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『無題』の感想
投稿者:
転屍
[2013年 01月 30日 (水) 00時 47分] ---- ----
▼一言
こんにちは。批評依頼を受けて参りました、転屍と申します。
申し訳ありませんが、以後、言葉遣いがざっくばらんになります。長丁場で丁寧語を続けるのに労力をとられるより、批評の方に力をそそぎたいので。
では、前置きは早々に切り上げて、早速批評といきましょう。
▼▼
まずは単純に、読んでいて引っかかったところをあげてみましょう。
>「――君?どうかした?」
冒頭、登場人物の名前をダッシュ記号を用いて伏せていますよね。まずコレが、最初のトラップ。
登場人物に名前がない、あるいは登場人物の名前を意図的に明らかにしない、といった手法自体を否定しているわけではありません。
もっと単純に、「――」のダッシュを用いたこの伏せ字を、「初見で『伏せ字である』と見抜くのは、まず無理」だという話です。
ありていに言いますと、私はこの部分を以下のように読みました(わかりやすくなるよう、少しアレンジします)。
>>「……ねぇキミ、どうかしたの?」
つまり、「君」という漢字を、「くん」とは読めなかった。「キミ」と読んだ。
当たり前です。「君」を「くん」と読むためには、「鈴木君」とか「佐藤君」とか、何か名前に付属していなければならない。「君」という字だけが単独で存在するものを、「くん」とは決して読めない。そして、「――」は名前じゃないんです。
これが同じ伏せ字でも、「◎◎君」とか「※※君」とか、普段あまりなじみのない記号を用いていたのであれば、誤解はしなかったでしょう。
でも、ダッシュ記号はそうじゃない。
あなたも伏せ字以外に使ってますよね。
>嗚呼、これは、夢なのだ―――
「――」に限らず、「……」も、台詞や文章に「一拍置いた間」や「余韻」を持たせるための記号として使用される。
だから、私はコレを、伏せ字だとは判断できなかった。
女性が「~~くん」と呼びかけるのと、「キミ」と呼びかけるのでは、まるで印象が違います。
「~~くん」であれば、女性の口調が丁寧である、もしくは心情的に何がしか遠慮のようなものがある、と読み取れます。
「キミ」であれば、女性は男性よりも年上であるとか、仕事や仲間内のサークル等において先輩にあたるとかの関係性を想起させたり、心情的には親しみを込めているとかの印象を与えます。
無論、どんな二人称を用いているかとか、口調だけで、女性の性格の全てが表されるわけではありません。その後に女性のキャラクター像を知るに従って、徐々に修正されていくものではあります。ですが、「第一印象・スタート地点」が違えば、その後に大きな影響を与えます。
じゃあ、誤読されないように「◎◎君」とか「※※君」とか、他の記号を使えばいいのか、と考えると、必ずしもそうだとは断言できない。
「――君」、「――」という記号に、音がかすれて届かない、ノイズが邪魔して聞こえない、といった意味やニュアンスを込めるのは、例えば商業作品でも見かける手法です。「――」の記号を用いること自体は、頭から否定されるべきことではない。
ようは、「見せ方」「演出」をもっと工夫すべき、ということです。
まず一つは単純に、漢字で「君」と書くのではなく、「くん」と平仮名を用いるか、ルビを振ること。
>>「――くん? どうかした?」
そしてもう一つ、強調して使用例を重ねてみせること。
>>「――くん? ――くんってば! どうかしたの? 難しい顔しちゃって」
これらのような、何らかの手段が必要です。
▼▼
続きまして、この作品は読み進めていくと色々と矛盾が発見され、整合性が欠けていることに気付かされます。
まず冒頭で提示される前提として、これは「夢」であり(少なくとも主人公はそう信じており)、何十回と繰り返されているという情報が得られる。
この、「何十回も」というのが、状況を理解するにあたって非常にネックになっている。
読み取れる限り、主人公の思考はクリアだ。
別に舞台が夢の中だからといって、主人公の思考までもが夢心地で、思考がまとまらずにボーっとしている、というわけではない。
「今思うとくさすぎる台詞である」といった、自身に向けてツッコミを入れている。
何十回もの過去の夢の内容を(全部かどうかはわからないが、少なくとも最初の内容を)覚えている。
そして、夢の中の自身の行動は、その場の意思によって変えられる、ということを(今回初めて知ったのではなく)「経験則で」予め知っている。
主人公は、自分の意思をしっかりと持っている。何かに強制されて行動している、というわけではない。実際に、過去とは違う行動もとっている。
そう、読み取れる。
で、あるのに、です。
主人公は「何十回も」この夢を体験し、「経験則で」自身の行動は自身の意思でもって決定できることを知っている。
それは勿論、理由として、「何十回もの過去の夢で、何度も違う行動をとっているから」に他ならない。そうとしか読み取れないように書いてある。
ですが、主人公は今回初めて、己の死を回避しようと試みる。
何十回もチャンスがあり、全てを最初から諦めているということもなく、意思も能力もあったはずなのに、です。
これには、首を傾げざるを得ない。
例えば、主人公がこの夢の中の状況に対して「何故か彼女の言葉には逆らえず、知らず知らずデートを継続するように意思を誘導させられている。そこに自分の意思はない」といったことなどが読み取れ、何かの強制力が働いている世界だと察することができるのであれば、主人公の行動を矛盾には思わない。でも、その可能性は作中の描写からは読み取れない。
例えば、主人公に過去の記憶がない、あるいは過去の記憶があいまいで確信が持てない、などの理由で、状況をなぞり続けることに必然性があるのであれば、主人公の行動を矛盾には思わない。でも、作中の描写で、その可能性は否定されている。
例えば、主人公はそもそも全ての最初からこの状況が夢であると悟り、あるいは諦念し、今まで状況を変えるということは思いもよらなかった、というのであれば――、死の回避以外にも、例えば「自身の台詞を別のものに変えてみることも含め、全ての予定外の行動が、今回が初めて」であれば、あるいは死の回避の試みも今回が初めてであることにも納得ができる。でも、主人公は何の疑問を抱くこともなく、経験則で予め知っていて、己の台詞を別のものに変えている。
これでは、何十回も繰り返してきた夢の中で、死の回避『だけ』が今回が初めて、というのは、いくらなんでも納得できはしない。
それから、何度も何度も殺されて、主人公は彼女を憎まなかったのか?
最初から夢だと分かっていたならともかく、「一番初めにこの夢を見たとき、まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかった」というのに。
過去には憎んだこともあった。でも今は何十回もの経験を経て、「これで終わるわけではない」「どうせまた同じ夢を見る」という諦観に至った。そんな理由があるのであれば、今現在彼女に憎しみを抱いていないということにもある程度の納得ができる。でもそれでは、そもそも死の回避を試みるなどという意思が、今このときに、芽生える理由がない。もし芽生えるものがあるとすれば、それは「死にたくない」ではなく「この夢を終わらせたい」になる。しかし、作中にそういった描写はない。
「彼女」の行動も、どこかおかしい。
主人公によれば、過去の夢の全てが、彼女が主人公を殺害して終了することになっている。
彼女の目的は、「彼女の思い通りの、いわば理想の主人公と、共に過ごす」ことであると、最後に明かされる。
なのであれば、主人公の殺害は彼女の目的ではない。あくまでも、納得がいかなかった結末に対して再挑戦をするための手段でしかない。
で、あるのに、彼女は「いつも」主人公を殺害して終了する。
それはようするに、彼女にとってはその時の夢は結果的に失敗であるわけだが、そこで再挑戦したのであれば、主人公よりもむしろ彼女の方にこそ、「前回とは違う行動をとる理由」がある。なのに、それがない。主人公の見る限り、同じ行動を繰り返すだけ。彼女の方が何か別の行動をとるという情報は何もない。
彼女の家に誘うまでの流れが彼女にとっては理想的な流れで、ここまでの段階で彼女が普段と違った行動をとる理由がない、というのは一つの答えになる。毎回、彼女が己の行動を変えて見せるのは、家に主人公を上げた後なのだ、と。
だがそれなら、何故主人公はそのことについて考えないのか? 過去の記憶がない、などということがないのは既に否定されているのに。
彼女の方も、主人公と同様に、行動に整合性が見て取れない。
この「無題」という作品のラストはようするに、
・主人公の夢だと思わせておいて、実はそうではなかった。詳しいことは分からないが、どうやら「彼女」の方こそがこの夢(なのかどうかも分からないが、とりあえずそう言い表されているもの)の主役・主体であるらしい。
【ここに意外性なり恐怖なりの、何らか感情を読者に抱いてほしい。】
・そして最後には、物語はループする。
【ここに意外性なり恐怖なりの、何らか感情を読者に抱いてほしい。】
こう、意図して作られたものですよね?
ですが残念ながら、数々の矛盾・整合性の欠如をもって迎えたラストシーンは、ただただ内容に疑問を覚えるだけで、何の感慨も湧きはしませんでした。
たとえ、上記以外の意図があったとしても同じことです。私が汲み取ってみた意図が合っていようが外れていようが、結局のところ、「あなたは自身の意図を(少なくとも私に)伝えることはできなかった」という結果は同じですから。
▼▼
最後にもう一つ述べましょう。
あなたの「文章の書き方」について。
例1
>一番初めにこの夢を見たとき、
>まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかったとき、
>俺はこれに何と答えたのだったか。
私は最初にこの文章を見たとき――というより、この「改行のし方」を見たとき、ちょっと違和感を覚えました。
最初は、以下のように意図した文章なのだろう、と考えました。
>一番初めにこの夢を見たとき――
>まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかったとき――
>俺はこれに何と答えたのだったか。
ようするに、「文章を句点(。)を用いずにあえて読点(、)で改行することで、尻切れ感や余韻のようなものを持たせたかったのだろう」と。
ですが、どうにも引っかかる。
そこで思い出したのは、あなたが私に宛てた批評依頼です。
例2
>まだまだ初心者なこともあり、
>自分でも「あれ?」と思うことが多いのですが
>上の書き込みのぐれねぃどさんと同じく
>具体的に何処を治せばいいのかが分からず困っています。
この場合でも、文章を本来の終わりの地点である句点まで続けることなく、途中で改行を行っている。
そこで、私はあなたの他の作品にも目を通してみました。
そこでも同じように、文章の途中で改行を行っているのが見てとれる。
これはもう、余韻を持たせるのを意図したとかそういうことに関係なく、単に文章がある程度の長さになった時に、勝手に切っているだけである。今回依頼された作品は、たまたま途中改行する長文が例1にあげたもの一つだけだった、という偶然の結果でしかない。
そう、結論を得ました。
はっきり、そして強く言いましょう。
「やめなさい」
理由は既に述べたように、「文章を句点(。)を用いずにあえて読点(、)で改行することで、尻切れ感や余韻のようなものを持たせたかったのだろう」などという別の解釈を呼び起こすからです。
今回はたまたま、そう解釈されても大きな間違いにはならずに済んでいる。たまたま、偶然に。
ですが、あなたの他の作品、『3.5』では、数々の長文が途中で改行されていることにより、どうしようもなくおかしなものになってしまっている。
だから、「やめなさい」
ひょっとしたら、「長文はただ長文であるだけで無条件に読みづらい。それなら途中で改行したほうが絶対に見やすくなるに違いない」などと考えているかもしれませんが、それはあなた一人か、他に少数だけにしか通用しないと思ってください。
日本語にそういうルールはない。
ルールはルールだから無条件に正しい、と言っているのではありません。ルールにはそれが作られた理由があります。私がこの、途中で改行されている文章に、「別の意味」を見つけてしまったように。
そしてルールとは、大多数の人間に受け入れられ、支持されているという厳然たる事実があります。それこそ、ルールはルールだから。
ルールを知っている人間にとって、あなたの独自の書き方は「慣れ親しんだものではない」。つまりそれだけ「読みにくい」んです。おそらくはあなたの方も「少しでも読みやすくしたい」と思って始めたのでしょうが、結果としては逆効果にしかなっていません。
ひょっとしたら、こういった書き方を「個性的だ」と評する方もいるかもしれません。
でもそれは別に、「文体や表現の内容、作品そのものが個性的」なわけではありません。もっと別の、小説という媒体に関係のないビジュアル的な個性です。いうなれば、漫画家やイラストレーターがそれぞれに独自の絵を描くのと同じ方向性の個性、あるいは顔文字やアスキーアートといったものと同ベクトルの個性です。ただ、それらよりも規模が小さく、同じものだと気付きづらいだけで。
あなたが「小説」というメディアを通して誰かに見てもらいたいと欲するのは、いったいどっちの「個性」ですか?
▼▼
追記1。
日本語のルールをきちんと守る意思があるなら、まずは「一文の行頭には空白を設けてから書き出す」ことから始めてください。
▼▼
追記2。
タイトルとあらすじは、きちんとしたものを書きましょう。誰にも見て欲しいとは思わない、というならともかく、誰かに読んでもらいたい、と欲するのであれば。
投稿者:
面沢銀
[2013年 01月 28日 (月) 14時 02分] ---- ----
▼良い点
主観があやふやになるこの感覚。
文章で遊ぶお手本だと思います、あえて世界観を固着させないのも面白い。
▼一言
短編のストーリーラインとしては言う事がないです。ただ、楽しませてもらっています。
これでさらに記号を使った文章遊びを覚えたらどうなってしまうのか……
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申し訳ありませんが、以後、言葉遣いがざっくばらんになります。長丁場で丁寧語を続けるのに労力をとられるより、批評の方に力をそそぎたいので。
では、前置きは早々に切り上げて、早速批評といきましょう。
▼▼
まずは単純に、読んでいて引っかかったところをあげてみましょう。
>「――君?どうかした?」
冒頭、登場人物の名前をダッシュ記号を用いて伏せていますよね。まずコレが、最初のトラップ。
登場人物に名前がない、あるいは登場人物の名前を意図的に明らかにしない、といった手法自体を否定しているわけではありません。
もっと単純に、「――」のダッシュを用いたこの伏せ字を、「初見で『伏せ字である』と見抜くのは、まず無理」だという話です。
ありていに言いますと、私はこの部分を以下のように読みました(わかりやすくなるよう、少しアレンジします)。
>>「……ねぇキミ、どうかしたの?」
つまり、「君」という漢字を、「くん」とは読めなかった。「キミ」と読んだ。
当たり前です。「君」を「くん」と読むためには、「鈴木君」とか「佐藤君」とか、何か名前に付属していなければならない。「君」という字だけが単独で存在するものを、「くん」とは決して読めない。そして、「――」は名前じゃないんです。
これが同じ伏せ字でも、「◎◎君」とか「※※君」とか、普段あまりなじみのない記号を用いていたのであれば、誤解はしなかったでしょう。
でも、ダッシュ記号はそうじゃない。
あなたも伏せ字以外に使ってますよね。
>嗚呼、これは、夢なのだ―――
「――」に限らず、「……」も、台詞や文章に「一拍置いた間」や「余韻」を持たせるための記号として使用される。
だから、私はコレを、伏せ字だとは判断できなかった。
女性が「~~くん」と呼びかけるのと、「キミ」と呼びかけるのでは、まるで印象が違います。
「~~くん」であれば、女性の口調が丁寧である、もしくは心情的に何がしか遠慮のようなものがある、と読み取れます。
「キミ」であれば、女性は男性よりも年上であるとか、仕事や仲間内のサークル等において先輩にあたるとかの関係性を想起させたり、心情的には親しみを込めているとかの印象を与えます。
無論、どんな二人称を用いているかとか、口調だけで、女性の性格の全てが表されるわけではありません。その後に女性のキャラクター像を知るに従って、徐々に修正されていくものではあります。ですが、「第一印象・スタート地点」が違えば、その後に大きな影響を与えます。
じゃあ、誤読されないように「◎◎君」とか「※※君」とか、他の記号を使えばいいのか、と考えると、必ずしもそうだとは断言できない。
「――君」、「――」という記号に、音がかすれて届かない、ノイズが邪魔して聞こえない、といった意味やニュアンスを込めるのは、例えば商業作品でも見かける手法です。「――」の記号を用いること自体は、頭から否定されるべきことではない。
ようは、「見せ方」「演出」をもっと工夫すべき、ということです。
まず一つは単純に、漢字で「君」と書くのではなく、「くん」と平仮名を用いるか、ルビを振ること。
>>「――くん? どうかした?」
そしてもう一つ、強調して使用例を重ねてみせること。
>>「――くん? ――くんってば! どうかしたの? 難しい顔しちゃって」
これらのような、何らかの手段が必要です。
▼▼
続きまして、この作品は読み進めていくと色々と矛盾が発見され、整合性が欠けていることに気付かされます。
まず冒頭で提示される前提として、これは「夢」であり(少なくとも主人公はそう信じており)、何十回と繰り返されているという情報が得られる。
この、「何十回も」というのが、状況を理解するにあたって非常にネックになっている。
読み取れる限り、主人公の思考はクリアだ。
別に舞台が夢の中だからといって、主人公の思考までもが夢心地で、思考がまとまらずにボーっとしている、というわけではない。
「今思うとくさすぎる台詞である」といった、自身に向けてツッコミを入れている。
何十回もの過去の夢の内容を(全部かどうかはわからないが、少なくとも最初の内容を)覚えている。
そして、夢の中の自身の行動は、その場の意思によって変えられる、ということを(今回初めて知ったのではなく)「経験則で」予め知っている。
主人公は、自分の意思をしっかりと持っている。何かに強制されて行動している、というわけではない。実際に、過去とは違う行動もとっている。
そう、読み取れる。
で、あるのに、です。
主人公は「何十回も」この夢を体験し、「経験則で」自身の行動は自身の意思でもって決定できることを知っている。
それは勿論、理由として、「何十回もの過去の夢で、何度も違う行動をとっているから」に他ならない。そうとしか読み取れないように書いてある。
ですが、主人公は今回初めて、己の死を回避しようと試みる。
何十回もチャンスがあり、全てを最初から諦めているということもなく、意思も能力もあったはずなのに、です。
これには、首を傾げざるを得ない。
例えば、主人公がこの夢の中の状況に対して「何故か彼女の言葉には逆らえず、知らず知らずデートを継続するように意思を誘導させられている。そこに自分の意思はない」といったことなどが読み取れ、何かの強制力が働いている世界だと察することができるのであれば、主人公の行動を矛盾には思わない。でも、その可能性は作中の描写からは読み取れない。
例えば、主人公に過去の記憶がない、あるいは過去の記憶があいまいで確信が持てない、などの理由で、状況をなぞり続けることに必然性があるのであれば、主人公の行動を矛盾には思わない。でも、作中の描写で、その可能性は否定されている。
例えば、主人公はそもそも全ての最初からこの状況が夢であると悟り、あるいは諦念し、今まで状況を変えるということは思いもよらなかった、というのであれば――、死の回避以外にも、例えば「自身の台詞を別のものに変えてみることも含め、全ての予定外の行動が、今回が初めて」であれば、あるいは死の回避の試みも今回が初めてであることにも納得ができる。でも、主人公は何の疑問を抱くこともなく、経験則で予め知っていて、己の台詞を別のものに変えている。
これでは、何十回も繰り返してきた夢の中で、死の回避『だけ』が今回が初めて、というのは、いくらなんでも納得できはしない。
それから、何度も何度も殺されて、主人公は彼女を憎まなかったのか?
最初から夢だと分かっていたならともかく、「一番初めにこの夢を見たとき、まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかった」というのに。
過去には憎んだこともあった。でも今は何十回もの経験を経て、「これで終わるわけではない」「どうせまた同じ夢を見る」という諦観に至った。そんな理由があるのであれば、今現在彼女に憎しみを抱いていないということにもある程度の納得ができる。でもそれでは、そもそも死の回避を試みるなどという意思が、今このときに、芽生える理由がない。もし芽生えるものがあるとすれば、それは「死にたくない」ではなく「この夢を終わらせたい」になる。しかし、作中にそういった描写はない。
「彼女」の行動も、どこかおかしい。
主人公によれば、過去の夢の全てが、彼女が主人公を殺害して終了することになっている。
彼女の目的は、「彼女の思い通りの、いわば理想の主人公と、共に過ごす」ことであると、最後に明かされる。
なのであれば、主人公の殺害は彼女の目的ではない。あくまでも、納得がいかなかった結末に対して再挑戦をするための手段でしかない。
で、あるのに、彼女は「いつも」主人公を殺害して終了する。
それはようするに、彼女にとってはその時の夢は結果的に失敗であるわけだが、そこで再挑戦したのであれば、主人公よりもむしろ彼女の方にこそ、「前回とは違う行動をとる理由」がある。なのに、それがない。主人公の見る限り、同じ行動を繰り返すだけ。彼女の方が何か別の行動をとるという情報は何もない。
彼女の家に誘うまでの流れが彼女にとっては理想的な流れで、ここまでの段階で彼女が普段と違った行動をとる理由がない、というのは一つの答えになる。毎回、彼女が己の行動を変えて見せるのは、家に主人公を上げた後なのだ、と。
だがそれなら、何故主人公はそのことについて考えないのか? 過去の記憶がない、などということがないのは既に否定されているのに。
彼女の方も、主人公と同様に、行動に整合性が見て取れない。
この「無題」という作品のラストはようするに、
・主人公の夢だと思わせておいて、実はそうではなかった。詳しいことは分からないが、どうやら「彼女」の方こそがこの夢(なのかどうかも分からないが、とりあえずそう言い表されているもの)の主役・主体であるらしい。
【ここに意外性なり恐怖なりの、何らか感情を読者に抱いてほしい。】
・そして最後には、物語はループする。
【ここに意外性なり恐怖なりの、何らか感情を読者に抱いてほしい。】
こう、意図して作られたものですよね?
ですが残念ながら、数々の矛盾・整合性の欠如をもって迎えたラストシーンは、ただただ内容に疑問を覚えるだけで、何の感慨も湧きはしませんでした。
たとえ、上記以外の意図があったとしても同じことです。私が汲み取ってみた意図が合っていようが外れていようが、結局のところ、「あなたは自身の意図を(少なくとも私に)伝えることはできなかった」という結果は同じですから。
▼▼
最後にもう一つ述べましょう。
あなたの「文章の書き方」について。
例1
>一番初めにこの夢を見たとき、
>まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかったとき、
>俺はこれに何と答えたのだったか。
私は最初にこの文章を見たとき――というより、この「改行のし方」を見たとき、ちょっと違和感を覚えました。
最初は、以下のように意図した文章なのだろう、と考えました。
>一番初めにこの夢を見たとき――
>まだ彼女に自分が殺される夢を見ているとは微塵も思っていなかったとき――
>俺はこれに何と答えたのだったか。
ようするに、「文章を句点(。)を用いずにあえて読点(、)で改行することで、尻切れ感や余韻のようなものを持たせたかったのだろう」と。
ですが、どうにも引っかかる。
そこで思い出したのは、あなたが私に宛てた批評依頼です。
例2
>まだまだ初心者なこともあり、
>自分でも「あれ?」と思うことが多いのですが
>上の書き込みのぐれねぃどさんと同じく
>具体的に何処を治せばいいのかが分からず困っています。
この場合でも、文章を本来の終わりの地点である句点まで続けることなく、途中で改行を行っている。
そこで、私はあなたの他の作品にも目を通してみました。
そこでも同じように、文章の途中で改行を行っているのが見てとれる。
これはもう、余韻を持たせるのを意図したとかそういうことに関係なく、単に文章がある程度の長さになった時に、勝手に切っているだけである。今回依頼された作品は、たまたま途中改行する長文が例1にあげたもの一つだけだった、という偶然の結果でしかない。
そう、結論を得ました。
はっきり、そして強く言いましょう。
「やめなさい」
理由は既に述べたように、「文章を句点(。)を用いずにあえて読点(、)で改行することで、尻切れ感や余韻のようなものを持たせたかったのだろう」などという別の解釈を呼び起こすからです。
今回はたまたま、そう解釈されても大きな間違いにはならずに済んでいる。たまたま、偶然に。
ですが、あなたの他の作品、『3.5』では、数々の長文が途中で改行されていることにより、どうしようもなくおかしなものになってしまっている。
だから、「やめなさい」
ひょっとしたら、「長文はただ長文であるだけで無条件に読みづらい。それなら途中で改行したほうが絶対に見やすくなるに違いない」などと考えているかもしれませんが、それはあなた一人か、他に少数だけにしか通用しないと思ってください。
日本語にそういうルールはない。
ルールはルールだから無条件に正しい、と言っているのではありません。ルールにはそれが作られた理由があります。私がこの、途中で改行されている文章に、「別の意味」を見つけてしまったように。
そしてルールとは、大多数の人間に受け入れられ、支持されているという厳然たる事実があります。それこそ、ルールはルールだから。
ルールを知っている人間にとって、あなたの独自の書き方は「慣れ親しんだものではない」。つまりそれだけ「読みにくい」んです。おそらくはあなたの方も「少しでも読みやすくしたい」と思って始めたのでしょうが、結果としては逆効果にしかなっていません。
ひょっとしたら、こういった書き方を「個性的だ」と評する方もいるかもしれません。
でもそれは別に、「文体や表現の内容、作品そのものが個性的」なわけではありません。もっと別の、小説という媒体に関係のないビジュアル的な個性です。いうなれば、漫画家やイラストレーターがそれぞれに独自の絵を描くのと同じ方向性の個性、あるいは顔文字やアスキーアートといったものと同ベクトルの個性です。ただ、それらよりも規模が小さく、同じものだと気付きづらいだけで。
あなたが「小説」というメディアを通して誰かに見てもらいたいと欲するのは、いったいどっちの「個性」ですか?
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追記1。
日本語のルールをきちんと守る意思があるなら、まずは「一文の行頭には空白を設けてから書き出す」ことから始めてください。
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追記2。
タイトルとあらすじは、きちんとしたものを書きましょう。誰にも見て欲しいとは思わない、というならともかく、誰かに読んでもらいたい、と欲するのであれば。