福島県郡山市で小中学生14人が起こした放射能疎開裁判の経緯

      [2013/01/28]

     裁判の通称は「ふくしま集団疎開裁判」という。

     原発事故の3か月後の2011年6月、「郡山市内は放射線量が高くて危険」「安全な地域で教育を受ける権利がある」などと、郡山市を相手どったこの裁判は始まった。

     注目すべきは、申立人が郡山市在住の小中学生14人(法廷では親が代理人)だったことだ。

     原告団の主任弁護士である柳原敏夫さんが言う。

    「郡山市の土壌汚染レベルは非常に高い。原発事故があった旧ソ連のチェルノブイリの基準でいえば強制移住が必要とされるレベルです。チェルノブイリでは避難が遅れ、放射能の影響で小児甲状腺がんをはじめとするさまざまな疾病の患者が急増しました。それを考えると、とても子供の生命や健康を守れる場所ではありません」

     埼玉県在住の柳原弁護士が裁判にかかわることとなったきっかけは、原発事故直後の2011年4月、文部科学省が子供の年間被曝を20ミリシーベルトまで許容すると発表したことだった(後に年1ミリシーベルトを目指すと修正)。「子供を危険にさらす無責任な措置」と激しく憤った柳原弁護士は、住民支援のため郡山市に向かった。

    「従来の国の許容基準は年間1ミリシーベルト未満で、国際基準であるICRP(国際放射線防護委員会)の数値と一緒でした。それを事故後に、いきなり20倍に引き上げたんです。子供は、大人よりも放射能への感受性が4~5倍高いといわれています。途方に暮れる親御さんがいるだろうと現地に向かい、“子供は安全な場所で教育を受ける権利がある。市はそれを守っていない”ということを伝えました」

     保護者は、郡山市や教育委員会に疎開措置を期待していたがかなわず、訴訟に至ったのだという。

    「といっても、教育を受ける権利があるのは親ではなく子供。そこで、子供たちが原告になりました」(柳原弁護士)

     放射能への不安に駆られた地元住民のうち、県外への自主避難の道を選んだ家庭も少なくない。

     裁判に臨んだ子供たちは、なぜ自主避難ではなく、“集団疎開”を求めたのか。柳原弁護士が代弁する。

    「経済的な事情もありますが、子供たちの気持ちの問題も大きかった。“友達を見捨てて自分だけ逃げるなんて裏切りはできない”という思いです。子供にとって友情はとても大切なもの。でも、放射能も怖いんです。

     ある子供は“ぼくは(学校を)絶対離れない。でも、福島には絶対いたくない”と引き裂かれる気持ちを話していました。この矛盾を解決する方法は、集団で避難することしかありません。裁判で求めたのは、あくまで14人の疎開ですが、この裁判に勝つことができれば、福島の子供たち全員の疎開を実現していけると思っています」(柳原弁護士)

     郡山市教育委員会に取材すると、「係争中なので裁判についての具体的なコメントは控えたい」との返答。

     この裁判の行方については、国内ではほとんど報じられてこなかったが、ドイツや韓国のテレビ局が取材に訪れるほど国際的な注目度は高かった。しかし、福島地裁郡山支部は2011年12月、以下の理由などで子供たちの訴えを却下した。

    「小中学校における実際の被曝量の程度を考慮すると、債権者ら(訴えを起こした子供たちのこと)の生命身体に対する切迫した危険性があるとまでは認められない」

     地裁の決定に小中学生10人が即時抗告し、現在は宮城県の仙台高裁で控訴審が続いている。

    ※女性セブン2013年2月7日号


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