PLATOn MON-THU 22:00-23:45 渡部建
二十歳のころ

2008年12月30日

シンガーソングライター スネオヘアーさん

kyouhansha.jpgスネオヘアー です。

僕のですね、二十歳のころ……ついに来ましたね!
今僕は37歳なので、17年前ということになりますけど…人間ってホント良くできていて、いい思い出ばかりが残っていて、嫌なことは忘れてしまっているという、素晴らしい機能があるんですけども。学生でしたね。大学に行ってたんですけど、もう先のヴィジョンとかも何も無かったですね。あぁなりたい、こうなりたいっていうのが無くて、もうその瞬間を……まぁこれは悪い意味なんですけど、その瞬間、瞬間が良ければOKみたいな感じで生きていました。

オートバイクとか、車とかが好きで、友達もそういうような友達が知らず知らずにできてですね、ホントに決まった仲間としか遊ばないみたいな感じで。あとは、非常に大きな恋愛があったということです。まぁそれがのちのちに音楽をやらせてもらってますけど、自分が音楽をやるときに、そこがすごい原動力というか、テーマになったりしているところは大きいですね。

そしてですね、このコーナー『二十歳のころ』のテーマソング「やさしいうた」(オリジナルはスネオヘアー)、歌い継いでもらっておりますが、とにかく時間だけは無限にあって、そんな時間がずっと永遠に続くような気がしていられた……。もうそれだけで、ホントにやっていけた時代というか、まぁ懐かしいですよね。愛おしいと思うんです。それは歳を取れば取るほど、二十歳の頃っていうのは、あの時期にしかないものだったんだなぁという気がしてますね。他の方が歌われると、自分の手から離れて、ホント曲がいろんな人のところに届いていって。“曲が生きてる” って感じは、ホントに嬉しく思っております。

20周年 on J-WAVE! そしてそれを聴いてくれているリスナーさんに、まぁやっぱり今が “最新の自分” だというところなので、明日、そして1年後っていうのは、今の瞬間よりは必ず歳を取っているので、あとから振り返って “残念だったな!” と思わないような生き方、今を感じながら、お互い生きていけたらなぁと思いますね。

スネオヘアーでした。

2008年12月29日

ギタリスト 渡辺香津美さん

%C5%CF%CA%D5%B9%E1%C4%C5%C8%FE_2008.jpg渡辺香津美 です。

わたくしが二十歳のころと言いますと、16歳ぐらいからジャズのライブハウスに出始めて、17歳でアルバムデビューをさせていただいたっていうのがあって。そこからプロミュージシャンになりたいなと思って、高校を卒業してそのまま仕事を始めてしまいました。

二十歳の頃というのは、ある意味、佳境で……というのは、仕事というのはいろんな形態のものがあるんだけれども、音楽一筋でいきたいな、と。だから、“お金になるからこういう仕事をやってみよう” というのは止めにして、“お金にならなくてもいいから、とにかく自分のやりたいことだけやろう” ということで、やっていた頃だと思います。

多い時はね、月に40回くらいライブをやったかな? だから3日に1回は、昼と夜のライブをやる、そんなことを繰り返しながら、ツアーに行ったりとかして。まぁ若いからできたんでしょうね。電車で、自分のギターとかアンプとか機材を運んでね。ただその頃って一緒にやってる仲間もいるのでね、電車の中で出会って、今度どこ行くんだい? なんて言ってね、がんばろう! みたいなことをやってましたけど、とにかく、ギターを、指の皮がむけるまで毎日弾いていましたね。

二十歳の頃に “自分がなりたいな” っていう自分が、実は、30歳、40歳、50歳になったりすると違っていたりするんですよね。それは、自分が想像するより、もっと自由になっているんだな、実際は。だから僕は二十歳ぐらいの時 “40歳になったらギターを弾いてないんじゃないか?” とかね、あるいは、引退っていう訳じゃないんだけど、“すごい渋いトーンのギターを弾くおじさんになってんじゃないかな?” みたいに思っていたら、そんなことなくて、人前でギンギンに弾きまくっていたりして。多分、今から……今、55歳ですけど、60歳、70歳になってもそうなっていくんだろうなっていうのがあって。

だから、どんどん人っていうのは、もちろん体力とかは下がってくるかもしれないんだけど、イマジネーションが広がっていけて、どんどんそういうことによって幅が持てるっていうことを信じてやっていいんじゃないかと思いますね。それでやっぱり、夢は叶うっていうか、やってると夢が現実になってくるっていうことが自分の体験であったので、夢を持ち続けていくってことがすごく大事だなって思いました。

そんな、二十歳の夢のままギターを弾き続けている、渡辺香津美でした。

2008年12月25日

タレント 井森美幸さん

photo_06.jpg井森美幸 です。

最近はですね、私は、中山ヒデちゃん(中山秀征さん)と「群馬大使」に任命されまして、事あるごとに番組に出ては “群馬県はいいんですよ” なんて話しをさせていただく機会が多いんですけれども。ご存知無い方も多いと思うんですけれども、群馬県は、山の幸も多くて、あと “日本三大うどん” の讃岐うどん、秋田の稲庭うどん、そして群馬の水沢うどん……この水沢うどんも意外と有名なんですよ。ですからおいしいものもありますんで、是非、たくさんの方に来ていただきたいなぁなんていうことを良く言っております。是非是非ドライブがてら寄ってください!

そんな私が二十歳の頃……、もうずいぶん前の話しになるんですけれども、何をしてたかなぁと今思ったんですが、私、歌手でデビューしまして、途中ですね、やっぱり思うような結果がでなかったんですね。それで方向転換しようかっていう時に出会ったマネージャーが “バラエティはどうかな?” っていうことで、リポーターの仕事をしたりだとかして、今に至るんですけども。その時にそのマネージャーに出会ったおかげで、私は群馬県に帰らなくて済んだと言いますか……。なんて言うんでしょうね、もう、ちょっと歌で結果が出ないからもう辞めて家に帰ろうかなって思ってた時期もあったんですね。それをあきらめずに済んだっていうのは、そのマネージャーが “どんな人でも挫折はある” と。“どっかで誰かがキミのことを楽しい人だとか、キミの言ったことに笑顔になってる人がいるから、その人のためにも頑張ってもう少しやろうよ” みたいなことを言われて。

だから、人との出会いが、自分の人生だったり、誰かの発言で、自分の人生が変わったりするんだなぁっていう風に思うと、どこでどんな人に出会うか分からないので、自分の夢をあきらめなくて済んだのが二十歳の頃だったかなぁと思います。例えば今ね、壁だったり、悩んでいたりする人もいると思うんですけど、そんな時に、誰かのひと言だったりとか、会ったその人によって、自分の人生が変わると思うので、是非ね、人との出会いとか言葉を大切にしていただけたらなぁと思います。

2008年12月24日

シンガー・ソングライター MONDAY満ちるさん

monday.jpgGood evening! MONDAY満ちる です。

私が二十歳のころのお話をするって言うことで……、ちょうど18歳の時に高校を卒業して、高校まではクラシック・フルートを習ってました。“いつか私は世界一のフルートプレイヤーになるんだ!” と、すごく頭の中にあったんですけど、練習するのがキライで(笑)。練習しないと上手くならないというのがやっと分かってきて。しかも大学は音楽大学に入ろうとしてたんですけれども、オーディションを受ける2週間前に車の事故に遭って、それで大学へは行かずOLの道へ。

フルートはダメだとして、どうしたらいいのかなとずっと考えていて。音楽をすごく愛していて、どうしても音楽の道に入りたいと思ってた中で “もしかしたら私、歌手になれるかな?” と。それまで高校の時はちょっと歌ってて……クラシックだったんですけど、声はまぁまぁ悪くないなと、先生にも言われてたんで。じゃあ、歌に走るかどうか、迷い始めてました。

ちょうど21歳の時にロス(ロサンゼルス)ですごくいい先生に教えてもらって、少しずつ自分の楽器を磨いて、実は歌えるっていう、やっと自信を持つようになりました。たまたま働いてた会社が映画配給会社だったんですけど、ある日なぜか秋陽子さんと出会って、彼女にいろいろ話してたら、紹介してくれるっていう話しが出てきたんで、デモテープと写真を彼女にあげたら、なんとなんと! 映画の監督に紹介されて! その映画監督がオペラ歌手を探してると。まぁ、クラシック音楽は歌えるし、私は確かに歌手だな、と。で、オーディションを受けて、その映画に出て。そのあとも『光る女』っていう映画に出演して、日本アカデミーとか、いろんな新人賞を取ったりしたっていう……。ホントにすごくいい道に入りました。

まぁ、二十歳というとホントに私の変わり目の、新しい道が開いた年でしたね。

2008年12月22日

VITAMIN-Q 小原礼さん

%BE%AE%B8%B6%CE%E9.jpgVITAMIN-Q 小原礼です。

二十歳のころはですね、ちょうど大学受験で浪人していた頃で、医学部なんかを受けまして。家が、母親が医者だったものですから。でも自分は中学生の頃からバンドをやってましたので、基本的に受験勉強というものには全く縁がなく、当然、医学部なんぞは受からないで、1年浪人したあとに高橋幸宏と……、子どもの頃から知り合いだったので、一緒に、武蔵野美術大学ってところに入学したということですね。それで良く女の子と遊んでいた頃でしたかね。

その頃は、自分はやっぱり音楽好きだったので、ミュージシャンとしてやってくんだろうなという、もう何の迷いも無く、夢と言うよりは、自然にミュージシャンになろうと思っていた日々でした。

いつも音楽を聴いていて、仲間達といろいろ話したり、語り合ったりした頃ですかね。ビートルズから始まって、ザ・バンドを聴いたり、バッファロー・スプリングフィールドを聴いたり……。ちょうどスタジオ・ミュージシャンをやっていた頃でしたんで、いろいろな音楽のスタイルを経験できたっていうことが今の自分のプラスになってるんではないかと、根本になっているんではないかと思います。

今、ハタチの頃の皆さんは、僕がハタチの頃よりもホントにしっかりしてる人達が多いので、いろんなことを経験してもらってですね、それで “自分の中の一番大事な自分” というものを発見してもらいたいと、思います。とにかくいろんなことを経験してください。

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