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愛の「北のひめゆり」
今日の日誌は長編になるかも。
また、ちと重い内容になるかも・・・
「ひめゆりの塔」や「ひめゆり部隊」をご存じだろうか?
聞いたことがある、くらいの認識でしかないと思われるが、まぁ、それは仕方のないこと。
米軍沖縄上陸作戦で命を落とした、うら若き乙女達のことである。
沖縄戦の悲劇のシンボルといっても過言ではない。
沖縄という、日本の最南端に位置するこの場所で殺され死んでいったた乙女たち。
幾度となく映画化ドラマ化されてきている。
ある意味、戦争悲劇のメジャーである。
反対に、日本の最北端は北海道である。
ここにも「ひめゆり」がいたことをご存じだろうか?
北のひめゆりである。
悲しいことに、この「北のひめゆり」たちは、沖縄のひめゆりに比べると、あまり知られていない。
そういう意味では、戦争悲劇のマイナーである。
戦争悲劇にメジャーもマイナーもないのだが、生き残った人々の末裔である我々があまり知らないというのは、あまりにも無礼で非礼で、そして愚かではなかろうかと思い、この日誌に書いている。
九人の乙女が自決している。
17歳から24歳までの乙女達である。
そして、この悲劇は終戦後に起こっている。
昭和20年8月20日である。
悲劇にしては、あまりにも無念で憤懣やるかたない出来事である。
ソ連は、日ソ不可侵条約を一方的に破り進撃してきた。
ソ連とは、いまのロシアのこと。100年前の言い方をすれば「露助」である。
このことについての詳細Flashがあるので、まず見るべし。
http://www35.tok2.com/home/sousei/otome.swf
みなさん、これが最後です。さようなら、さよなら・・・
といい青酸カリを飲んで死んでいった彼女達の声が、いまも北の大地に風とともに舞っているようではないか。
彼女たちは何故自決したのか?
それは多分に純粋を守りたかったに違いないと思う。
誇りでもいい。
いまより倫理観のあった時代なのである。
露助が何をするか知っていたからである。
何をされるのか?
強姦である。
レイプである。
そして、殺される。
当時の日本人は小さい。男性も女性も小さい。
それに比べソ連兵は大男である。
普通に恋愛して肉体関係を結んでも、当初は苦痛の連続に違いない。
それが強姦レイプされたらどうなるか。
怪我どころではないだろう。
会陰裂傷もするだろう。
子供も出来るだろう。
精神的肉体的苦痛悲劇の最たるものである。
誇り高く志し豊かな当時の乙女達には耐え難き屈辱であったろう。
目の前で兵士である男性が死んでいっているのである。
陵辱され虐殺されるより、自ら死を選ぶであったろう。
先にリンクしたFlashは涙なくしては見られないものである。
ソ連兵の残虐ぶりは何も終戦後進撃してきた北海道だけでなく、中国でも行われていた。
満州や中国にいた日本人の多くは、そういう悲劇を受けている。
男性なら連行されシベリア行きである。
女性なら強姦レイプである。
男性もレイプされたという。
民間人である女性(幼い幼児も含む)が多数陵辱されたのである。
中国からの引き揚げ船は九州の博多港に向かった。
日本に帰る船の中で、政府は一枚のチラシを配った。
苦難の末、引き揚げ船で博多港に到着したにもかかわらず、船から海に身投げする女性が後を絶たなかったからである。
彼女たちは、ソ連兵に強姦レイプされ身ごもった女性達であった。
そのチラシは、口が裂けても陵辱されたとは言えない彼女たちを傷つけぬよう細心の注意を払った文面である。
そして政府は博多港引き揚げ者で心身に傷を負った女性に対する対策のため、堕胎手術施設を提供する。
引き揚げ女性がソ連兵らに強姦レイプされ身ごもったため、公式非公式問わず堕胎手術(中絶手術)が行われていたのは、九州では有名な話である。
今年は戦後60年。夏にはNHK民放問わず特別番組が放映されたが、この問題もNHKで特集され8月に放送された。
惜しむらくは、博多港引き揚げの特集であったため、その中のいちエピソードになっていたことと、「九州沖縄スペシャル」という九州限定番組だったことである。
非常にデリケートな問題であるため、当時の堕胎手術を担当した医師も音声だけのインタビューだったりしたが、強烈な内容であった。
NHKだったため、民放に比べ演出色も少なく淡々としていたのが逆によかった。
デリケートな問題という意味は、これは被害者本人の名誉に関する問題という意味であり、また被害の内容がまわりの人間をも巻き込む複雑な問題であるという意味である。
自ずから私は強姦レイプされました。おまけに相手の子供も身ごもりましたというバカはいない。ましてや、そういう被害にあったということが判明すれば社会的に抹殺されてしまう風土風潮が濃厚にあった時代の話でもあるのだ。
いや、これは現代でもそうである。
心と体に、これ以上ない苦痛をあたえる被害である。
未婚女性既婚女性問わず、デリケートな問題であることは間違いない。
このため、時の政府は先に書いたような引き揚げ船でのチラシのほかに、極秘裏に九州大学医学部に堕胎手術を命じているのである。
極秘にするしかない問題であったために。
下にある画像が引き揚げ船内で配られたチラシである。
「不幸たる御婦人方へ至急御注意!!」で始まるチラシである。
「憂悶に終止符・・・」とある。
憂悶とは「思い悩み、苦しむこと」という意味である。
思い悩むだけでも大変なのに、これに苦しみが加わる。
重い言葉である。
しかし、強姦レイプされた女性は、まさに引き揚げ船の中で「憂悶」していたであろうことは想像に難くない。
毎年5月に福岡県筑紫野市では「水子供養」が行われる。
「水子」とは、胎児。特に、流産または堕胎した胎児のことである。
多分に日本的である。
残虐で傲慢で相手を否定する行為の結果存在したものであっても、供養をするのである。この国は。
いったい何体の水子が供養されているかご存じか?
イコール被害にあった女性の最小数ですぞ。
強姦レイプされて妊娠しなかった人を加えれば、被害者数は相当数になる。
その最低限度の数の根拠になるのが、この水子の数である。
不謹慎であるが。
よく「子供に罪はない」という言葉を聞くが、これは嘘である。
罪はある。絶対ある。
じゃあ、種なしに強姦レイプされればいいのか?と言うかもしれないが、それは別の話である。
以上余談。
堕胎手術が行われた保養所。
「厚生省博多引揚擁護局保養所」とある。管轄は当時の厚生省だった。
これは患者の数等を示す表の一部である。
当時は「不法妊娠」という言葉で表現している。強姦レイプされ妊娠したことを。
その数218である。
左となりに「正常妊娠」とあるのは、これは普通に既婚者が妊娠した数である。
その他にも「性病」や「その他」とある。
ちなみに、この「不法妊娠」の数は公式対策での数である。
またチラシをみて診察を受けた人の「不法妊娠」の数である。
診察を受けなかった人もいただろう。
その前に身投げして死んでいた人もいただろう。
引き揚げ前に処理した人もいただろう。
そう考えると、この数が多いのか少ないのか、考えるだけで憂鬱になるのである。
当時の堕胎手術の様子である。
右のおばあさんは、当時看護婦として堕胎手術に参加していた人である。
現在80歳で存命である。
ということは、当時は20歳だったということになる。
この元看護婦のおばあさんの証言が強烈なのである。
涙なくしては聞くことが出来ない話であった。
要約すると、こんなことを話していた。
「優秀な先生が担当されていて、こういう器具(身振り手振りでその器具の形をつくる)で胎児を引っ張り出して治療をやっていた」
「やることは、そのあたりの産婦人科と同じことと思いますが、麻酔薬がなかった。なので麻酔なしで治療をした。私も子供を産んだことがあるのでわかりますが、それは強烈な苦痛が伴います。それでも歯を食いしばって声一つださず耐えていらっしゃいましたよ患者さんは」
「・・・修羅場でした」
そして、こうも言っていた。
「こういうと大げさかもしれませんが、私たちがやらなくて誰が彼女達を救うのか。というような使命感はありました」
壮絶な内容である。
麻酔薬なしでの堕胎手術である。
それでも苦痛に耐え歯を食いしばって頑張った被害者である患者達。
それを思うと哀しみに包まれる。
なお、これを担当した医師(堕胎だけではなく各種診察等も)は、復員した医師が担当したそうである。
また、これとは別に堕胎手術は行われていた。
それは極秘裡にすすめられた対策である。
厚生省から密命を帯びた九州大学医学部の助教授が、配下の医師に命じたのである。
なぜ極秘裡にすすめられたのか?
それは前項に書いた。
この極秘の堕胎手術が表に出たのは、ある医学雑誌の論文が発表されたためである。
発表したのは、当時九州大学医学部で医局長をされていた医師である。
その論文が以下の画像である。
厚生省が命じた極秘指令は、やむを得ないもとと思う。
論文に掲載されている厚生省からの指示は、無念さが滲み出ている。
異民族の血で汚された婦人たちの不幸を水際で食い止めなければならない。
このため極秘裡に中絶すべし。
上記のような内容だったと思う。
NHKの番組では「現代では考えられない措置」というアナウンスが入っていたが、そうだろうかと思った。
国が対応している分、まっとうな措置ではなかろうかと。
私の勘違いかもしれないが、どこが否定的な内容なのかよくわからなかった。
町医者に診てもらい、闇で処分した人も多数いたのである。
この極秘処置を対応したのは、九州大学医学部である。
医師は、たったの3人である。
この密命に参加した医師が存命で、音声のみという条件でインタビューに答えている。
鹿児島在住だった。
また、なぜ音声のみのインタビューであるかも、この問題がデリケートな問題であるということを考えれば納得いくものである。
本意としては、墓場まで持っていく出来事だったに違いない。
闇で行うとはいえ、当時禁止されていた堕胎手術を行うのである。
その苦悩が伺える。
医師3名に対し、膨大な数の患者がいた。
それだけ強姦レイプを受けた女性が多かったってこと。
対応した患者数は1000名以上だった。
順番待ちの患者は病院の中で待機していた。
その胸中や憂悶としていたに違いない。
ここから、ある女性姉妹のお話。
おなじロシア人に犯られて、姉妹とも妊娠してしまった。
ちゃんと「やられて」と言っている。
最後の「(死んだ方がましという気持ちであった姉妹が)身軽になって帰って行くときのうれしそうな顔」というのが、この問題のデリケートさと重さを物語っている。
医師の苦悩が赤裸々に語られている。
「正しいことかと言われたら困るけど・・・いいことをしたという気持ちだけは自信を持って言える」
ここに医師として人間としての誇りを感じる。
専門知識が要求されるプロフェッショナルとしての志の高さといおうか、人間としての情の部分の崇高さというか。
いいことをしたという気持ちは自信を持って言える。
過去を振り返ってそう言える気持ちはすばらしいではないだろうか。
最後に「・・・なるべく触れない方がいいという気持ちになっちゃう」とあるが、医師としても被害にあった当人の気持ちまではわからない、ましてや当事者でない回りが本件についてどう思うか分からない、だから「触れない方がいい」と結んでいるのではなかろうか。
デリケートな問題なのである。
これは戦争悲劇の一面に過ぎない。
前線では弾に撃たれ砲に砕かれる兵士もいよう。
空襲で焼き殺される女子供もいよう。
それらも戦争である。
日本だって、少なからずあったろう。強姦レイプがである。
将校クラスだと武人としての誇り(多分に驕りも含むが)もあり、またサムライ文化の最たる「恥の文化」が生きていたため少なかったと思われるが、明日の命も知れない兵隊クラスだと、やはりあったろうと思う。
言い方は悪いが、子孫を残す生殖行為が本能であるなら、死を身近にしたものが強姦レイプをやってしまうのは、現実としてあると認識する。
正当性があると言っているのではない。
日本人もやっただろうと言っているのである。
しかし、この子孫を残す本能は理由の一部である。屁理屈にしかならないと思う。
なぜなら、戦争紛争のない今日においても、強姦レイプ犯罪はなくならないからだ。
軽い言い方になるが、これは戦争ではよくあることなのだ。
日本でも戦国時代ではそういう記録はたくさんある。
米国はどうだろう。
戦後、進駐軍という名の占領軍として日本にきた。
やりたい放題やってくれた。
もちろん強姦レイプもだ。輪姦だな輪姦。複数人に強姦されるなんて日常茶飯事。
こういう記録はいくらだってある。
ただ、当時占領下にあったため表に出ななかっただけである。
このため、日本女性の教養人(多分に当時の貴族階級)の一部は、体を張ってこれを防ぐ手だてをした。
肉体の門である。
米軍兵相手の娼婦。パンパンのことである。
もちろん「食べるため」にパンパンやっていたのも事実だろう。
カタギの女性に被害が出ないように、私たちが「肉体の門」として防波堤になっているなどという崇高な理想は、後付で出来たものだろう。
しかし、心の中に当時のパンパンに、そういう心意気があったのは確かだと思われる。ごく限られた人数だと思われるが。
米軍である。
占領軍である米軍は、白人も黒人も黄色い人もすべからく強姦レイプをやってくれた。
このため、当時のハーフの子らの悲劇が発生するのである。
もちろん純粋恋愛の結果生まれたハーフもいたが。
いまでも沖縄で強姦レイプ事件は発生している。
中学生とかが被害者になっているのである。
まだ占領中の気でいるのか!あいつらは。
被害者の気持ちを考えると、日米地位協定なんて関係なく、そいつを殺せと思う。
なんかしたのか、その中学生。
してねぇだろう。
戦争に、いくさに負けるということは、こういうことなんだなと情けなくなる。
ドイツ人だってパリを占領した時はやっちゃってるし、韓国だってベトナム戦争中には極悪非道のことばかりやってきている。
韓国人の強姦レイプは、あの民族の習性なのかと思われるくらいである。
ベトナム戦争時、ベトナム女性を強姦し殺したという記事
(下の方に強姦虐殺の話あります)
「韓国 レイプ ベトナム」で検索すれば、信じられないくらい記事あります。
以前は強姦レイプした奴は殺していいと思っていた。問答無用で死刑。
いまは、ちと違う。
去勢がいいと思うようになった。
これだと物理的に再犯は不可能だし、何より男子にとって、生殖器がないというのは、これ以上ない精神的苦痛であり、これ以上ない屈辱なのである。
それで死ぬまで苦しめばいいと思うようになっている。
この手の戦争悲劇は、当事者にも関係者にも心に深い傷を残す。
ある種、次元の違う悲劇と思われる。
他の悲劇(空襲による被害とか)より優れているとか劣っているとかではない。
平和時にも発生する悲劇という意味で別次元と言っているのである。
女性というだけで被害にあうのである。
先のNHKの番組でも元看護婦のおばあさんが言っていた「女性というだけで被害にあわれた無念さを思うと・・・」。
世界はちっとも平和ではないし、平和な(と思われている)日本でも犯罪として強姦レイプはある。
世界各国みな友達なんて有り得ないし、現実は「利」で動いている。
かなしいかな「情」ではないんだな。
この「利」が衝突すると戦争になる。
近代戦争は科学技術の戦争であり、ボタンの戦争でもある。
しかし、最終的には「人」対「人」になる。
だからアメリカもイラクで苦戦している。
国を守るとは、すなわち「愛する人」を守ることである。
恋人、妻、親、兄弟、友人、甥っ子、姪っ子を守ることである。
何から「守る」か?
不条理な戦争被害から守るのである。
空襲から守るのである。
強姦レイプから守るのである。
だから死ぬことが出来るのである。
「愛する人」を守るために。
姪っ子が二人と甥っ子が一人いる。
殺されそうになったら、その前に殺すであろう。
悲しい思いはさせたくない。
戦争中、お国のためにと死んでいった若者は「愛する人」のために死んでいったのである。
先にも書いたが、恋人、妻、親兄弟、友人、故郷を守るために。
それらを称して「国」と言っていただけのことである。
本当は「特攻隊」のことを書きたかったんだけど、「北のひめゆり」も書きたかったんで、そちらを先に書いた。
でも、ソ連兵にやられた話の方が長くなってしまった・・・
さすがに疲れた。
3時間くらいかかった。書くの(笑)
次回は、特攻隊のお話を。
aki(07/20)
imada,haruka(10/16)
ごぞんじ(06/03)
COMMON(05/29)
COMMON(05/29)
0号(05/29)
ごぞんじ(02/15)
COMMON(02/09)
Y.S(12/12)
ごぞんじ(11/04)