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【社会】

豊川工・陸上部監督「死に追い込んでやる」 関係者証言

 「監督は『死に追い込んでやる』と怒鳴りながら、陸上部員を殴ったこともあった」。高校駅伝の名門校として知られる愛知県立豊川工業高校(豊川市)陸上部監督の教諭(50)が、部員への体罰を繰り返していた問題で、同校の関係者は二十六日、本紙の取材にこう証言した。

 証言によると、監督の男性教諭は部員の中から標的を選び、殴ったり蹴ったりしていた。欠席連絡の行き違いなどを理由に「学校に来られなくしてやる」と怒鳴られた部員も。十分以上殴られ、鼻血を流す姿を目撃した生徒もいる。部員が殴られ、顔を腫らすことは珍しくなかった。

 「監督は『平手打ちをした』と説明しているようだが、実際は、げんこつ。真実を話してほしい」と憤る。

 全国に知られた駅伝の名門校のため、子どもへの体罰を知った保護者も「他の部員に迷惑を掛けないように」と我慢せざるを得ない状況があった。

 別の関係者は「校長や監督以外の教諭も体罰を知っていたはず。強豪校の名誉を守りたかったのかもしれないが、学校の体制も問題」と批判する。部員や保護者が体罰を校長に訴えても、それを知った監督にまた部員が殴られることもあった。

 監督による日常的な体罰と、止めることができなかった周囲の人たち。「退学したり転校した子もいるが、辞めようと思って入学した子はいない。夢を持っていたはずなのに」と話し、やるせない思いをにじませた。

◆鼓膜負傷し転校の部員も 県教委に報告せず

 豊川工業高の竹本禎久校長は二十六日、記者会見し、陸上部監督の男性教諭による体罰が昨年四月から今月中旬まで十二件に上り、転校や退学をした生徒もいたことを明らかにした。県教委は詳細を調査し、処分を検討する。学校は同日午後、保護者会で問題の経緯を説明した。

 竹本校長らによると、教諭は昨年七月下旬、長野県内での合宿中に低血糖でふらついた男子部員の顔を両手で二発たたいた。鼓膜が傷つき、二週間程度の安静が必要と診断された。部員はその後、精神的に不安定になり、九月に転校した。学校はこの事実を県教委に報告しなかった。十月には他の生徒の前で数発の平手打ちを受けた女子部員が学校に行けなくなり退学した。竹本校長は男子部員が転校した経緯を報告しなかった理由を「保護者と生徒の『伏せてほしい』という意向を聞き入れた」と釈明した。

 このほか県教委からの指示を受けた調査で、この教諭による体罰が十件判明した。複数回の平手打ちをされたと答えた部員もいた。教諭は学校に「体罰ではなく、指導の一環だった」と説明したといい、竹本校長は「すべてを体罰と思い県教委に報告した。部員に理解されるような指導をするように教諭に言ったが十分伝わらず、反省している」と述べた。

 学校は、教諭に陸上部の指導を自粛させている。「期間は県教委と相談して決めるが、保護者会では全国大会に出るために教諭に監督を続けてほしいとの声が大きかった」と話した。

 調査で、男子バレー部監督の男性教諭(34)による平手打ちなど二件の体罰も判明した。

◆「教科、部活指導も最高」学校会見

 「教科指導も部活指導も生活指導も最高の人間」。会見で学校側は陸上部監督の教諭をこう持ち上げた。体罰で部員を退学や転校に追い込んだ現実より、学校を駅伝強豪校に育てた実績を強調した。

 教諭は一九九三年、豊川工高に着任。一度も異動することなく、優秀な男子中学生をスカウトするなどして陸上部を全国大会出場の常連校にした。

 この間、二〇〇九年には部員にデッキブラシで体罰を加えたとして処分を受けたが、勤務は続いた。会見に同席した県教委の担当者は「規定の異動サイクルはもっと短いが、実績のある方なので動かしにくい」と説明。自殺した男子バスケットボール部主将に体罰を加えていた大阪市立桜宮高の男性顧問も十八年間、異動なく勤務した。

 学校にとって「余人をもって替え難い存在」になっていた教諭。体罰を受けた部員が一二年に学校を去った際、竹本校長は「教諭を厳重に指導した」と説明したが、県教委には報告せず、伏せた。

 <愛知県立豊川工業高陸上部> 部員は男子26人、女子6人。男子は1998年から2011年まで14年連続で全国高校駅伝に出場。04年に準優勝、05年と06年に3位。女子も5回出場した。

 

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