【週刊ウエスギ(第3回)】第2回・自由報道協会賞に起こったあるアクシデント(上杉隆)
自由報道協会賞は、協会定款にも明記されているように、日本のメディアでは無視されがちな人物や作品に光を当て、地道な取材活動を支援し、新しいジャーナリストたちが世に出るためのルートを確立させるためのアワードになることを目指している。
大賞には20万円(予算の都合で昨年の50万円から減額)、各賞には3万円が支払われる(同じく10万円から減額)。
この1年間に為されたジャーナリスティックな仕事であるならば、大手メディアを含め世界中のすべての人物・団体、作品などが受賞の対象になる。
昨年も海外から数点、大手メディアからも、何人もの人物や何点もの作品がノミネートされた。惜しくも受賞を逃したものの、NHKや朝日新聞、さらには東京新聞などもノミネートの対象になっている。
この賞が3年、5年、10年、50年と成長していってほしい、それが自由報道協会賞を創設したメンバーたちの願いである。
そのうちの一人が、協会会員のひとりで、第一回目自由報道協会大賞の冠にその名を付けていた故・日隅一雄氏である。
日隅さんは、この自由報道協会賞の創設と成長に並々ならぬ意欲を示していた。
「上杉さん、とにかく最低三年間、この賞を続けてください。そして、できたら自分のように陽の当たらないジャーナリストたちを見つけ、励ましになるような賞に育ててください。それが私からのお願いの一つです。もしできなかったら、化けて出ます」
そう言い遺して、日隅さんはこの世を去った。だが、今回、自由報道協会賞は、その日隅さんの名前を大賞の冠から外した。
それは決して委員会が臨んだものではなかったのだが、協会もこの悲しい決定に従うことになった。
最終的には、大貫アワード委員会委員長と協会代表理事の筆者の判断によって、自由報道協会は「日隅一雄賞」の看板を静かに外したのだが、その理由は、ここでは明らかにしない。
授賞式当日、あるいは、そのことに触れるかもしれないが、そうしないかもしれない。
いずれにせよ、自由報道協会賞には日隅さんの精神が宿っていることだけは、ここに書き留めておこうと思う。
(編集部注:第2回自由報償協会賞の詳細はhttp://fpaj-award.comまで)