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【群馬】

となりんち 群馬と東アジア<3> 顔の見える関係から

高崎田町屋台通りの3周年記念の抽選会で来客と話が弾む千容植さん(中)と原寛さん=高崎市で

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◆在日本朝鮮群馬青年商工会・会長 千容植(せんよんし)さん(40)

 高崎市出身の在日三世。小中学校は前橋市の群馬朝鮮初中級学校、高校は水戸市の茨城朝鮮初中高級学校へ。和光大学(東京)に進学したが、進んで日本人の輪に入ろうとはしなかった。

 変わるきっかけは、大学四年時のアメリカ留学。「日本からの留学生」という立場を共有できたせいか、日本人の学生たちと違和感なく親しく接した。

 県内で健康ランドや飲食事業を手掛ける父の会社を二十五歳のころから手伝い始めた。従業員はみな日本人。「結局は人間対人間なんだ」は父の口癖だ。

 三十〜四十歳の朝鮮学校OBらでつくり、全国各地で地域社会との交流を進める在日本朝鮮青年商工会(KYC)に関わったことも大きな転機となった。

 中心メンバーだった兄、尚二さん(41)が高崎青年会議所(JC)と親交を深めた縁で、群馬KYCは六年前、高崎市青年団体連絡協議会に加盟した。千さんは「全国のKYCでも地元団体に加盟したのはうちだけじゃないか」と胸を張る。

 各団体と飲み会や勉強会を重ね、同世代の日本人との「横のつながり」を育んでいる。

 二〇〇九年、高崎JCのメンバーから「街の活性化のために事業をやろう」と声がかかった。思いを共有する仲間七人で有限責任事業組合(LLP)を設立し、高崎市中心街に飲食店を集めた「高崎田町屋台通り」を始めた。

 声を掛けたLLP代表の原寛さん(39)は語る。

 「何より一緒にいて楽しい。違う文化で育ち、背景は大きく違うかもしれない。国レベルでいろいろあるかもしれない。でも顔の見える仲で考えていけばいい。容植さんとの関係は変わらない」

 千さんは、在日朝鮮人にまつわる複雑な事情への理解が身近で少しずつ広がっているのを感じる。例えば、反日教育を行っていると誤解され、高校無償化の対象から外されている朝鮮学校。資金不足に悩む母校のために千さんが企画したチャリティーゴルフには日本人も参加してくれる。

 「何年と付き合っているうちに僕がなぜ朝鮮学校を守っているのか分かってもらえれば」

 北朝鮮問題が話題に上る時は外国メディアの情報も紹介する。「多面的な見方を知ってほしい」との思いからだ。関心を持つ人もいる。

 一二年四月、北朝鮮で開かれた故金日成主席生誕百周年の記念行事に参加した。高校の修学旅行以来、二十二年ぶりの訪朝だった。

 「ああ、(韓国と)停戦中の国なんだと感じた。アメリカに真っ向から対立している唯一の国で、侵略されないことが幸せ、という感覚が国民にある。住むのは無理だけど。僕は日本で生まれ、育ち、死んでいく」

  (伊藤弘喜)

 

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