第145話 『ゲンズブール委員会』への招待状 (07.05.08)
第144話 CAVA BIEN?『MASARA』 (07.04.05)
第143話 ボリス・ヴィアン気取りの『北京の秋』から始まる (07.03.08)
第142話 〈美しい国〉から『七福神の歌』が聞こえる (07.02.01)
第141話 『井戸の茶碗』なる地縁血縁 (07.01.05)
第140話 歌っとくれよ「ゴンドラの唄」を (06.12.05)
第139話 正調『満月の夕』が浸みた。 (06.11.01)
第138話 沖縄―アイヌを結ぶ『シンクロニシティ』 (06.10.10)
第137話 『八月の種』の種撒き唄を歌って (06.08.31)
第136話 「檸檬」と『セントジェームス病院』と (06.08.02)
第135話 『諷誦文』の唱導をいつか聴く日 (06.07.13)
第134話 K・D・ラングの『カウガール・ブルース』 (06.06.15)
第133話 『国境の南』ーバハカリフォルニア (06.05.16)
第132話 朝日の中 下北『かもめ』は翔ぶ (06.04.13)
第131話 伝播する『花心』の基礎体温 (06.03.09)
第130話 『吾唯知足』の教えに行雲流水する (06.02.01)
第129話 新年を繋ぐ交感神経作用 (06.01.06)
第128話 『アルフェンティーナ』の月ヶ瀬幻視行 (05.12.05)
第127話 ミドリブタと歩く街流れる歌 (05.11.02)
第126話 昭和を記憶する『夢であいましょう』 (05.10.01)
第125話 『禁断の果実』を求めてジャズの茨の道へ (05.09.06)
第124話 色即是空と『グラナダ』食い合わせ (05.09.06)
第123話 『ラプソディ・イン・ブルー』の不意打ち、『草原情歌』の余韻 (05.07.05)
第122話 『何日君再来』を君と聴く日 (05.06.03)
第121話 『般若心経』を教科書で読む日 (05.05.10)
第120話 下北ノイズの生まれる街で (05.04.01)
第119話 『ホエン・アイ・ワズ・ヤング』は今歌えない (05.03.04)
第118話 ヴェトナム人が見る『ジョージア』の夢 (05.02.01)
第117話 『ゴジラ』の年からヒロシマの年へ (05.01.01)
過去コンテンツも徐々に掲載します。


大木雄高 おおきゆたか
1945年生まれ。大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作・演出・役者として手がける。78年以降は定期ライブのほか、「下北沢音楽祭」、「松田優作追悼コンサート」等をプロデュース。下北沢"LADY JANE"オーナー。"音曲祝祭行"は"音曲祝祭考"としてアサヒグラフ誌に98年1月から6月まで計24回を連載していたものを、連載終了を期に装いも新たに自主制作版とWEB版で復活させたもの。




"音曲祝祭行"は下北沢"LADY JANE"にて月1回部数限定で発行しています。
 4月27日午後、俳優加藤善博が死んだ。秋田県出身、48歳だった。
 その日の午後一時頃、北京から帰ってきた俺は、プロデュースしているレコーディングの最終日だったので、神宮外苑の246スタジオに直行した。ひと区切りついたのを見計らって自宅に電話を入れると、「たった今、イエローの明さんから電話があって、加藤善博さんが亡くなったって電話があったわよ」と家人の返事だった。四時過ぎだった。逢魔ヶ刻にはまだ早い午後三時四時、渋谷のとある公園で、何を思い何を煩らいほっつき歩いていたのだろうか?
公園には紐が吊れる格好のすべり台があったのだ。
土曜日の昼下がり、晩春の陽光は
公園から人影も絶えさせていたのか?
 二日後の29日、午後いちに広尾病院の地下二階の霊安室に駆けつけると、寒々としたメタリックな空間に係員が二人きりだった。「加藤さんねえ、居ませんね」と記帳簿を眺めながら係員が言った。そんなはずはありませんと念を押すと、「あゝ、この無名となっているこの人かも知れませんね。この人なら今しがた桐ヶ谷斎場に向いましたよ」と。とって返して桐ヶ谷斎場で、火葬寸前の棺桶に寝る加藤善博ともう後の無い再会をした。――公園のすべり台――救急外来――死――広尾病院霊安室――桐ヶ谷斎場で火葬――納骨――秋田に帰省。45時間の段取りのあらましはこんな感じだった。秋田から飛んで来られた父君と弟、十年連れ添った夫人、友人たちの見送る人は総勢十人ちょっとだった。
 綴れ織りのように重なった偶然が気味悪く襲ってくる。北京に出掛ける二日前の日曜日の朝六時頃だったか、三宿のイエローを覗き、マスターの明に促されてカウンターの隣席を一瞥すると、加藤善博だったではないか。ン年振りだった。向う隣りの連れは、火葬場で見事な骨さばきを見て、「上等なシェフさばきをしてやがる、バカヤロウ!」と言って泣いた、神泉のエンドルフィン2の尾崎正彦だった。その夜の二人は馴染みの店数軒はしごした後だったと、清めの席の鮨屋のカウンターで聞いた。まさか最後のご挨拶だったのか?!まさかそこに俺はオンプラグドされて出掛けたのか?!お陰でその夜(朝)は格別楽しい時間を過ごせたが、五日後の帰国報告への返事の第一声が、訃報の知らせになるなどと、誰が予想出来たのか。
 それに、別の冊子に連載している五月号で、加藤善博のことに触れたのも気味悪い話じゃないか。繰り返しになっても、少々再現しない訳にはいかない。森田芳光監督の「家族ゲーム」(84)で知った善博を、脚本家の筒井ともみが「レディ・ジェーン」の十周年パーティ会場へ連れてきた件りのことだ。青山から下北沢の「レディ・ジェーン」に戻っての二次会の席にも出席した善博が、何とミスター・ロックンロールと世間で言われる大先輩相手に喧嘩を売り出したのだ。一張羅のスーツを自分の血で真っ赤に染めて、一人で帰って行ったその背中には、フランス野郎を気取る捨て身の男のダンディズムがあった。デビュー作「家族ゲーム」で善博は、志望校を注文しに来た家庭教師の松田優作に、何如にもだれて対応するワン・シーンだけで、担任教師としての人格がすべて読みとれる演技をしていた。こす辛い奴、陰険な会社の上司、ダメな中年男などのキャラクターが役柄としては多かったが、それは映画界やテレビ界の偏狭さであって、日常生活から俳優しているような、昔ながらの矜持を持った稀有な存在ではなかったか。数年前の或る日など、「善博、又引っ越したのは青山か」と言うと、「大木さん、俳優が住むところは青山じゃなくっちゃ」と例の甲高い声でキザるのだった。
 火葬中に寺島進から電話が入って、今日で撮影がアップするが夜店に行くという話だった。聞けば橋口亮輔監督の新作だったと言う。おかんの倍償美津子、娘の木村多江、兄寺島進等々、かくして夜も酒の席となったのだが、主役のリリー・フランキーは俺の隣に来て、「今書いている本の人物が、どうしても加藤善博の当て振りになってしまう」と言い、ショート・フィルムで善博を使ったことのあるBJ笹井は、〈偲ぶ会〉をどうしてもやろうと言う。
そうやって、橋口組の中へも
ゲンズブール気取りの善博は、
いつまでも尾を引くのだった。




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