DAIGOROKU
大五郎クンの語録、略して ダイゴロクです。
2008/1/23
久しぶりの更新です。さてさて、時代劇漫画「刃」での連載で大好評を得た役者対談
「大衆演劇って何ですか?」2007年中は、いろんな役者さん達と大衆演劇について
ナビゲータ橘大五郎クンの軽快なおしゃべりと、突っ込み?で楽しませてくれた「刃」から
初公開の写真や、記事に載せ切れなかった選りすぐりのエピソードを収録、このたび
一冊の本にまとめて、出版されます〜〜!
「大衆演劇 夢舞台。(仮題)」
オールカラー128ページ、定価1800円(A5版)
全国の書店にて 2月13日(水)発売予定 発行・発売(株)小池書院 03−5428−8310(営業)
これまで大衆演劇の舞台をみたことがない方、またむか〜〜しからの常連様でも
楽しんでいただけるよう、わかりやすく内容を構成しています、とのこと、
楽しみですね〜〜〜。
時代劇漫画「刃」のナビゲータで毎月登場の大五郎クン。
いつもゲストの方の写真に埋もれて?端のほうにちょっとだけ
出ているあのワンショットのために本を買われている皆様、
ご苦労様です。プロフィール用にとお写真を
送っていただきましたら、こんなに素敵な若座長〜〜!!!
いつのまに、こんなイケ面になったのでしょうぁぁぅうううう。
(あ、前からそうでしたか、失礼しました。)
最近の大五郎クン素顔です。
撮影/尾形隆夫(「刃」カメラマンさん)
☆☆笑顔の若座長☆☆ photo by 「刃」編集Hさん。
2007/9/25
浅草大勝館友情出演2
大勝館のラストのステージ、大五郎クンは、吾妻流師範吾妻豊隆先生から、振付けてもらった
思い出の「風の盆恋唄」を踊りました。これはもう何百回も踊って踊って、それでも踊りこんだ曲です。
「浅草は学校だと思いなさい。たくさん勉強して、もっと大きく育ってほしいから。」
「劇団員は、みんな私の子供です。」
そういう吾妻先生に、踊りで答えてきた大五郎クン。
ファンの皆さんの声援で、うるうる涙目。清楚な消え入りそうな切ない女形。見事でした。
2007/9/18
浅草大勝館友情出演1
大勝館は今月いっぱいで、2001年12月大晦日オープンからの営業をいったんお休みして
長い建替工事に入ります。再オープンの予定は2年半後。今回のゲスト出演は、大五郎クンにとって
大勝館で踊る最後の舞台。入りきれない程のお客様がたくさん駆けつけてくださいました。
ファンの方にとっても思い出の詰まった劇場、皆さん感慨ひとしおだったのではないでしょうか。
曲のイントロがかかると、あちこちからたくさんのハンチョウがかかり、場内は「ダイゴロ〜〜!!」の連呼。
お花をつけるファンの方の列ができ、なかなか踊ることもできなかった若座長。
「お客さんひとりひとりの応援がうれしかった。舞台に出た時、
最初からもう、うるうるしてたけど、竹とんぼのとき、左目からちょっと涙がでました。」
思い出を語る大五郎クン。「東京の浅草はゴロゴロ会館で初めて公演やって、そのあとすぐ
大勝館だったから、準備が大変だったんです。もともとボーリング場だったところを急いで劇場に
つくりかえたから、舞台はもとボーリングのレーンだったのを、そのまま使ってるんですよ。」
大勝館という古い建物を、大衆演劇の劇場につくりかえる過程からみてきた大五郎クン。
「大勝館に乗る前の日に、若座長になりました、そこからずっと。
だから、大勝館にはたくさん思い出がありますね。。。。」
そんな大五郎クンに、鬼の演出家?大勝館斉藤氏の言葉。(←初登場)
「今日の大五郎はほんとに素晴らしかった。女形も、、たちも良かった。13のとき知り合ってから
ずっと叱ってきたが、こんなに叱られた奴も他にいないだろう。何万回と叱り飛ばしてきた。
お前は遅咲きだと思う、でもやっと間に合ったんだな。人に好かれる、ほんとにいい役者になった。」
と、いいながら、泣。
大勝館での6年間。
ファンもしっかりささえてきましたものね〜。
P.S ふだん、滅多にほめないうえに、突然涙!!の齋藤氏に恐縮した大五郎クン。
「叱られナンバー1は誰にもゆずれません!」といって、さっそく叱られてました。(笑)
2007/9/11
ナニゲーニ ?! 大五郎クン
10月17日発売予定の早乙女太一クンのファーストDVD「早乙女太一15歳」、ご存知の方も多いと思いますが、
すでにゲットされた方も多いと思います。先行発売で浅草大勝館の劇場前でも売られています。今は劇場前でも
劇場内のスクリーンでも幕間にプロモーション中。
で、「太一クンのDVDじゃないの?」と通り過ぎようとすると、ちょっと待った〜!このでかい声は?もしかして?
そう、インタビューで太一クンと対談の我等が若座長、橘大五郎クンがかなり、というか、すごくたくさん
登場しているのです。太一クンのDVDなのに(笑)
もちろん、太一クンのDVDですので、たいていは太一クンのファンが買われると思うのですが、
大五郎クンご本人いわく、
「二代目のDVDなのに、何、大五郎暴露してんの?」
大五郎クンファンにとっては、おいしい特典映像満載
@太一クン撮影による若座長シャワー姿、寝起き、楽屋裏のプライベート映像
Aインタビューでは、若座長の初恋の話、などなど。
さすが、ナビゲータ若座長、なにげに、太一クンのDVDジャックする勢いで、しゃべりまくってます。
クールな太一クンも始終笑いっぱなし、ほんとに二人は仲がいいんでしょうね。太一クンにとっては記念すべき
ファーストDVD。浅草の大勝館前にいくと、今月いっぱいはダイジェスト見ることができます。
何度も言うようですが、あくまでも太一クンのDVDです。
2007/9/5
ナビゲータ大五郎クン
毎月21日発売の時代劇漫画「刃(ジン)」の「大衆演劇って何ですか」のページの
ナビゲータとして活躍中の大五郎クン。二代目早乙女太一くんや、都若丸座長、里美たかし
座長、龍美麗座長、南條影虎座長と続いて、あ、橘文若さんとのお話もありましたね。
昔の思い出話を交えながら、初めて大衆演劇をみる方にも、わかりやすい解説で好評です。
また、先月も2回に渡り、早乙女太一・橘大五郎「千年の祈りハワイ公演の巻」特集など組んでいただいてますが、
楽しそうに語る大五郎くんの、相手を思いやる言葉の巧みさに、さすがだな〜と感心したり。
先日「若衆祭り」でも、客演の短い時間をぬっての取材をきちんとこなして、舞台もがんばってました。
小林真座長との対談もあったようなので、近いうちに記事になるでしょう。「刃」チェックしてくださいね☆
「第4回若衆祭り」では、立ち役やって、お芝居やって、口上挨拶やって、女形やって、送り出しやって、取材もやって。
ラストショーで全員ご挨拶終わったあとの、送り出しインスト曲の「アゲアゲ」まで踊ってくれちゃいました!
この曲がかかると、か、からだが反応。。。これがみたかった〜(笑)
2007/7/14
久しぶりの北條ゴロク
7月14日、第8回豊隆会舞踊研究会が、日本橋劇場で開催されました。
吾妻流師範吾妻豊隆先生は、大五郎クンの踊りの先生で、舞踊の振り付けも
豊隆先生自らが直伝で、大五郎クンにつけていらっしゃいます。
その舞台に、北條寿美子おばあちゃまのお孫さんにあたる北條みきちゃん(文若さんの長女。5才)が
出演することになり、大忙し。なんでも、1月大勝館の公演をみにこられた
家元さんのご推薦とか。みきちゃんの出番は、ラスト創作劇の中の「こどもの神様」の役。
広い舞台で堂々と演じたみきちゃん、がんばっていました。
北條おばあちゃまはというと、リハーサルで疲れて眠ったまま、化粧を施される姿に
「大五郎の小さいときもこうやったね〜」
大舞台を終えて、はしゃぐみきちゃんに
「大五郎もちょうどこのくらいから、、踊りを習いにいかせたと。」
と、感慨ひとしお。
← 紙吹雪で降ってきたのを、みきちゃんが
集めて宝物にしていました。
2007/6/25
鈴蘭南座にて
この日の口上挨拶は若座長大五郎クンで、ギャグ炸裂!
グッズ販売の時間で、
「うちは(うちの劇団は)、うちわつけてます。」
とか
雷おこしを欲しいといったお客さんに「おこし、お越しください。」
とか
「でぃーぶいでぃ〜ですか、はい、それとも、でーぶーでーですか。
でーびーでーですね。」(おばあちゃんたちには発音が難しい)
休憩時間でも、聞き逃せないので、トイレに並びながら耳はダンボにして聞き入ります。
大五郎クンのオヤジギャグのおかげで、グッズは飛ぶように売れていました。
2007/6/24
鈴蘭南座にて
津軽三味線の加藤先生が、舞台で津軽三味線を披露してくださいました。
お客様には嬉しいサプライズです。なんといっても、大五郎くんに津軽三味線を
指導してくださっている先生は、御園座や、あのカーネギーホールで、演奏もされるというなんとも
頼もしい有名な先生、大五郎クンは習い始めてすでに、10年になるそうですが、
「小学生のときからだから10年ですか、それでこんなですから、どんなに練習してないか
ですね。。。(大五郎)」としばし、反省っぽい表情。でも、忙しい毎日の中で、ハワイから帰ってきて3日
ぐらいしか練習できなかった、というわりには、素晴らしい演奏でした。加藤先生いわく、「大五郎くんは
すごく集中力がありますね。」昼の部は皆さんと一緒に、夜の部は先生達のあとの演奏で、
「え〜、だったら、先生がやる前がよかったのに〜」と苦笑。
いったん、席につき、ばちを持つと、真剣な表情で、「はっ!」と息を揃えます。
曲に合わせ、雪が降ってくる演出。力強い三味線の響きを皆さんも真剣に聞いていました。
舞踊を終えられた北條寿美子おばあちゃまが、後ろの幕の影からそっと見てらっしゃったのが印象的でした。
2007/6/15
ハワイ公演を終えて 懇親食事会にて その2
皆さんのアンケートより、多かった質問
「次にいってみたい国は?」
大五郎ー「是非、またハワイに来たいですね〜。
僕は毎年10月前半、劇団でよく旅行いったりしてるんですが、
海外に、香港、韓国、中国と、ラスベガスいったことがありまして、特にラスベガスはですね、
空港降りたら建物とか何もかもがでっかくて
ごはんも大盛りででてくるし、絶対一人前食べれないですね。ハワイよりも大盛り。
ラスベガスはカジノが有名でして、ホテルのロビーに入ると、赤いじゅうたんがしいてあってですね、
子供は立ち止まると注意されるんです。ホテル入ると警備員が3人くらいやってきて
「Wak,Wallk(歩け、歩け!)」と言うんですが、英語がわかんないから、逆に立ち止まっちゃって、
泣きそうになっちゃいました。(笑)こわかったですね〜。(笑)
大人の街だな〜と思いました。
その点、ハワイはそういう場所があまりないので、安心して楽しめました。
ハワイはもう一回来たいと思いました。」
2007/6/13 ハワイ公演
“セントルイスハイスクール”正面 公演会場の“マミヤホール”
500人収容のマミヤホールは、ワイキキの高台にあって、セントルイスハイスクールの多目的ホールです。
チケットはすでに完売で、すごい倍率だったらしいです。あちこちでチケットがとれなかったとお聞きしました。
当日、入れない地元のお客様の為に、急遽2回公演となりました。プレ公演はお芝居はなしでしたが、
7時からの本公演は、第1部お芝居、第2部、舞踊ショー、第3部「千年の祈り」、ちなみに大五郎クンは「天城越え」を披露。
気になる反響はというと、三部が終わったあとも、拍手が絶えず、スタンディングオベーション、
地元ワイキキだけでなく、ハワイ諸島各地からかけつけたお客様が、「ワンダフル!」と口々に賞賛、
日本から着物ボーイ達が、伝統の文化を新しいかたちで表現してくれたと、ハンカチを握り締めながら、
「感激しました」「ありがとう」と、おっしゃっていました。
2007/6/15
ハワイ公演を終えて、懇親夕食会にて
ファンの方達の素朴な質問に答えるコーナーで、
「今回のハワイ公演の感想は?」
大五郎ー「え〜とですね、終わるまでは長かったな〜と思っていましたけど、終わってしまえば早かったな〜という気持ちですね。
最初一回公演と聞いていましたので、一回か、一回ならなんとかできるかなと、追加公演が増えて、2回か、2回大丈夫かな?と
一回終わったら、気が緩んでしまうタイプで、褒められるとダメになってしまうタイプなので(笑)、追加公演が増え、また
今回お芝居もあるということで大丈夫かなと心配してましたけど、終わってしまえば、一日2回しか出来なかったという残念な気持ちと
2回でよかったのかなという気持ちが半々で、今、ほっとしています。ハワイが好きになりました。
日系の方にも真剣にみていただいて、ハワイで日本の文化をやらしてもらって、本当によかったなと思っています。」
「好きな女性のタイプは?」
大五郎ー「よく聞かれるんですけど、上戸彩さん、好きですね。(笑)
着物とか素敵に着こなしている人にも、思わず目がいっちゃいますね。
(隣の太一くんが「ビキニ姿も」といって笑っている)
「あ、それは二代目(太一クン)でしょう、そんなこといってないですよ」
「いや、若座長さっきビーチでいってましたよ。」
「いってないって!」
会場爆笑。
「ハワイで印象に残ったところは?」
ふたりとも即座に「ビ〜〜チ!」
大五郎ー「ふだんは、なかなか楽屋から外にでることがないので、ハワイのビーチ、よかったですね、
ハワイはまた是非きてみたいです。」
「役者になっていなかったら、何になっていたでしょう?」
大五郎ー「小さい頃は大人になったら野球選手になりたかったですね。
野球が好きだったので。もし、役者になっていなかったら、そうですね、
まじめにサラリーマンやってたかも。」
「好きな色は?」
(二代目とかぶるからお先にどうぞ、といいながら太一クンが「白とか青とか。。」というと
ほら〜、やっぱりかぶったでしょ。も〜、などといいつつ)
「赤です。」
「好きな花は?」
太一クンが「薔薇」と答えたのにたいして、「またかぶった〜、困ったなあ」といいながら、
「薔薇は僕も好きですが、ハワイの道に咲いているあの花、あ、ハイビスカスですか、
ふわっとした、あの花、きれいだな〜と思いました。ああいう花も、好きですね」
ハイビスカスの花
![]()
この手のポーズはハワイで「アロ〜〜ハ」という意味です。
こんにちは、おはよう、だいたいの挨拶は「アロハ」でOK!
アロハさえ、知っていれば、ハワイもこわくない?!
2007/3/19
NHK「一期一会 キミにききたい!」の「イチゴさん」の「その後」が放送になるそうで。
いったいあの出会いで、彼女はどう変わったのでしょうか?気になりますね。
オンエアは、「2007春 土曜が変わるETV」 3月22日総合テレビ朝10:30〜10:55、3月26日教育テレビ夜7:00〜7:25
「一期一会」は、4月から教育テレビ、少し早い時間帯になるそうです。土曜日夜10時25分〜
教育テレビでの放送です。(昨日は総合と書いてしまいました。訂正します。すみません。)
いい番組をつくっていらしゃったことが、皆さんの支持を得られたんでしょうね。大五郎クンの出演した「女らしさの話」も
素顔の若座長をよく捉えられていました。この番組に出させていただいて感謝!です。
「スタッフさん」の「その後」
CDを集めていたあのNHKのスタッフさんは、集めた曲をi−PODに入れて、大五郎くんの画像もいろんなところから取り込んで、
すっかりご自分の「ダイゴロウスペシャル」をつくられていました。。。
2007/3/12
先日、「女性自身」の取材がありまして、劇団朱雀の二代目早乙女太一くんと、撮影にいった大五郎クン。
その時の様子は、「太一に会いた〜い」ブログで詳しく書かれています。http://www.taichi-blog.jp/
なんと!若座長クンは、あの「電車男」で一躍話題になった「オタク」がたくさんいるところで有名な
秋葉原の!それも「メイドカフェ!!」にいったらしいです。
「メイドカフェ」をご存知でない皆様にご説明しましょう。「メイドカフェ」とは、メイドさんのかっこうをした可愛い?女の子たちが
「いらっしゃいませ」ではなく「おかえりなさい、ご主人様〜」と出迎え、飲み物を注文すると「萌え萌えじゃんけん!」などと
注文のたびに、いろんなパフォーマンスをみせてくれる喫茶店のことです。
同じ発音ですが、「冥土カフェ」ではありません。
平日は普通のお客さんはあまりいなくて、だいたいオタクと呼ばれる男性が、秋葉原で、アイドルのイベントみたり、
アニメキャラを買った帰りに、ひとりでお茶とケーキを頼んだりしています。ただ、最近では観光名所化して
女性客や、大衆演劇の役者さん(仮名Dさん)も、撮影の帰りによられることがあるらしい(笑)です。
萌え 萌え。
・・・ どおりで、最近のお芝居で「萌え。」というセリフが多いな、と。
2007/2/28
<補足>
NHKのスタッフさんは、ほんとにサラ・ブライトマンのCDをたくさん買われたそうです。
足りなかったのか、レンタルでも5枚ほど借りられたそうです。
よくサラの曲は話題になりますが、アレンジが毎回違うものを選んで
あるので、なかなか見つからないかもしれません。
[姫神]もオススメですが、あちらのCDはかなり集め甲斐がありそうです。
大五郎クンの舞踊曲は、その時の気分で決めることが多いようです。
気持ちが入らないと、直前で曲の差し替えもあるとか。
2007/2/23
「一期一会キミにききたい!」が22日の朝日新聞のコラムで紹介されていました。
「・・・16日は、つねに男っぽい服装をして女らしさを嫌悪する19歳が、20歳の女形役者を
訪れた。せつせつと自分の考えを話す女性の意見を否定することなく、耳を傾ける男性。
・・・現代の若者の真剣さが伝わる。親世代にも見て欲しい。」
3月31日にはまた再放送が決定!!うれしいですね〜〜。
(「一期一会キミにききたい!NHK教育テレビ再放送:
3月31日(土)朝11時15分〜45分)
NHKのディレクターはじめ、スタッフの皆さんも舞台を撮影しながら
すっかり大五郎くんの魅力の虜に。「千年の祈り」の心中場面は
放送では使用されませんでしたが、スタッフの方が撮影しながら号泣
されていたそうで、声が入らないかまわりが気にした、とか。
その後、サラ・ブライトマンのCDを買いに走ったとか走らなかったとか(笑)
番組を見て、皆さんはどう感じられたでしょうか。
BBSにもたくさんの応援メッセージをいただきました。
改めて、ファンの方の熱い思いを感ぜずにはいられません。
「大ちゃんがでた番組が再々放送とあり、フアンとしてこんなに嬉しいことはありません。
ご近所の人達も大ちゃんの優しさ家族の温かさが伝わるいい番組で、
私が大ちゃんに夢中になるのがやっと分ったと皆に言われます」
こんなご意見も。、
「わたしたちおばちゃんには、今の若い人の悩みとかわかんないけど。
それよりも、大五郎くんの踊りがきれいできれいで(涙)」
「大ちゃん、あんなところにホクロがあったんだね。」
<オヅキゴロク>
「最近、うちの若、ちょっとおかしいんじゃないかとおもうくらい、ハジけとるんよ(笑)
二十歳になったから、なんかふっきれたんやろうかね〜。」 (小月きよみさん談)
♪ナーナーナナナー♪ たしかに。。。 ♪ナナナーナナナー♪
でも、とっても楽しそう♪
湯ぱらだいす佐倉がお休みだったので、大勝館若座長友情出演のお手伝いにきていた、北條めぐみちゃん、浅太郎さん、裕太郎くん、
ファンの方に囲まれて、パチリ。素顔も素敵な皆さんです。一応、ご本人達には、素顔掲載確認済みです。「ファンの人がとったんなら
いいよ〜」とめぐみちゃん。サービス満点で恐縮です。(左から裕太郎君、めぐみちゃん、浅太郎さん)
2007/2/14 今日はバレンタインデー。
「最近、ダイエットしてるんです。」(大五郎)
「ほ〜、そうですか。」
バレンタインでいただいたチョコをぱくぱく食べながらのお返事でした。
大ちゃんスマイル!!(萌え〜〜)
↓↑ ♪上と下とは同じ人〜♪
日本タレント名鑑のWEBサイトにて、
「2007年に成人式を迎える注目のタレント」20人の中に、選ばれました!
<メッセージ>
応援してくださる皆様のおかげで、どうにか二十歳になれました。
本当にありがたいと思います。これからも、いろんなジャンルの役柄に
どんどん注目していきたいと思います。大衆演劇の舞台に立っている姿も
是非、みにきて下さい!(橘大五郎)
2006/9/24(博多新劇座にて)
この日は劇団朱雀二代目早乙女太一クンのお誕生日でした。
タップ前には、太一くんとしばしばコントで会場をわかせます。
大五郎クン「太一くんも今日で15歳になりました。
皆さん、今日は二代目太一くんのためにお集まりくださりありがとうございました。
イチオウ僕もまだ十代ですので(笑)よろしくお願いします」と若さをアピール。
「太一くん、彼女は?」と振っておきながら「毎日忙しくて彼女どころじゃないですよね。
僕もなぜかお母さんぐらいの歳の人にはもてるんですけど」と、マイクを持ったら
ずっと面白いことをいってみんなを笑わせるムードメーカーの大五郎クン。
ケーキでお祝いのときに、会場から「ムグンファの花」でおなじみテンチェ
さんがサプライズで登場!「では、ここで、はっぴバースデーを歌って
もらいましょう!」とマイクを渡したら、彼女の歌がものすごくお上手で、みんなが
ついていけないくらいのアカペラに「せ〜ので、一緒に歌おうと思ったら
はっぁ〜ぴぃヴあ〜ずでぃ〜って、すごくうまいからうたえんでしょ!
振ってはずかしかった〜」と大五郎クン。なごやかな中で無事終演。
昼の部が終わり、送り出しでのショットです。大五郎クンと太一クンは
本当に仲がよく、ふたりくっついてます。太一クンのお誕生日でいちばん
ハシャいでいたのは実は、本人よりも若座長だったのでは?
二人揃って、はいピース!!
2006/6/6(九州にて)
「尊敬する人!
中村勘三郎さん!(もう最高!)
いのうえひでのりさん!(若手演出家)
野田秀樹さん!(こちらも演出家)
中村錦之助(萬屋錦之介)さん!(俳優) ( 乳母車には乗らないでね。)
松たかこさん!(あこがれの女優さん)」
2006/6/3(浅草にて)
劇団朱雀の6月公演初日にゲスト出演の大五郎クン。
いままでは橘劇団との合同公演で、舞踊ショーをみせてくれましたが、
今回は初の単独、45分強の第3部の舞踊ショーをみて、
「ふだん冷静で、絶対顔に出さない太一くんの顔が
緊張してこわばってるのを初めてみました。
自分の劇団も同じ経験をしてきたので、
今回の初日の大変さがすごくよくわかります。
裏の楽屋の様子が透けて見えそうなくらい(笑)
同じ曲でも、自分達と朱雀では、まったく違った印象ですね。
今月は僕も何回か、応援にいくので
朱雀には、浅草公演、是非がんばってほしいと思います。」ー橘大五郎
さすが、経験値の高い若座長、余裕の発言です。
と、いっていたら、
19日、20日は陽之介座長が不在ということで
「大五郎若座長、よろしくお願いします(関係者各位)」
帰りに、座長のパートを踊ることが急に決まった大五郎クン。
「 ・・・(マジですか。。)・・・・」
さっそく、初日のビデオ(研究用)と、CDを抱えて、帰途につくことに。
ちなみに、陽之介座長の舞踊曲は「てっせんの子守唄」山崎ハコ、
エンディング使用曲は、「ムグンファの花」です。
朱雀と共に、はばたけ若座長!
2006/5/28(小倉にて)
髪をかなり短く切りました。皆のリアクションがいろいろで。
失恋したの?っていわれたり。(笑)
最近のマイブームは、パソコンと、小説を読むこと です!
近頃読んで面白かったのは、「蝉しぐれ」
Yoshiっていう人の小説は好きでたくさん読んでいます。おススメです。
*参照
「蝉しぐれ」藤原周平著 文芸春秋
−友情と剣を支えに逆境に立ち向かう少年藩士、
一途な恋と試練の歳月を凛冽な物語へと結実した著者の代表作。
Yoshi
DeepLove (ディープラブ)第一部「アユの物語」〜特別編「パオの物語」スターツ出版
「翼の折れた天使達」双葉社etc.
Yoshiオフィシャルサイトhttp://www.zavn.net/yoshipro.php
はい!僕のマイブームは、パソコンのタイピングの練習です!(by 浅太郎さん)
2006/5/17(小倉にて)
最近興味があることは?
「パソコン!です。この一月からはじめて、いろいろな機能をこなせるようになりました。
夕べも稽古のあと、台本作りとかで3時間ぐらいパソコンに向かっていたかな。
そう、芝居にはインターネットを活用しています!辞書、辞典代わりに台詞で使う言葉を
調べたり、小道具のことや登場人物を調べたり、本当に便利だし、勉強になる。
通信販売で刀を買ったりもしました。(笑)」
2006/2/11(佐倉にて)
お誕生日のプレゼントに北條おばあちゃまから、新しいパソコンを贈られた大五郎クン、
−これで、パソコン、がんがんやれますね?
「舞台の稽古が忙しくて、とてもパソコンやるひまがないです。」
湯ぱらだいす佐倉では、昼夜で、お芝居が変わります。毎日明け方まで、芝居の台詞あわせや、舞踊ショーの
プログラムを組んだりと、本当に忙しい様子でした。
代わりに、というか、パソコンを興味深くみられていたのは、北條さんのほう。
いろんなHP、掲示板をみて、「みんな踊りとかよくみてるんだねえ。」と感心なさってました。
文若さんのお子さんがでた舞台の書き込みをみつけて、にこにこ。
−北條さんの写真ものってますよ。
「いつの?え、今日の?うそやろ〜、あら、でもこの着物、やっぱり今日だわ。」(びっくりした表情で)
-北條さんも、、DVDプレーヤー使われるんですね。
「レンタルで借りて、これでみてます。テレビはなかなかみられんから。
いま、借りてるのは『大奥』 。おもしろいし、衣装とかね、参考になるから。
ときどき、つけっぱなしで寝てしまうけどね。(笑)」
2006/1/30(浅草にて)
ひさしぶりの北條語録、キタ〜ッ!!!
今月27日に大五郎若座長は、19歳を迎えられましたが、ご感想は
?
北條:「はやかったねぇ〜」(にこにこ微笑まれながら)
これからの大五郎クンに何か期待なさることは?
北條:「すべてです。なんでもかんでも。これだってひとつに決めれないくらい」(にこにこ)
(さすがおばあちゃま、お孫さんにかなり期待されてます)
北條:「でもね、ここまで大きくなれたのも、みなさんのおかげ。感謝しきれんほどです。
わたしは、ほんとに幸せものです。」(にこにこ)
いつも大五郎若座長のビデオをみながら就寝される北條さん。
夢の中でもご一緒でしょうか?
北條さんこそ
自他共に認める、いちばんの大五郎ファンです。
ご報告で〜す!
第23回浅草芸能大賞新人賞受賞しました!
これも皆様の応援のおかげです。本当にありがとうございます。
ー北條寿美子さん(おばあちゃま)と、吉原弁財天の前でー
2005/12/27(浅草にて)
近況報告
「運転免許、無事取れました!」
2005/11/14 (北海道帯広にて)
近況報告
「11月12月と北海道帯広の笹井ホテルで、公演しています。昼の部が終わったら、自動車教習所に通っています。
早く運転免許がとれるといいなあ」
2005/10/29 (日田の実家にて)
「地元の興行が終わりました。地元大分での1ヶ月、改めて原点に戻った気がします。
子役時代から応援してくださっている方々を大事にしたいです。
また最近みにこられるようになった方々も同じようにありがたく、大切におもいます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。」 大五郎
またまた質問ですが、好きな女性のタイプは?
うーん、、、、、、明るい人、、、、、、かな。
昼の部終了後の短い時間をぬって、吉原弁財天におまいりに。パスカル・オルガノ氏と。
「わたしの夢は、いつかベルサイユ宮殿で、公演ができたらと思います。夢がかないますように」(パスカル氏)
2005/10/17
HPトップページを開けた時間によって、大五郎クンのコメントが変わるように設定しました。(トップページ写真の下の部分)
PM1:00はどうでしょう?とその時間帯にご覧になる、ファンの方へのコメントを、24個分いただいたわけですが
隣で聞いていた早乙女太一クンが、くすくす笑っていたのが印象的です。友情出演で一緒になる機会が多いふたり、
プライベートでもとっても仲がいいですね。大五郎クンへ、最近の太一クンの印象を聞いてみました。
「二代目は(太一くんのこと)、会うたびにでかくなってる。(笑)」
2005/10/17(浅草大勝館にて)
東京新聞社の取材のインタビュー
「いつから舞台にたたれているんですか?」
「2歳半からです。」
「どのようにしたら、そんなに色っぽいしぐさができるんですか」
「小学校低学年は、おばあちゃんとふたりで住んでいたので、地元の小学校に通っていました。
そのとき日本舞踊に通っていたので、基本的な所作とかは、習いました。
やっぱり、習ってる方の立ち居振る舞いはきれいですよね。
そういう方をみて、勉強したりしました。
より女性っぽいのは、やはり、男が女を演じるからだと思います。
男からみて、きれいだと思うしぐさは、女の人より男のほうが思うから、
色っぽいなあと思うしぐさを、客観的に演じやすいと思います」
2005/10/13 (日田市の自宅にて)
今月は地元で単発公演です。その稽古に毎日がんばっています。
突然ですが、好きなタレントは誰ですか?
松たか子さんです。
(小さな声で)上戸彩さんも(もちろん)好きです。
大五郎クンのおばあちゃまの北條寿美子さんの記事が、「演劇グラフ」に掲載されました。
役とともに歩んだ半生「道」、異例の前半後半2回にわたっての特集、今年、めでたく舞台生活50周年
を迎えられました。「演劇グラフ」さんのご好意により、記事を抜粋掲載の許可いただきました。題して、
<北條ロク Houjyoroku>
2005/09/29 up
橘の灯を消すわけにはいかない・・・北條寿美子
(・・・略)
学校が終わるころタクシーで迎えに
そして初代(大五郎クンの祖父)がなくなってから、わたしは大五郎の面倒を見るようになるわけですけど、これは義父が「橘の灯を
消してくれるな」って口癖のように言っていたその思いに応えることになったかなあと思ってます。自分の子供の面倒は見られませんでし
たけど、その分孫の面倒を全部見てこれたというのも巡り合わせでしょうか。これからの時代はやっぱり勉強せなあかんからって、ほかに
大五郎のことをみてくれる人もいないし、座長たちが一生懸命頑張ってくれだしたときだったから、小学校に上がる年齢になった大五郎を、
わたしが家に連れて帰りました。けど、わたしはやっぱり舞台のことが頭から離れないもんだから、最初はわたしがお稽古をつけてたんで
すけど、「やる以上は橘を何とかせないかん。ちゃんとお稽古させよう」と思って、踊りの先生にお願いに行きました。そして、学校が終わる
ころタクシーで迎えにいってそのままお稽古にいって。2歳半から舞台にたたせたんですけど、小学校に行かせながら稽古はほとんど毎日
させました。親戚のおじさんたちから、「かわいそうに、小学校に上がったばっかりの子に、あんたもう、いい加減にせんと!」って言われま
したけど、「はい、すみません」と言いながら、やっぱり稽古は続けさせたんですよ。覚えのよさを先生もほめてくださってね。それで、
「大ちゃん、頑張れ!何がほしい?ゲーム?」って、もうゲームで釣りました。(笑)次から次に買ってやって。きよみ(大五郎の母)たちに
内緒でしたけど、お店ができるくらいゲームでいっぱいになりましたね。でもたまに、タクシーに乗せてやっと先生のところに着いたら、
パーッっと逃げるんですよ。それを追っかけてね、隠れるのを探しまわってね。「ああ、かわいそうにね。ちょっときついかな」と思いながらも、
「頑張れ」って言ってね。
よう一人も亡くならんで助かったと思います
次に大五郎の妹のめぐみが学校に上がるからというもとで、ちゃんと机も用意して、「頑張ろうね、兄妹で」となったんですけど、このときはき
よみが娘を手放せなかったんですよ。「ずっと連れて学校に行かせる」と。大五郎も「僕、舞台頑張る。一緒に暮らしたい」って言うから劇団
に戻りました。「じゃあ、勉強もね。家庭教師の先生を雇うよ」って。だから、行ったとこ、行ったとこで家庭教師を探してお願いして、一生懸命
やったんです。行った先の先生たちもすごくよくしてくださって。神戸の劇場で阪神大震災に遭ったときは、大五郎は3年生になってたかな。
大阪の学校に初めて行って、みんなから「頑張ってね」って送ってもらった直後でしょう?あとでわざわざ大阪から先生が訪ねてきたときは
「大ちゃん!大ちゃん!」「よかった!」って抱きしめて泣いてくださいましたね。ほんとにあのときはもう、「ドーン!」って衝撃がきて、あっとい
うまもなかったんですよ。横振れもないし、いきなりきたんです。逃げるどころじゃない。ガーッって劇場も崩れてしまって、何があったかもわか
らなかったんですよ。すごかったですね。わたしとっさに大五郎に覆いかぶさって。その上にバラバラってかつらも何もかもが落ちてきて。
二階にきよみたちがいたんですけど、階段も落ちちゃって、みんなが飛び降りてきて。何とか大五郎を抱えて「はいっ!」って渡したら、そのまま
意識がなくなるような状態でした。
あの崩れた建物の中でね、よう一人も亡くならんで助かったと思います。あとで楽屋をみたら、初代の大きい写真を座長の部屋に飾ってたん
ですけど、バラバラな荷物の中でその写真だけがポンと立ってたんですね。「やっぱり見守ってくれたんだね。すごいね、写真だけビシッと立っ
てるもんね」って。不思議でしたね。もうあのときは、かつらも衣装もダメになってしまって、「ああ、またこれでダメか」と思ったんですけど、皆
さんに助けられて立ち直ることができました。ありがたいですよね。
二代目のあとにはこの子に頑張ってもらわないかん
わたしがこの世界に入ったときに、日本舞踊で身につけたことが基礎になった。それで、大五郎にはかわいそうだけど、「どうせやるんだった
ら、二代目のあとにはこの子に頑張ってもらわないかんから、しっかりやらせよう」と思って頑張りました。そして小学校3年生のときでしたかね、
「ばあちゃん!お客さんからね、僕こんなに褒めてもらったんだ」「お稽古してよかったねえ」ってわたしに言ってくれました。この一言で、「ああ、
よかったなあ」と、「「やっぱり頑張れば実るじゃないか」って思いました。それから大五郎は、本格的に頑張るようになりましたね。子役大会の
ときには、『弁天小僧』、『国定忠治』、『忠臣蔵』、などを、当時うちに在籍してらした浪花章之輔座長につきっきりで教えていただきました。この
夏大五郎は、章之輔座長や父親の水城新吾、伍條ひろしの後押しで『下北の弥太郎』に挑戦したんですけど、驚くほどいい舞台になっていて
うれしかったですね。小さい頃は、かつらをかぶせたらかわいそうだから、髪を長くしてたんですよ。そのときも、周囲からはいろいろ言われたん
ですけど、本人は絶対に嫌がらなかったんです。ほかの子にいじめられるかなあと心配だったけど、何にも言われなかったようです。一年生の
運動会のときなんか、ポニーテイルにして走ってるんですよ。千賀子を立ち役、大五郎を女形にして、浪曲歌謡なんかをよう踊らせよったんです。
大五郎は女の子にしか見られなくて、舞台でも「うそ〜。あの子女の子でしょう?」ってずっと言われてました。
わたしは自分が看板のときでもかんざしなんか買えないし、初代が全部、布を買ってきてつまんで花かんざしを作ってくれてたんです。すごく器
用だったんですよ。ですから、大五郎が花魁をしたときに、「ばあちゃんね、昔花魁のかんざしが買えなくてね。竹を磨いて花魁のかんざしのよう
に色をつけて、それをさしてたんだよ」「けどね、ばあちゃんはそうやったけど、あんたに最高のことしてやれたから満足」って話したんですよ。
大五郎のために作ってるんだけど、同時に自分のために作ってるって思ったんです。これだけの立派な花魁を孫にしてやれたっていうのは、
頑張ってきた自分へのプレゼントだと、心からそう思いました。
今、大五郎がやってる役はほとんど全部、昔わたしがやってた役なんですよ。女剣劇でね。こないだチラッとその話をしたら、「ええっ!ばあちゃん
がやってたんだ!」なんて驚いてましたけど。
最高の仕事で、最高の人生です
いつも、「大五郎クンのためなら」とか、「北條先生のことだったら応援したくなる」って、会う人、会う人が言ってくださるんです。大勝館の社長と
初めて出会ったときも、初代が亡くなって、何か神様に巡り合ったような気がしました。やっぱり初代が見守ってくれてるって思いました。
社長は、厳しいかたですからね。わたしはいろんなことを乗り越えてきたじゃないですか。でもこの恵まれた時代に、他のみんなが耐えられるか
なあと心配でしたね。プロの先生を紹介されて、確かに舞台はどんどんよくなるけれど、座員がいつ「もうやめます」って言ってくるかなって、それ
ばっかり思ってたんです。初めのうちは、緊張で顔が引きつってる者もいたくらいでしたね。北海道での最初の稽古のときは、みんなが次々に
泣き出したんですよ。体がきついのと、「どうして自分にこんな難しいものをさせるんだ」っていう気持ちがあったと思います。わたしはきよみの涙
は見たことがなかったんですよ、気が強い子ですから。そのきよみも最後にはワンワン泣き出しちゃって。一本の踊りが、全然絵にならなかった
んです。どうしてもできなくてくやし泣きをしてました。そんな稽古をずっと乗り越え乗り越えしてきたんです。大五郎は特にきつい指導をされて、
確かにわたしも傍らで、「ああ、かわいそうに」と何度も思いましたけど、そんな経験を重ねて、どんどんどんどんいろんなことが身について、何とか
ここまでなれたんですね。去年の稽古のとき、「もういっぺん、もういっぺん」ってガンガン怒られながらrお稽古している大五郎が、とてもいい顔を
してることに気がついたんです。どんなに叱られても、素直ないい表情でお稽古を繰り返してました。「ああ、周りの人の気持ちがわかったんだな」
って、わたしそのとき思ったんです。真剣に自分のことを思ってくださってる周囲の皆さんの気持ちが、心の底に届いたんでしょう。まだまだ若輩
だし、お稽古をすることで、周りに作り上げてもらってる芸なんですから、このまま謙虚な気持ちを忘れないでもらいたいですね。
劇団の座員さんに対しては、感謝の気持ちでいっぱいです。わたし、ある劇団の座長さんからいわれたんですよ。「よう頑張りますね。うちの座員
にこんな稽古させたら、早うにいなくなりますよ」って。うちの座員は頑張り屋で、本当に素晴らしいです。「わたしは粒ぞろいの座員を持ってるんだ
!」っていつも心の中で誇りに思ってます。振り返ればとにかく、皆さんに助けられ、支えられた50年でした。出会う人、出会う人がみんな素晴らしい
人ばかりで、わたしはたくさんの偉大なかたがたにずっと見守られて生きてきたんです。ありがたいことだと思います。自分が選んだ好きな仕事を、
こうして子供たちや孫たちと一緒にできるなんて、最高の人生です。最高の仕事で、最高の人生。誰よりも幸せですよ。
(演劇グラフ2005年10月号より抜粋、インタビュー 上松未奈)
2005/08/03 (佐賀マリトピアにて)
どうもこんにちは!新しくもうひとつオフィシャルサイトができました。
こちらも、「大五郎オフィシャル」同様、よろしくお願いします。 橘大五郎
2005/08/19 (佐賀マリトピアにて)
北條寿美子芸能生活50周年記念パンフレットより
「芸能生活五十周年、おめでとうございます!
ぼくは今、小学生のころを振り返っています。
学校から帰ってきてランドセルを置くとすぐ
日舞の藤間先生の家へ連れて行かれました。
稽古が嫌で、二階の稽古場へ上がるとき、
ばあちゃんが後ろにいることを知ってて
わざとのけぞったり体重をかけました。
それでも、ばあちゃんの小さくも力強い手が
僕の背中を押し出してくれたおかげで、
今の大五郎があると思っています。
これからも、ぼくらの偉大なる先生として、そして
いつまでも若々しいばあちゃんでいて下さい。」
(インタビュー 茅島奈緒深)
2005/08/24 (佐賀マリトピアにて)
最近、興味があることー 舞台の演出や構成、舞台づくり
タップの練習も好きです。 橘大五郎
2005/08/30 (移動中の駅にて)
佐賀マリトピアの公演を終えてー
一ヶ月は長いようで、楽しい時間はあっというまに
過ぎてしまいました。
千秋座に向けてー
倉敷、千秋座は初めての劇場なので、橘劇団はこういう劇団
なんだと覚えてもらえるよう、がんばります。 橘大五郎
2005/09/06 (台風接近の為、この日は夜の部がお休みになりました)
最近、興味があることー演劇
好きな食べ物ー好き嫌いはないので何でも食べます。
しいて言えば、果物かなあ、バナナとか好きです。
あと、白いごはん! 橘大五郎
2005/09/12 (千秋座にて)
毎日、舞台づくりのことを考えています。
最近面白いことって何だろう?
倉敷の町の探索かな、
蔵があちこちに残った街並なんですね。 橘大五郎
2005/09/16 (浅草にて)
この日は、友情出演公演のあと、アーティスト筒井はじめ氏による
スチール撮影がありました。
素顔での撮影もあったので、二人の会話
筒井氏 「素顔だとけっこうみんな、わからないでしょ?」
大五郎 「はい、絶対大五郎ってバレないで歩ける自信あります。(笑)
この前も『これ、若座長さんに渡しておいてください』って
ファンの方からのプレゼント、僕、受け取りました。(笑)」
2005/09/17 <撮影スナップ>
↑大五郎クン撮影の早乙女太一クン↑(後ろの影がポイントだそうです)
撮影終了後のおふたり。お互いの顔にいたずらがき、していました。 ↑これは太一くん(?)ですね・・