover Jackson氏の集大成と呼べるデザイン設計。
先ず、トータル・デザインは、ギターのバランスを追求した設計となっている。
スルーネック構造は、ボディと同質の材料をネックに用いることで、最上の音立ちとサスティーンをもたらす。
実際のサウンドは、外見とは違い、ハイ・アウトプットではなく、ビンテージ・ギターに見受けられるような極上の音色である。
Grover Jackson氏の長年のアーティスト・リレーションから、プレイヤーが望むパフォーマンスを支えるため、GJ2には数多くのオプションが準備されている。
GJ2に込めた想い
ギター・ビルダーとして60歳を超えたGrover Jackson。
数々の経験から得た全てのアイデアを実現するブランドとしてGJ2を立ち上げました。全て自社・自分が作る、アーティストのパフォーマンスが最大に発揮できるギター、それがGJ2です。
自身の集大成として、極上の一本を、想いを込めて作っています。
グローバー・ジャクソン氏の経歴
- ■1949
- ショージア州アトランタ生まれ。生家は、家具職人を営む。
- ■1970代
- 演奏活動を続けながらギター・リペアーとして職歴をスタートこの時後に、後にGJ氏の基礎になるビンテージギターと出会う。
- ■1976
- カリフォルニアに移住。シャーベル・ギター・リペアーを設立する。
- ■1979
- シャーベル・ギター社設立。最初の製作は、アランホールズ・ワーズのオール・バスウッド・ギター
- ■1980
- ジェフ・ベック、デイブ・ギルモア等のギターを製作。
ミュージックマン社でスティングレイ・ベースの製造を手伝う - ■1981
- ランディー・ローズと出会い「ラインディV」を製作する。
これがジャクソン・ブランドの第一号作品。
ヴァン・ヘイレンのギターを数本製作する。 - ■1982
- この時期からヘビー・メタル音楽のギタリストに圧倒的な支持を得てシャーベル・ジャクソンが爆発的に世界中に広がる。
ソロイスト・デザインの完成。
グラフィックをギター・デザインに導入。
この頃の弟子には、現在フェンダー社マスター・ビルダーでエリック・クラプトンのギターを製作するトッド・クラウスがいる。 - ■1986-1990
- 長野県安曇野市にある中信ギターで、日本製シャーベル・ギター製造の監修に携わる。
- ■1990
- シャーベル・ジャクソン社を売却する。
- ■1993-2011
- ギター・デザイナーの道へ再び進む。
Shir, BC.Rich, Shadowsky, Washburn, Rickenbacker, Yamaha USAでギター・デザインや製造、三次元NCルーターのプログラミングを行う。
ジョン・ゴールド氏の経歴
- ■1980-1995
- イギリスにある楽器店で販売の経験を積む。
この時グローバー・ジャクソン氏と出会う。 - ■1996-1998
- サウンド・テクノロジー社でディストリビューションを学ぶ。
- ■1998-2004
- フェンダーUK社長。
- ■2004-2010
- フェンダーUSA副社長・インターナショナル担当。