マリ中部ルポ:「過激派は町ごと人質にした」
毎日新聞 2013年01月26日 11時43分(最終更新 01月26日 12時52分)
【ディアバル(マリ中部)服部正法】黒こげのピックアップトラック、崩れ落ちたレンガ造りの建物から突き出した、ぐにゃりと曲がった鉄骨−−。フランス軍が介入しイスラム過激派との戦闘が続く西アフリカ・マリで25日昼(日本時間同日夜)、記者は仏軍とマリ政府軍が21日に奪還した中部ディアバルに入った。仏軍の空爆は精密で過激派のみをたたいたといい、解放に安堵(あんど)した様子の住民は口々に過激派支配の恐怖を語った。
仏軍の介入は、日本人10人が死亡したアルジェリア人質事件で実行犯のイスラム武装勢力が動機として指摘。マリ情勢の推移は、懸念される再襲撃の可能性とも関連する。
ディアバルはマリ有数の稲作地帯の中に位置する人口約1万5000人の小さな町だ。昨年からマリ北部を占拠してきたイスラム過激派は今月14日、突然南下してディアバルを制圧した。直後から仏軍が過激派を空爆し、マリ軍と共に地上部隊も派遣。19日ごろ過激派は撤退し、21日に両軍が管理下に置いた。
過激派キャンプ地では、建物のトタン屋根が吹っ飛び壁が崩落している。近くには爆発炎上したとみられるトラックの残骸。荷台に焼け焦げた自動小銃が多数残り、辺りに弾薬が散乱している。
町中の狭い路地にも黒こげのトラックが残る。住民によると、過激派が夜間走行中に仏軍機に攻撃された跡だ。近所の男性は「過激派2人が吹っ飛んで死んだ」と言う。
「空爆で殺されたのは過激派だけ」。農家のウスマヌ・ディアロさん(58)は空爆の正確さを強調した。
ディアロさんによると、イスラム過激派は北からトラックでやってきた。頭にターバンを巻き銃を構えた戦闘員約300人はマリ北部の遊牧民トゥアレグ人が多かったが、アラブ系や英語を話す黒人、「パキスタンから来た」と言う者も。
戦闘員らは当初、「真のイスラムの教えを分かち合おう」などと主張。やがて屋内にとどまるよう命じ、自分たちも入り込んだ。「攻撃を受けないよう住民を町ごと人質にした」(ディアロさん)
戦闘員の命令に従わない住民が銃殺されたとの情報もあった。過激派は北部でイスラム法を厳格に適用し窃盗容疑者の腕を切断している。恐怖にかられたディアロさんは17日、家族や友人ら22人で町を脱出、過激派撤退後に戻った。解放にほっとした様子だが「連中は物を壊し、すべてを奪っていった。農業を続けたいがカネがない」と表情を曇らせた。