「甘えさせる」とか「優しくする」とか「愚痴を聞く」、「慰める」、「サジェスチョンする」などの心のケアを行う。行ってくれる自分以外の他人。その価値って言うのを低く見積もってるんじゃないのか?
これはすごくすごいことだよ(小並)
こんなふうに換算するのは無粋かもしれないけれど、1時間あたり数万円が飛んでいってもおかしくないようなケアなんだ。いや、ラポール形成の下準備に期間をかけることを考えればもっと高額になるかもしれない。
いやそんなことはない。馬鹿話をして愚痴を言い合うくらい日常的に友人とやれるだろ? って、それは決してケアの価値が安い理由にはならない。その友人と友人との関係がそれだけバリューがあり素晴らしいと言うだけなんだ。(一般論で言って)友人、恋人、家族というのは上記のような金額換算したら誰しもが破産しかねないようなケアを相互にやっているから素晴らしいし尊いんだ。
時に自分は、それに値するような何かを、自分の側からは友人だと思っている人々に、少しでも返せているんだろうかと思う。それを考えると飲みに誘うことさえためらわれることもある。でもそこで手を離すと本当に何も返せなくなるのでメールを送る。シモネタをからめて。ごめんなさい。今週のネタはすこし滑った。
増田に言いたい。この種のケアを一方的に求めると、相手はすり切れてしまうんだよ。中学生時代僕らが夢想していたように、女性というのは女神じゃないのだ。精神的キャパシティは口座に似て残高がある。引き出してばかりだと相手は破産してしまう。僕らが夢見ていたような「女性の女性らしい優しさ」というのは、あれは女子に生来備わっているものじゃないんだ。女性が、意志の力で、自分の中のエネルギーを結集して合成しているものなんだ。でもそれに幻滅するってのもちがう。むしろ、だからより尊いと思うよ。それは希少な資源で、女性が特別だと思う相手に与えるものだからだ。
もっとも男だって大差ない。世間を見渡してみれば、口座残高に余裕がある人と無い人ははっきりといる。
大人になるというのは、周囲の人間に多くのケアを提供できる。その能力を持つことだと思うよ。
俺たちは子どもの頃、無制限にその希少なケア資源を周囲に要求してきた。足りてないと判るとスーパーの床に泣いて転げ回ってまで愛情を求める生き物だった。しかたない。子どもにはそれが必要だし、ないと成長できない。ほとんどの子どもは両親の精神的キャパシティ口座から大きな額を引き出して、しかも自分からは与えない。子どもってそういう生き物なんだ。だから奥様の希少なやさしさは、いま、お子さんが使っている。そのエネルギーで大きく育とうとしている。でもそれは子ども時代の増田だってそうだったはずだ。
たとえばあなたはお祖母ちゃんに大きな負債がある。お祖母ちゃんは口座から引き下ろし増田に与えたんだ。
でもそれはおそらく確実に返せない。あなたも、僕も、他の誰もが、残念だけどその種の負債を返しきることが出来ない。返す前に相手は目の前から去ってしまう。
大人になるって言うのは、それを自覚して、だからせめて自分にまったく借りもないような周囲の親しい人々にギフトをすることだと思うよ。そのチャンスが目の前に奥様とお子さんという形で生きているんだから。