世界の中の日本

沖縄(琉球)が独立する日-国際的に正当性を訴える

龍谷大・松島泰勝教授にきく(上)

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琉球併合から独立論は続いてきた

――これまでも多くの独立論がありました。過去に遡ってその変遷や違いについて教えていただけますか。

松島 独立論には、実践の面と思想の面があります。実践面で言うと、琉球併合によって琉球王国がなくなった後に、王国の元の家臣が清国に亡命して、琉球王国の復活運動を行うわけです。これは実践的独立論です。それが日清戦争で日本が清国に勝って、運動は衰退していきます。

 戦後、日本の統治が終わったときには、独立を掲げた政党が出てきます。大きな流れとしては日本への復帰運動が起きる中で、復帰が近づくと沖縄人の沖縄を考える会とか琉球議会とか、復帰後に経済的に不況などの不利益を被りそうな人が独立を求めたことが一時期ありました。

 その後いろんな政党ができたり、「うるまネシア」といった自立、独立を問う文化誌が発行され議論されてきました。

 1996年からは国連を通じた脱植民地化の動きが始まります。はっきり独立とは言いませんが、脱植民地化を明確に訴えています。また、個々人の独立論や運動はいろいろあります。高良勉さんという詩人は、エッセイの中で80年に独立論を訴えていました。

 CTS(石油備蓄基地)反対運動のリーダーだった安里清信さんはパラオに行って、琉球は独立すべきだと考えたという話もあります。太平洋の島々を参考にそして連携して独立を論じるという考えも出てきました。同じ島であって人口がずっと少なくて独立しているところがあるからです。

 また、奄美では新元博文さんらが奄美独立革命論を書いています。彼もパラオに行って影響を受けています。

グアムとの共通課題として脱植民地化を 

琉球人独立を議論する雑誌「うるまネシア」

――独立を研究する新たな学会はどういう経緯で立ち上がることになったのですか。

松島 2012年5月にグアムのチャモロ民族3人を琉球に招き沖縄国際大学で、琉球・グアムの脱植民地化シンポジウムを開きました。グアムはアメリカの属領ですが、植民地と言えます。

 そのため脱植民地化の動きがあり、2014年を目標に、国のあり方について国民投票の準備をしています。そこには3つの選択肢があります。完全独立、パラオなどのような自由連合、それと、アメリカの州になることです。

 独立派を中心に委員会がつくられ、連合を組んで独立のプロセスを検討しているほか、それぞれの派にも構想があります。人口20万弱のグアムがこうした試みをできるのだから140万人の琉球でも独立を前提とした議論ができるだろうということになりました。

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