松島 1999年にスコットランドはイギリスから分権化して独自な政府と議会をつくったんですが、沖縄県議会、県庁なども、外交の一部を担うような分権化の議論を日本政府と交渉できると思います。
日本政府、そして日本人は、米軍基地を取るのか琉球を取るのかということを選択しないといけないのではないでしょうか。
米軍は日本のほかのところで引き受けるから、琉球は日本のままに、というのなら分かりますが、このままだと「沖縄差別」が永続化すると、保革問わず琉球では言っています。
根底に異質なものとして沖縄は見られている?
――基地の存在や地位協定の実態は、「差別」を反映しているということですが、この根底には沖縄という地方に対する意識の上での差別があると感じますか。
松島 1879年に琉球処分で沖縄県が誕生したときに、日本への同化政策で差別が行われてきて、戦争中には琉球の言葉を使っただけでスパイ容疑で処刑されたこともありました。
講和条約後は日本から切り離されて米軍の統治下になり、それからずっと基地を押しつけられてきました。これらは差別です。
――意識の上での差別はどうでしょう。石垣島出身のアコースティックバンド、BEGIN(ビギン)の3人にインタビューをしたとき聞いた話ですが、1980年代終わりに彼らが東京に出てきていて、あるときアルバイトをしようとして多数の人に交じって現場に集合したとき、「君たちはこっち」と言われ外国人たちの集団に入るように言われたそうです。
松島 私は石垣で生まれて、高校、浪人までは那覇で勉強して、日本人として何の疑いもなく来ました。しかし東京へ来てみると、色は黒いし言葉がちょっと変だとかで、周りのヤマトンチュ(日本人)から「どこの国から来たのか」と言われ、同じ日本人とは思われませんでした。
当時、沖縄県人材育成財団の寮に住んでいたのですが、そこに住む同じ大学生の中にはそうしたことがショックで、寮から出られなかった人がいました。1980年代半ばのことです。琉球の人を異質な者と見ている普通の日本人は多いなと感じました。
あるいは、もしかしたらあえて異質な者と名指しすることで、相手を支配下に置こうとしているのではないかと思えました。これはショックでしたが、いい機会でもあり改めて琉球の文化や歴史を学んで、足元を深く掘り下げて議論していく気になりました。琉球にずっと住んでいたらこういうことはなかったかもしれません。外に出ていくことで、自分は何者かを知ることになりました。
――御著書の中に「人類館事件」のことが出ていますね。かつての差別に関する複雑な事例です。
松島 琉球への差別であるのと同時に、あの事件に関して琉球が屈折しているのは、自分たちは帝国の臣民であり、自分たちより下の人を差別するということがあった。差別の螺旋階段を琉球人自身が作ろうとしてしまっていたわけですが、これではいけない。
★注:人類館事件:
1903(明治36)年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の「学術人類館」なるところで、アイヌ、琉球女性、朝鮮人、台湾先住民らが、生身で「展示」された。人類学的なものという名目だったが実際は見世物的で沖縄からは抗議の声が上がった。しかし、その内容は沖縄人は日本国民なのにアイヌら他民族と同様に展示されたというもので、のちに沖縄内でもこの主張に批判が出た。
(下につづく)
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