大阪市立桜宮高校の体罰問題は、橋下徹大阪市長の政治パフォーマンスの場となり、本質的なことが議論されずに終わってしまいそうである。「週刊新潮」で京都大学の佐伯啓思教授が橋下的手法をこう批判している。
「橋下市長がかねてから目の敵にしていた教育委員会に圧力をかけたいという思惑も露骨に感じますが、いくらなんでも入試の中止や廃校の可能性にまで言及するのは無茶苦茶な話です。
高飛車な姿勢はいつもと変わらないけれど、権力をあまりにも軽々しく行使し過ぎている。さらに、桜宮高校の問題では、お亡くなりになった生徒が絶対的な正義になっています。橋下市長は、被害者側のそうしたムードに寄りかかって過激な発言を繰り返している。
その場合、橋下市長に反論することは簡単ではありません。だが、実態は、行政の長という立場まで利用し、正義の名を騙る暴力装置になってしまっているのです」
「週刊文春」も橋下市長が「教育の場を一瞬にして自己の政治的アピールの場に変えてしまった」と批判している。1月21日(2013年)の朝、桜宮高校を訪れ、在校生に持論をまくし立てた橋下市長に保護者の一人はこう憤っている。「子供によると、市長は教育委員会、教員、保護者を責める論に終始したそうです。最後に、生徒会長と女子ソフトボール部の主将が『勝利至上主義じゃなく、それ以外のこともきちんと教えてもろてるし、新入生と一緒に学校をよくしていく』という意見を言った。
在校生から拍手が湧くと、市長は『その考えが間違ってる!』とバッサリ。いったい何のための場ですか」
さらに文春は「日本維新の会」の幹部に「体罰&セクハラの常習犯だった者がいる」と実名をあげて告発している。「『じつは維新の会所属の府議、中野隆司氏(55)は中学校教師時代、体罰やセクハラで何度も問題を起こしているのです』(府政関係者)
中野氏は鳥取大農学部を卒業後、府立高校講師から中学校の正教員に転じた。八尾市と柏原市の四中学で理科の教鞭を取り、○七年に民主党の公認で府議選に初出馬して当選し、一昨年四月の選挙で「維新」に鞍替えして二期目に当選した。ところが、以前から関係の深い岡本泰明柏原市長(73)が「禅譲」する形で中野氏は柏原市長選(二月三日告示)に出馬表明。市長選準備のため、昨年末に府議を辞職したばかりだ」
だが、彼には頭に血が上ると逆上して何をするかわからなくなる傾向があるというのだ。
「『学年教官室で、中野がある女子生徒を、学校中に響き渡るほど怒鳴り上げたことがあった。後で本人は「あいつションベン漏らしよったわ」と、女生徒を失禁させたことを自慢していました』(元同僚教員)
こんな証言もある。
『中野に激昂しとった教員がおったんです。理由を聞くとある女生徒から「中野先生にヤらせろと言われた」と相談されたというんです』(柏原市の教育関係者)」
中野が教師を辞めるきっかけになったのは体罰事件だった。柏原市の別の教育関係者がこう語る。
「○二年の秋、文化祭と体育祭の団体演技の演目で、三年生の男子がソーラン節をやることになり、中野がその指導をしていたんです。その際、ある生徒がふざけていたのを中野がドついたんですわ。しかも、騒ぎを収めようとした生徒まで青タンが出来るほど殴つたんです」
以下は中野との一問一答。
「――○二年の体罰は事実か。
『それは一応体罰として。捉え方は別ですけど、生徒さん、学校ときっちり話したうえでお互い納得して終わった話です』
――当初は承服できず、自ら辞職を申し出たと聞いているが。
『言ってない。そんなことで辞められないでしょ』
――セクハラ疑惑の二例がある(具体的に質す)。
『ないないない。そんな覚えはありません』
――今でも体罰は正しいことと思っているか。
『体罰はあってはならん。法律で決まってる』
――矛盾していないか。
『世間ではわからん教育現場の時代があったわけです。それは社会通念上理解されていることです。昭和五十年代とか、学校の荒れとかで。禁じ手というのか、それがなければ学校がどうにもならんという部分』
――これは十年前の話だが。
『私は二十三年やっていたから遡れば。平和な時代のクラブ活動とは別に考えてください』」
文春はこう結んでいる。
「維新内部にこんな人物を抱え込んでおきながら、桜宮高校事件で『正論』を振りかざし、自己ピーアールに余念がない橋下氏。まさに茶番劇である」
「巨人・大鵬・卵焼き」と謳われ、柏戸とともに柏鵬時代を築いた大鵬の死は、私のような世代に少年時代の相撲が熱かった時代を思い起こさせてくれた。1971年に31歳の若さで引退し、部屋を開くと多くの弟子が集まり第二の人生も順風満帆かと思われたが、実際はそうはならなかった。
77年に脳梗塞で倒れ、左半身麻痺などの後遺症が残ってしまう。さらに長女と作家・田中康夫とのスキャンダルが起こり、続いて妻のスキャンダルも噴き出したのだ。
「『男性週刊誌が3週にわたり、<かつて一世を風びした大力士がデンとひかえる超有名部屋>のおかみさんが、複数の弟子たちを次々と誘惑し、ただならぬ仲になっているという記事を掲載したのです』(別の協会関係者)
記事中では『A部屋のB子サン』が、若い弟子たちに宛てたラブレターを公開。錦糸町のホテルで逢引を繰り返しているという証言まで紹介している。当のB子サンは取材に『手紙を渡したのは私』と認めながらも『ただのイタズラ。若い人に親身になって相談にのってあげるから、他の人が邪推している』との『弁明』を展開。これを写真週刊誌が後追いし、果ては『大鵬部屋の夫人』と特定して報じるに至ったのだ。
こうした一連の騒動が、病身に応えないはずがない。現役時代、その負けない相撲を指して『コンピューター』と称えられた親方の人生には、少しずつひずみが生じ始めていった」
三女が二子山部屋の貴闘力と結婚するが、貴闘力の博打好きに悩まされ、大獄親方になってからは野球賭博問題で協会を解雇され、離婚してしまうのである。
人は心の上に刃をのせて生きている。忍の一文字が好きだった大鵬の晩年はまさに忍そのものであった。そのためか、最近は「夢を持て」と書いていたという。大鵬の老後の夢は何だったのだろう。
(続く)
元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。
【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか
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