【週刊ウエスギ(第3回)】第2回・自由報道協会賞に起こったあるアクシデント(上杉隆)
今週土曜日(1月26日)、自由報道協会賞の授賞式が開催される。
昨年から始まった健全な言論空間の創設と、自由な言論の達成に貢献した個人・団体、作品などに贈られる賞だが、今年2回目を迎えて素晴らしい賞に成長してきたと実感している。
自画自賛にすぎるだろうか。いやそんなことはないだろう。なにより今年から大きな改革があったのだ。
第一回目である昨年は、代表である筆者の急ぎすぎた判断と準備不足などもあり、若干、事務作業の失敗もあった。
だが、当時、作業メンバーである自由報道協会スタッフに繰り返しこう語ったものだった。
「ピュリッツアー賞も、グラミー賞も、設立当初は試行錯誤、長年の紆余曲折があって現在の形になっている。なにしろ日本では誰も経験したことのない賞を創るんだ。失敗があってもいい。むしろ一回目はどんどん失敗することで問題点があぶり出され、それを2年目、3年目と続けていく中でブラッシュアップしていくことにつなげていこう」
実際、当時のアワード事務局およびインターンなどのスタッフはよくやってくれた。
その後、この自由報道協会賞に対して、その作業にほとんど参加せず、事情を理解しない会員(現在は退会)や外部からの異議があったが、すでにそうした指摘は、事務作業中に予測対応していたものばかりで、それは直後に検証委員会、続いて第三者も入れたアワード委員会で克服してきたものに他ならない。
ある意味、そうやって噂だけで物事を判断して、汗をかき、本当に苦労をした者を誹謗する者がこの賞に関わらなくなったことはよかったのかもしれない。
さて、後ろ向きの話はもうこれくらいにして、今回の自由報道協会賞の話に戻ろう。
実際、今回ノミネートされた人物や作品群を眺めると、日々の取材で苦労をしたジャーナリストや彼らが生み出した作品が少なくなく存在しているのだなと改めて知ることができた。それが何よりの喜びだ。
そして、今回の選考のために、大変な作業を伴うアワード委員会に入り、自由報道協会賞のために貢献していただいた方々の存在がなによりも大きい。
大貫康雄委員長(NHK元欧州総局長)、岡本厚氏(元『世界』編集長/岩波書店)、上出義樹氏(元北海道新聞編集委員)、山口一臣氏(元『週刊朝日』編集長)、森田実氏(評論家)、こうした委員らの卓越した見識がなければ、今回のような結果には至らなかったであろう。
すなわち、それは、自由報道協会賞の目指す精神に近づくことである。