鷹をめぐるエピソ
ード
鷹取山は大磯山塊の西南端の丘陵上にある丹沢山系の標高約219mの大磯町最高峯の山。
西方に富士山・箱根連山、南方に相模湾を望む風光明媚。
周辺にはスジタイ.タブなどの巨木があり、鬱蒼としています。「神奈川県」の社叢林として県の天然記念物に指定されています。
山頂には鷹取神社があって関東ふれあいの道「鷹取山・里のみち」の一部にもなっています。
信長、家康など戦国武将は鷹狩りを好みました。お抱えの大勢の鷹匠によって名鷹が飼育されています。
特に徳川家康の鷹狩り好きは有名で、家康が鷹狩りをおこなった時、家康の愛鷹が逃げたのをこの山頂で捕らえられたことから
「鷹取山」と呼ばれるようになったと言われています。

信長は手下の鷹匠を二手にわけ、技術を競わせました。ある時、信長の鷹(太郎丸)が逃げてしまった。信長はこれを見付けて届た越智玄蕃には馬と着物を与え、さらに信長は「望みのものがあれば何なりと申せ」と言つた。玄蕃は長年、歇所となったいた一万二千石の知行地の復旧を願い出たところこれが許されたことが「太田牛一」によって記録されています。【白鷹伝】山本兼一著。
信長、家康の鷹好きには次のようなエピソードがあります。
信長と家康が一諸に鷹狩りを楽しんだ時の模様が上記【白鷹伝】にあります。
「ただ獲物を掴ませるより興を高めたい。右府殿、鷹を競わせませぬか」と家康が言つた。
「それは一興だが、それこそただ競わせても能がない。なにかを賭けよう」信長の言葉に、家康は考えている。「では、それがしの鷹が勝てば、白の御鷹の"くつわ”をいただきとうござる」一同が家康の顔を見つめた。笑つてはいない。信長が眉を上げた。家康の顔を見すえた。「あれが欲しいか」「まさに天下一の名鷹でござる。鷹好きとしまして、ぜひにもわが拳に据えたい鷹でござる」「負ければなにを差し出すか」「三河一国」「なんじゃ、ざれごとか」「大まじめでござる」・・・・「お付きの鷹匠には家康は本気に見えた。・・・・しかし、それでは賭けがつり合わぬ」「三河一国では、ご不足か」「遠江とあわせて二国。"からくつわ"ほどの名鷹ならその値打ちはあろう。その賭け、二国なら受けよう」家康は首をひねった。考えている。「二国とも失えば。家臣ども路頭に迷いまする。その賭け、ご辞退せねばなりますまい」家康の眼が笑つた。緊張の糸がほぐれた。