◇…スポーツ報知の購読申し込みは、フリーダイヤル 0120-16-4341(イロ ヨミヨイ) まで…◇
◇…過去の記事は、ご使用のプロバイダのデータベース・サービスをご利用ください。…◇
プロ野球がスタートした1936年に、「1試合22奪三振の剛腕」という触れ込みで来日した黒人助っ人がいた。0勝1敗、防御率9・90でわずか7試合の出場で帰国した大東京のジェームズ・ボンナ投手兼内野手(右投左打)だ。わずか1か月半で帰国した幻の大物助っ人の契約書が先日、米国でオークションにかけられたことが判明。野球体育博物館関係者も驚いている。
「ボンナの契約書と知ったときは、絶対競り落としてやる、と思った」。戦前の日本野球や学生野球を研究しているサンフランシスコ在住のラルフ・ピアースさん(53)は語った。契約書には「Dai TokyoBaseball Club」。そして、当人のサイン「James E Bonner」が書かれていた。その契約書を手数料込みで486ドル(約4万3000円)で競り落としたという。
ピアースさんは現在、日本に渡った米国人選手の消息を追って本を出しており、1937年秋にMVPになったバッキー・ハリスの関係者などを取材。日本プロ野球で7試合に出場し帰国したボンナの兄弟の孫まではたどり着いたが、いまだに本人の生年月日も没年も分からず、写真も手に入らない謎の人物だという。それだけに、契約書発見の報に、東京ドームにある野球体育博物館の関係者も「貴重な資料ですね」と驚きを隠せなかった。
1936年7チームで創立された日本プロ野球の1チーム、国民新聞社がスポンサーだった「大東京」は春、夏の各大会で14試合で1分け13敗。そこで田中斉オーナーが、米国の知人に頼んで獲得したのがボンナ。当時の読売新聞では「2日間で3試合を投げきって46三振。うち1試合では22個を奪った剛腕」とある。契約書では、1か月の給料が400円(現在の貨幣価値なら約250万円)。当時のスーパースター、巨人の沢村栄治投手でさえ120円だっただけに、いかに期待のほどが大きかったかが分かる。
非公式の2試合では「4番・一塁」で8打数4安打。ところが、満を持してマウンドに上がった10月23日タイガース戦、いきなり1回に伊賀上に満塁本塁打されるなど9失点。翌日も途中降板するなど4試合投げて9回2/3を14失点。52人の打者に14四死球で三振はわずか2。後にセ・リーグ会長となる大東京の鈴木竜二代表は、自らの回想録で「(オーナーが)黒人の投手だ、というからアメリカなら大丈夫だろうと思って取ったら、ひどいノーコンの上に、トンボが止まるといわれるほどのスローボールで、全然使いものにならない。失敗の外人第一号でもあった」と記している。
11月10日の試合を最後に帰国。数日後、読売新聞には「体調がすぐれず帰国させた」との球団発表が載っただけだった。ただ、ボンナの打撃成績を振り返ってみると、24打数11安打の4割5分8厘をマーク。日本最後の試合となった11月10日の阪急戦、最終打席はランニング本塁打を狙ってタッチアウトになった三塁打だった。
元国民新聞社会部長だった鈴木代表は「当時、私は野球を知らなかった」と述懐しており、もし打撃の良さを考慮して野手に専念させて起用し続けていれば、草創期の日本プロ野球をもっと沸かせていたかも知れない。
◆大東京 1936年2月15日、国民新聞社がスポンサーとなって「株式会社大日本野球連盟東京協会」として加盟。その後はスポンサーが次々と変わり、球団名も37年秋からライオン、41年から朝日。戦後はパシフィック、太陽ロビンス、大陽ロビンス、松竹ロビンスとなり、53年大洋ホエールズと合併。2年間、大洋松竹ロビンスとなった。2リーグ分裂初年度の50年に1度だけセ・リーグ優勝を果たしている。優勝時の田村駒治郎オーナーは野球殿堂入りしている。
(2013年1月28日06時05分 スポーツ報知)
国内最大規模の携帯ニュースサイト。スポーツニュース速報のほか、旬の社会、芸能ニュースも満載。月額84円(税込)
巨人軍公式サイト。待ち受け画像や注目の選手情報など、シーズンオフも必見。「NEWS読売・報知」の全コンテンツも利用できて月額210円(税込)!
翌日朝掲載の釣果情報を当日夜に配信。厳選した指定船宿と協力店からの正確な情報や、船宿の自慢料理・仕掛けなど、実用的なメニューもご用意。月額210円(税込)
携帯初の競輪予想情報。グランプリやダービーはもちろん、関東・南関東を中心に各レースを徹底予測。月額210円(税込)